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安倍政権下でますます荒む日本社会(被爆体験漫画 閲覧禁止)更新8/26

2013-08-26 | Weblog
8/26 

更新NHK 「ゲン」閲覧制限要請 松江市教委が撤回へ

漫画「はだしのゲン」の一部に過激な表現があるとして、松江市教育委員会が、小中学校の図書室で自由に読むことができない措置をとるよう学校側に要請していた問題で、松江市教育委員会は、26日開いた臨時会議で、「要請が事務局だけで決定されるなど手続きに不備がある」として、要請を撤回するのが妥当だとする結論をまとめました。

この問題は、中沢啓治さんの漫画、「はだしのゲン」について、松江市教育委員会の前の教育長が、「一部に過激な描写がある」として、去年12月に開かれた小・中学校の校長会で、子どもが図書室などで、自由に読むことができない「閉架」の措置をとるよう要請していたものです。

この要請は、市教育委員会の事務局だけで決定されていたことなどから、大学の名誉教授など5人で構成する教育委員会は、26日、臨時の会議を開き、対応を協議しました。

この中では、要請が事務局だけで決定され、教育委員に報告されていなかったことは、「慎重さに欠けていた」と委員全員から指摘されました。

また、「閲覧の制限を行うかどうかは、それぞれの学校が決めるべきだ」という意見が出されました。そのうえで、会議では「要請が事務局だけで決定されるなど手続きに不備がある」として、要請を撤回するのが妥当だとする結論をまとめました。

また、今後の取り扱いについては「各学校の自主性を尊重する」としています。教育委員会会議のあと、記者会見した松江市の清水伸夫教育長は、「今回の件で、混乱を生じさせたことを改めておわびします」と述べました。

そのうえで清水教育長は、「学校の自主性を尊重するという結論に至ったので、今後は、児童や保護者にどう説明するかを、学校としっかりと協議していきたい」と述べました。

また、松江市教育委員会の内藤富夫委員長は、「手続きには不備があったが、当時の担当者が十分に考えて行った措置であったので、間違っていないと思う」と述べたうえで、「今後、学校の対応について、しっかりと見守っていきたい」と話していました。

漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの妻のミサヨさん(70)は、「松江市教育委員会の要請が撤回されて、本当によかったです。夫は『ゲン』を通して、戦争や原爆のことを知ってほしいと、子どもたちにも分かるように、絵やストーリーを考えて作品を描きました。これからも、子どもたちに自由に手にとって読んでもらいたい」と話していました。


 漫画「はだしのゲン」閲覧制限 、内外から憤り・疑問の声続々


 8/23

記事東京;「はだしのゲン」の衝撃 米少女を漫画家に

作者はニューヨーク在住のレイナ・テルゲマイヤーさん(36)。作品は二〇〇二年に発表し、自身のホームページで公開している「Beginnings(きっかけ)」。父に勧められ、英訳版のはだしのゲンを読んだ体験を描いた。原爆の脅威に直面し、少女の心の揺れを表現。動揺する娘に母がかけた言葉が人生の道しるべになったことや、漫画の持つ力にひきつけられた心情もにじませている。

テルゲマイヤーさんは本紙の取材に、小学生でゲンに触れた意義を「幅広い問題意識を持ち、周囲にもっと目を向けられるようになった。ショッキングな表現もあるが、読んで良かった」と強調。松江市教委が暴力的な描写を閲覧制限の理由にしたことに「現代の子どもはゲームなどで、もっと暴力的な表現に触れている。(閲覧制限より)現実の暴力が引き起こす問題を理解させる方が重要だ」と疑問を投げかけた。

和訳した東京都のフリー編集者の男性(45)は「子どもが本と出会う機会を失わせたのに、重大な行為をしている自覚がない松江市教委が腹立たしい」と思い、ゲンに関する情報を集め始めて作品を見つけた。

