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日々是好日

日記とかそういったもの

大須のおおもり

2015-06-05 23:55:00 | 東海道どうでしょう

仕事帰りにいくつか部品がほしかったので雨の中大須によってきました。晩御飯は前からにきかけていた「おおもり」というお店にいってきました。このおみせは大衆食堂ですから、あまりすごい特殊なメニューはないのですが、ご飯の盛り方にマンが盛り、通商「マ盛り」というのがあります。糖尿病になるくらいご飯が好きな自分にとって天国のようなところでした。


御油宿~姫街道~気賀関所~舞阪宿

2015-05-04 22:25:17 | 東海道どうでしょう

なんとな~く新城にでもドライブをしようかなんておもって国道1号を東に向かって走っていたらカーナビに「御油の松並木資料館」という文字が目に入りました。そうだ東海道に行こう。

御油の松並木資料館

↑文字通り御油の松並木についての資料館ですが、入場料はなんとただです。上の写真をよ~くみると軒先に太い木の幹とその横になにか台形のものが見えるでしょ?これが樹齢400年近かった松の木の根だってびっくりですね。

↑説明文。

↑松の木の根っこ。比較するものがないからわかりにくいが現物は松の木という言葉から想像できないくらい大きい。

 

館内はお世辞にも広いとは言えませんが、浮世絵があったり、駕籠があったり街道の松の木がどれだけ大切にされてきたかよくわかりました。

カーナビでみていてこの資料館以外にもう1つ気づいたことがあります。名鉄本線国府駅よりちょっと名古屋よりに国道一号線から陸橋を使って北に向かい線路を越えたらすぐに東進する道があります。この交差点の名前がまさに「追分」でして、ここが東海道と東海道の脇往還である姫街道との分岐点、いまでいうジャンクションに相当する追分そのものだったんです。これはちょっと調べれば姫街道は西は御油宿、東は見附宿(静岡県磐田市)で東海道と接続された浜名湖の北を通る脇往還だとわかりますが、いまでもしっかり残っていることにちょっと感心しました。そういうことで、姫街道を進むことにしました。

 

地図をたどってみればわかるのですが、この追分の交差点から伸びる県道5号線が往時の姫街道です。豊川市中心部を横切るように豊川公園の南を抜け、東名高速豊川インターから南北に延びる国道151号(伊奈街道)と交差し、国道362号線として本坂峠を越え嵩山(すせ)宿を通ります。今回はモノ好きではないので旧道(本来の姫街道)ではなく、新しいほうの本坂トンネルを通り三ケ日は横目で見ながらスルーして、気賀にある気賀関所の見学をしました。

看板に東海道三大関所としてある。どうも、箱根関所、新居関所とこの気賀関所を指しているようだが、気賀関所のマイナー感は否めない。

門は入場料(通行手形と呼んでいる)を大人150円で購入して入場する。すごく手入れが行きとどいて新品同様というのもそのはずで、この施設は資料をもとに平成2年に建てたものだという。

新しいだけあって前に訪れた新居関所よりも、何かこうびしっとしている。写真などは撮っていないが、牢も再現されており「どうぞお入りください」という看板まであった。しかも、入場券をかった売店では貸衣装ときつけも行っており自分が見学していたときも2人の忍者と2人の町娘があるいていた。新居関所よりも歴史がない分サービスでカバーしようという気持ちはよく理解できる。併設されている資料館では将軍家に献上された象が東海道を姫街道経由で歩いた時の絵などが展示されていたり、当時の高級官吏をもてなした時の御膳の再現が紹介されていた。この御膳は当時としては庶民が口にできないほどのクオリティだったようだが、現代人的には民宿の晩御飯としてもどうかな?と思えるものだった。

関所をでて北に行くと「浜松市 姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」という長ったらしい名前の施設がある。

↑その資料館。

 

外見や規模からあまり期待していなかったが、無料であったことは素晴らしい。姫街道についてはあまり触れられていない半面、銅鐸の説明は十分だった。銅鐸にも基本的なデザインがあり、地域によって若干のアレンジあることがよくわかった。実際に鐘というのか楽器というのかわかりませんがレプリカが釣ってあって実際に音を出すことができた。結果としては金属のこういうものをたたけばこういう音が出るわなというていどのものだった。いくら形が意味深でも音は別物とわかった。もっとも金属が身近になかった時代の人たちにとっては耳にしたことのない不思議な音だったとは思う。

「浜松市 姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」を出てさらに東に向かうが、このまま見附宿まで行くのは時間的にちょっと無理がありそうなので舞阪宿に向かうため進路を南にとった。姫街道も基本は東西に延びながら吉田宿(愛知県豊橋市)や浜松宿からも接続できるような道があったそうだからいいじゃないか。そうやって行きついたのが舞阪郷土資料館(下)です。図書館と併設されているのでカーナビ的にはちょっとわかりづらい。

ここは郷土資料館なので舞阪宿があったことは郷土の歴史のある1点という扱いで舞阪宿目当てとしてはちょっと不満が残りますが、それでも入場は無料ですし展示はきっちりしていました。一番興味深かったのは資料館の入り口置かれたカウンターでした。カウンターの前にはきたら押してねと書いてありました。夕方4時の段階で私分もいれて大人用のカウンターは17名を指していました。きても気づかないため押さない人がいるかもしれませんが、この数字はねぇ・・・。当時の旅人はこの資料館よりも浜名湖寄りの船着き場から今切れの渡しを船で新居まで行ったんですね。その船着き場の遺構も整備されて見学できるようになっています。


