私は、ジュード・カリヴァンさんとエハン・デラヴィさんの共著「2012年の銀河サポート あなたはスピリチュアルな錬金術師になる」(徳間書店)を読んで、ピース・ピルグリムというアメリカ人女性のことを初めて知りました。
今は故人となりましたこのアメリカ人女性に、興味と親近感を持ちました。
ネット調べたところ、通称を「ピース・ピルグリム(Peace Pilgrim)」といい、本名は「ミルドレッド・ノーマン・ライダー(Mildred Norman Ryder)といいます。生没は1908年―1981年です。
同書でエハン・デラヴィさんがピース・ピルグリムのことを取り上げている箇所を引用します。
ピース・ピルグリムは女性として巡礼の生活を30年余り経験した人物です。
彼女が何を言いたいかというと、ガンディーと似たようなことを言いたいわけですね。 「Be The Change You Want To See in The World」(世界に変化を起こしたければ自分自身がその変化になりなさい)
自分自身がまずその変化を表現する、体験する、ということで、彼女の目的は「平和」でした。
ではまず自分から表現しようと、それでどのように表現すればよいか考えた結果、活動家になりましょうということになり、ではどのような活動家がいいか考えたときに、「ああ、私は女性で、独りで、物欲はあまりないし、いま、冷戦もあるし、世界は非常に危ない」……かなりの危機感を持っていた女性ですね。いまの時代と変わらないぐらいの危機感を持つ女性がいたわけです。
それで、彼女の表現の仕方は、ただ単に歩き続けることですね。自分のユニフォームに、「ピース・ピルグリム(平和の巡礼者)」と書いてあるので、無理やり人に「平和になりなさい」等と言わずに、ただ、その意志を持って歩いているだけで、人がやってくるわけです。「何しているの? おばあちゃん!」と。そこからすべてが始まるわけですね。
結果的に、彼女はとても美しい生き方、健康的な生き方、とても平和的な生き方、面白い生き方を成し遂げたことは間違いない。彼女の文献からすぐわかる。
本当の意味での聖者クラスで、アメリカの中産階級から出てきた女性。
これは世界的にお知らせをしてもいいくらいの女性のメッセンジャーです。
だから、「女性だからできない」とか「普通の人にはできない」とか言っていられない。 彼女はやった。・・・・・
(転載ここまで)
では「平和に身を捧げたひとりのアメリカ人女性が、自分の歩んだ道のりをふり返った短い物語」を2回に分けてご紹介します。
意味のある生き方を深く探し求めつづけて
人生のはじめの時期に、わたしはふたつのとても重要な発見をしました。
• ひとつは、お金をかせぐのは簡単だということ。
• もうひとつは、お金をかせぎ、それを愚かなやり方で使うのはまったく無意味だということです。
自分はそんなことのためにここにいるのではない、と気づきました。でもそのときは(これはずいぶん昔のことです)、では何のためにここにこうして存在するのか、まだはっきりとはわかりませんでした。
意味のある生き方を深く探し求めつづけて、ある夜、一晩中森を歩きまわったすえに、ようやくひとつの境地にたどりつきました。いまのわたしは、そのとき超えたのが精神的にとても大きな峠だったことを理解しています。
それは、一点の曇りもなく、全身全霊で、自分のいのちを奉仕の生に捧げたいという決意でした。こうなるともう逆戻りはありません。ここまできたら最後、二度とふたたび以前のようなまったく自分本位の生き方へ引き返すことはできなくなるのです。
ライフワークは平和のためにはたらくこと
こうして、第二の人生がはじまりました。得られるかぎりのものを手に入れるのではなく、与えられるかぎり与える生き方です。
そこからは、新しくすばらしい世界が広がりました。人生は意味に満ちあふれたものに変わりました。健康という大きな恵みも授かりました。それっきり、風邪にも頭痛にも悩まされたことはありません。(ほとんどの病気は精神的なものが引き金になっているのです。)
そのとき以来、自分のライフワークは平和のためにはたらくことだとはっきり自覚するようになりました。ここでいう「平和」にはあらゆるレベルが含まれます。国家間の平和、集団どうしの平和、個人と個人のあいだの平和、そして何よりも大切なのが内なる平和です。