 「多くの人の目に留めたい」と、本人に和訳して公開したいと連絡したところ、快諾を得て自身のブログに最近掲載した。

 男性は「原爆の背景を知らない米国の少女が、素直な気持ちでゲンを読んで感じたことを知ってもらえれば」と語る。

 男性のブログのアドレスはhttp://lafs.hatenablog.com/

 ブログ名の一部である「編集といえば出版編集」でキーワード検索しても見つかる。

<レイナ・テルゲマイヤー>1977年、米国サンフランシスコ生まれ。9歳ごろから漫画を描き始め、99年にニューヨークの美術専門学校に入学。2000年からインターネット上で短編作品の発表を始める。小学生の時、歯のけがが原因でいじめを受けた経験を描いた「Smile」(10年)が、米国で最も権威ある漫画賞とされる「アイズナー賞」で部門別の最優秀賞を受賞。好きな漫画家の1人に「はだしのゲン」作者の中沢啓治氏を挙げている。

<漫画のあらすじ>9歳の時、父に「読むといいよ」と言われ、はだしのゲンを渡された。「日本に原爆が落ちたと聞いても、ピンとこなかった」が、読んでいくうちに感情移入。広島への原爆投下の場面まで進むと、自国の米国による攻撃で多くの人が死んだことに混乱し、泣きながら両親に「何で米国が日本に?」「私もそんな目に遭う?」「二度と起きちゃダメ」とまくしたてた。「もう人生めちゃめちゃ」と嘆く娘に、母は成長を感じたのか、優しく「逆に、あなたの人生が始まったのね」と背中を押した。主人公は母の言葉の意味を理解できなかったが、それからの人生で「いっぱい考えさせられた」と回想している。=右は漫画の一場面

記事NHK:世界が共感「はだしのゲン」

 

尾
「今日、8月6日は広島に原爆が投下されてから68年となる『原爆の日』です。」

黒木
「広島では、今年(2013年)も平和への誓いを新たにする祈りが続いています。」



平和記念式典は、爆心地に近い広島市の平和公園で行われ、およそ5万人が参列しました。





原爆が投下された午前8時15分。
平和の鐘が打ち鳴らされると、参列者全員が黙とうし、原爆で亡くなった人たちを追悼しました。




参列者の中には、アメリカによる原爆投下の正当化に疑問を投げかけるドキュメンタリーを制作したオリバー・ストーン監督や、アメリカのルース駐日大使の姿も見られました。

広島市 松井一実市長
「無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり、『絶対悪』です。」



広島は今日一日、平和を誓う祈りに包まれました。

被爆者
「今の私は犠牲者の人の上にあるので、一日もむだにせず生きます。」

被爆者
「被爆者の思いを語らせていただいて、受け継いで、日本が平和になるように。」



尾
「広島に原爆が投下されてから今年で68年。今、再び注目されているのがこちらです。マンガ『はだしのゲン』。
原爆で家族を失いながらも、広島で力強く生きる少年の姿が描かれています。」

黒木
「少年雑誌で連載が始まったのは、ちょうど40年前。
ヒーローものが人気を集める中で、当時としても異色のマンガでした。」

「はだしのゲン」の作者は、去年(2012年)12月に亡くなった、マンガ家の中沢啓治(なかざわ・けいじ)さんです。
原爆で、父、姉、弟を失い、みずからも被爆した体験をもとに描きました。
中沢さんがこだわったのは、被爆直後の悲惨な光景をありのままに表現することでした。


爆風で全身に突き刺さるガラス。熱線で皮膚が垂れ下がった人々。建物の下敷きになり、火にまかれて亡くなる、主人公・ゲンの家族。



しかし、ゲンは、戦後の混乱の中でも、仲間とともに悲しみや困難に打ち勝ち、力強く成長していきます。
その姿が、読者の心をつかみました。時を越えて人々に支持される「はだしのゲン」。
その作者、中沢さんの名前は、今年、原爆死没者名簿に記載されました。


中沢啓治さん
「戦争と原爆だけは絶対にしちゃいかん。
原子雲の下にいた人間が、どういう風になったか、これが『はだしのゲン』でいいたいことです。」



尾
「『はだしのゲン』は、現在、英語やロシア語などに翻訳され、こちらの世界20か国で出版されています。
発行部数は、国内外で1,000万部以上にのぼり、今もファンを増やし続けています。」


黒木
「そしてこちらは先月(7月)イランで出版された、『はだしのゲン』です。
本の中を見てみますと、このように吹き出しの部分の文字がペルシャ語で書かれています。
さまざまな国の人たちが読めるようになった『はだしのゲン』。
海外では、どのように受け止められているのでしょうか。」

