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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

モモさんの贈り物 2

2017年05月02日 | もも

晴、15度、85%

 モモさんの病状を知るのは我が家の家族だけでした。主人、私、息子夫婦。尿が出なくなって、毎日導尿、カテーテルで尿を抜くためにモモさんを病院に連れて行きました。モモさん男の子ですから散歩の途中ではマーキングをします。足を上げてもおしっこが出なくなっても草をクンクン、足を上げるを繰り返します。それが2週間も続いた頃には、マーキングの仕草がなくなりました。毎日一回、三人がかりでおしっこを採ってもらいました。多い時は300ccにもなりました。

 便は細いながらも出ていましたが、それが全くない日もあります。この便が不調になり始めた頃から食べ物の好みが変わりました。大好きなパンやシフォンケーキは全く食べません。お魚、お肉、サツマイモ。お肉もその時その時によって食べないこともあります。とにかく食べることが生き物の基本です。食べれなくなったらお終いと思い、いく種類もの食べ物を用意しました。ご存知のようにモモさんの食事は3度私とほぼ一緒です。尿、便共に出ないのによく食べました。お肉100グラム以上は毎食でした。毎日病院に通ってもいい、このままモモさんとの毎日が続くような錯覚を覚えました。錯覚だとわかっています。一日の中でも私の心の中は揺れ動きました。

 次第に前立腺がお腹の外から触ってもわかるぐらいになった頃から、主人がモモさんの様子を尋ねて来ても応えるが出来ませんでした。応えるということは言葉にすることです。書くのも話すのもその現状を繰り返すことになります。主人からのメールの返事も出せません。怖かったのです。息子夫婦も心配して電話をくれます。でも、「聞かないで。」と応えるのみでした。モモさんがいなくなることが怖かった。

 そんな風ですから、モモさんの術後の様子やむくみを心配してくださる友人からのメールにもお返事を出すことが出来ませんでした。「もう少し経てば、わかってくださる。」と思いました。私の甘えです。

 足のむくみが出るまではよく歩きました。モモさんの背中、耳が揺れる様子、尻尾の巻き具合い、目を閉じれば蘇ります。

 怖くて仕方ないのに、モモさんには普通に話しかけました。「起きたの?」「ご飯食べる?」「今日はどこにお散歩に行こうかね。」「お昼ご飯は豚汁よ。」そして、あの大きな目をじっと見ると、膝や足元にもたれかかって来ます。懐かしい重みです。懐かしい温かさです。懐かしい匂いです。全身でモモさんは私に応えてくれました。

 主人や息子夫婦、友人に返事ができない自分が恥ずかしくなります。わかっていても心底怖かったのです。そんな意気地なしの私にモモさんは、ぬくもり、重さ、匂い、眼差しで守ってくれました。「たくさんのありがとう、モモさん。」


モモさんの贈り物

2017年05月01日 | もも

晴、17度、66%

 モモさんが逝ってしまって、一日が過ぎました。気持ちのよいまでの青空です。大きな空洞を体の中に持ったような虚脱感と不思議なことに幸せな気持ちが胸をいっぱいにしてくれています。

 この家の庭には私が小さい頃飼っていた犬たちが埋葬されています。結婚後、我が家が一緒に生活した東京から連れて来た「テツ」も眠っています。モモさんを埋葬すべきか、荼毘に付すのがいいか、迷いました。主人は埋葬したいと思っています。埋葬でもよかったのですが、私はモモさんにしてあげたいことが一つあります。モモさんを香港に連れ帰ることです。

 私たちに身近にモモさんを置くことはもちろんですが、モモさんの故郷、13年育った香港にもモモさんを連れ帰ってやることが私がモモさんしてあげれる最後のことです。火葬を選びました。

