探し物のため自室内を片付けながら物色していたら、目的とは異なるがこれまた探していた3Dカメラの接続ケーブルを見つけた。
所用あってそちら方面にいったので、せっかくなら御前崎灯台でも見てやろうということで御前崎灯台を見てきました。
行く前は閑散とした岬に灯台があるくらいのイメージでしたが、行ってみれば観光バスを横付けしてぞろぞろと人が降りてきて人まみれ。どこを見ても人だらけ。灯台の写真をとろうとしても上から下まで人だらけ。興ざめ。
行く前は閑散とした岬に灯台があるくらいのイメージでしたが、行ってみれば観光バスを横付けしてぞろぞろと人が降りてきて人まみれ。どこを見ても人だらけ。灯台の写真をとろうとしても上から下まで人だらけ。興ざめ。
仕事が一段落したので有休を取得した。せっかくの休みなので近所のオートバックスへ行って今更だがカーナビをつけてもらった。試しにと雨が土砂降りしている中東名にのって隣のICまで行って帰ってきた。なんか不思議。
10時に葬儀社で葬儀開始となっていたが朝の渋滞に巻き込まれて滑り込みになった。父の妹の名代としていとこが来てくれて少し話をした。父の兄とこちらの家族だけでのシンプルな葬儀になった。11時頃まで読経をしてもらったりとお別れをした。出棺を見送り一同で市の斎場にいく。渋滞と迷子で滑り込みになった。父の遺骨を拾って解散。家に父の遺骨を置いて浜松に帰った。
3時ごろに目が覚めてやることは無にPCをつついていたら3時30分ごろにスマホが鳴った。父が亡くなったから病院に来るようにとの母からの連絡だった。1時間くらいで病院につくと父は他界しており今は病院の方が最後の身支度をしているとのこと。5時過ぎにはストレッチャーに乗せられた父が連れられてきた。本当に寝ているだけのように見えた。その後母が手配した葬儀社の車で豊橋の葬儀施設に運ばれた。ひとしきりお別れをして一旦家に帰った。9時前に葬儀社の方から連絡があり今後の打ち合わせをしたいとのことで、昼過ぎに行くと伝えた。
ちょっと仮眠をして昼過ぎに父の置かれている葬儀社にいって葬儀の打ち合わせをした。幸いに希望しているお寺さんにお願いすることができた。最短で火葬まで済ませたかったが翌日は市の斎場の予約が取れないとのことだったので1日あけた4日に葬儀火葬となった。
ちょっと仮眠をして昼過ぎに父の置かれている葬儀社にいって葬儀の打ち合わせをした。幸いに希望しているお寺さんにお願いすることができた。最短で火葬まで済ませたかったが翌日は市の斎場の予約が取れないとのことだったので1日あけた4日に葬儀火葬となった。
今日も特に状況に大きな変化はなかった。母に電話すると強心剤を最大限使っていても前日の血圧位までしか上がらなくなっているとのこと。いよいよ覚悟をしてくださいということだろう。
特にこれといったことは無し。ネットで調べてみたが父と同じような状況になると仮に人工呼吸器を使っていても一時しのぎであり穏やかに最後に向かっていくという。夕方母に状況を聞くと血圧が60位まで下がっているという。今晩が山ではないかと医者に言われたという。
面会時間が11:00からとのことだったので年休を取得して父を見に行った。病院で母と待ち合わせをして集中治療室にいき父と面会した。担ぎ込まれる原因となった心肺停止時の低酸素症で既に意識はなく自発呼吸もほぼないとのことで人工呼吸器をつけられていた。脳の状態からすでに何に対しても反応していないとのことで本当に脱力して寝ているようだった。これが生きている父との最後の面会になった。あっけなく突然のことだったのか不思議と悲しいといった気持ちは起きなかった。いったん家に帰ってから夕方前に浜松に戻った。