けれども、人生を捧げたいと思うことと、じっさいに捧げることとのあいだには大きなひらきがあります。それを埋めるのに、わたしには以後15年にわたる準備と内的探求が必要でした。
このかんに、心理学者が「自我」と「良識」と呼ぶもののちがいがよく見えてきました。わたしたちのなかには、ふたつの異なった価値観をもったふたつの自分、ないしふたつの本性が共存しているといってもおかしくありません。そのふたつのものの見方があまりにもちがうので、しばらくはふたりの自分の葛藤に悩まされました。それは山あり谷ありのたいへんな道のりでした。
内なる平和を見出す
けれども、そうしてもがいているうちに、あるときすばらしいピーク体験が訪れます。生れてはじめて、本当の内なる平和を味わったのです。私は一体感に包まれました。
すべての人間たちとひとつであり、存在するいっさいのものとひとつであるという感覚――それ以来、その一体感を完全に失ったことはありません。
その後もこのすばらしいピークには何度でも戻ることができましたし、そこにとどまれる時間もだんだん長くなって、すべり落ちることのほうが珍しくなりました。
そしてある朝、もう二度と谷におりなくていいことがはっきりと確信できる、すばらしい瞬間がやってきたのです。苦闘は終わり、わたしはついに自分のいのちを捧げること、つまり内なる平和を見出すことに成功しました。
これもやはり、もう引き返せない境地です、ここまでくると苦闘のなかへ逆もどりすることはありえません。苦闘が終わったは、みずから自分にふさわしいことをやる“意思”が生まれ、外側からそれを強制される必要がなくなったからです。
しかし、成長がそこで終わったわけではありません。むしろこの第三の人生でこそ、大きな成長が起こりつづけてきました。ただそれは、人生というジグソーパズルの主体はすでに出来上がり、はっきりと動かざるものになっていて、あとの周辺部が少しずつ組み上がっていく、というような成長です。はじのほうにはつねに新しい部分が加わっていくけれど、成長そのものは調和がとれています。
いつも、愛、平和、喜びといった“善きもの”に包まれている感じがあって、それに守られているおかげで、直面すべきどんな状況に遭遇してもまったく恐れがないのです。
外目にはたいそうな問題をいくつも抱えているように見えても、内側にはそれらの問題を楽々と乗り越える力がかならず存在します。困難など感じません。穏やかで、静かで、ゆったりとしていて、もはや何事につけ闘いや緊張はないのです。生は充実して善きものであり、もう窮屈なごたごたはありません。
これはとても大きな学びでした。わたしたちのせいが、<大いなるいのちのパターン>のなかで自分のはたすべき役割と調和していれば、そして、わたしたちが宇宙を貫く法則に忠実であれば、人生は充実した善きものでありながらしかも窮屈にはならないのです。
もしそれが窮屈だとしたら、それは自分がやるべき役どころ以上のことをやっている証拠です。
人間には、取るのではなく与えるという生き方ができます。ところが、与えることに専念していると、与えることなしに受け取ることができないのとちょうど同じように、受け取ることなしに与えることもできないことがわかってきます。
それも、健康や幸福や内なる平和といった最高の贈り物を授かってしまうのです。そのエネルギーはまさに無尽蔵です。けっして尽きることがなく、空気のようにいくらでも存在する気がします。まるで、宇宙エネルギーの源につながったようなものです。
こうなると、人生は思いのままです。ただし、「自我」というのはけっしてものごとを操ることができません。自我は肉体からくる快適さや便利さへの欲求に操られ、心の要求や感情のほとばしりに操られるばかりです。
けれども、心やからだや感情をコントロールするのはもっと高い本性です。
わたしが自分のからだにむかって「あのセメントの床で寝なさい」といえば、からだはそれにしたがいます。
心にむかって「ほかのことはすべて忘れて目の前の仕事に集中しなさい」といえば、心はすなおにしたがいます。
感情にむかって「状況は最悪だけど静かにしなさい」といえば、感情は静まります。
これはふつうとはまったく異なった生き方だといえるでしょう。哲学者ソローはこう語ります。
