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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

花粉症にかかったようです。

2018年03月21日 | 日々のこと

雨、7度、92%

 3日前、鼻水が出てきました。左の鼻だけです。同じ頃、左の目が辛く感じます。まず鼻水で、風邪にかかったと思いました。そこで、皆さんからのお勧めの「葛根湯」を買いに薬局に走りました。左目は本を読んでいても重たく感じます。「老眼が進んだのだろうから、老眼鏡買い換えなくては、物入りだわ。」と思いました。

 昨日の朝も同じ状態、ところが午後になって急に右の目も重く感じて、鼻水も両方の鼻から出てきます。鼻水というより鼻詰まりのような感じです。初めてそこで、「花粉症」かしらと疑いました。「花粉症」はデリケートな方がなる病気だと思っていました。私のような人間はかかるはずもない病気だと思っていました。「花粉症」なら私もデリケートな人間の仲間入りです。なんだか嬉しいような。

 昨夕、鏡を見ると目が半分ぐらいに小さくなっています。充血はしていませんが、目も鼻も不愉快です。「花粉症」を調べて見ると、ほぼ症状が一致します。目と鼻ぐらいとタカをくくってはいられません。大きなメガネをかけたり、マスクが放せなかったり、「花粉症」の方が大変なのは知っていましたが、いざ我が身に降りかかって本当に辛いのがわかります。しかも季節が回るごとに苦しめられるのですから、たまったものではありません。

 今朝は、目も鼻も正常です。昨夕からお外に出ていないからだと思います。「葛根湯」は今度風邪を引いた時まで必要なさそうです。病院に行ってみましょう。


花モモが咲きました。

2018年03月20日 | 庭仕事

曇、10度、87%

 昨日は夜半過ぎからの雨が一日降り続いた福岡です。気温は高く、暖かな雨でした。朝からその雨の中を幾度も庭に降りました。つぼみが膨らみ始めています。もう咲くか、もう咲くかと気掛かりでした。

 午後、出先から帰って庭に下りると、ふっくらと丸みを帯びた花が咲いています。「花モモ」です。昨年、モモさんの御仏前に友人からいただいた「花モモ」です。60センチほどの苗木でした。大きな鉢に移し替え冬を越しました。つい半月前に地植えした時には、固いつぼみがついていました。香港から戻ってみると、そのつぼみが色付いています。まだ80センチほどの幼い「花モモ」です。

 昨日は、福岡の桜の開花も報告されました。 90個植えたチューリップの花壇にもつぼみを持ったチューリップが並んでいます。90個、どんな色どんな種類を植えたのか、この私ですら覚えていません。チューリップの横には匂いの良い水仙も咲き始めています。

 これもまた長年自分の手で咲かせてみたかった「アミガサユリ」です。 地味な花です。うっかり見落とすところでした。薄茶色のつぼみが緑になって花開きました。「アミガサユリ」名前のように花弁には格子のような模様がアミガサに見えます。「黒百合」などの仲間です。先日見事に咲いた「フィリティリア」も実は同じ仲間です。「アミガサユリ」は花をつけるのが難しいと聞いていました。確かに5つ植えたのに花をつけたのはこの一株だけです。もう少し様子を見てみます。35年ほど昔、伊豆にヤマメを釣りに行きました。ヤマメですから山の中です。主人と息子が釣りをしている間、私は山歩きをしていました。狭い山道のすぐわ脇に咲いていた一輪の「黒百合」あの姿が未だに焼きついたままです。「黒百合」「アミガサユリ」「フィリティリア」と私の思いは膨らみました。

 陽気のせいで、こんなものまでつぼみをつけています。 「ルッコラ」です。昨年の11月に種を蒔いて成長しないまま、雪を数回被りました。雪焼けした赤い葉の間からスッと伸びた茎に花がつきました。 塀には、早くもこちらがお出ましになっています。

