雨、7度、90% 雷
昨年の3月、ちょうどお雛様の頃でした。まだ雪の残る軽井沢に出かけました。軽井沢は、3月初旬はまだ冬眠中です。駅から続くメインの通りのお店もほとんど閉まったままでした。はるばる香港まで私に会いに来てくださった方、当時大事な犬を思いがけず亡くされた方、このお二人に会いに行きました。朝早く東京を出て、その日のうちに東京に戻ります。そんな私は開いている数少ないお店でお昼をご馳走になりました。
そのお店はハワイアン料理のお店です。お客さんなんて私たち3人だけ、いえ、犬も3匹。おじさん一人が働くお店です。最後に運ばれて来たのがコーヒーです。おじさんは気取りのない慣れた様子で自分が淹れたコーヒーをテーブルに持って来てくれました。ぽってりと厚いカップに入ったコーヒーでした。その何気ないコーヒーを飲んだ途端、なんて美味しいのかしらと思いました。ハワイアンのお店ですがコナコーヒーではなく、軽井沢で有名なミカドコーヒーでした。
香港に戻った私は、早速自分用のコーヒーを入れる準備を始めました。ケメックスのドリッパーを買ったり、おいしいコーヒー豆のお店を探してみたり、軽井沢の友人はミカドコーヒーまで送ってくださいました。そのうち、引越しの準備が始まりました。私にとっては大きな仕事でした。ゆっくりコーヒーなんて思っていられない半年でした。
日本に帰って来てこの3月、60歳の誕生日を迎えました。香港から主人がわざわざ戻って来てくれました。お夕飯は福岡でも老舗のフランス料理です。なんだか気取ったお店よりビストロの方がお腹いっぱいになるのになあ、と品良くいちいち注釈のつく料理をパクパク食べました。向かえで見ていた主人が言ったことです。「一口でパク。よほどお腹が空いていたんだね。」確かにおいしいし見た目も綺麗です。何か物足りない、そんな思いの最後の最後に出て来たのがコーヒーでした。普通サイズの薄いカップに入っていました。一口飲んだだけで、今まで食べたもの飲んだものがすっと身体に落ち着くのを感じます。頭の隅っこがすっきりとするのを感じます。
翌朝起きても記憶に残るのはあのコーヒーばかりです。主人が自分のコーヒーを豆を挽いて淹れていますが、その香りとは違います。以来この半月、あちこちのお店で豆を買ってはあの時の味に近いコーヒーを求めて淹れてみます。深い香りとあとをひくまろやかさ、酸味は少なめが好きなようです。豆を挽く時間、落とす水の量、飲むのは私ですから自分の好みで淹れます。少しずつ、思うようなコーヒーが淹れれるようになりました。ミルクを差しますが、主人が冷たいミルクは嫌だと言っていたのも頷けます。ほんのりミルクが香るくらいに温めて。
自分の生まれた3月にコーヒーをと思う気持ちが2年も続いて起こります。コーヒーが私のどこかの感覚を呼び起こしてくれているようです。一杯のコーヒーを味わう余裕も出来始めました。