mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

小野善康『不況のメカニズム』中公新書

2007-07-05 23:51:37 | 
1990年代初頭に始まる長い不況のなか、日本は赤字財政、構造改革、量的緩和、ゼロ金利と、万策尽きた感がある。
と思っていたら、いつの間にか「戦後最長の景気拡大」だそうな。思い起こせばバブル初期の1986~87年頃もその時点では深刻な円高不況と思われていたけれど、あとから見れば好況の入り口だった。日本の平均的な成長率が10年おきぐらいにガクッ、ガクッと下がるので、その時点では過去との比較で調子悪いように見えて、後世から考えるとまだけっこうよかったということかと思う。
しかし、その戦後最長の景気拡大のなかで、著者の小野氏が『不況のメカニズム』を公刊したことは、彼の認識では日本はまだ長い不況の中にあるということなのだろう。
日本が不況にもがくなか、我々は様々な「マクロ理論」を耳にしてきた。どれだけ赤字になろうとも財政出動で頑張れと言う声がアメリカのL.Summers財務長官や、かの植草一秀先生から聞かれた。しかしそうした声は、膨大な借金を国が抱えて大丈夫なのだろうかという不安をかえってかき立て、それが小泉政権の構造改革路線への支持につながったと思う。
インフレ目標を掲げよ、とにかくお札を刷れ、という声もP.Krugmanや、日本の数々の著名な経済学者から聞かれた。
しかし、財政出動も、お金の増刷も、実際に政府と日銀がガンガンやったのだが、日本経済はようやく弱々しい回復を見せ、いつのまにか「戦後最長の景気拡大」だそうだが、株価にせよ雇用にせよやはり不況感は否めないところだ。

実は私が不況の元凶である。私の年収は20年前の就職時の5倍程度になった。一方消費水準は5倍にはなっていない。収入が少なかった時代に身に付いた生活習慣を、収入が増えても変えられず、何となく貯蓄性向が高まっている。小野氏によれば私のような人間こそ不況をもたらしている。人々が貨幣の蓄蔵に励んで消費しないから不況になるのである。小野氏は本書のなかで繰り返し、労働力が余っている状態こそ最大の浪費であると指摘する。その浪費状況を改善するための政策は何であれ効率改善的である。人々が貨幣蓄蔵から消費へ意識が転換するのを待っていたら一世代かかるので、財政出動はそのサイクルを早める上で効果的なのだ。
本書は、「ケインズ『一般理論』から新たな『不況動学』へ」という副題の通り、ケインズ「一般理論」に出てくる様々な説の正否を検討しながら、最後に自分の理論を打ち出すという構成になっている。古典を評価したり批判したりしながら、自説を打ち出すというのは、宇野弘蔵などマルクス経済学の流儀である。一般に、近代経済学者は古典を簡単なモデル(たとえばケインズ経済学はIS-LMモデル)にまとめてそれで事たれりとする。ケインズに寄り添って読んでいこうとする小野氏の態度は近代経済学者らしくないが、それが本書の読み所である。
松原隆一郎氏(『「消費不況」の謎を解く』)の消費不況説は、消費したいものがなくなったから不況になった、というものだが、小野説も消費需要の減退が不況の根底因だとし、高度成長期の家電製品のような誰でも買う物がなくなったことを指摘している。ただ、小野説はインフレ目標政策も、流動性選好を緩和して消費を促進する役に立つ限りにおいては評価するという点で松原説とは違うようだ。
本書を通じて繰り返しが多いので、もう少しデータを使った自説の実証にもページを割いていただけたらよかったと思う。いずれにせよ、数式をほとんど使わずに文章だけでマクロ経済学を表現するために並々ならぬ工夫と努力があったものと思う。
本書で痛快なのは新古典派のみならず、「メニュー・コスト」理論の類のニュー・ケインジアンも一蹴し、乗数効果はナンセンスと喝破し、IS-LMにも疑問を呈すなど、いままでマクロ経済学に対して何となく感じていた違和感をすっきりと言い放ってくれていることである。
ただ、それで小野説に全面的に帰依したかというとそうでもない。結局、私なりに得た結論は「マクロ経済学に『正解』などありはしない」ということであった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