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2015年ノーベル医学・生理学賞受賞  元定時制教員の日本人に(毎年2億人以上を感染症から救う)

2015-10-05 | Weblog

スウェーデンのカロリンスカ研究所は5日、2015年のノーベル医学生理学賞を、大村智(さとし)北里大特別栄誉教授(80)ら3人に授与すると発表した。大村氏は土壌中の微生物が作り出す化学物質から有用なものを見つける研究を続け、1979年に寄生虫に効果のある「エバーメクチン」の発見を発表。

この物質から、熱帯地方で流行する感染症の特効薬や、家畜やペットの寄生虫治療薬が作られた。これまで発見した480種類以上の化学物質から26種の医薬品や農薬が生まれており、天然物有機化学分野の多大な業績が評価された。

土壌1グラムの中には、約1億匹の微生物がいるとされる。大村氏は70年代から各地で土を採取して微生物を分離・培養し、その微生物が出す化学物質に有用なものがないか調べていた。

エバーメクチンは、そのうちの一種。静岡県伊東市のゴルフ場周辺の土中にいた新種の放線菌が、寄生虫駆除に効果がある成分を出していることを突き止め「エバーメクチン」と命名した。

さらに米製薬大手のメルク社との共同研究で、構造を一部変えた駆除薬「イベルメクチン」を開発。この薬はわずかな量で家畜のさまざまな感染症や犬のフィラリアに劇的に効き、世界で最も使われる動物薬の一つになった。

さらにエバーメクチンはヒトにも効果があることが分かり、蚊やブヨが媒介する熱帯地方特有の病気「オンコセルカ症(河川盲目症)」や「リンパ系フィラリア症(象皮病)」、ダニが原因の皮膚病「疥癬(かいせん)」などの特効薬として普及した。

リンパ系フィラリア症も含め、イベルメクチンの服用で感染の危機から救われた人は約3億人に上るという。

(10/5 毎日新聞:ノーベル賞医学生理学賞に大村智氏…感染症特効薬に貢献)


 

化学者、2億人を救う。「元高校教師」が生み出した薬

「毎年2億人以上を感染症から救う」といわれる日本人は、医師ではない。有機化学者大村智が静岡県の土中の微生物から開発したわずか3ミリの錠剤は、感染症予防に絶大な効力を発揮。医師でも難しい偉業を成し遂げた。経歴は異色で、東京の定時制教員からスタートしながら、「ノーベル賞候補」に名前があがった。2015年、ノーベル医学・生理学賞を受賞。「人のまねをするな」。人生を貫く深い信念がある。

 

高校教師での挫折と、米国留学での飛躍

 

高校教師時代の大村

 

大村の経歴は異色だ。出身は山梨県。学生時代は「県内に敵なし」というほどのスキー・クロスカントリーの腕前で、スポーツに明け暮れた。スキーの盛んな新潟県に遠征し、五輪選手に混じって練習を繰り返した。「レベルの高い環境に身を置く大切さ。そして『人まねはしない』で努力を重ねることの重要さを身をもって学んだ」という。山梨大学を卒業後、教師を志し、東京都の教員採用試験に合格した。職を得たのは定時制高校。化学と体育を教えた。しかし自分と同年代の生徒相手にうまく授業を進められず、「挫折」を味わった。大村は「勉強し直さないとだめだ」と思い直す。東京教育大学(現・筑波大学)の研修生になり、さらに東京理科大学大学院の修士課程に入った。研究者としての歩みがスタートし、1965年、北里研究所に移った。

 

北里研究所は、北里柴三郎が創設し、日本の医学の発展に貢献してきた医学研究所だ。しかし大村の専門とする有機化学は「本流」ではなかった。国内の研究に限界を感じ、留学を決意する。1971年、米国ウエスレーヤン大学でマックス・ティシュラー教授の研究室に入る。教授はその後、世界最大級の学会「アメリカ化学会」会長に就任。世界的企業メルク社の元研究所長だったことから、メルク社を紹介され、米国で世界最高レベルの産学ネットワークが広がった。

 

米国最高峰の大物教授に、なぜ評価されたのだろうか。大村は「学術成果を出したことに加えて、学生の指導もできたこと」という。優秀な論文を出し、かつ指導もしっかりできる人は多くない。薬「イベルメクチン」が開発され、特許料の配分を決める際、ティシュラー教授がメルク社に告げた。「MAKE SATOSHI HAPPY(サトシを幸せにせい)」。世界的な教授から「信用」を得ていた。


アフリカの奥地に届く「奇跡の薬」

アフリカの田舎の、さらに奥地。医師のいない集落にも、その薬は届いている。「この薬を1回、飲んでください」。集落の代表者が住民一人一人に薬を配り、失明を引きおこすオンコセルカ感染症を防ぐ。病気を防ぐだけでなく、現地の人がより働けるようになり、食糧増産など経済効果も大きいという。

「薬を飲ませる」作業は、簡単ではない。現地は言語が多様で、薬の適切な服用量を測るうえで必要な体重計すらない。教育レベルも高くなく、医師か看護師が常に同行できる環境にはない。「魔法の薬」は、その課題を突破した。

