暇だったので、下道をとおって豊川→姫街道→浜松→磐田→袋井とドライブしてきた。
袋井宿はJR袋井駅よりちょっと北側の静橋北という交差点を中心にしたあたり。マピオンのマップコードで言うと「169 276 243」あたりです。地図で見ると建物の並びから、このあたりだろうなとわかると思います。
宿場の成立は古く東海道が整備される以前から存在した。遠州三山と呼ばれるお寺をはじめ多くの寺社仏閣の集まる地の門前町として発展してきた。東海道に伝馬制が敷かれた当初からの宿場ではなく、掛川宿と見附宿の間が離れていたので追加で指定された宿場。宿は東西570mほどで人口843人、総家数195軒と小さく、そこに本陣3軒と問屋場1件があった。宿は江戸からも京からも27番目で距離的には違っているがちょうど中間と見ることもできる。
町並みこそ宿場らしさを感じることはできるが、建物などは残っていないのであくまでもここに宿場があったんだなという雰囲気だけ。東海道を旅する人のために東海道ど真ん中茶屋という休憩所が設けられている。
久しぶりに気合を入れて実験した。おかげで何とか攻略法の緒がみえてきた。帰りにそば+カツ丼を食べて帰った。明日から3連休なのだが、どこにもいけない・・・。
年末から足が痛いなー、どこかにぶつけたかなーとおもっていましたが、昨晩ぐらいからパンパンに腫れてきました。朝にはえらくパンパンになってきたので、昼ごはんを食べてから市の休日診療所にいきましたところ。ここで同行するよりも市民病院の時間外診察を受けたほうがいいとのことで正月から病院にいってきました。バイキンが入ったいわゆる蜂窩織炎(ほうかしきえん)だろうとのことで、抗生剤を休み明け分までもらってきました。リンパ浮腫持ち、糖尿病持ちですねに傷があるので蜂窩織炎を警戒していたんだけどダメなときはダメということで。
お坊さんに来てもらって、家族とばあやの兄弟とちょっとした親戚だけで小さなお葬式をしました。予めばあやからいざというときには誰に連絡をしてほしいかをきいてありましたし、葬儀屋との事前打ち合わせも住んでいましたのですごく簡単に済ませることができました。お昼すぎに火葬場にいって、ばあやは煙になって空に上がっていました。長病みしていたせいもあって、骨は頭蓋骨をのぞけばほとんどばらばらでした。お墓に納骨するわずかな分だけ拾ってきました。お葬式を済ませてなんとなくもうどこにもばあやがいないのだなと実感してきました。夕方近所の人が、お線香を上げに来てくれました。
朝から名古屋の方に自動車ででかけていました。昼過ぎに母からばあやがいよいよ危ないかもしれないから戻ってくるようにと携帯に連絡があったことを帰途の途中の18時ちょっと前に知った。高速道路などを使ってばあやがいる特養にいくと、すでに意識はなく、反射的に浅い息をしているような状態だった。自分が到着して1時間もしないうちに息をしなくなり、ばあやは天国(宗派的には浄土)に引っ越しました。18時51分のことでした。施設の人が言うには、前々日は普通に過ごしており、前日の夜は食事が取れずに少し調子が悪いかなくらいに思っていたそうです。それが今朝になって一気に調子が悪くなり昼前には意識がなくなったとのことです。そして夕方には家族が見守る中で旅立って行きました。
朝起きてやっぱり雨。宿の朝食を食べてチェックアウト時間ぎりぎりまでボーッとして、その後ネットでさがしたコインランドリーで1時間位かけて洗濯をしたあと電車で移動しました。大津→京都駅→大和西大寺駅→近鉄奈良と移動して、近鉄奈良から歩いて興福寺→東大寺→春日大社と見ていきました。雨は降るわ湿度は高いわ、距離はあるわでぐったりです。まさに修学旅行シーズンだったので東大寺では小中高校生まざって大混雑していました。ですから大仏様よりも鹿地雷に怯える小学生のほうが印象に残ってしまいました。春日大社まで歩いて帰りはどうしようかと思っていたらバスがありました。見学も含めて3時間位かけた道のりもバスに乗ってしまえば15分位でした。今度来るときはバスを活用できるように下調べしてからにしよう。近鉄奈良駅であずけてあった荷物をピックアップして、サイゼリアで豪遊しJR奈良駅前で宿泊しました。
大仏殿
大仏様