 福岡の西、杉木立ちの中に建つ小さな火葬場でした。最後の別れを済ませて、モモさんが灰になるのを空気の揺らめきを見ながら待ちました。まっすぐに伸びた杉の葉が青い空との境で風に揺れるのを感じます。遠くで鳥のかすかなさえずりも聞こえます。隣に立つ主人と言葉も交わさずに時間を過ごしました。主人は悲しく辛いのを押し殺しているのがわかります。側に立つ私は、穏やかな幸せを感じていました。このひと月、幾度も悲しさ辛さを感じました。その度にそれを乗り越えて昨日に至りました。この気持ちが「無」に違いないと、葉のそよぎに感じます。土からは春の深い香りが立ち上っていました。

 持参した骨壷にモモさんすっかり収まってくれました。 主人の手にしっかりと包まれて家に戻って来ました。「お帰りなさい、モモさん。」これからは片時も離れずに私と一緒です。最後まで私に幸せを連れて贈ってくれました。傍で苦しむ主人にもう暫くすると、モモさんからの贈り物が届くと思います。あの目を思い出すだけで幸せが胸に広がります。ありがとう、モモさん。


30年ぶりの日本の春、私はモモさんの命と向き合っていました。

2017年04月30日 | もも

晴、17度、73%

 モモさん、13歳3ヶ月、4月29日午後1時23分他界いたしました。

 今年に入ってすぐにモモさんは血尿を出しました。香港の獣医さんはおそらく前立腺の肥大だろうとおっしゃいます。悪ければ前立腺腫瘍です。ところがモモさん、大きなクリアーしなければならないことが待っています。日本に向けての飛行機の旅です。短頭種の犬は飛行中亡くなる危険性もあります。

 無事に日本に着いたのは2月の初め、長い新幹線の旅も経験して福岡にやって来ました。寒い最中でした。お散歩に出ればどこまでも大きな道をまっすぐに走ります。きっと、どんどん行けば香港に帰れると思っていたに違いありません。そんな折モモさんの便が急に出辛くなりました。ペタンコなひもかわのような便です。途端に前立腺肥大のことが頭をよぎります。前立腺肥大ならば去勢手術で男性ホルモンが出なくなり良くなると聞いていました。モモさんが高齢、短刀種にもかかわらず去勢手術を受けたのは3月17日のことでした。無事に手術が終わったものの、わずか10日後からは尿も出なくなりました。前立腺がますます大きくなって、尿道も直腸も圧迫し始めていました。

 その日からひと月と数日、毎日尿をカテーテルで採ってもらいました。便は下剤、浣腸を試しますが全く出ない日が一週間続いたこともありました。最後の10日ほどは前立腺大きくなってが足の付け根を圧迫して後ろ足にむくみが出ました。それなのに昨日の朝までよく食べてくれました。尿便共に出ないで生きていけるはずがありません。間近にモモさんとの別れが来ることを胸に過ごしたこの春です。

 病気を患うと動物は毛艶がなくなります。モモさんは今もツヤツヤの毛です。そして最期までまん丸の黒い目でした。無愛想なモモさんを可愛がってくださった方々、ありがとうございました。少しづつモモさんのことを書いていこうと思います。

 

 


モモさんの新しいバギーと男の子

2017年04月24日 | もも

晴、12度、57%

 モモさん後ろ足がややむくんで歩かせないほうがいいと先生に言われました。お散歩大好きなモモさんです。そこで、友人が香港まで送ってくれたバギーを出してきました。香港では結局使わないまま、大事に持ち帰りました。2年前はあれほど嫌がっていたのに喜んで乗るモモさんです。ところがそのバギー、高さを固定するところが壊れてしまいました。長いこと使わずに仕舞ってあったからでしょう。そこで新しいバギーを買いました。

 昨日はお天気に釣られて、モモさんが好きな公園の一つ藤棚がある公園に行きました。日曜日の昼下がり、小学生の男の子が一人でボールで遊んでいます。 早速、藤棚の下で涼みます。ムッとするような陽気です。上からは藤の花の甘い香りがしてきます。何十年ぶり、藤の花の匂いを思い出しました。すると男の子が、「蜂が多いから気をつけてください。」と声をかけてくれました。そう言えば先日も藤棚のことを書いた折、友人が蜂に気をつけてと書き送ってくれたことを思い出します。