「世間と歩調を合わせるのをやめれば、いままで聞こえなかった太鼓の音が聞こえてくるだろう。」と。
そう、この段階でしたがうのはその新しい太鼓の音――そしてその叩き手は、低次本性ではなく高次本性なのです。
世界平和のための巡礼
これは1953年のことでしたが、このときはじめて、わたしは世界平和のための巡礼に出ようと思いたちました。足と信念と祈りだけを頼りに、たくさんの人びととふれあうことを目的とするこうした巡礼の旅は、昔から行われてきたものです。
わたしの場合は、わかりやすいように胸に「ピース・ピルグリム(平和の巡礼)」という文字がはいった上着を着て歩きます。いまでは、それが自分の名前だと思っています。わたし個人ではなく、わたしの使命を強調してくれますから。
背中には「平和のために徒歩2500マイル」と書いてあります。この上着を着るのは接触のきっかけをつくるためにすぎません。ハイウェイぞいや市街地を歩いていると、この上着を見ていろいろな人がしょっちゅう声をかけてきます。そうしたら、その人たちと平和について話すのです。
わたしはすでに、一文なしの巡礼者として2500マイル(4000km)を踏破しました。所持品といえば、この上着と、その小さなポケットに入れて持ち歩いているものだけです。
わたしはどんな組織にも属していません。旅に出るにあたり、
• 雨露のしのげる場所を与えられるまで歩きつづけること、
• 食べ物は与えられるまで食べないこと、
• そして人類が平和の道を習得するまでさすらいの身でいること
を誓いました。
嘘も隠しもありませんが、こうして何ひとつ求めないにもかかわらず、これまで旅に必要なすべては与えられてきました。ということはまた、人びとが本当はいかに善良かもあらわしています。
わたしはつねに、「平和の道は、全によって悪を克服し、真実によって偽りを克服し、愛によって憎しみを克服すること」という平和のメッセージをたずさえて歩きます。
これはとくに目新しいメッセージではありません。新しいところがあるとすれば、それを実践するかどうかだけでしょう。しかも、その実践は国際関係だけでなく個人的な関係のなかでも求められます。
わたしは、世界の状況はわたしたち自身の未熟さの反映だと信じています。もしわたしたちが成熟し、調和のとれた人間であったなら、戦争などまったく問題外のはずです。そんなものは不可能でしょうから。
平和のためにはたらくことはだれでもできます。いま自分のいる場所で、まさに自分自身のなかでそれをすればいいのです。なぜなら、自分自身の内面が平和になればなるほど、わたしたちはそれを外の状況に反映させることができるからです。
じっさい、わたしはこう確信しています。生存への欲求によって、不安定ながらある種の世界平和がもたらされ、それを維持するために大きな内的めざめが必要になるだろう、と。
核エネルギーを手にしたとき、わたしたち人類は新しい時代にはいったのです。そしてこの新しい時代は、新しいルネッサンスをももたらすでしょう。新しい時代にともなうさまざまな問題に対処できるより高い理解のレベルまで、わたしたちを引き上げるルネッサンスです。わたしが、世界平和へのステップとしてわたしたち自身の内なる平和を説くのはそういうわけなのです。
内なる平和への足どり
さて、内なる平和への歩みについて語るとき、わたしはひとつの枠組みにそって話を進めますが、そこに出てくるステップはけっして絶対的なものではありません。ステップはもっと多い場合もあれば、少ない場合もあるでしょう。これは単に、話をわかりやすくするためだけのものです。
ですから、これらのステップを踏むのに決まった順序はないということ――これを忘れないでください。ある人にとっての最初の一歩が、別の人にとっては最後の一歩になるかもしれません。
ようは、自分にとって歩みやすいステップを踏めばいいのです。何歩か進むにつれ、次の何歩かを踏み出すことが容易になるでしょう。こういうことに関するかぎり、わたしたちのあいだには共有できることがたくさんあるはずです。
いまこれを読んでいるなかに、巡礼などする気のある人はいないかもしれませんし、わたしもとくに巡礼をおすすめするつもりはありません。
けれども、人生において内なる平和を見出すということに関しては、かならず共有できるものがあります。これから、わたしが踏んだ内なる平和への足どりをご紹介すれば、きっと「そういうステップなら自分も踏んだ」というものが思いあたるでしょう。
