たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

これで筑波山系の縦走を完成させるつもりでいたが、情けなくも体力、気力不足で改めてということになってしまった。

2020年01月26日 | 茨城県の山
◎2020年1月19日(日)

薬王院駐車場(8:05)……△709.7m坊主山(9:15)……第2展望所(9:42)……男体山(9:53)……女体山(10:27~10:45)……筑波高原キャンプ場(11:13~11:20)……湯袋峠下林道(12:06~12:22)……みかげスポーツ公園・自転車デポ地(13:53)──(自転車)──つくし湖(15:15)……薬王院駐車場(15:42)

 加波山に登って以来、いつか、細切れながらも筑波山系の歩きをつなげてみようという気になっていた。これが「裏筑波」という山域なのかどうかは自分にはわからない。区間的には一回目がその時の<加波山~きのこ山>。二回目は<加波山~岩瀬駅>を昨年済ませたので、今回の<筑波山~きのこ山>で完成という筋書きだ。それがなぜか、林道だらけの最も魅力を感じない部分だけを残すことになってしまった。つまりは今回に限らずのいつもの失敗談。
 予定ルートは薬王院コースで筑波山。そして湯袋峠と上曽峠を経由してきのこ山。下山先の<みかげスポーツ公園>に自転車をデポして、薬王院に戻るというもの。自分の三分割を一回で歩き通す方もいるし、無理でもないと思っている。

 先ずは、みかげスポーツ公園下に折り畳み自転車を樹にチェーンで括り付けてデポ。きのこ山から下れば、林道端上線に合流してここに出られるはず。林道は通行止めになっている。ここまで前触れもなかったが、ここに至って気配があった。公園だったらしっかりしたトイレもあるだろうと、テニスコートのようなところでようやく見つけたトイレは仮設風のトイレ。もしかしてのペーパーはやはりなく、車に取りに戻ったりと想定外の時間がかかった。便座の何と冷たかったことか。尻温が便座に反映されるまで、尻に鳥肌立ちを感じながら震えていた。ある程度の満足で車に戻ろうとしたら、犬散歩中のオバちゃんに不審な目で見られた。ペーパー泥棒と思われても仕方がない。過去にもモロに言われた苦い経験がある。その時も犬連れのオバちゃんだった。オバちゃんだからというわけでもない。犬散歩の途中で脇を通る公園のトイレからロールペーパーを小脇に抱えたよそ者が出てきたら、自分もまたそう思うだろう。余談だが、公園やら無料施設のトイレに散歩がてらに出向いて日常的な用足しをする人もいる。水と紙を節約するには良いアイデアだ。中には、公園の水道で洗濯をしているオバチャンを見かけたこともある。一回、二回ではない。週二回、三か月間はやっていた。その後は公園を変えたのか。
 そのまま薬王院の駐車場に向かい、勝手を知らないから、手前の第一駐車場に入れて準備をしたら、通りがかりの薬王院の若い坊さんに、ここは法事用の駐車場だから300mほど先の第三駐車場に置くようにときつく言われ、上に向かったら、すでに20台近い車があり、結局、路肩スペースに置くことになった。何だか、出足から調子が狂った感じだが、隣の車の妙齢さんから挨拶を受け、幾分、気が和らいだものの、この妙齢さんと改めて出会うことはなかった。そんなことよりも気になっていたのは、ここまでチャリで上がって来るのは無理じゃないのかということ。折り畳みではタイヤも小さく、上りにはかなりの体力を使う。オレの力量では押すことになる。となったら、どこかで改めてのチャリデポをしてここまで歩いて来るしかないか。チャリ利用も場所によっては良し悪しだ。
 薬王院の見物は後回し。帰ってからゆっくりとと思っている。ここまでムダな時間を費やし過ぎている。歩くのはあくまでも<薬王院コース>。既定コースを歩くのをためらい、ふみふみぃさんのお歩きを参考に、桜川市とつくば市の市境尾根を歩くことも考えたが、筑波山は自分には初めての山のようなもの。ここは無理のなさげなお仕着せコースにした。目的はあくまでも筑波山ときのこ山をつなげることにある。

(ここから入り込む)


(最初は大人しいオーソドックスな道だったが)