 男の子、お友達を待っている様子です。モモさんが気になるのかそばに寄ってきました。「丸い大きな目だね。」と頭を撫でてくれます。「幾つ?」と聞くと「7歳。」「そう、このモモさん13歳だよ。」びっくりした様子です。

 優しい風が吹いていました。 モモさんの背中に藤の花びらが。遠くで男の子のお友達の声がしました。「モモさん、帰ろうか。」 後ろで男の子が中をのぞいています。「また、この公園で会おうね。」なんだか心が和む日曜日の午後でした。家まで遠回りをして川沿いを遠くに緑になり始めた山を見ながら帰りました。春ですね。


藤棚の下のモモさん

2017年04月18日 | もも

雨、14度、97%

 一昨日の日曜日、福岡は朝は雨が降っていたのにお日様が出るとぐんぐん気温が上がります。お天気がいいのでお外に出るとモモさん荒い息です。ちょっと歩くとへばって、例のアジの開きになります。やっと近くの公園まで歩きました。モモさんは公園が好きです。香港では公園は全て犬がはいれません。なぜ公園が好きなのか、ただ公園らしきところに来ると必ず自分から入ります。人がいようがいまいが関係ないようです。

 この公園、藤棚があります。新芽がこの数日で膨らみ始めました。そう思って眺めていると、早速モモさん、藤棚の下でアジの開きになりました。ちっともこれから動きません。公園の花壇の管理をしているおじさんに「可愛いね。」と触られても、「ハーハー。」相変わらず不愛想です。ボトルのお水も飲みあげました。さあ、帰りましょう。結局私が抱いて帰ります。

 家に帰っても行き着く先で、行き倒れ状況です。 身の置き場がない様子、家中の窓は開いています。風も抜けているのになあ。夜になってもベットに登ったり降りたり、仕方なくクーラーをつけました。冷えて来るとすぐさまいびきです。

 考えてみると、香港ではすでにクーラーを入れています。3月の終わりには例年毛のカットも済んでいます。この日は異常な暖かさだったそうですが、私のモモさんへの暑さ対策に疎くなっています。そういう私も午後には半袖、Gパンの裾を上げてサンダル履きになりました。

 昨日は打って変わって大雨、雷。気温も低めです。モモさん、一日中よく寝ました。藤棚の下のモモさんを見ながら、こんなのんびりした時間が持てるとは思っていなかったと気づきます。香港と福岡、時間の流れる速さが違います。人の数も違います。モモさんもこのゆっくりした時間を感じてくれているはずです。藤棚が見事な花をつけるまであとどのくらいでしょう。藤の季節すら忘れかけている私です。今降っている雨も上がるそうです。今日はどこまでお散歩に出かけましょうか、モモさん。


新しい障子とモモさんの爪痕

2017年04月15日 | もも

曇、17度、68%

 玄関を入ると座敷との間に障子がありました。その建具が気に入らない主人、ガラスの障子に替えてもらうことになりました。障子は家を扱ってくれた建築会社が入れたものでした。ガラス障子は玄関なども頼んだ建具屋さんにお願いします。三代目の建具屋さんはいいものを作ってくれます。玄関のヒノキの引き違い戸、2階の杉の障子、どれも丁寧なつくりです。建具屋さんと主人と二人でガラス障子のデザインを決めていました。

 昨日、そのガラス障子が入りました。上と下は透明ガラス、中は和紙模様のすりガラスです。透明のガラスが入っただけで明るい感じに変わります。漆喰の壁、和紙の障子では抜ける軽さがありませんでした。 今回も建具屋さんいい仕事をしてくれました。古い障子を持ち帰ってもらう時、忘れずに写真に撮っておきたいものがありました。障子にモモさんが作った爪痕です。

 モモさんが日本に来たのは二月の初め、寒かったのでどの部屋もドアを閉めきっていました。モモさんは日本に来て初めて引き違い戸を経験します。今までならどちらから突けば開く普通のドアでした。開けて欲しい時はガリガリと爪を立てます。香港の家のドアはモモさんの爪痕が残っていました。引き違い度が勝手が違うことに気づいたのか、ガリガリせずにいつもは戸の後ろに座っていました。お客様がみえて玄関で立ち話、ガリ、と後ろを見ると障子の向こうからモモさんが爪を立てています。 木でできた戸でないからか軽い優しい爪痕です。少しづつこの家の作りに慣れてきたモモさんです。