(次回この続きを掲載します)
今は故人となりましたこのアメリカ人女性に、興味と親近感を持ちました。
ネット調べたところ、通称を「ピース・ピルグリム(Peace Pilgrim)」といい、本名は「ミルドレッド・ノーマン・ライダー(Mildred Norman Ryder)といいます。生没は1908年―1981年です。
同書でエハン・デラヴィさんがピース・ピルグリムのことを取り上げている箇所を引用します。
ピース・ピルグリムは女性として巡礼の生活を30年余り経験した人物です。
彼女が何を言いたいかというと、ガンディーと似たようなことを言いたいわけですね。 「Be The Change You Want To See in The World」(世界に変化を起こしたければ自分自身がその変化になりなさい)
自分自身がまずその変化を表現する、体験する、ということで、彼女の目的は「平和」でした。
ではまず自分から表現しようと、それでどのように表現すればよいか考えた結果、活動家になりましょうということになり、ではどのような活動家がいいか考えたときに、「ああ、私は女性で、独りで、物欲はあまりないし、いま、冷戦もあるし、世界は非常に危ない」……かなりの危機感を持っていた女性ですね。いまの時代と変わらないぐらいの危機感を持つ女性がいたわけです。
それで、彼女の表現の仕方は、ただ単に歩き続けることですね。自分のユニフォームに、「ピース・ピルグリム(平和の巡礼者)」と書いてあるので、無理やり人に「平和になりなさい」等と言わずに、ただ、その意志を持って歩いているだけで、人がやってくるわけです。「何しているの? おばあちゃん!」と。そこからすべてが始まるわけですね。
結果的に、彼女はとても美しい生き方、健康的な生き方、とても平和的な生き方、面白い生き方を成し遂げたことは間違いない。彼女の文献からすぐわかる。
本当の意味での聖者クラスで、アメリカの中産階級から出てきた女性。
これは世界的にお知らせをしてもいいくらいの女性のメッセンジャーです。
だから、「女性だからできない」とか「普通の人にはできない」とか言っていられない。 彼女はやった。・・・・・
(転載ここまで)
では「平和に身を捧げたひとりのアメリカ人女性が、自分の歩んだ道のりをふり返った短い物語」を2回に分けてご紹介します。
意味のある生き方を深く探し求めつづけて
人生のはじめの時期に、わたしはふたつのとても重要な発見をしました。
• ひとつは、お金をかせぐのは簡単だということ。
• もうひとつは、お金をかせぎ、それを愚かなやり方で使うのはまったく無意味だということです。
自分はそんなことのためにここにいるのではない、と気づきました。でもそのときは(これはずいぶん昔のことです)、では何のためにここにこうして存在するのか、まだはっきりとはわかりませんでした。
意味のある生き方を深く探し求めつづけて、ある夜、一晩中森を歩きまわったすえに、ようやくひとつの境地にたどりつきました。いまのわたしは、そのとき超えたのが精神的にとても大きな峠だったことを理解しています。
それは、一点の曇りもなく、全身全霊で、自分のいのちを奉仕の生に捧げたいという決意でした。こうなるともう逆戻りはありません。ここまできたら最後、二度とふたたび以前のようなまったく自分本位の生き方へ引き返すことはできなくなるのです。
ライフワークは平和のためにはたらくこと
こうして、第二の人生がはじまりました。得られるかぎりのものを手に入れるのではなく、与えられるかぎり与える生き方です。
そこからは、新しくすばらしい世界が広がりました。人生は意味に満ちあふれたものに変わりました。健康という大きな恵みも授かりました。それっきり、風邪にも頭痛にも悩まされたことはありません。(ほとんどの病気は精神的なものが引き金になっているのです。)
そのとき以来、自分のライフワークは平和のためにはたらくことだとはっきり自覚するようになりました。ここでいう「平和」にはあらゆるレベルが含まれます。国家間の平和、集団どうしの平和、個人と個人のあいだの平和、そして何よりも大切なのが内なる平和です。
けれども、人生を捧げたいと思うことと、じっさいに捧げることとのあいだには大きなひらきがあります。それを埋めるのに、わたしには以後15年にわたる準備と内的探求が必要でした。