 「花モモ」は実を結ぶそうです。今年はどれくらい大きくなってくれるかしら。「モモさん見てる?花が咲いたわよ。」


60歳最後のお夕飯

2018年03月19日 | お外の食事

雨、14度、84%

 60歳最後のお夕飯は上海料理でした。香港にいる間はできるだけ中華料理を食べたいと思います。朝昼晩、中華料理で大満足。

 30年ほど前、香港で有名だった「大上海」という店がありました。幾度か足を運びましたが、お醤油の色がきつく(後にたまり醤油だと知ります。)変に甘いこの店の上海料理には馴染めませんでした。その後、上海に旅して本場の味を知ると広東料理よりもバラエティーに富んではいないものの味付けはあっさりしています。その時、豫園の中にある料理屋で一人お昼ご飯を頼みました。行列ができる小籠包の美味しいお店です。小籠包は16個入り、半分にしてくださいと頼みましたが、出て来たのは16個の小籠包でした。あまりに美味しくて全部食べあげてしまいました。 

 なまこのスターターに始まりました。 蒸した白なまこが中華だれに漬かっています。日本の酢ナマコと違いコリコリ感はありません。

 庶民的な上海料理屋に行くとスターター、冷菜は店の一部に大皿盛りにされ選ぶことができます。そんなお店で食べて以来私が好きなのが、「燻魚」。 川魚を揚げて味付けしたものです。上海ではもっと身の少ない魚です。

 お次は、「干豆腐の煮物」 「白菜仔」との炊き合わせです。「金華ハム」で取ったお出汁が美味しい一品です。以前通った上海料理屋では、5月になるとそこの庭に咲く「水君子」の赤い小さな花が「干豆腐の煮物」に散りばめられていました。作る人のセンスが伺われます。

 今回のメインは、「松鼠魚のあんかけ」です。二人で一匹を食べますので、全体の皿数を少なくしました。この魚も川のものです。甘酢あんですがさっぱり仕立てられています。松の実がたっぷりかかっていました。松鼠魚の大きさにもよりますが、この一皿でお腹がいっぱいになります。

 でも、これを食べなくては、 小籠包です。庶民のお店で食べる小籠包とは違って品のいい小籠包でした。私は中国で食べる小籠包はどこで食べても美味しく思います。

 中国人の観光客が多い街中にあるこのお店ですが、広東語しか耳に入らず、昔から変わらぬ落ち着いた店作りの中ゆっくりと食事をとることができました。

 


嬉しい言葉

2018年03月18日 | 日々のこと

晴、8度、78%

 昨日は61歳の誕生日でした。たくさんの方から「おめでとう。」の言葉をいただきました。小さい頃から誕生日が好きです。今でも一つ歳をとるのが楽しみです。

 朝起きてPCを開ければ、 グーグルの粋な計らい。Apple Watch開ければ  風船のところをタッチすると見出し写真のように風船がフワンと飛んで来ます。欠かさずカードをくれる友人。昨夕、香港から福岡に帰ったばかりなのに、大好きなミモザの鉢植えまで夜に届きました。 ココさんと二人だけの夕飯ですが、1日を振り返って、心温まります。皆さんありがとうございます。

 私は一人で旅行する時はいつも機内持ち込みの荷物一つです。最小限、自分の力でハンドルできるものしか持って動きません。そんな私ですが、最近は旅先で友人たちに小さなものを探します。 やれとれたてのお野菜、やれ今私がはまっているチョコレートなどと頂く物が絶えません。せめて何かお返しをと思います。一昨日の夕飯時、指を繰って、「誰それにこれ、あの方にはこれ。」などと私が小さな土産物のことを考えていました。皆さんから頂戴するものが多くて、いつも私の食卓は賑わっています。「みんなのおかげだからねえ、ありがたいわ。」という私に主人は「お前の、人柄だよ。」と言ってくれました。

 「お前の人柄だよ。」この言葉を聞いた時、一瞬黙ってしまいました。こんな言葉を主人からもらったのは初めてです。私はたくさんの友人がいるのではありません。人とのお付き合いは苦手です。そんな私を一番知っている主人は、この結婚40年、私のその苦手意識を否定する言葉しか言いませんでした。きつい言葉を言われても、苦手なことは苦手です。初めて、認めてもらえたような嬉しい言葉をもらいました。

 この言葉を噛み締めて、飛行機に乗りました。面と向かって嬉しかったと言えなかったので、飛行機に乗る前に主人に「嬉しい言葉をありがとう。」とメッセージを送りました。

 友人に送る小さなものを詰めたトランクに最後に空港で買った自分への贈り物を詰めました。 贈り物より重たい本です。頭上のトランク入れに自力で入れることのできるマキシマムの重さでした。エイっと入れながら、心は嬉しさで一杯でした。


