宇宙人の独り言

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スメラミコトと竹内文書

2011年10月23日 | 日記
 昨日、何年かぶりに神奈川県在住のM牧師さんにお会いしました。M先生はお元気そうでご高齢にもかかわらず、北海道まで来られたのです。その温和なお顔を拝見し懐かしく思いました。
 午後3時からM先生のご講演を拝聴させていただきました。ご講演テーマは「スメラミコトを中心に日本古代史を見直す」です。

 以下にM先生のお話の内容をかいつまんでご紹介します。

いただいた資料には、「プロローグ」「1.神話と歴史」「2.竹内文書のスメラミコト」「3.天神朝7代」「4.上古朝、不合朝、神倭朝」「5.日本は世界の親国」「6.天変地異の発生」「7.神倭朝の政変」「エピローグ(視点の転換)」と記されています。

日本をどのように見るかについては、様々な視点と立場があります。特に重要な分かれ目となるのは、天皇(スメラミコト)をどう見るかです。

 日本は万世一系と言われるとおり何万年もの昔から天皇を頭とした一大家族国家を形成し、受け継いできた国柄であって、人民を搾取した歴史上の様々な帝王たちとは違います。それは「竹内文書(たけのうちもんじょ)」を読めば分かるといいます。

ここでいう「竹内文書」とは、日本の超古代史の古典のことで、古史古伝の中の一つです。日本のアカデミズムからは偽書としてまったく無視されています。
先生は、今日学界で認められている日本国生成の神話は、古事記、日本書記、日本紀、続日本紀等ですが、わたしは学者たちも、一般庶民も日本の古史・古伝である竹内文書、九鬼(くかみ)文書、宮下文書、上記(うえつふみ)、秀真伝(ほつまつたえ)、東日流(つがる)外三郡誌等の価値を再評価する必要があると考えている、といいます。

竹内文書では「天皇」のことを「スメラミコト」と言います。神代文字で「スメラミコト」あるいは「スミラミコト」と書きます。
ちなみに、古代史学者の通説では、《「天皇」の呼称は(神倭朝)第40代天武天皇(在位673~680年)から始まった。それまでは、王とか大王とか呼んでいたのを、神話によって飾り立てて「天皇」と呼ぶようになったのだ》としており、学校の教科書もそうなっています。
これは竹内文書等の古史を偽書扱いして認めず、斎部(いむべの)広成撰「古語拾遺(こごしゅうい)」(807年)の言葉を信じた結果だといいます。

前後しますが、「竹内文書」の原典の成立年代は不明で、現在明らかとなっているのは、それが神代(かみよ)文字で記された膨大な文書であったこと、第21代雄略天皇(AD457~479)が大臣の武内宿祢(たけのうちのすくね)の孫である大臣平群真鳥(へぐりのまとり)に命じて漢字仮名混じり文に書き改めさせたと伝えられているといいます。

その後、第25代武列天皇が政変によって倒される前に、真鳥に勅命を下し、身を隠して命がけで「竹内文書」を護らせました。古事記が編纂されるより200年も前のことです。

古事記の冒頭には、「天地初めてひらけし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この3柱は、みな独神と成りまして、身を隠したひき」と記されています。
しかし、竹内文書には、「上古朝第4代天之御中主天皇、上古朝第10代高御産霊天皇、第11代神皇産霊天皇」と記されているので、初めの3柱の神というのは、それぞれが超古代の日本国の天皇であったことが分かります。

更に、これによって分かることは、古事記の神話は歴史上の事実であったということです。すなわち神話は歴史であり、また歴史は神話でもあるとも言えます。
ところが世間一般だけでなく、学者までもが、神話・伝説といえば当てにならない作り話、フィクションと考え、歴史といえば事実即何らかの証拠に基いた確実なものと信じるのが通弊となっています。神話は人を神の世界に招きいれ、神と一体化することによって科学的、知性的認識を超えた霊的認識を得させてくれる伝承だということです。

では、スメラミコトは何者で、何時、何処から来たのか?

