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まっかちゃんのブログ

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島之内寄席 六月席

2012-06-25 15:20:28 | 落語
23日、トリイホールで開催された「島之内寄席 六月席」へ行きました。客席はほぼ満席でした。

島之内寄席 6月席 チラシ14時から16時45分まで上方落語を楽しみました。演者は、露の 眞(寿限無)、新人賞候補の桂 佐ん吉(おごもち盗人)、桂 九雀(雨乞い源兵衛)、桂
春若(はてなの茶碗)、仲入、桂 あやめ(私はおじさんにならない)、桂 塩鯛(愛宕山)でした。眞と佐ん吉はまあまあと言ったところです。演者それぞれが持ち味を出して良かったです。この日の評価は「満足」です。

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上方落語のあれこれ

2012-06-25 14:58:34 | 文化・文学・アート
22日追手門学院大阪城スクエアで、「大阪文化の深読み講座」の第3回「上方落語のあれこれ」を受講しました。講師は、天満天神繁昌亭支配人の恩田雅和さんです。内容は以下の通りです。

上方落語の発祥 およそ300年前
大阪落語の祖である米沢彦八が大阪生國魂神社境内で辻噺を行い、京都落語の祖である露の五郎兵衛が京都北野天満宮で辻噺を行ったのが上方落語の発祥。
現在、250人の落語家がおり、内20人が上方落語協会に所属していない。

定席の発祥 およそ200年前
初代桂文治が坐摩神社境内に小屋を建て、そこで連日落語を演じるようになったのが定席の始まり。

上方唯一の定席・繁昌亭 天満という土地
59年ぶりに上方落語の定席が復活した。明治時代天満には8軒の寄席があり、「天満八軒」と呼ばれていた。桂三枝会長は吉本興業の影響のない梅田、なんばでなく天満を選んだ。しかし、天満八軒の内の1軒を吉本せいさんが買っていた。
大阪天満宮が土地を提供し、建物は寄附(2億4千万円)で建てた。繁昌亭の天井には寄付した人の名前を記述したちょうちんが約6000個。

東京の定席の現状
鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場と国立演芸場の5軒。

江戸落語と上方落語の違い
見台・膝隠し・小拍子の3点セットの小道具とはめものは上方落語特有。上方落語の発生が大道芸であったから小道具が必要。江戸落語は座敷芸であったので小道具は不要であった。お茶子も上方落語のみ。真打制度は東京落語。噺の7~8割は上方落語が江戸へ流れた。

昼席と夜席
昼席は出演者の名前のみでネタを掲載しない。客層・客質を見ながら本題(マクラ-本題-サゲ)を決める。色物を入れる。夜席は独演会中心。土、日に朝席。
休館日は9月の第1土・日(生國魂神社で開催している上方落語ファン感謝デー「彦八まつり」の日)。 

歌舞伎、能・狂言、相撲
いずれも花道がある。花道は別世界(夢と現実)をつなぐ。落語に花道(空間)はなく、時間的(玄関へ入って夢の世界へ、玄関を出て現実へ)。

お見送り(繁昌亭のみ)
昼席で出演者が玄関前に並んで客を見送る(三枝会長のアイデア)。客の感想が聞け、恩田支配人の情報源とのこと。

「時そば」と「時うどん」
東京落語の「時そば」は1人で食べる。上方落語の「時うどん」は2人で食べる。

講義の後、恩田雅和さんと高島幸次さん(大阪大学CSCD招聘教授、追手門学院大阪城スクエア企画アドバイザー)の対談がありました。

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