このかんに、心理学者が「自我」と「良識」と呼ぶもののちがいがよく見えてきました。わたしたちのなかには、ふたつの異なった価値観をもったふたつの自分、ないしふたつの本性が共存しているといってもおかしくありません。そのふたつのものの見方があまりにもちがうので、しばらくはふたりの自分の葛藤に悩まされました。それは山あり谷ありのたいへんな道のりでした。
内なる平和を見出す
けれども、そうしてもがいているうちに、あるときすばらしいピーク体験が訪れます。生れてはじめて、本当の内なる平和を味わったのです。私は一体感に包まれました。
すべての人間たちとひとつであり、存在するいっさいのものとひとつであるという感覚――それ以来、その一体感を完全に失ったことはありません。
その後もこのすばらしいピークには何度でも戻ることができましたし、そこにとどまれる時間もだんだん長くなって、すべり落ちることのほうが珍しくなりました。
そしてある朝、もう二度と谷におりなくていいことがはっきりと確信できる、すばらしい瞬間がやってきたのです。苦闘は終わり、わたしはついに自分のいのちを捧げること、つまり内なる平和を見出すことに成功しました。
これもやはり、もう引き返せない境地です、ここまでくると苦闘のなかへ逆もどりすることはありえません。苦闘が終わったは、みずから自分にふさわしいことをやる“意思”が生まれ、外側からそれを強制される必要がなくなったからです。
しかし、成長がそこで終わったわけではありません。むしろこの第三の人生でこそ、大きな成長が起こりつづけてきました。ただそれは、人生というジグソーパズルの主体はすでに出来上がり、はっきりと動かざるものになっていて、あとの周辺部が少しずつ組み上がっていく、というような成長です。はじのほうにはつねに新しい部分が加わっていくけれど、成長そのものは調和がとれています。
いつも、愛、平和、喜びといった“善きもの”に包まれている感じがあって、それに守られているおかげで、直面すべきどんな状況に遭遇してもまったく恐れがないのです。
外目にはたいそうな問題をいくつも抱えているように見えても、内側にはそれらの問題を楽々と乗り越える力がかならず存在します。困難など感じません。穏やかで、静かで、ゆったりとしていて、もはや何事につけ闘いや緊張はないのです。生は充実して善きものであり、もう窮屈なごたごたはありません。
これはとても大きな学びでした。わたしたちのせいが、<大いなるいのちのパターン>のなかで自分のはたすべき役割と調和していれば、そして、わたしたちが宇宙を貫く法則に忠実であれば、人生は充実した善きものでありながらしかも窮屈にはならないのです。
もしそれが窮屈だとしたら、それは自分がやるべき役どころ以上のことをやっている証拠です。
人間には、取るのではなく与えるという生き方ができます。ところが、与えることに専念していると、与えることなしに受け取ることができないのとちょうど同じように、受け取ることなしに与えることもできないことがわかってきます。
それも、健康や幸福や内なる平和といった最高の贈り物を授かってしまうのです。そのエネルギーはまさに無尽蔵です。けっして尽きることがなく、空気のようにいくらでも存在する気がします。まるで、宇宙エネルギーの源につながったようなものです。
こうなると、人生は思いのままです。ただし、「自我」というのはけっしてものごとを操ることができません。自我は肉体からくる快適さや便利さへの欲求に操られ、心の要求や感情のほとばしりに操られるばかりです。
けれども、心やからだや感情をコントロールするのはもっと高い本性です。
わたしが自分のからだにむかって「あのセメントの床で寝なさい」といえば、からだはそれにしたがいます。
心にむかって「ほかのことはすべて忘れて目の前の仕事に集中しなさい」といえば、心はすなおにしたがいます。
感情にむかって「状況は最悪だけど静かにしなさい」といえば、感情は静まります。
これはふつうとはまったく異なった生き方だといえるでしょう。哲学者ソローはこう語ります。
「世間と歩調を合わせるのをやめれば、いままで聞こえなかった太鼓の音が聞こえてくるだろう。」と。
そう、この段階でしたがうのはその新しい太鼓の音――そしてその叩き手は、低次本性ではなく高次本性なのです。