 駐車場のすぐ脇に登り口があるのに気づきながらもさらに下って、コースの案内看板のあるところから登った。何ということはない。すぐに駐車場からの直結コースと合流した。この筑波山、自分では日本百名山踏破とはしながらも、実のところ自分の足で下から登ったわけではなく、二十歳の頃、車の免許を取りたての幼なじみを誘ってのドライブで、その先はケーブルだったかロープウェイを使って軽く歩いて〇にしただけの山だ。本気に歩いて登るのは今回が初めて。いろんなコースがあるので悩んだくらいだ。そもそも、他人様のブログ記事を拝見しながら、御幸ヶ原そのものがどこに位置するところなのかわかっていないレベルで、この時点でも、御幸ヶ原というのは山登りのハイカーしか通過できないスポットと思っている。まさか男女両峰の鞍部の売店食堂ズラリのストリートが御幸ヶ原とは想像もしていない。そこなら、二度目に幼い下の娘を連れ出し、水戸の偕楽園の観梅ついでに足を延ばし、その時はケーブルを使い、土産に買ったソバを食べ、自分だけが二日にわたって腹をこわしたことはしっかりと印象づいて覚えている。そこが御幸ヶ原だったとは後で知ってがっかりする。
 石段を登って山道になった。急なわけでもない。すぐに左後ろにヤブ道っぽい踏み跡を確認した。これが256m標高点のある椎尾山に続いているのはわかったが、往復せいぜい10分とは思っても、そんな余裕はあるまいと、寄り道はしない。実は、この256m経由の破線路はさらに北の遠西という地区から続いているようで、ここでコースに合流する。その破線路を使うのも一興かと思い、Google Mapで手頃な駐車地がないかと探したが、どこにもなかったのであきらめている。

(林道を渡ると階段も本格化し次第に急になっていく)


(何人に抜かれたろう。少なくとも三人)


 次第に等高線の間隔が詰まってきた。この先がきつくなりそうな気配で、ストックを一本出したら、すぐに林道の横切り。標識には山頂まで一、六二二米とある。ストック出しは早かったかなと思ったが、ここから階段歩きが延々と続き、林道横切りはもうなかった。
 立ち休みを繰り返す。北側のヤブ越しにちらちら見えるのは桜川市の街並みだけ。それもすっきりした風景になっているわけでもない。たまに前方の視界が開けると、長々と階段がうねって見えている。見なきゃよかったと思ってもすでに見てしまった。左右の景色がないのでは淡々と足を上に向けて運ぶだけ。すでにオッサン二人にあっさりと抜かれている。さっきの妙齢さんに追いつかれたら恥ずかしいなと思いながらも、前述のように追いつき、追い越されることはなかった。9時前の時点ですでに下って来る人もいるが、あれは日の出を見にでも来たのか。
 階段歩きそのものはきつくはなかった。むしろ階段がなかったらきつい。歩幅に無理はないし、使いこそしなかったが手すりもある。ただ、これを下りで使うとなるとどうだろう。うっとうしくなるかもしれない。

(坊主山へ)


(坊主山山頂)


(下りで見えた筑波男体山)


 コースから外れているが、北側に少し入り込んだところに709.7mの三角点ピークがあり、坊主山という山名らしい。当初から立ち寄るつもりで、入口のあるはずの左手を気にしながら登って行くと、左下から明瞭な細い道が上がって来ていて、ここで合流した。地図を広げて、そんなルートがあるのかと確認したが、そこには破線も実線もない。そんなことをしている間に、そちらから登って来たオジサンに追い越された。山頂まで九四二米 標高六七〇米の標柱を見て先に行くと、いつの間にか階段は終わっていて、左に入る小道が目に付いた。これを行けば坊主山に着けそうだ。
 檜の植林らしき間を行くと、すぐに三角点が目に入った。ここが坊主山か。山名板は見あたらない。岩を挟んだ向こう側にオバチャンが二人休んでいる。「私たち林道の方から来たの」と言っていたが、そんなコースがあるのかと、二人が立ち去った後にまた地図を広げると、皆目見当つかずで終わったが、まさか、北にある林道に416m標高点があるが、そこから尾根伝いでここまで来たわけではあるまい。そんなヤブ系の感じではないオバチャンたちだった。ちなみに、オバチャンたちとの会話で、自分はきのこ山に行くと言ったが、その際、オバチャンの一人が「ユブクロ峠に下るのね」と言ったのを聞き、それまで「ユタイ峠」とばかりに思っていたのがストレートに「ユブクロ峠」であることを知る。人の名前と地名は間違って読んでも失礼にはならないから許容だ。うちの地元に「只上」という地名がある。30年来「タダガミ」と思っていたが、「タダカリ」だった。あてがいの漢字よりも地名そのものを先行して知っている地元の方に批判されても困る。
 坊主山の下りでようやく筑波山・男体山の山頂が見えた。あの電波塔が山頂だろう。山頂は871mらしいから、引き算で160mか。そんなにきつくは感じない。ただ、足がノロいのはもう慢性化している。間もなく元のコースに合流。振り返ると、消えたと思っていた階段はまだ続いている。傾斜的には必要あるまいと思うが、多くのハイカーがいれば、階段でもなければ、雨も降れば泥道にもなるだろうしと解釈するものの、階段脇に太い道跡があるのを見ると、下りでうっとうしく感じる方もかなりいるのだろうなと思ってしまう。どうでもいいことか。つまり、考える、思うことがないということ。