尾
「国際世論を無視する形で核開発を進めるイラン、そして世界で唯一原爆を投下した、アメリカを取材しました。」

 

“はだしのゲン” イランでも

核開発をめぐって、国際社会からその動向が注目されるイラン。

禰津記者
「2日前に印刷されたというペルシャ語の『はだしのゲン』。先ほどこの書店にもやってきました。」

先月、首都テヘランなどで、ペルシャ語に訳された「はだしのゲン」の初版、500部が発売されました。
原爆の恐ろしさをありのままに描いたストーリーに、注目が集まり始めています。

翻訳したのは、広島に留学しているイラン人のサラ・アベディニさんです。
「はだしのゲン」を祖国の人にも読んでもらいたいと、翻訳をかって出ました。
多くの規制が存在するイランですが、当局にも粘り強く交渉しながら、2年の歳月を経て、出版に結びつけました。


イラン人 留学生 サラ・アベディニさん
「体の皮がむけたり、髪が抜けたり、そこまでは『はだしのゲン』を読むまでは知らなかった。
この悲しい気持ちを、できればイラン人にも伝えられれば、よい本になるのではと思った。」



イランでは、「はだしのゲン」の内容に衝撃を受け、原爆の悲惨さを広めようという人たちも出てきました。
ミナ・モエニさんもその1人です。
「はだしのゲン」を仲間たちにも知ってもらおうと、この日、読書会を開催しました。



ミナ・モエニさん
「今まで核問題について興味がなかったけど、『はだしのゲン』を読んでイメージがついたわ。
核兵器を使うのはひどすぎる。」


核兵器とどう向き合うべきか、率直な議論が行われました。

参加者
「私ならどうしただろうと思ったわ。
家族が焼け死ぬところは、心が痛かった。」

参加者
「それでも世界から核兵器をなくすのは理想に過ぎないと思う。
戦争はなくならないから。
私たち市民が、核兵器をなくすことができるのかしら。」

参加者
「核兵器をなくす方法があるとすれば、私たちが知識を身につけることだと思う。
核兵器の恐ろしさを、みんなに知ってもらうべきだわ。」

「はだしのゲン」と出会ったイランの人々は、核兵器に対する理解を深めはじめています。

ミナ・モエニさん
「私も友達もマンガを読んだのは初めてだったけど、とてもためになったわ。
核兵器の知識を得られて、今日の読書会は良かったと思います。」

 

“はだしのゲン” 米で広がる共感

原爆を投下したアメリカでも、「はだしのゲン」は共感を呼んでいます。
小学校から大学まで2,000以上の学校で、「はだしのゲン」が教材として使われています。
これまでは歴史のひとコマとしか受け止められなかった原爆について、学生たちが興味を持つようになったといいます。

学生
「前に歴史の授業で原爆について学んだけど、今回は、より身近に感じることができた。」

学生
「絵が生々しかった。
アメリカ人がこれを読むのは重要だと思う。」

「はだしのゲン」は、基地の街に暮らす人たちにも影響を与えています。
グレン・ミルナーさん、62歳です。
ミルナーさんの自宅は、海軍基地のすぐそばにあります。
基地には東西冷戦時代から、核ミサイルを搭載できる原子力潜水艦が配備されてきました。

グレン・ミルナーさん
「核戦争が起きたら、ここは最初に狙われるでしょう。」



核兵器への不安を感じてきたミルナーさん。
被爆者の実体験が描かれている『はだしのゲン』を読み、その真の恐ろしさを知ったと言います。

グレン・ミルナーさん
「実際にこれを読んだとき、自分の家がどのように倒れるのかを想像した。
『はだしのゲン』には、個人的な体験や苦しみが具体的に描かれている。
そういった個人の体験こそが、人を変えると思う。」

先月、仲間とともに基地の前に立つミルナーさんの姿がありました。
手にしているのは、「はだしのゲン」を紹介するビラ。
基地で働く人たちにも読んでもらいたいと考えたのです。