世界平和のための巡礼
これは1953年のことでしたが、このときはじめて、わたしは世界平和のための巡礼に出ようと思いたちました。足と信念と祈りだけを頼りに、たくさんの人びととふれあうことを目的とするこうした巡礼の旅は、昔から行われてきたものです。
わたしの場合は、わかりやすいように胸に「ピース・ピルグリム(平和の巡礼)」という文字がはいった上着を着て歩きます。いまでは、それが自分の名前だと思っています。わたし個人ではなく、わたしの使命を強調してくれますから。
背中には「平和のために徒歩2500マイル」と書いてあります。この上着を着るのは接触のきっかけをつくるためにすぎません。ハイウェイぞいや市街地を歩いていると、この上着を見ていろいろな人がしょっちゅう声をかけてきます。そうしたら、その人たちと平和について話すのです。
わたしはすでに、一文なしの巡礼者として2500マイル(4000km)を踏破しました。所持品といえば、この上着と、その小さなポケットに入れて持ち歩いているものだけです。
わたしはどんな組織にも属していません。旅に出るにあたり、
• 雨露のしのげる場所を与えられるまで歩きつづけること、
• 食べ物は与えられるまで食べないこと、
• そして人類が平和の道を習得するまでさすらいの身でいること
を誓いました。
嘘も隠しもありませんが、こうして何ひとつ求めないにもかかわらず、これまで旅に必要なすべては与えられてきました。ということはまた、人びとが本当はいかに善良かもあらわしています。
わたしはつねに、「平和の道は、全によって悪を克服し、真実によって偽りを克服し、愛によって憎しみを克服すること」という平和のメッセージをたずさえて歩きます。
これはとくに目新しいメッセージではありません。新しいところがあるとすれば、それを実践するかどうかだけでしょう。しかも、その実践は国際関係だけでなく個人的な関係のなかでも求められます。
わたしは、世界の状況はわたしたち自身の未熟さの反映だと信じています。もしわたしたちが成熟し、調和のとれた人間であったなら、戦争などまったく問題外のはずです。そんなものは不可能でしょうから。
平和のためにはたらくことはだれでもできます。いま自分のいる場所で、まさに自分自身のなかでそれをすればいいのです。なぜなら、自分自身の内面が平和になればなるほど、わたしたちはそれを外の状況に反映させることができるからです。
じっさい、わたしはこう確信しています。生存への欲求によって、不安定ながらある種の世界平和がもたらされ、それを維持するために大きな内的めざめが必要になるだろう、と。
核エネルギーを手にしたとき、わたしたち人類は新しい時代にはいったのです。そしてこの新しい時代は、新しいルネッサンスをももたらすでしょう。新しい時代にともなうさまざまな問題に対処できるより高い理解のレベルまで、わたしたちを引き上げるルネッサンスです。わたしが、世界平和へのステップとしてわたしたち自身の内なる平和を説くのはそういうわけなのです。
内なる平和への足どり
さて、内なる平和への歩みについて語るとき、わたしはひとつの枠組みにそって話を進めますが、そこに出てくるステップはけっして絶対的なものではありません。ステップはもっと多い場合もあれば、少ない場合もあるでしょう。これは単に、話をわかりやすくするためだけのものです。
ですから、これらのステップを踏むのに決まった順序はないということ――これを忘れないでください。ある人にとっての最初の一歩が、別の人にとっては最後の一歩になるかもしれません。
ようは、自分にとって歩みやすいステップを踏めばいいのです。何歩か進むにつれ、次の何歩かを踏み出すことが容易になるでしょう。こういうことに関するかぎり、わたしたちのあいだには共有できることがたくさんあるはずです。
いまこれを読んでいるなかに、巡礼などする気のある人はいないかもしれませんし、わたしもとくに巡礼をおすすめするつもりはありません。
けれども、人生において内なる平和を見出すということに関しては、かならず共有できるものがあります。これから、わたしが踏んだ内なる平和への足どりをご紹介すれば、きっと「そういうステップなら自分も踏んだ」というものが思いあたるでしょう。
(次回この続きを掲載します)