61歳を迎えました。

2018年03月17日 | 日々のこと

曇、18度、88%

 61歳の誕生日の朝を香港で迎えました。私の60歳は日本での新たな生活の始まりの年でした。60年の半分30年をここ香港で過ごしての帰国です。また1からの生活、知らないこと、分からないことたくさんありました。そして、モモさんを失うという大きな悲しみも味わいました。今朝も目が覚めたベットの上で何でモモさんがいなくなったのかと思い返します。

 60歳最後の日、香港での大事な用事を済ませました。勝手知ったる土地です。無駄なく時間を使います。 所用で訪れたセントラルのビルの高層階からの眺めです。いいお天気でした。応対に当たってくださった方はまだ赴任数ヶ月、30年前はこの景色にあるビルはほとんどなかったとお話ししました。

 

 香港は香港島に政庁や銀行の中心があります。中国本土に続く九龍とはビクトリア湾を挟んでいます。30年、香港島で島暮らしでした。島暮らしと聞くと不便さを思いますが、住み始めた当初の台風の時を除けば、島に住んでいることすら忘れていました。以前は台風時には交通が遮断され、翌朝、牛乳がスーパーの棚に並ばなかったことがありました。

 香港島と九龍を結ぶ交通手段は地下鉄、トンネルを使った車、そしてスターフェリーです。この近距離に橋はありません。60歳最後の夕食を主人は九龍サイドに用意してくれました。香港島で用事を済ませた私は、日の暮れかかる頃、セントラルからスターフェリーに乗りました。日中26度の気温で半袖で過ごした体には夕方の海風が心地よく感じます。

  九龍サイドも香港サイドも埋め立てや新しい道路設備の工事で相変わらず活気のある街です。 振り返って香港島を眺めます。住んでいた頃は、真ん中の高いIFCのビルの裏側に小さく見える我が家のアパートで留守番するモモさんを思ってこの景色を見ました。香港島太平山のピークも写っています。

 たかだか7、8分の船旅です。マカオがある西を見ると、霞んだ空に赤い夕日が見えました。60歳を締めるのに、この小さな海の旅はこれからの私の指針を示してくれたように思います。主人、息子一家に支えられ、友人に恵まれたおかげで、新たにまた次の一年を始めます。


モモさんの故郷に戻って来ました。

2018年03月16日 | 香港

霧、19度、96%  香港

 香港を「東洋の真珠」と呼ぶようになったのはずいぶん古い話です。この街に住んでいた30年、「東洋の真珠」という言葉があまり好きではありませんでした。こう呼び始めたのは白人ではないかしら、何かあまりにもロマチックな呼び方です。実際の香港はバイタリティー溢れる人種のるつぼです。ところがこの街を離れて1年、私は香港を「東洋の真珠」と思うようになりました。夜、遥か空高くから香港を見下ろせば煌々と電気の灯る香港は、真っ暗な海底に沈む大粒の真珠に見えるはずです。

 1月7日に香港に戻る予定がありました。ところが前日の6日に義母が骨折で入院しました。ふた月延期して昨夕香港に戻って来ました。毎年この時期の香港は最悪の天候です。湿度が高く、道路までジメジメしています。昨日は予想外に晴れていました。

 人の多さ、人種の多さ、言葉の多さ、車の多さ。そんな香港の雑踏に立つと心の底からホッとしました。福岡ではのんびりと静かな生活を送っています。それなのに、このざわめきの中に身を置くとすっぽりと収まったような安堵感を覚えます。家に向かう車はいつもながらの混雑の中を走ります。ほんの1年前まで、私は今福岡で乗っている車でこの雑踏を走らせていました。ちょうど夕方のラッシュのせいもありましたが、我ながらこんなところをよく走っていたものだと思います。香港人の声高の広東語もここで生活していた時は嫌だったのに、今では微笑ましい。30年といえば私の人生のほぼ半分です。

 夕飯は普通の広東料理。私の好きなものをよくご存知の主人です。 これさえあればという、ナマコとアワビの煮物。日本の酢ナマコは苦手なのに、中華のナマコの煮物は大好物です。腰はあるものの柔らかなナマコ、アワビもふっくら仕上がっています。おそらくこのナマコは日本のものです。6つの棘があるナマコ、高級品は日本から乾燥して入って来ます。アワビも日本のものが一番高級、小ぶりなものはオーストラリア産です。 こんな大きな蝦の炒め物、流石広東料理です。

