makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

秋分の日に思う。

2015-09-23 | 入選俳句39・それ以降は日記に含まれる

国民の祝日の一。秋分にあたる9月23日24日。祖先をうやまい,なくなった人々をしのぶ日」

秋分の日の解説にはこのように書かれていました。

 

或る方の日記を拝見して思ったこと。

お墓まいりに行かれたそうです。

目にしたこと(黄色い紙に赤いリボンのかかった花束)、

ご自分の行動(コップの底の藻を洗ったこと)、

を淡々と事実だけを書いていらっしゃるだけで

そこには、悲しい、嬉しい、などの感情は一つも述べられていません。

悲しい、嬉しいと書くのは簡単なこと。

それを書かないで目にしたものだけで淡々と書かれています。

まさに、俳句に通ずるものがそこにあって感動いたしました。

 

手前味噌ですが、

私の入選句にこんな句があることを思い出しました。

ここに「悲しい」の一言も書いてはいません。

ただ、淡々と事実だけを書いています。

季語は「新盆」です。

そして、目にしたもの、「遺影の前に置かれていた哺乳瓶」とだけ書きました。

「哺乳瓶」・・・亡くなったのは誰であるかが判りますよね。

俳句には書いていませんが哺乳瓶にはミルクまでちゃんと入っていました。

供えたのは遺影の子の親であり、私の娘でもあります。

 

そして、ご覧のように写真俳句として完成させるにあたっては

遺影も哺乳瓶も立派な仏壇も写していません。

ただ淡い可愛いチューリップの花を斡旋しています。

(なばなの里のチューリップ祭りで撮ったもの)

このようにして

悲しいは言わないのが俳句。

勿論、読者の感性に任せるしかないのも俳句です。

 

さてさて、先日の「竹灯り」のイベントの続編です。

沢山の竹灯りの中にひょっとして逆縁の児が現れてくれるような気がして

覗いてみるのですが蝋燭ばかりでした^^;

辺りには焼きそばや饂飩の匂いが漂っているのです。

ミルクの匂いでもあれば「ばぁば、ここにいるよ」って出てきてくれたかもしれません^^。

 

で、帰りのことです。

多くのカメラマンさんの中で、何となくオーラが出ている方に思いきって話しかけてみました。

夜景の中の竹灯りをどのように撮ればいいのかよく判らないで出かけていますからね。

取り敢えず、Mで設定はしていたものの最初は三脚を車の中に忘れ。

と言うよりも行ったのが遅かったので

三脚の設置にはもはや場所がないのではと予想。

予想はズバリ的中。

そんな中で三脚使用の方のお写真を拝見したかったのですが

その方、プロのカメラマンさんでした。

教室をお持ちで50名ほどの生徒さんを抱えていらっしゃるとか。

名刺までくださいました。

その名刺入れの手元を照らしたのはmakoのカメラの液晶画面でした^^♪

ハーレーを乗りこなす方でもあり、ブログで確認しました。

と言う訳で、プロの方のテクを惜しげもなく披露してくださって感謝でした。

色々な小道具も、しかも誰でも持てるものでした。

 

しかし、ケーキ屋の写真が見たい。

今度、クッキーを買いに行くので用意しておくように言っておかなくては^^v

ケーキを作る手をしばし休めて店に出てきてもらおっと。

私が行くといつも出てくるけどね^^;

彼には以前、手を休ませて、どんだけ電話に出て貰ったことかと。

あ、カメラとは関係のないことでね^^;

   **  暫くコメントは承認制にしていますのでご了承くださいませね。

       いつもありがとうございます。