(この分岐を右に行った)


(大石重ね)


(ここは滑りゃしないかと少し緊張した。)


 分岐が現れた。標識によると、左は御幸ヶ原、ケーブルカー山頂駅。右もまた同じく御幸ヶ原山頂駅とある。ともに自然研究路で、違いは左が500mで右が900m。以前から行きたいと思っていた御幸ヶ原というスポットに行けるのならどちらでもいいが、左からオッサンが下って来たので右を選択。その先の案内図板にはこの先、三か所に展望所があるようだ。「大石重ね」なるものが傍にあった。解説板には小石積みの冥利が記されている。肝心の大石はどこにも積まれていない。

(第三展望所)


(霞みかけの富士山)


 階段は参拝道らしく石段になった。前方をさっきのオバチャン二人連れが歩いている。見るからに滑ったら危ないようなところを通過。風花がへばりつき、これが凍ってでもいたら右斜面に滑り落ちる。少しばかり緊張して、手すり付き階段。オバチャン一人のお尻が目の前にくる。お先に行かせていただきますねと断って追い越す。本日、唯一の追い越し。脇道に逸れる感じで第三展望所だかがあった。行ってみた。何と富士山が見えるじゃないか。それもわりと大きく。瀑泉さん記事で富士山が見えることは知ってはいたが、意外と立派な姿が目に入った。惜しいことに富士山の周辺には霞がかかり、鮮明ではない。それでも得をした感じだ。上に登ろうとしていたオバチャンたちに声をかけた。「富士山見えますよ」。展望所にやって来た。「あらっほんとだ。ここで前にご飯を食べたじゃないの。あの時は見えなかったわね」。何だ筑波山の常連さんじゃないか。
 コース道に戻って見上げると電波塔が真上に来ていた。筑波山にようやく歩いて登ったという感慨が出てくる。この先には、物見遊山の人たちであふれた山頂が待っているはずだ。

(常陸帯神社)


(男体山神社。あの方、しばらく待ったがとうとうどいてくれなかった)


(山頂からの富士山)


(霞ヶ浦)


 最初に目に入ったのは常陸帯神社。木の小さな社だ。そして男体山神社。ここが男体山。向こうに見えるピークは女体山。地図で確認する。男体山は871m。女体山は877mの三角点峰。ということは、筑波山山頂は女体山ということになるのだろうか。どうせなら女体山で休もうか。ここからの展望は、さっきの展望所よりは劣る。確かに富士山が見え、霞ヶ浦も見えてはいるが、カメラで撮ろうとすると、木や枝がどうしても入り込む。

(男体山に登る人たち)


(ここが御幸ヶ原だったとは。向こうは女体山)


 人が多くなってきた。まだハイカー姿の方が多いが、下るにつれて、そうでない方々が増えてくる。日曜日だというのに人出はさほどに多くはないような気がする。時間的に10時では早いのだろう。食堂や土産屋に人の姿はない。男体山から下った広場に置かれた案内地図看板を見た。現在地・御幸ヶ原とあった。もしかして、この通りというか広場が御幸ヶ原か? だとすれば、過去に二回来ている。思っていたイメージの御幸ヶ原と違うので少々がっかりした。ここはハイカーでなくとも来られるというか、筑波山に来た人ならだれでも通るところじゃないか。ススキヶ原のようなイメージで勝手に思って、勝手に残念がっていたのではお目出度い。さっさと女体山に行って休もう。今日の本番はその先だ。
 周辺の景色を眺める。日光連山が見え、女体山の左手には加波山に続く稜線。ようやく今日で開通かと、この時点では思っている。

(かたくりの里)


(せきれい石)


(ガマ石)


(女体山山頂)


(女体山神社)


(加波山方面)


