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[格差社会] 日本人という名の国民性

2012-12-12 | Weblog

 「競争」も「平等」も大嫌いな不思議な日本人
 

米国では格差が急拡大しているが、日本はどうなっているのだろう? また、競争や格差に関する意識は、日米でどのように違うのだろうか? 格差社会に詳しい経済学者の大竹文雄氏に聞いた。
 

そもそも日本は、世界的に見て格差が大きい不平等な社会なのでしょうか。あるいは格差の小さい平等な社会なのでしょうか。

世界中の国と比較するならば、格差の小さい国だといえます。ほとんどの新興国に比べれば先進国の格差はずっと小さいからです。

では、他の先進諸国と比較した場合はどうでしょう? 

>>高所得者1%の所得占有率は??

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一言で「格差」といっても、それを測る方法はさまざまです。代表的な指標の一つに所得の不平等さを測るジニ係数というものがあります。ジニ係数でみると日本はだいたい中くらいの格差国です。

一方で、富の独占という意味で上位1%の人が所得全体の何%を稼いでいるかという指標(所得占有率)があります。表1を見れば、日本ではアングロサクソン諸国に見られるような上位1%に富が集中する現象は生じていないといえます。

>>所得格差への意識が異なる!?

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もう一つ、社会の格差を測る指標として相対的貧困率というものがあります。日本の値は15.7%(2006年)でOECD諸国の中でもメキシコ、トルコ、米国に次ぐ高いものでした(西欧諸国はほぼ10%以下)。日本人の7人に1人が貧困層であるという結果は、「一億総中流が崩壊した」として話題になりました。

米国のほうが、日本に比べて速いスピードで所得格差が拡大しています。しかし、所得格差を問題視している人の数は米国より日本のほうが多いのが現実です。表2を見ると、米国人よりも日本人のほうが、「格差が拡大した」「これから格差が拡大する」と考えている人が多いことがわかります。

>>所得は何で決まるべきか?

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その理由として考えられるのは、日本人と米国人では所得格差に関する意識が異なっているということです。表3は「所得は何で決まるべきか?」という質問に対するアンケートの結果です。日米ともに「選択や努力」で所得が決まるべきだと考える人がいちばん多いようです。ところが、「学歴」や「才能」によって所得が決まるべきだと考える人の数は、米国では50%を超えているのに対して、日本では10~15%に過ぎません。

つまり、日本人は「努力した結果、高い給料をもらう人がいてもいい」と考える一方で、生まれながらの才能や、教育環境などによって所得が左右されることに対して否定的なのです。一方、学歴格差や才能による格差を容認し、「成功するチャンスは誰にでもある」という信念が尊ばれる米国では、実際に所得格差が拡大していても日本人ほどの格差感は抱きません。

>>日本人は市場競争が嫌い!

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日本人の価値観の特殊性として、「市場競争が嫌い」という点があります。米国の調査機関ピュー研究所は、世界各国で「市場経済」に関する意識調査を行いました(表4)。その結果、日本は主要国の中で最も市場経済に対する不信感が強い国だということが明らかになりました。西欧諸国のみならず、旧社会主義国である中国やロシアと比べても市場経済に対する信頼が低かったのです。

>>弱者救済策も嫌いな日本人?

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弱者救済策も嫌い

それでは、市場経済に信頼を置かない日本人は、政府の役割や社会保障を重視しているのでしょうか。同調査では「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考えかたに対するアンケートも行いました(表5)。

すると、この数字も日本がきわだって低いことがわかりました。ほとんどの国では、80%以上の人が貧しい人の面倒は国が見るべきだと考えているのに対して、日本人でそう考える人は60%にも満たなかったのです。

「市場競争によって効率性を高め、その結果生まれてしまった格差は政府が所得の再分配を通じて是正する」というのが経済学の標準的なモデルです。例えば、手厚い福祉国家で知られるスウェーデンやデンマークなどの北欧諸国にしても、自由な市場経済のメリットは理解しているので、規制は取り払いつつ、所得再分配を強化することで平等な社会を実現しています。

>>経済状況とともに価値観も変化

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日本人が大きな政府を嫌う理由として考えられるのは、日本人の公共心が、家族や職場、地域社会など狭い範囲にしか及ばないということが考えられます。見知った者同士であれば助け合いの心があるのに、国という大きな単位では互助的な精神が生まれにくいのかもしれません。

ただし、日本人の国民性がもともと競争嫌いで、貧しい人に冷たいということではないと思います。高度成長期に形成された価値観が、低成長や少子高齢化にうまく対応できていないということではないでしょうか。

格差や競争に関する価値観も今後、時間をかけて変わっていくでしょう。価値観が経済システムを規定するように、経済状況が変われば価値観もまた変化するのです。ただし、社会の変化に価値観の変化が追いつかず、ギャップが生じる時期が生じます。そういう時期には制度もうまく改革できないので、さまざまな社会問題が生じてくるでしょう。

(文)大竹文雄、Fumio Ohtake
1961年京都府生まれ。大阪大学社会経済研究所教授。専門は労働経済学・行動経済学。主著に『日本の不平等?格差社会の幻想と未来』(日本経済新聞社刊、サントリー学芸賞、日経・経済図書文化賞、エコノミスト賞日本学士院賞受賞)、『経済学的思考のセンス』『競争と公平感』(共に中公新書)。


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