 お外に出れば見上げても最上階が見えないビルばかり、 ここはモモさんの故郷、香港です。そして、私たち夫婦が人生の半分、結婚生活の4分の3を過ごした香港です。今日は銀行、証券などの用事を済ませ、明日には福岡に戻ります。

 ここ数日、家中のモモさんの写真に向かって「モモ、香港に戻るよ。」と言いました。主人もこの家のモモさんの写真に向かって「モモ、お母さんが来るよ。」と言っていたそうです。モモさん、分身の術でいつも私たち夫婦のそばにいます。


袖付き椅子を手放しました。

2018年03月15日 | 身の回りのもの

曇、14度、77%

 今住んでいる家には私が子供の頃からあった家具を残しました。おそらく私よりも歳が上の家具ばかりです。みずめ桜の木で作られたそれらの家具達は、気持ちに馴染むものばかりです。

 この家に住むに当たって、買い足した家具もありました。居間のテーブル、ゆったりと6人が座れる大きさにしました。座敷をフローリングに変えたので、そこに置くソファー。全てみずめ桜の材で作ってもらいました。

 居間のテーブルの周りに以前からある袖付きのラダーバックチェアーを4脚おきました。両サイドには袖なしの同じラダーバックチェアーです。この椅子は座面がラッシーという草で編まれたタイプです。袖がありますので、テーブルの下にすっぽりと収まりません。部屋が手狭に感じます。椅子を引くときには、重さを感じます。この家に戻って来て1年、考えた挙句にこの袖付きの椅子を4脚とも手放すことにしました。新たに袖なしの椅子を4脚求めました。 新しい椅子も同じ材です。使わないときはテーブルに収まります。デザインも昔のものよりスッキリしているので、部屋が軽い感じに変わりました。ただ、重さはやや軽くなった程度です。

 一年一回り、四季を生活してみると家の不備なところが見えて来ます。古い日本家屋ですから、できるだけ明るく住みたいと思います。その上、住む私たちの年齢も考えて空間と軽さを求めました。たかだか椅子を手放しただけですが、この家にずっとあったものです。心のどこかが痛みます。

 先日、遠方より友人がみえました。袖付き椅子を引き取ってもらったすぐ後でした。我が家の居間には、袖なし椅子2脚のみ。広いテーブルに2脚の椅子でお迎えしました。長年のものを手放す痛みを感じましたが、部屋だけでなく、私の心が軽くなったように思います。季節も変わります。私たちの年齢もかさみます。身の回りを軽くすることは大事なことだと気付かされました。暖かな季節に向けて、家も心も軽くなりました。


フリチラリアが咲きました。

2018年03月14日 | 庭仕事

晴、12度、81%

 フリチラリアの花の写真を見たのは「ターシャチューダ」の本の中でした。群れて咲き誇るその花を見た時、いつかこの花を育ててみたいと思いました。もう10年以上も前のことです。

 フリチラリアは球根です。ネットで探して見つけました。秋植えのこの球根を6つ頼みました。「ターシャチューダ」は球根を地植えしていましたが、初めての私は用心して鉢に一つ一つ植えました。この花の色は黄色、白、オレンジといく種類かあります。6つの球根はそれぞれ取り混ぜてた球根でした。日当たりの良い場所に6つの鉢を並べて冬を過ごしました。鉢に雪が積もることもあったこの冬です。2月の半ばに一つの鉢から大きな堅い目が出て来ました。寒さにやられないかと心配しましたが、順調に大きくなりました。暖かさと寒さが繰り返し、雨も周期的に降り、まっすぐに伸びた茎に花芽をつけたのはつい先日のことです。オレンジ色のフリチラリアです。まさに「ターシャチューダ」の本の中のフリチラリアの花色と同じです。

 毎日幾度も裏庭のフリチラリアを見に行きました。昨日は20度を越す陽気でした。出先から戻ると真っ先に裏庭に直行します。朝には蕾の先がほころび始めていました。暖かさで花が開いています。 

 庭のない生活、土から離れた生活を30年続けました。プランターや香港の気候では作れない植物がたくさんありました。庭のあるこの家に戻って来て、この30年思い続けて来た花や木を植えました。まだたくさん自分の手で育てたい植物があります。春の種蒔きの季節になりました。庭の空いているところを見て、次には何を植えようかと思い巡らします。

