衆院選 回顧
「政治をあきらめないでください」渡辺喜美・みんなの党代表:
政治をあきらめないでください。政治をあきらめて、みなさんが投票に行かないと、業界団体頼みの自民党が大勝利をしてしまう。私はついこの間まで自民党にいた人間ですから裏の裏まで全部わかっている。自民党候補の選挙事務所に行くと、業界団体の推薦状が所狭しとベタベタ貼ってある。陣中見舞いももらっている。自民党が政権を取れば、業界団体向けに、みなさんの税金をそういうところに重点的にばらまくようになる。消費税を増税して、みなさんにツケを回すんです。(東京都内での街頭演説で)
渡辺喜美・みんな代表が当選 栃木3区:
「農協の人たちは、『渡辺を落とせ』と3区全域で運動をやっている。私は比例代表には出ない。信念をまっとうして、落選させられるのなら本望」
衆院選の公示を目前にした十一月末。矢板市内で会合を開いたみんなの党の渡辺喜美代表は、満員の有権者を前に、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加の意義を力説しながら、選挙戦への並々ならぬ決意を語った。
みんなを旗揚げして初めて挑んだ二〇〇九年衆院選から三年余り。民主、自民両党に対抗する勢力拡大のチャンスが巡ってきた。県内五選挙区すべてに候補者を立て、自民と全面対決になったが、状況は三年前とは違っていた。
一〇年の大田原市長選で、みんな市議が現職(当時)の支援を求めたが、渡辺氏が応じず現職が落選。この亀裂を引きずる形で今年九月、市議六人が党を離れた。さらに十一月の県議補選小山市・野木町選挙区で、渡辺氏が進めた候補擁立に反発し、小山市議三人が離党。組織立て直しを迫られる中での衆院選突入となった。
三年前は対抗馬擁立を見送った自民党も、今回は新人の簗和生氏を立て、死にもの狂いで挑戦してきた。
「何とか役に立ってくれる男になったかと思ったら、那須とか栃木なんて話はしなくなる。『わが党、わが国』ばかり。跡取り息子も立派になりすぎた」
簗氏の演説会で農協幹部は、地元に目を向ける姿勢が見られないとして渡辺氏を批判。簗氏も、TPP反対を訴えながら「テレビで評論家みたいなことをやっている暇があったら、地域の皆さんの顔を見て、どれだけ生活が苦しいのかを聞くべきだ」。安倍晋三、麻生太郎両元首相ら大物も3区入りした。
それでも「渡辺王国」の壁は厚かった。渡辺氏は選挙期間中、全国遊説の合間に数回県内入りしただけだったが、底力を見せて勝利。残り四選挙区は自民党に議席を許したが、比例代表北関東ブロックは前回より十九万票以上も票を伸ばした。比例議席は前回より一増の二議席になった結果、栃木2区の柏倉祐司氏が比例復活で初当選を果たした。
共同通信社の出口調査を見ると、渡辺氏には民主支持層の69・6%、未来支持層の59・1%、そして自民支持層さえ25・3%が投票。柏倉氏にも、公明支持層の24・5%が投票している。栃木では日本維新の会が擁立を見送ったこともあり、「今回は民主や自民に入れたくない」という批判票をほぼ一手に引き受ける形になったようだ。
「私は既得権益とは全くつながりがない。政治に対してのクリーンさ、しがらみのなさを皆さんが求めている」。柏倉氏も、既成政党批判が追い風になったと振り返る。
もっとも、今回、簗氏が比例北関東で復活当選した。渡辺氏が3区でライバルの比例復活を許したのは、自民党時代を通じて初めて。今後、国民の信頼を損ねれば、お膝元でも足元は簡単に揺らぐ。 TOKYO
自身の当選が確実となり、拍手するみんなの党の渡辺代表=東京都千代田区で
略歴:
渡辺喜美(1952年(昭和27年)生)、日本の政治家。みんなの党代表。早稲田大学(政治学士)卒業。
1996年初当選以来、衆議院議員(6期)、2006年、安倍内閣で内閣府特命担当大臣(規制改革)、安倍改造内閣・福田康夫内閣で内閣府特命担当大臣(金融)を務めた。父は衆議院議員や外務大臣、大蔵大臣、通商産業大臣等を歴任した渡辺美智雄。
2000年11月、加藤の乱をきっかけに江藤・亀井派を退会し、同党離党まで無派閥。
2008年12月24日、民主党提出の麻生太郎首相に対する衆議院の解散総選挙を要求する決議案に与党議員でただ1人賛成し、自民党から戒告処分を受ける。その後も麻生内閣や党執行部への批判を繰り返し、自民党離党の意向を表明。
2009年1月13日、自民党に離党届を提出、2月11日「国民運動体」を発足させ、5月1日に団体名を「国民運動体日本の夜明け」に改める。この組織を母体に、総選挙前の8月8日にみんなの党を結党。無所属の江田憲司に加え、自民党離党組の山内康一、広津素子、民主党を離党した浅尾慶一郎が参加し、所属国会議員5名を集めて政党要件を満たした。
第45回衆議院議員総選挙には栃木3区5選。選挙結果は渡辺が142,482票・得票率95.3%で圧勝。渡辺の得票率は、小選挙区制導入後の最高記録である。
政策・主張
・ 安倍内閣・同改造内閣・福田内閣で約1年半にわたり行政改革、公務員制度改革に取り組み、みんなの党結党後も党是に行政改革、公務員制度改革の推進を掲げている。大臣在任中、補佐官は経済産業省から、改革派の原英史を起用した。天下り規制に対する官僚側の猛烈な抵抗を受けながらも、2008年6月に国家公務員制度改革基本法を成立にこぎつけている。
・ 小泉構造改革の推進派である。
・永住外国人への地方選挙権付与には反対の立場を取り、民主党を中心に法案提出が検討された際は、東京都内で行われた反対派の集会に出席した[。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます