なんとな~く新城にでもドライブをしようかなんておもって国道1号を東に向かって走っていたらカーナビに「御油の松並木資料館」という文字が目に入りました。そうだ東海道に行こう。
御油の松並木資料館
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↑文字通り御油の松並木についての資料館ですが、入場料はなんとただです。上の写真をよ~くみると軒先に太い木の幹とその横になにか台形のものが見えるでしょ?これが樹齢400年近かった松の木の根だってびっくりですね。
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↑説明文。
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↑松の木の根っこ。比較するものがないからわかりにくいが現物は松の木という言葉から想像できないくらい大きい。
館内はお世辞にも広いとは言えませんが、浮世絵があったり、駕籠があったり街道の松の木がどれだけ大切にされてきたかよくわかりました。
カーナビでみていてこの資料館以外にもう1つ気づいたことがあります。名鉄本線国府駅よりちょっと名古屋よりに国道一号線から陸橋を使って北に向かい線路を越えたらすぐに東進する道があります。この交差点の名前がまさに「追分」でして、ここが東海道と東海道の脇往還である姫街道との分岐点、いまでいうジャンクションに相当する追分そのものだったんです。これはちょっと調べれば姫街道は西は御油宿、東は見附宿(静岡県磐田市)で東海道と接続された浜名湖の北を通る脇往還だとわかりますが、いまでもしっかり残っていることにちょっと感心しました。そういうことで、姫街道を進むことにしました。
地図をたどってみればわかるのですが、この追分の交差点から伸びる県道5号線が往時の姫街道です。豊川市中心部を横切るように豊川公園の南を抜け、東名高速豊川インターから南北に延びる国道151号(伊奈街道)と交差し、国道362号線として本坂峠を越え嵩山(すせ)宿を通ります。今回はモノ好きではないので旧道(本来の姫街道)ではなく、新しいほうの本坂トンネルを通り三ケ日は横目で見ながらスルーして、気賀にある気賀関所の見学をしました。
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看板に東海道三大関所としてある。どうも、箱根関所、新居関所とこの気賀関所を指しているようだが、気賀関所のマイナー感は否めない。
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門は入場料(通行手形と呼んでいる)を大人150円で購入して入場する。すごく手入れが行きとどいて新品同様というのもそのはずで、この施設は資料をもとに平成2年に建てたものだという。
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新しいだけあって前に訪れた新居関所よりも、何かこうびしっとしている。写真などは撮っていないが、牢も再現されており「どうぞお入りください」という看板まであった。しかも、入場券をかった売店では貸衣装ときつけも行っており自分が見学していたときも2人の忍者と2人の町娘があるいていた。新居関所よりも歴史がない分サービスでカバーしようという気持ちはよく理解できる。併設されている資料館では将軍家に献上された象が東海道を姫街道経由で歩いた時の絵などが展示されていたり、当時の高級官吏をもてなした時の御膳の再現が紹介されていた。この御膳は当時としては庶民が口にできないほどのクオリティだったようだが、現代人的には民宿の晩御飯としてもどうかな?と思えるものだった。
関所をでて北に行くと「浜松市 姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」という長ったらしい名前の施設がある。
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↑その資料館。
外見や規模からあまり期待していなかったが、無料であったことは素晴らしい。姫街道についてはあまり触れられていない半面、銅鐸の説明は十分だった。銅鐸にも基本的なデザインがあり、地域によって若干のアレンジあることがよくわかった。実際に鐘というのか楽器というのかわかりませんがレプリカが釣ってあって実際に音を出すことができた。結果としては金属のこういうものをたたけばこういう音が出るわなというていどのものだった。いくら形が意味深でも音は別物とわかった。もっとも金属が身近になかった時代の人たちにとっては耳にしたことのない不思議な音だったとは思う。
「浜松市 姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」を出てさらに東に向かうが、このまま見附宿まで行くのは時間的にちょっと無理がありそうなので舞阪宿に向かうため進路を南にとった。姫街道も基本は東西に延びながら吉田宿(愛知県豊橋市)や浜松宿からも接続できるような道があったそうだからいいじゃないか。そうやって行きついたのが舞阪郷土資料館(下)です。図書館と併設されているのでカーナビ的にはちょっとわかりづらい。
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ここは郷土資料館なので舞阪宿があったことは郷土の歴史のある1点という扱いで舞阪宿目当てとしてはちょっと不満が残りますが、それでも入場は無料ですし展示はきっちりしていました。一番興味深かったのは資料館の入り口置かれたカウンターでした。カウンターの前にはきたら押してねと書いてありました。夕方4時の段階で私分もいれて大人用のカウンターは17名を指していました。きても気づかないため押さない人がいるかもしれませんが、この数字はねぇ・・・。当時の旅人はこの資料館よりも浜名湖寄りの船着き場から今切れの渡しを船で新居まで行ったんですね。その船着き場の遺構も整備されて見学できるようになっています。