グレン・ミルナーさん
「興味がある人は多くないが、ここにいることが大切だと思う。」

核兵器の脅威が身近に存在する基地の街だからこそ、「はだしのゲン」のメッセージは人々の心に届くとミルナーさんは信じています。

グレン・ミルナーさん
「潜水艦で、ミサイルの発射ボタンを押す立場の人たちにビラを受け取ってもらいたい。
彼らだけを責めるのではない。
私たちの手も発射ボタンにかかっている。
核戦争が起きたら、責任は私たちにもあるのだ。
私たちはこの問題を学び、広く訴えていかなければならない。」

改めて見直される “はだしのゲン”

尾
「ここからは広島放送局と中継をつないで、取材にあたった、藤原ディレクターに聞きます。
中沢さんの遺書とも言える『はだしのゲン』が、改めて見直されているようですね。」

藤原ディレクター
「そうなんです。
今日は、中沢さんが亡くなってから初めて迎える原爆の日です。
家族を失い、みずからも被爆した中沢さんは、生涯をかけて原爆の悲惨さを訴え続けてきました。
その作品でもある『はだしのゲン』を改めて見直し、原爆を知らない若い人たちに伝えていこうと、マンガを原画で紹介する展覧会も、広島で開かれています。

原爆投下から68年がたち、被曝者の平均年齢は78歳を超えました。
被曝の体験を聞ける機会が年々少なくなる中で、中沢さんがマンガに込めたメッセージでもある原爆の恐ろしさをどう伝えていくかが、今後の課題となっています。

私は先日、中沢さんの妻・ミサヨさんからお話をお聞きすることができました。
印象に残ったのは、『はだしのゲン』を子どもの頃に読み、大人になったときに『ちょっと待てよ』と立ち止まって考えられるようになってほしい、という言葉でした。

ミサヨさんは、核兵器のない世界を目指して、これからも夫・中沢さんの思いを受け継いで『はだしのゲン』を広める活動を続けていきたいと話していました。」

黒木
「藤原さんは今回アメリカで取材されましたが、中沢さんのメッセージは、海外でもしっかりと受け止められていましたか?」

藤原ディレクター
「私が取材したアメリカでは、原爆を投下したことで戦争を早く終結することが出来たと、原爆を『平和の爆弾』として教える学校もあるほどで、いまだに原爆投下を正当化する声が多いのが現状です。しかし今回取材した学生たちは、『はだしのゲン』を読むことで、原爆の恐ろしさを理解出来たと話していました。
『はだしのゲン』というマンガを入り口に、原爆がもたらす悲惨な現実、2度とくり返してはいけないという中沢さんの思いを、素直に受け入れられたんだと思います。中沢さんは、『はだしのゲン』を出来るだけ多くの子どもたちに読んで欲しいと、著作権の対価を求めることなく翻訳を認めました。
そして、ゲンの物語に共感した日本や海外の読者が、ボランティアで翻訳を行い、世界中で読まれるようになっているんです。
これもゲンの共感力の高さだと言えると思います。翻訳された『はだしのゲン』を通じて、ヒロシマのメッセージが世界に発信されていくことを、中沢さんの遺言を取材した一人として強く願わずにはいられません。」

記事: 「戦争の悲惨さが伝わる作品」 大半の校長が高評価 

松江市教育委員会が市立小中学校に漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を求めた問題で、制限を要請する前の昨年10月に市教委が全校長を対象に行ったアンケートでは、作品への感想として大半が「戦争の悲惨さが伝わる作品」などと高評価をしていたことが20日、市教委への取材で分かった。

市教委によると、計49人の校長が回答。作品の感想を問う質問に「戦争反対やたくましく生きることの大切さが読み取れる」「原爆による悲劇と復興への息吹を感じた」「平和学習を進める上で参考になる」などの回答が多くを占めた。

記事:教育研究全国集会で批判相次ぐ

原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を、松江市の全小中学校が図書室で自由に閲覧できない閉架措置とした問題を巡り、名古屋市で17日開かれた全日本教職員組合(全教)主催の教育研究全国集会で、出席者から「子どもの知る権利の侵害だ」との批判が相次いだ。

図書館をテーマにした分科会で、専門家として参加した沖縄国際大の山口真也教授(図書館学)は、過去に大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」を学校図書室に置くことに抗議があったと説明。一方、在沖縄米軍の機関誌を置く公立図書館への批判も紹介し、「図書室も思想的対立に巻き込まれる時代だが、多様な本を準備するのが図書室の義務。子どもが何を読み、読まないかを判断する責任は保護者にある」と指摘した。