 かたくりの里の脇を通ってせきれい石、ガマ石と続き、石段。女体山はすぐそこだ。
 ひっきりなしに携帯で話をしている方がいる。その時は、山登りして仕事に追いかけられているのでは気の毒に、せっかくの日曜日にかけてくる方もまた無粋だと思って素通りした。他人の話の内容を聞く趣味はない。そして女体山山頂。三角点を確認。男体山に三角点はなかった。ここからの展望もまた良好だが、男体山と同様に樹々の枝が邪魔。加波山方面はすっきり見える。湯袋峠ときのこ山がどこなのか地図をあてがってもよくわからない。富士山はさっきよりも淡い姿になった感じ。今日のラストかも。ひっきりなしにハイカーが来るので落ち着かず、天浮橋を渡って下る。
 まだ携帯電話の通話が続いている。人だかりもできている。ここでようやく異変に気付いた。どうもケガでもしたのか、具合でも悪くなったのか、石段に腰かけている方が傍らにいる。つい聞き耳を立てた。救助の要請をしている。「意識はしっかりしている」と伝えているところからしてケガか? 石段から転げ落ちたのか? 血を流しているようには見えない。ただ、口から絶えずツバをはき出している。何で、こんなに救助要請に時間がかかっているのか。さっさと来ればいいじゃないか。と思ったところで、ここまで車道が通じているわけでもないし、ケーブルとて担架は乗せられまい。となるとヘリしかないか。自分の場合は消防車が中継して救急車だった。林道がすぐ近くにあったから幸いだったとも言える。
 救助要請をして、救助側と通話している以上は、余計な手出しもできない。心配顔の人だかりに加わりたくもない。そっとその場を離れたが、ヘリ音が聞こえたのは、下っている途中で、携帯をかけているのを見かけた時から一時間以上経っていた。おそらく、それぞれに単独歩きだろう。あのお二人にとって、せっかくの休日の筑波山も台無しになったか。

(ここからキャンプ場に向けて下る)


(雪も付いているからか、急に寂しくなった)


 少し下って、キャンプ場側への下り口の前の石に座って菓子パンを食べる。持参した地図を広げる。事前に引いたマーカーは、北に下ってキャンプ場。そこから東に実線部歩き。途中から北東に向かって湯袋峠のある林道を歩き、湯袋峠の手前から上曽峠を経由してきのこ山としてある。つまり<筑波連山縦走のみち(2)>。通し歩きができれば、ベテランハイカーには軽蔑されがちな<関東ふれあいの道>歩きも辞さない。結果が○なら手段は選ばずだ。
 下る。この先、出会うのは上りの二名ほどで、山頂の賑わいからして少し信じられないほどの静けさだ。果たしてこの道でいいのかとどんどん下っていくと標識を見つけてほっとした。カーブのところにキャンプ場まで1.1km、女体山山頂まで0.5kmとあった。その先、道はしっかりとしているが分岐があり、ここで選択に迷ったが左に0.7kmの標識が置かれていたのでこれを使う。ほどなくキャンプ場上に到着。まぁここまではよかった。問題はその先だ。

(下にキャンプ場)


 キャンプ場とはいっても、あまり利用したくないような感じのバンガローが幾棟かあったが、桜川市の街並みを見下ろしながら、腐りかけのベンチに座って本日初の一服。ここでまた地図を確認。ここの下から右手にしばらく実線歩き。舗装道でなかったらいいけど。
 キャンプ場の下の駐車場には車が二台。うち一台は出て行った。おそらく、自分よりも先を歩いていたのか。さて実線路だが、駐車場が舗装だったのでやはりなと思ったが、通行止めを越えると未舗装道になっていてほっとした。ランニングが一人、自分が行こうと思っている方向に走って行った。ここで余計な物を見てしまった。直進に下る道があり、おそらく、それが北に下る破線路だろうが、これを使うと湯袋峠のある林道に出るには出られるが、峠からは遠くなるようだ。「ようだ」としたのは、その時は薬王院からみかけスポーツ公園までの限定地図を見ていたからで、その地図はヤマレコ地図で、自分の歩くルート周辺をアップで何枚か刷り出したものだったから、破線路の行き先と林道との接点は印刷範囲外。ここで、また別に用意していた25000分の1地形図の「筑波」を広げていれば、187m標高点で林道に接することがわかってやめたかもしれない。ここから標高差300mも下ることになるからだ。187mからきのこ山との単純標高差は340m。登り返しがつらい。

(このまま林道を歩けばよかっただけのことなのに)


(余計な標識に気をとられ下ってしまった)