赤坂宿の大橋屋

2015-04-19 23:55:00 | 東海道どうでしょう

赤坂宿に大橋屋という旅館があって、江戸時代初期から今まで営業しているというのは東海道五十三次関係の旅行紹介を見ればたいてい書いてあることですが、2015年3月15日(つまり先月の中旬)をもって360年くらいつづいた営業をやめたとのこと。廃業の理由は、経営者ご夫婦の体力の限界とのこと。建物は豊川市に寄贈され来年以降公開されるとのこと。せっかくなのだから、営業を引き継いでくれる人を探せばよかったのにとも思います。


藤川宿にいってきました

2015-04-12 23:55:00 | 東海道どうでしょう

昼ごはんを自宅で食べてから、天気もいいので藤川宿のあった岡崎市藤川にいってきました。

とりあえず国道1号線から藤川宿にはいっていくところにある棒鼻(復刻版)と見附(復刻版)がありました。棒鼻は赤い木の前にひょこっと立っている木の柱で、現在位置や宿場などの方向や距離などが書かれたものです。歌川広重の東海道53次の浮世絵の藤川はこの棒鼻付近を書いたものでした。それで復刻と・・・。そして四角の石積みが見付けというものです。宿場の入り口に当たるところで本来は見張りや警備の人がいるところなんですが形式的な境界位の意味しかなかったそうです。この写真の見付けは江戸の方向の入り口にあるので江戸見付けになります。ですから宿場の反対の境界には京見付けがある。

 

意図していないのでしょうが、旧街道沿いの町並みってこんな感じでちょっと広い道が意外と真っ直ぐ続くんですね。あと個人的には旧街道の町中には酒屋と学生服を扱っている服屋がある気がします。古くから酒屋呉服屋として商売しているからとかそんな理由だと思います。根拠はありませんが。

 

本陣跡地に復元された高札がありました。高札はお触れなどをお知らせするための看板です。

 

脇本陣跡地にある藤川宿資料館(無料)。かなりゆるーい管理の資料館でした。

資料館にあった藤川宿の模型。中央部分の一対の四角が最初の石垣。

いくつかの模型を見ましたが宿場は大体こんなかんじで、道の両脇に宿やら店やらが並びそのさらに後ろは田畑といった感じ。面で広がるいまの街とはちょっと違う。藤川宿は人口1200人、300世帯くらいの小さい宿場だったそうだ。

西のはずれ。右にある一対の四角は京見付け、中央付近にある緑の四角に木の生えている1対が一里塚。またどこかで書くと思うが、一里塚は数メートル四方の土地を2メートルくらい盛り上げてそこに木を植えたもの。街道を挟んで1対ある。

これが藤川宿西のはずれ。小学校の南側にある。東西の幅がだいたい1kmある。つまり、宿場のはずれに住む人が反対のはずれに住む人を尋ねようとしたら往復で2kmはあるくハメになる。たいへんだったろうな。


こんな形で東海道するとは・・・。

2015-03-22 23:55:00 | 東海道どうでしょう

昨晩はココイチのカレーでした。なぜ愛知から離れてまでココイチに入るのかというのは問わないことにしてください。せっかく東京近郊での宿泊なので東海道のどこかで検索して行ったら、品川、川崎あたりに嫌われた結果平塚に泊まることになりました。平塚も開けてしまったので旧東海道の面影はない。見付けとか、本陣跡とか記念碑的なものはあるが、それだけ。つまらん。

ということで、本来新幹線で帰ってもいいのですがここは1つ気合を入れて・・・。とりあえず小田原に。改札口の上に大きな小田原提灯がぶら下がっていました。小田原提灯をせっかくなので1つ買っていこうと思いましたが、駅構内のおみやげ屋にはありませんでした。残念。

 

次いで、熱海で下車。ここは旧東海道的には小田原からはいって箱根を超えなければいけないのですが、さすがに登山鉄道とか趣味すぎるのでパスして熱海。改札前で売っていた練り物を食べましたよ。美味しかったです。ただ、この手の練り物は地元豊橋でも食べれるので有り難みはあまりない!。

本当は三島でも降りたかったけどぱすして、静岡におりました。さすがに静岡は大きかったです。駅ビルをひやかしてまた電車に。

 

掛川をパスして、浜松で下車。ここは・・・まあねぇ。うなぎパイくらい?かなり地元に近づいてきて旅している気分が下がってまいりました。

 

豊橋につきました!結局平塚から6時間くらいかかった。途中の三島とか袋井なんかにも寄りたかったのですがその辺りはまた次の機会ということで。

 

 


新居関

2015-02-01 23:55:00 | 東海道どうでしょう

昼から新居関の見学に行ってきました。東海道の関所としては箱根の関と新居の関の2つだけで重要な施設だからさもすごい建物だろうと思っていたら拍子抜けでした。

庭からみた関所の建物。障子のむこうにお役人がいていろいろ調べたとのこと。

 

障子の内部はこんな感じでした。

 

併設されていた資料館を見学しました。鉄砲の展示がよかった。あと関所破りは浜名湖を北に迂回するように行うとのことでやった人は死刑。手引きした住人も死刑という重い罪だったようです。

 

家に帰って晩御飯を食べてから愛知県知事選挙に行きました。