また、北海道大大学院の姉崎洋一教授(教育法)は、松江市の措置を「保護者や教員の話し合いを経て、学校が主体的に本を選ぶべきだ」と批判した。

出席していた山口県の中学教員も、取材に対し「子どもの感性は多様で、『はだしのゲン』の受け止め方も任せたらよい」と閉架措置に疑問を投げかけた。

記事:憤り・疑問の声

「はだしのゲン」の閲覧制限を小中学校に求めた松江市教委の対応に、被爆地広島の関係者や島根県の被爆者から憤りの声や疑問視する意見が出た。
ゲンはことしで連載開始から40年を迎えた。昨年12月に73歳で亡くなった作者中沢啓治さんの妻ミサヨさん(70)は「言論統制をしていた戦時中のような判断」とショックを隠さない。「夫は戦争の悲惨さを伝えるため膨大な資料を調べた上で描いた。子どもたちが自由に考える機会を奪わないで」と話した。
被爆者で体験証言を続ける島根県邑南町の河野頼人さん(82)も「こんな風潮が広がると、被爆の実態に触れることさえもはばかられるようになる」と懸念を示した。
広島市教委は、小中高生を対象にした平和教育プログラムで小学3年向けの教材に採用。「命の尊さや家族の絆を伝える上でもふさわしい作品」とする。原爆資料館前館長の前田耕一郎さん(64)は「原爆だけではなく、戦争や平和を幅広い世代に分かりやすく伝える漫画。功績の大きさも考えてほしい」と話した。
教育や芸術表現の観点から、松江市教委の対応を批判する声が聞かれた。広島大大学院教育学研究科の難波博孝教授(臨床国語教育)は「子どもの想像力や悲惨さを消化する力を信じるべきだ」。広島市立大芸術学部の加治屋健司准教授(現代美術史)は「授業で全員が読むのと違い、陳列なら見ない自由もある」と指摘する。

記事:識者の話

記憶継承の機会失われる−−「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授の話

作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。

残虐場面含め国際的評価−−教育評論家の尾木直樹さんの話

ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。


漫画「はだしのゲン」閲覧制限、松江市教委が全校に要求!!


 

8/17

記事:松江市教委、はだしのゲン貸し出し禁止要請

漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。

ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。

松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。

現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。

これに対し、汐文社の政門(まさかど)一芳社長は「原爆の悲惨さを子供に知ってもらいたいと描かれた作品。閉架で風化しないか心配だ。こんな悲しいことはない」と訴えている。

 