 5日前には、台所の引き違い戸を自分で開けました。隙間に無い鼻を突っ込んで開けたようです。庭に出る出口が2つあるのも覚えました。片方が閉まっているともう片方に回っています。あまり長風呂をしていると、お風呂場のドアもガリガリするようになりました。見出し写真は、台所の入り口に座るモモさんです。13歳というお歳で環境の変化に付いて来てくれています。


モモさんの初めての桜

2017年04月13日 | もも

晴、10度、78%

 昨日の福岡は、八日ぶりのいいお天気になりました。桜の開花宣言が出てどれくらい経つでしょうか。我が家の近くの桜はちっとも開きません。ぽつぽつと薄桜色が見えるばかりでした。

 朝早くから人がみえたりで、やっとモモさんとお散歩に出ることができたのは10時過ぎです。お日様は燦々と春の日差しです。我が家の近くには公立の小学校、中学校、高校が固まっています。学校を囲むように桜が植えられています。この桜が植えられたのはおそらく私が小学校の頃だと思います。それまでは一面の菜の花、レンゲの畑でした。桜並木の見える角を曲がると満開です。風も強いので時折花吹雪も見られます。

 「モモさん、桜よ。」モモさんが日本に来た二月の初め、初めてこの道を通った時は冷たい北風が吹いていました。固い固い蕾を持った桜も寒そうに見えたのを思いだします。それから幾度もこの道を散歩しました。車が通らない道です。やっと桜が咲きました。

 道に舞い散った花びらをひとすくい、モモさん、桜の花をにおいます。 「どうですか?これが日本の桜よ。」

 道脇のロータリーに二人で座ってお花見です。背中にはポコポコとお日様が当たります。お昼には配達が届くことになっています。それがなかったら、ここでお昼を広げられるのにね。大丈夫、まだお天気も続きそう、桜の花もまだ咲いていてくれるはずです。

 午後には、福岡城のお堀の桜も見ることができました。 モモさんが見てるのは桜よりお堀の大きな鯉かもしれません。暖かな日差しは、心が緩みます。身体も緩みます。モモさんと二人のお花見はとても幸せな気持ちにしてくれました。


モモさん、昨日手術をしました。

2017年03月18日 | もも

晴、6度、64%

 昨日は朝起きて、PCの前に座るとGoogleが「おめでとう」、走りに出るとNIKEのアプリが「おめでとう」。たくさんの方からメッセージをいただき、いい60歳の朝でした。でも、実は大きな心配事を抱えていました。モモさんの初めての手術がお昼には予定されていました。

 モモさんの排便異常に気付いたのは10日前のことです。出難い、出てきた便は扁平でした。その形を見た途端、何が原因かわかりました。モモさん数ヶ月前、血尿を出しました。その時、香港の獣医さんから前立腺肥大の可能性もあると聞かされました。モモさん去勢していません。前立腺肥大は人間と犬だけの病気だそうです。単純に前立腺肥大は去勢手術をすれば治るということでした。ところが当時のモモさんは飛行機に乗るという、短頭種にしてはかなり危険な経験を目前にしていました。私たちも獣医さんもそのことが優先です。幸い血尿は2日だけの症状でした。その時、犬の前立腺について詳しく調べてみました。ただ、簡単な去勢手術といってもこれまた短頭種故の麻酔の危険がつきものです。できる限りは手術は避けたいが私の心情でした。

 モモさんが背中を丸めて一生懸命排便しようとする姿を見ながら、この私は去勢手術をしてもらう決心がつきました。この家に帰ると決めた頃から動物病院を探していました。たまたま、近くに良さそうな病院があります。モモさんを連れて行ったのはこの月曜日13日のことでした。もちろん初めての病院です。先生にお会いしてそのお人柄を見て決めるつもりです。

