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原発教育「覆面社員とその愉快な仲間達の人形劇団(東電カッパの河太郎一座)」編

2013-03-26 | Weblog

記事:原発教育、「主婦中心」の人形劇団 団員全員、東電と関連

 「エネルギーに興味のある主婦を中心に活動を始めた」とホームページ(HP)で自己紹介している人形劇団。

 実は東京電力から広報事業を受注する会社の元女性従業員らにより設立されていた。

 劇団幹部は毎日新聞の取材に対し、HPの記載に虚偽があると認めた上で、スタッフには1公演当たり各7000円払っていたなどの実態を明かした。

 この劇団は「カッパの河太郎一座」。

 HPなどによると「夏休みに子供に社会体験させようと原発を見学し、親子ともども、エネルギーを作って家庭に届くまでに大変な努力をされていることに気づかされた」として00年、エネルギーに興味のある主婦を中心にインターネット上で「エネルギー倶楽部」を開き、意見交換を主に活動を始めたとしている。

人形劇団を作ったのは「エネルギーの大切さを子供たちにも伝えていきたいと思うようになった」ためで、02年に財団法人・日本立地センターから「エネルギー劇キャラバンNPO支援事業」として人形劇団が認められた、とする。

しかし、劇団の中心メンバーによると、団員5人全員が設立当時、東電から広報事業を受注するリサーチ会社に所属。

広報事業は、自宅に数人の主婦を集め、原子力の必要性をパーティー形式で「教育」する内容だったという。

あるメンバーは自宅などで約300回パーティーを開催。

そうした中で「子供にもこういう話を聞かせたい」との声があり、日本立地センターの公募事業(発注元は経済産業省資源エネルギー庁で、「次世代層<未就学児・小学生>向けエネルギー劇キャラバン事業」)に応募したところ採用された。

公募前にはエネ庁でプレゼンテーションし、その場で支援を約束されたという。

エネ庁に自分たちの意思で行ったのか、誰かに勧められたのかは説明しなかった。 

人形劇は、シロクマの母親からカッパたちに「SOS」の手紙が届き、現地に向かうと氷が解けて子グマと離れ離れになっていたため助けるものの、地球温暖化の話を知りカッパたちが驚く、といった内容。また、電気がない生活を知るためタイムマシンで江戸時代に行き、電気の便利さや大切さを知るなどの設定になっている。

エネ庁と立地センターの支援事業では05年まで最大で年間250万円を受領し、原発立地地域の学校や首都圏のイベント会場などで公演。

スタッフには1人当たり1公演7000円の給料を支払っていた。その後、支援額は年間60万円に激減し、使途も制限されて自分たちのギャラに使えなくなったため支援事業への応募は取りやめた。

東日本大震災後は公益財団法人「柏崎原子力広報センター」(新潟県)の依頼で、現地の子供などに劇を披露しているという。

そんなメンバーも、東電の広報担当者に違和感を感じると話す。

「私たちのパーティーに時々、東電の方が研修に来るんですけど、来ることを(集めた主婦に)内緒にしてほしいと言うんですよ」。

東電社員であることを隠して見学しなければならない「広報事業」。

メンバーの一人は「私たちにも(東電が)伝えないことがあるんですよね」と不信感を表した。(MAINICHI)

  


原発教育「電力業界の安全神話づくり、NPOを資金で餌付け」編 

記事:電力業界資金提供、「安全神話」啓発でNPO利用

資源エネルギー庁のNPO等活動整備事業で支援を受けるNPO法人など(07~11年度)

 

 原子力委員が就任前に代表者を務めていた非営利組織(NPO)に、電力業界側が多額の事業資金を提供していたことが明るみに出た。背景には、中立的と受け取られやすいNPOを利用して、原発の「安全神話」を広めようとした国や電力業界の思惑があった。 

 NPO「あすかエネルギーフォーラム」理事長だった秋庭悦子氏(64)は、原子力委員就任前年の09年に報告書をまとめた経済産業省の「エネルギー・温暖化対策広報・普及啓発関連NPO等の活動促進に関する調査」のヒアリングで、こう回答した。

「新聞で(事業への参加者を)公募したところ、かなりの人が集まったことがある。これはNPOが主催し、中立な立場だと思って、安心していろんな立場の人が集まるからである」 

 国や電力業界がNPOを「活用」する契機になったのは02年6月、当時の与党3党(自民、公明、保守)の議員立法で制定された「エネルギー政策基本法」だ。

同法14条は「営利を目的としない団体の活用に配慮しつつ、エネルギーの適切な利用に関する啓発及び知識の普及に必要な措置を講ずる」などと定め、NPOの活用を「国策」と位置づけた。

 同法に基づき03年10月に閣議決定された政府の「エネルギー基本計画」も、知識の普及に当たり「非営利組織の自律的な活動が促進されるよう配慮する」とした。

あすかがNPO法人格を取得したのはその翌月だった。

 呼び水となったのは、99年9月に発生した茨城県東海村の核燃料加工会社JCO東海事業所での臨界事故と、02年8月に発覚した東京電力福島第1、第2原発と柏崎刈羽原発での「トラブル隠し」。03年4月には東電管内の全原発17基が運転停止を余儀なくされ、国や電気事業者による説明だけではもはや国民の信頼を得られない状況だった。

 05年10月に原子力委員会が策定した「原子力政策大綱」もNPOの役割を強調。経産省資源エネルギー庁によると、07年度、原発広報事業の一環として「NPO等活動整備事業」を整備し、11年度までに財団法人日本立地センターなどを通じて、あすかを含む計19団体に211万〜18万円余を拠出している。

 ◇秋庭氏、消費者と電力業界の橋渡し役

秋庭氏と電力業界との関係は、あすか設立前の90年代前半にさかのぼる。秋庭氏は大手航空会社を退職し、89年に消費生活アドバイザーの資格を得た後、電気事業連合会のアドバイザリースタッフとなり原子力の広報に関わった。「消費者との距離を縮めるため電力業界が橋渡し役として目をつけたのが秋庭氏だった」と関係者は振り返る。

 01年に発足したあすかが03年にNPO法人格を取得すると、04年2月に東京・市ケ谷で開かれた設立記念パーティーに100人以上が駆け付け、電事連広報部長(当時、現東電代表執行役)が乾杯の音頭を取り、日本原子力文化振興財団(原文振)の理事長(当時)があいさつに立った。

 原文振は91年に「原子力PA(パブリック・アクセプタンス=社会的受容)方策の考え方」をまとめ、「日頃(ひごろ)の草の根的な広報に力を入れるべきだ」「エコロジーに関心の強い女性は地域の消費者センターのような所を頼りにしている。そういったところのオピニオンリーダーを(原子力の)理解者側に取り込めたら、強い味方になる」などと記していた。

 あすかは発足後、全国の消費生活アドバイザー仲間を招いて「オピニオンリーダー養成講座」を開催。参加した女性らは各地でエネルギーの「勉強会」を設立し、「国策」と相まって、NPOや任意団体のネットワークが全国に広がった。こうしたNPOのリーダーたちは、任意団体の「フォーラム・エネルギーを考える(エネルギー・シンク・トゥギャザー=ETT)」に参加し、連携を強めた。

 一方、秋庭氏は05年、社団法人「日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会」の常任理事を兼ね、07年3月〜10年3月には原文振の理事も兼務した。(MAINICHI)

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