管理人
:「はだしのゲン」を図書室で自由に手にとって読めない閉架措置を松江市に陳情したのは、「平和と安全を求める被爆者たちの会」(秀道広代表)という団体だった。「残虐な場面を未発達な子どもに見せるのはよくない。天皇批判がある作品でもあり、閉架によって閲覧の優先度を下げたのは適切な対処だ」というのが彼らの言い分だ。
要はこの市民団体は、歪んだ歴史認識をもつ極右派安倍の政治団体の一派であり、中沢氏の天皇批判に対する見せしめを要求しているにすぎない。
だから、安倍の閣僚下村は容認の姿勢だ。ただ情けないのは、現場をあずかっている大半の校長が作品に高評価をあたえながら、あっさりと、市の教育委員会の方針に服従してしまうことだ。なぜ怒りや批判をあらわにしないのかまことに不可解だ。
(参考)下村博文文部科学相は8/21日の閣議後記者会見で、松江市教育委員会が広島の原爆被害を描いた漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を市内の小中学校に要請したことについて、「学校図書館は子どもの発達段階に応じた教育的配慮の必要性がある」と述べ、要請は市教委の権限に基づく行為で問題ないとする認識を示した。下村文科相は、「漫画の描写について確認したが、教育上好ましくないのではと考える人が出てくるのもありうる話だ」と指摘。「学校図書館以外で、読みたい人が読める環境が社会全体で担保されていれば良いのでは」と話した。
:昨年の終戦記念日、広島や長崎で開かれた平和祈念式典には、米国の駐日大使ルース夫妻と共にシカゴ在住の米国人が参列した。このダニエル氏は原爆投下を命じた第33代米国大統領トルーマンの孫だった。彼の息子が図書館でかりてきた「原爆の子の像」のモデルである被爆少女貞子の物語を読んだことがきっかけで、貞子の兄佐々木雅弘氏と親交を持ち、被爆地の訪問を決意したという。
それほどまでに、米国のほとんどの図書館には、原爆に関連した図書がおかれている。「はだしのゲン」ももちろんだ。大人も子どもも自由に手にとって読め、貸し出しも自由だ。それが日本では閲覧禁止とは狂っている。まさに歪んだ歴史認識をもつ安倍政権の病が日本中に蔓延し始めたに違いない。なんともその荒れようは恐ろしくなるほどだ。
:小学校一年のとき自らも被爆体験し、父や母、姉や弟、家族全員を失い天涯孤児となった中沢氏、そうした寂しくもやるせない境遇のなかで、めげそうになる自分を奮い立たせるために、臥薪嘗胆の思いで、天皇をうらみ、アメリカを恨みながら生きてきたのは当然だろう。以下、ウィキペディアから要所を抜粋。
**引用はじめ**
国家元首だった昭和天皇の戦争責任を主張しているため、戦後も昭和天皇を激しく批判し、天皇制の廃止を強固に求めている。戦後も戦争責任を取らず退位もしなかった天皇に対する中沢の怒りは、一切の妥協を許さないまでに厳しく、広島に行幸した天皇をさして『人間の神経をもたない冷血人間』『厚顔破廉恥な野郎』と評するほどであった。
中沢いわく、「天皇や軍部はポツダム宣言を無視し、その結果、広島・長崎で多くの人が亡くなった。なのに戦後、天皇が広島に来た時には日の丸を振るように学校で言われた。なぜ万歳なのか。今でも腹の中が煮えくり返る思いがある。日本人は甘いと思う」、「天皇ヒロヒトと皇族を助けるために広島と長崎は犠牲にされたのだ」。
また日本の戦争責任者の昭和天皇が生き延びた事がイタリアの戦争責任者のベニート・ムッソリーニが逆さ吊りにされてイタリア国民に石を投げつけられる末路と正反対である事を比較している。
しかし中沢は作中で天皇制批判を描いても嫌がらせがなく拍子に抜けたと言い、自伝や週刊誌や新聞で天皇制批判を載せている。『はだしのゲンへの手紙』では読者に「天皇は憎いですか?」という質問に対し、「天皇の名によってアジアで2000万人、日本では300万人も殺された、私は天皇が憎い」と返答しており、『はだしのゲン自伝』で沖縄に米軍駐留を申し出た天皇に対して激しい怒りを露わにしている。
ただし1975年(昭和50年)の日本記者クラブで秋信利彦(中国放送記者)の質問の返答で昭和天皇が「戦争中の事だからやむを得ない」と失言した事に対しては悪意がないためか激しい批判は描かず「被爆者に対して土下座して謝って欲しかった」と述べている。
原爆投下の当事者のアメリカに対し怒りを持っており、原爆投下をしたアメリカにはナチスドイツのホロコーストを批判する資格はないと述べている。アメリカの原爆投下について『黒い雨にうたれて』では「勝てば官軍、負ければ賊軍、でも勝手すぎる」『はだしのゲン』では「喧嘩両成敗」と主張している。ただし、アメリカの国力もしくは文化には敬意を示しており、ウォルト・ディズニーの白雪姫が戦前のカラー映画である事に気が付き舌を巻いたと言う。アメリカの児童やオバマ大統領とその子女に英語版『はだしのゲン』を読んで欲しいと述べ、実際に贈与している。
日朝関係に対しては、日本統治時代の植民地支配を批判し、朝鮮に対し贖罪意識を持っており、朝鮮語版『はだしのゲン』を北朝鮮に持ち込みたいと述べている。
日中関係に対しては平和交流を期待しており、「日本人が被害者ぶるのではなく他の国で何をしたのかも知っておく必要がある。南京虐殺の資料が出てくると、なんと日本人が酷い事をしたのかというのが出てくる。申し訳ない気持ちでいっぱいになります。」と述べている。
**引用おわり**

 


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