 香港からの経緯についてお話ししました。すぐさま、超音波でモモさんのお腹を見せてもらいました。直腸の下にピンポン球ほどの前立腺が肥大した様子が見て取れます。肛門から指を入れた先生は、かなりの大きさにびっくりなさいます。先生の様子、病院内の設備をざっと見た私は、この先生にお願いしようと決めました。麻酔の危険の話、高齢であることなどお話を聞いて、手術前の検査のために再度病院を訪れたのは、14日の火曜日でした。午前中モモさんは病院に滞在。正午に迎えに行くと、検査結果のお話がありました。レントゲンによる心臓、肺の状態は良好。血液検査も全て標準値です。ところがたった一つ、モモさんの気道が年齢からくる狭窄になっています。肺に近い部分は細い線のようにレントゲンに写っていました。麻酔がかかると脱力からこの気管が潰れる危険があると言われます。つまり呼吸停止です。手術をしなければモモさん排便困難ばかりか排尿困難も引き起こす可能性があります。私は「手術をお願いします。」と申し上げました。先生も「かなりの危険度ですがやってみます。」と応えていただきました。17日昨日に手術日が決まりました。

 私の誕生祝いのために主人が戻ってくることは随分前から決まっていました。昨日の昼前、何も知らないモモさんを連れて主人と3人気持ちの良い晴れ上がった空の下を病院に向かいました。のろのろと歩いて15分の距離です。危険度が高いので待合室で待機してくださいと、事前から言われていました。手術時間は麻酔導入から30分から45分です。「その短い間どうか息をしてくださいよ。」と祈りながらモモさんを先生にお預けしました。待合室で主人と二人、お守りを持つ私の手を主人が握ってくれていました。20分を過ぎた頃、先生が「手術は済みました、呼吸はしていますが覚醒を待ちます。」と一旦出て見えました。それから20分、デレンと力抜けたモモさんが目を開けて連れてこられました。モモさん、息をし続けました。「よく頑張ったね。」朦朧としています。夕方のお迎えを約束して病院を出ました。

 この数ヶ月で大きな経験を2つも乗り越えたモモさんです。安堵感と喜びがじわじわとこみ上げてきます。夕方迎えに行ってもまだフラフラ。主人に抱かれて家に帰ってきました。すぐさまいつもの場所で寝始めます。「このまま朝まで眠るかもしれないね。」と思うほど落ち着いた寝息です。ところがパグです。夕飯の用意を始めると、 寝ぼけ眼で起きてきました。「そうでなきゃね、モモさん。」よく食べて、再び今度はベットで寝入りました。一晩中、スヤスヤと私の横で寝てくれました。今もまだ寝ています。

 手術の意思を固めたことを主人に伝えた時、私は言いました。「モモの生命力を信じます。」13歳、よくぞここまで頑張ったと穏やかな寝顔に頬ずりしました。少しずつ状態が回復するそうです。この日本でいい先生に巡り会えたことも幸運でした。ゆっくりとモモさんの時間が廻るようにと思います。

 


モモさん初めての公園です。

2017年03月10日 | もも

晴、9度、42%

 昨日の朝も寒い福岡でした。おまけに曇ったまま。一度は起きてきたモモさんですが、ひつじの湯たんぽを抱えてまた寝ます。「お散歩。」と声をかけても目も開けません。9時になれば工事の人がやってくる、10時になれば訪ねてくる人の予定もあります。もし、トイレとなれば庭に出そうと思います。

 来客も帰りました。モモさん、起きません。やっとお昼ごはんの用意を始めると、匂いに釣られて台所に顔を出します。まだ、家の中ではトイレをしたことがありません。「チーは?」と聞いたものの、塗装のお兄さんが裏木戸を出たり入ったり。庭に出すわけにもいきません。早めにお昼を済ませて、工事の人たちのお昼時間に散歩に出ようと思います。ちょうどお日様が照り始めています。

