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九条おじさん旅立つ、安倍政権に後顧の憂いを残し 

2014-08-08 | Weblog

「9条おじさん」逝く 反戦9年 草の根署名集め6万筆

2014年8月8日付東京新聞

憲法九条を守る署名集めに情熱を傾け、地元で「九条おじさん」と親しまれた東京都小金井市の蓑輪喜作(みのわきさく)さんが五日夜、食物誤嚥(ごえん)による窒息のため死去した。八十五歳。毎日のように公園などで署名活動を続け、九年間で六万筆近くを集めた。気さくで飾らない人柄が愛され、市民運動の仲間は「まさに草の根の活動。今こそ必要な人なのに」としのんだ。

 歌人でもある蓑輪さんには「おい『九条』と保育園児にも呼ばれ居てこの辺り我を知らぬ者なし」というユーモラスな作品がある。

 一九二九年に新潟県旧松代町(現十日町市)で生まれた。九〇年まで校務員を務め、九五年に妻ハナさんと小金井市の次男悦男(えつお)さん宅で同居を始めた。署名集めのきっかけは二〇〇五年、地元に「九条の会・こがねい」が結成されたこと。戦争を体験した世代として、若者を戦争に巻き込ませたくない、という強い思いがあった。

 毎日のように公園やバス停に立ち、だれにでも話し掛けた。自衛官を名乗る人と話し込み、署名をもらったことも。「ぶっ殺すぞ」と言ってくる男性が足を引きずっていることを心配、ニコニコと応じた。仲間は「若者はあまり関心を示さないものだが、蓑輪さんにはいつの間にか胸襟を開いていた。よく相談にも乗っていた」と振り返る。

 昨年二月にハナさんが亡くなると急に衰えた。それでも改憲論議の高まりには「かなり心配していた。今亡くなるのは無念だろう」と仲間は話す。悦男さんも「最近も集団的自衛権の新聞記事を見つめる表情が厳しかった」と言う。

 著書にエッセー「九条おじさんがゆく」(新日本出版社)や「歌文集 九条署名の一年」(光陽出版社)のほか、歌集「母のうた」「春を待つ」などがある。最後の署名集めは四月ごろ。計五万九千四百七十筆はこれまで国会議員らに提出した。

 葬儀・告別式は十日午前十時から府中市多磨町二の一の一、多磨葬祭場日華斎場で。喪主は悦男さん。 


安倍のあいさつ、被爆者や国民を冒涜(この男は日本人じゃない) 

2014-08-08 | Weblog

安倍の原爆忌あいさつが波紋=ネット上で前年酷似と指摘

時事通信8月8日(金)

 安倍晋三首相が6日に広島市で行った平和記念式典のあいさつが、昨年の文章と酷似しているとの見方が広まり波紋を呼んでいる。インターネットの掲示板などで「使い回し」との指摘が出ていることに加え、被爆者団体も批判を始めた。


 今年の首相あいさつの冒頭部分は、昨年「68年前」としていた部分が「69年前」に改まった以外は全く同じ。中盤で原爆症の認定基準見直しへの取り組みなどを新たに盛り込んだものの、結びの文言も昨年のままだ。


 加藤勝信官房副長官は8日の記者会見で「犠牲者を悼み、平和に力を尽くす決意を述べたもので、その姿勢は昨年も今年も全く変わりはない」と擁護。「この1年間の(政策の)進捗(しんちょく)を盛り込んでおり、同じものではない」と反論した。

 だが、広島県原爆被害者団体協議会(金子一士理事長)の大越和郎事務局長は取材に対し、「被爆者や国民を冒涜(ぼうとく)している」と批判した。


 

長崎沖縄も…安倍首相「戦没者スピーチ」コピペの常習だった

安倍首相が6日に広島市の平和記念式典で読み上げたスピーチがネット上で「昨年の使い回し」「コピペだ」と批判を集めている。

「実際、違いは原爆症認定の取り組みなど、昨年からの成果をアピールしている部分だけ。あとは<68年前>が<69年前>に。昨年の<蝉しぐれが今もしじまを破る>という表現が、今年はドシャ降りの中での開催だったため、削られた程度です」(官邸事情通)

 原爆被害者団体の大越和郎事務局長は「厳粛な慰霊碑の前で前年と同じ挨拶をするとは、広島や被爆者、平和を軽視している証左だ」とカンカンだったが、実は安倍首相のコピペ疑惑は今回に限らない。

■第1次政権時代から使い回し

 問題の広島のスピーチだって、昨年の広島市だけでなく、昨年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典でのスピーチともそっくり。冒頭の<原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます>から、結びの<恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします>まで文言は99%同じ。辛うじて違うのは<広島>と<長崎>の地名と、犠牲者の数くらいなものだ。

 6月23日の沖縄全戦没者追悼式のスピーチもヒドイ。こちらも昨年と表現の細かい違いはあるが、<沖縄戦から68年>が<69年>となり、基地負担を<少しでも軽くする>が<能うる限り軽くする>に“前進”した以外、一言一句同じだ。

「第1次政権時代の07年8月6日、9日の広島・長崎でのスピーチも内容は同じ。広島で<焦土から立ち上がり、『国際平和文化都市』として、大きく成長しました>とした表現を、長崎で『歴史がいきづく観光都市』と言い換えた程度。あとは100%変わりません」(官邸事情通)

 やっぱり、この男は「戦争の犠牲者」と「日本の平和」を、とことん軽視しているとしか思えない。


 過去に戦没者の追悼式典で行ったスピーチを比較・検証すると、使い回しが出るわ、出るわ。小保方氏も真っ青の「コピペの常習犯」なのだ。