第1代 元無極体主王大御神(もとふみくらいぬしのおおみかみ)
根源的な天地万物創造の神で、神の内より一切の有るものを生み出した神。

第2代、第3代、第4代と宇宙と太陽・地球・月、その他無数の星々を産みだして秩序を与える神々。

第5代 天一天柱主大神スメラミコト(天皇)、天一美柱神(皇后)
国万造主大神を生む。

第6代 国万造主大神スメラミコト(日本皇室の発祥)、国万造主美大神
天御光太陽貴王日大神を産む。

第7代 天御光太陽貴王日大神(別名メシヤ)スメラミコト
     天日身光ミドの比女大神
天日豊本葦牙気皇主大神を生む。

ここまでは天の日球(ひだま)の国という天体に住んでいたらしい。

聖書の創世記第1章、2章に似た神話であり、「アダムは神の子」(ルカ3:38)とあるように、「スメラミコトは神の子即ち現人神」として地球に降臨するのです。

第1代 天日豊本葦牙気皇主スメラミコト、天日豊葦牙気皇美神の娘ミト女神

天の日球の国より地球を治める一族を率いて天浮船に乗り日本の飛騨の位山に降臨。
つまり、天地万物の創造主の御子メシヤとして宇宙の中心の日球の国から地球を治めるために宇宙船に乗って降臨されたのがスメラミコトだったのです。
上古朝第1代天皇から現代までの年数は約3176億年に及ぶので、これこそ万世一系のスメラミコトといえるでしょう。

スメラミコトが日本に降臨した目的は、日本を親国として地球全体を統治するためです。
それは天地創造の神の愛と義とに基いて世界を治め、各国を治めることです。そのためスメラミコトは祭祀を行って神の御言葉を受け、君民共治の政治を行って来たといいます。

これによって超古代文明が宇宙からもたらされた。天の浮き船というUFOに乗って自由自在に宇宙空間を交通することが出来、地球上を巡回することも出来ました。現代よりも遥かに優れた文明・文化を持ちながら、大自然と調和した生活を営んでいたらしいのです。

また、世界天皇は日本を中心に世界を16州に分けて、16人の皇子を民王(みっとそん)として派遣し、天皇の代理として各州を統治させました。これが太陽を象徴する16枚の花弁を持つ「菊のご紋章」の始まりです。各王室は菊のご紋章を掲げて天皇の統治下にあるしるしとしたのです。バビロン、エルサレム、エジプト、その他にもこの紋章が見られます。

更に、不合第1代天皇が「日の丸」を日本の国旗として制定されたことが明記されています。


エピローグでは次のように話されました。

わたしたちは竹内文書を通して、この視点を転換し日本古代史を見直すことが出来ます。
第1に、進化論的人類史観から脱却することが出来ます。
地球に住んでいた人類は宇宙との関係をもっており、最初から高度の文明・文化をもって地球上に移住してきたこと。

第2に、日本は世界文化の掃き溜めの国ではなく、世界に向けて発達した文化を広めて行った国であること。従って日本が大災害に出合って壊滅状態になった時には、被害の少なかった世界の諸国から人材や文化を逆輸入して助けられたのです。いや、非常時だけではなく、日本発の縄文文化がユーラシア大陸を横断してイギリスまで到達したことや、アラスカ経由で北米から南米の南端まで到達したことも考古学的裏づけがあります。それゆえ日本は常時世界の諸地域との文化交流があって、共存共栄して来たことが分かります。

ユダヤ民族はメシアは東方から来るという伝承を先祖以来受け継いでおり、それは日本の天皇であると考えられていたようです。

これまで述べたような視点から見直してみると、日本をスメラミコトを中心とした世界の親国として尊ぶことは神意に叶う道であることが分かってくるでしょう。

                      終わり


 以上M先生のお話を要約して記しましたが、意に添えたか心もとなく思います。
 これを機会に、天皇(スメラミコト)のこと、日本の古史古伝のこと、について興味を持っていただけたら幸いです。

以上

コメント
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