 福岡は玄界灘から吹く北風が冷たく感じます。それでも日向を歩けば、気分が弾みます。お天気の良さに誘われて、初めての道に足を伸ばしました。モモさんも初めて、もしかしたら私も初めてかもしれません。恥ずかしいことに、私は自分の育った家の近くをよく知りません。福岡に着いてすぐのモモさんとの朝の散歩では、道を間違えて家とは反対方向に歩いていたほどです。

 3月に入って、大きく膨らみ始めた木蓮の蕾や、ふとにおってくる沈丁花の香りにつられてモモさんと私は歩きます。週日の昼間です。住宅街の道は人通りもなく、のんびりとしています。顎を上げなくても空が見えることが、こんなに晴れ晴れとした気持ちになるとは思ってもみませんでした。角を曲がると、公園があります。子供の遊具がある公園です。今までの感覚で公園には犬は入れないと思います。で、入り口の注意書きを読むと犬はダメとは書かれていません。そんなわけで、モモさん初めて公園に足を踏み入れました。

 香港に初めてのドックランができたのはモモさんが2歳の時です。喜んで出来て間もないドックランに連れていきましたが、帰ってきたモモさんノミだらけでした。以来ドックランにも連れていきません。家の近くには大きな動植物公園もありましたが、犬は公園には入れません。おまけに公園なんて言ったって、全部舗装されている香港です。

 モモさんに公園の砂地の感触を覚えて欲しいと思います。誰もいない公園です。私とモモさんだけ。「滑り台だよ。」と話しても何が何だかわからないモモさんです。公園にはお日さんがいっぱいです。風が冷たいのですがベンチに腰をかけました。モモさんも、寛いで横になります。 「モモさん、気持ちいいねえ。今度はおやつを持って来ようね。お昼をここで食べてもいいね。」

 工事のお兄さんたちが戻る前には家に帰ります。長いお散歩でした。家に帰って服を脱がせる時、モモさんの背中の毛からお日様の匂いがします。とっても幸せな一日でした。


モモさん、ねずみちゃんを隠しました。

2017年03月09日 | もも

曇、7度、52%

 モモさんの相棒はずっとねずみちゃんです。友人から頂いたので、同じものを2つ持っています。毎晩夕飯が終わると、洗い物をしている私の足元にポトンと落として、さあ、ねずみちゃんの取り合いごっこの始まりです。狭い香港のマンションで投げてやると目をキラキラさせて取りに走ります。小さい頃からほとんど日課でした。時には、ねずみちゃんをくわえたまま鼻息荒く狭い部屋を歩いいています。ねずみちゃんを隠すためです。置き忘れた時と、隠した時ではねずみちゃんの様子が違います。ねずみちゃんのお腹のあたりが凹んでいると隠した時です。あの無い鼻で押し込んだつもりです。それが歯が弱り始めると回数が減りました。今振り返ると、日本への引っ越しの準備が始まった年明けからはすっかりねずみちゃんから遠のいていたモモさんです。

 この3日ほど、夕飯が終わるとねずみちゃんをカゴからくわえて出てきます。私も仕事の手を休めモモさんの相手をします。家が広くなりました、投げる長さも長くなりました。喜んで走って取りに行きます。ひと当たり遊ぶと、ねずみちゃんをくわえて鼻息荒いモモさんが部屋を歩き回っています。昨晩は寒いのでドアを開けているのは寝室と台所、居間だけでした。こういう時はわざと見ないふりをします。しばらくするとねずみちゃんの姿が見えません。「ねずみちゃんはどこ?」「ねずみちゃん、やーい。」と私は探します。飾り棚の下にぐっと押し込まれたねずみちゃんです。 モモさん隠し終えると、そのままお忘れになります。

 昨日福岡は一日に幾度となく雪が降りました。北風も吹く寒い日でした。モモさん2度目の雪です。それでもお散歩に出かけます。もちろん車1台に停まってもらって用を足しました。この寒さにも慣れてきたようです。モモさんがベットに入った後、隠したねずみちゃんを見て思います。やっとモモさん、この家を自分の住処と感じてくれたようです。引越しの荷造りの頃から、言葉にできないけれど不安を抱いていたと思います。モモさん、よく日本までついて来てくれましたね、ありがとう。