大村はいう。「極めて安全な薬です。だから、医師でなくても、誰でも配ることができる。何回も飲むことで効果が出る薬がほとんどだが、この薬は年1回だけ飲めばよい」。身長と体重はほぼ比例することから、身長に応じて投与する錠数を区分けするよう集落の代表者に教え、誰でも適切な量を投与できるよう工夫した。「WHO(世界保健機関)、米の大手製薬企業メルク社、世界銀行、そして各国およびNGOsまで、幅広い協力があった成果」という。

日本の土の中から「たまたま」生まれた

偉大な薬は、静岡・伊豆半島のゴルフ場近くの、ありふれた土の中から生まれた。大村らは土を採取して、その中の菌を分離し分析する。メルク社の協力を得て評価を続けると、家畜動物の寄生虫駆除に効果を発揮する物質が発見された。この物質は「イベルメクチン」という薬になり、動物の寄生虫だけでなく、熱帯地方にまん延するオンコセルカ症に劇的な効果を発揮したのだ。

大村は「奇跡の薬」が静岡から生まれた理由を、「たまたま」と表現する。「全国各地で、1年に2500株は採取する。菌を培養して評価するが、たいていの菌は活用できない。その繰り返し。大変な作業なんです」。大村は、財布を取り出した。「中味のお金は少ないよ」と笑いながら、見せたのは小さなビニール袋。「絶えず持ち歩いて、今でも(土などを)採ったら研究室に送るんです。寝ても覚めても、絶えずそういう気持ちでいる中から、いいものがみつかる」。大村の研究意欲は衰えを知らない。

「金がなければ、知恵を出せ。知恵もなければ、汗流せ」

大村は米国から帰国後、北里研究所で研究室を持った。「弱小の研究室だった。修士修了生が2人、学部卒が2人、あと高校卒くらい」と振り返る。米国とは比較にならない研究環境。まずは教育から手をつけた。「あなたはこの領域の専門家になれ」と人ごとに目標を定め、「ほめて育てた」という。しかし資金は潤沢だった。メルク社と帰国前に話をつけ、当時破格の年間8万ドルという研究費を得ていた。メルク社と大学という「産学連携」の先駆けになった。ネットワーク作りを、日本の研究所でも続けた。「『大村のところに行きたい』と人が集まる研究室にしたい」との思いから、セミナーを開催し続けた。ゲストは、3分の1が外国人で、何人ものノーベル賞受賞者も含まれるという豪華な顔ぶれ。「招かれるのが光栄と思うようなセミナーを心がけた」という。

教育方針でも「大村色」を発揮した。あるとき優秀な学術論文をコピーで配り、こう伝えた。「ここに書いてあることは、マネするな」。他の人の先行事例を模倣する考え方もあろうが、「人まねはだめ」が大村の信念だ。「金がなければ、知恵を出せ。知恵もなければ、汗流せ」と若い研究者にゲキを飛ばすという。

「あとはノーベル賞だけ」ともいえる華やかな受賞経歴。しかし研究者として、負い目があったという。「大学時代までスキーばかりやっていたので、研究ではずっと1人だけ遅れている引け目があった。取り戻すために勉強しなければ、という気持ちがいまだにある」。

芸術分野にも深い造詣

大村の功績は、化学にとどまらない。エバーメクチンの特許料で埼玉県北本市に建設された北里研究所メディカルセンター病院は「絵のある病院」。大村は「行き詰まった時は、絵をみている」というほど、絵画への造詣が深い。今でいう「ヒーリングアート」の先駆けになった。また化学者でありながら、学校法人女子美術大学の理事長も務めた。

地域への貢献も大きい。山梨県の科学振興を目指し、大村の提言から創設された公益社団法人「山梨科学アカデミー」は、2015年に設立20周年を迎えた。県単位の学術アカデミーは全国でも異例という。郷里・山梨への思いが強く込められている。「『地方創生』なんて、20年前から私はやっているよ。地方創生で重要なのは教育だからね」。「大村智」の名は全ての日本人が知る名前ではないかもしれない。しかし化学分野以外にも幅広い実績は広がり、時代の方がようやく近づいてきたようだ。

 

 


アフリカの熱帯病に劇的な効果「イベルメクチン」

アフリカで実際に使用されているイベルメクチンのボトル

静岡県ゴルフ場近くの土から採取した微生物の中から、家畜動物の寄生虫駆除に効果を発揮する化合物「エバーメクチン」が発見された。これを元に動物向けの薬「イベルメクチン」を開発したところ、20年余り世界の動物薬の売り上げ1位を占め、食料の増産に貢献した。

さらに動物だけでなく、オンコセルカとリンパ系フィラリア症の予防に劇的な効果を発揮することがわかった。オンコセルカはアフリカおよび中南米などで1億人が感染の危機にさらされているといわれ、感染すると耐えられないかゆみがあり、重症化すると失明を引き起こす。年1回、WHO(世界保健機構)の指導で、アフリカ奥地の集落の代表者を通じてイベルメクチンは行き渡り、大村は「アフリカを中心に2億人を失明から救った」といわれる。リンパ系フィラリア症はこの薬の投与を開始するまでには世界で1億数千万人の患者がいた。両熱帯病も10年以内に撲滅される見通しである。

米国の製薬企業メルク社やWHOと連携した製品開発の事例となり、グローバルヘルスR&Dの中で最も成功した産官学連携の一つとして、世界的にも高く評価されている。

http://ghitfund.yahoo.co.jp/interview_04.html

 

 

 

 

 


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