 ラッパスイセンも咲きました。 球根はチューリップ、水仙の他にも全部で150個ほど植えました。芽が大きく伸び始めています。花芽も付けています。この庭に花がいっぱいになる日ももう間近です。

 


ココさんの新しい服

2018年03月13日 | ここ

晴、9度、76%

 昨日は、いつもココさんにお洋服を作ってくださる友人が、新幹線に乗ってやって来てくださいました。海外旅行はあるものの、国内旅行で本州を離れるのは初めだそうです。博多駅にお迎えに出ると、小柄な彼女はたくさんのお荷物です。

 我が家に着くとココさんお待ちかね。ココさんは大喜びでお迎えします。彼女のお家のパグさんの匂いをしっかりと嗅いでいるようです。お荷物から出て来たのは、ココさんへのプレゼント、お洋服が2枚です。しっかりとパグ体型になって来たココさんにちょうどのサイズのお洋服を作ってくださいました。 スカートはジーンズ生地のこちらは、お尻のところにハートが抜かれています。例のごとく、「かわいい。」を連発するとしっかりカメラ目線のココさんです。

 もう一枚はフード付きのお散歩用。フードの裏はオレンジ色、いいアクセントカラーです。でも、やっぱりフードはお嫌いなココさんです。

 夕方のお散歩にも一緒に行ってくださいました。ココさん、すっかり彼女に懐いてしまい、トイレどころではありません。いつもの道ですが、違う方とご一緒の散歩はココさんの楽しかったようです。「よかったね、ココさん。」

 昨日、今日といいお天気に恵まれた福岡、楽しんでおうちに待つパグさん達の元に無事帰ってくださいね。たくさんのおしゃべりで私も楽しい一日でした。


お鍋の持ち手

2018年03月12日 | 身の回りのもの

晴、6度、74%

 35年ほど前に買ったステンレスのお鍋があります。息子の幼稚園のお母さんが集まったホームパーティーで売られていたお鍋です。アメリカのウェストベント社製のお鍋の底が6重層になったものです。お鍋にしてはずいぶん高いものでした。このお鍋を買って主人にずいぶん叱られました。電気の卓上鍋のようなものまでついていて、総額40万円ほどでした。叱られるのも無理はありません。

 このお鍋は確かに優れものです。そして、このお鍋に助けられて料理を作りました。ただ欠点が一つ、鍋の持ち手の付け根が熱伝導が良すぎて壊れやすいのです。販売元では鍋の持ち手やつまみだけを売っていました。ところがその販売元がいつ頃からかなくなりました。景気後退が始まった頃だったと思います。20年年近く鍋の持ち手を壊さないように、大事に使いました。2年前、持ち手が1本折れました。日本の代理店、香港の代理店はないかと探します。見つかりませんでした。そこで、アメリカのウェストベント社に問い合わせたところ、香港までの送料も含めるとお鍋の持ち手がかなりの金額です。このお鍋を使わなくても別のお鍋でことが足りていました。ウェッブ上では、私と同じようにこのメーカーのお鍋の持ち手を探している方が数人いました。

 台所を整理している時に滅多に使わなくなった鍋を見ました。せっかく持っているのに使わないのはもったいない、高いお金を出しても持ち手をアメリカから送ってもらおうと決め、英語でウェストベントとPCに打ち込みました。すると、日本語のサイトが出てきました。この2年ほどの間で日本に代理店ができたようです。早速問い合わせて持ち手を送ってもらいました。

 香港から帰ってくる時、使用頻度の高い片手鍋だけに絞りました。残りは友人知人にもらっていただきました。小鍋、中鍋、大鍋とスチーマー。 積み重ねるとコンパクトに仕舞えます。中鍋は長いこと我が家のご飯を炊くお鍋でした。久しぶりにガステーブルにのった鍋を見ると、私の料理の原点に戻った気がします。

 今日本で売られているウェストベントのお鍋は、ミシンの販売と一緒にホームパーティーで売られているらしく、30年以上経っても変わらない販売方法に思わず笑ってしまいました。お値段もやはり高額です。長年使って言えることは、確かにいいお鍋です。この3つのお鍋をフル回転させるだけで、煮ることも蒸すことも焼くことも、私は燻製も作ります。

 持ち物があるべき姿で使用できることに満足しています。