 迷うことはなかった。おなじみのふれあい道の標識が置かれていたからで、その破線路下りに「湯袋峠2.9km」とあり、林道方向には標示はない。この道はさも山道だ。かたや実線路は未舗装ながらも林道。破線路下りを選んだ。ただ、家に帰って地図をよく確認すると、そのまま実線、破線を経由して湯袋峠寄りの林道に出たとしてもそこの標高は220m。たかが33m上でしかない。まぁ、言い訳といったらそれまでのことだが。地図読みもしっかりせず、ただの平行移動的に考えていた。算数ができても体力の衰えには勝てない。
 こんな状態だから、どんどん下って行くのが不思議になりながらも、むしろ、さっきのふれあい標識に安心しきっていて、いずれは上りになるかと思いながら下っている。それも緩やかな登りだろうと。

(あまり整備されている気配のないふれあい道)


(沢もごちゃごちゃしている)


(間伐放置は邪魔にはならなかったが)


(下りっぱなしで林道に出てしまった)


 登り知らずの道だった。途中から沢沿いになった。案内板を見るとサワガニも生息しているらしい。沢の水そのものはきれいな流れだが、周囲の雰囲気は決してきれいとは言えない。左は植林で、沢の周辺は荒れた風景だ。標識は相変わらず湯袋峠を指している。1.9km。ちなみに筑波高原キャンプ場は「裏筑波野営場」となっている。確かに野営場の方が似合っているかもしれない。そういえば、地図によってはユースホステルと記されているのもあるが、もう廃業だろうな。失礼ながら、温泉があるわけでもない。景色も桜川市の街並みだけでは魅力あるスポットとも思えない。
 歩き飽きた頃に目の前に林道が見えた、破線路を辿るとここまで下るとは思っていなかった。林道に出て、手ごろな腰掛けの石もなくアスファルトの路上に腰をおろした。林道をランニングが上に走って行く。随分と下ったなと、ここでようやく「筑波」地形図を出した。場所は187m標高点。ここでさきほどの算数になる。目の前の舗装林道を上って湯袋峠の手前から改めてきのこ山を目指すのはつらい。まだ12時だがやめるか。身体が何となくしんどい。この先は車道歩きが大方だ。やめる、やめないで葛藤したが、結局はやめることにした。

 ここからチャリデポ地のみかげスポーツ公園までどれくらい歩けばいいのか、もしかしたら薬王院の方が近いのか。スマホを出してGoogle Mapで調べる。電波届かずの圏外。取りあえず舗装林道を下るか。距離感がまったくない。地形図「筑波」では先の北の部分がないし、刷り出し地図にもない。頼りは「桜川市ハイキングマップ」だが、細部は不明で距離はみかげスポーツ公園が近そう。ここにはふれあい道の標識が設置されている。湯袋峠1.1km、下り方向は真壁駅4.1kmとなっている。真壁駅そのものがどこにあるのか、ハイキングマップには見つからない。それもそのはず、駅と路線そのものが今はない。

(林道沿いの小滝)


(湧き水)


 沢を見ながらの舗装林道の下り。すぐに飽きると、大型のユンボが見えた。湧き水の脇には三月いっぱい、通行止めの看板。湧き水を飲んでみたが、かなり半端な気分で歩いているのでは甘露もまずいも何も感じない。暑くなって汗ばんできた身体にはただのノドのうるおい。閉鎖ゲートの脇に人家らしき建物。スマホを出すと圏内になっていた。歩きモードで、みかげ公園6.1km、1時間32分、薬王院は9.2km、2時間19分と出た。タクシーでも呼びたいところだが、出がけにコンビニで食い物を買った際、財布に現金を補充するのを忘れているのに気づき、千円札が二枚しかない。迎車料金を加えれば足りるわけがない。場合によってはメーターを倒して迎えに来るかもしれない。足尾でタクシーを呼んだら、乗った時点ですでに1,000円超えの料金になっていたこともあった。カード払いで乗れるとは限らない。うんざりして距離の短いみかげ公園に向かう。この先、残距離を見るのがおぞましく、要所、要所でしか見なかったが、距離はちっとも縮まずため息の出る歩きになった。

(集落に出ると石碑があちこちにある。一々撮っていたが途中でやめた)


(加波山でしょう)


(筑波山。右が坊主山かも)


(自転車デポ地。スポーツ公園は右カーブ先。車があるところからして、登山中か?)


 集落に入る。県道(41号線?)には出たくないので、できるだけ山側の路地を見つけてはそちらを歩いた。何と庚申塔や月待塔、馬頭尊碑が多いのだろう。あちこちにある。仏像もあるところからして、一か所に集めたのだろうが、月待塔も十三夜だったり二十三夜だったりする。最初のうちは物珍しく写真に撮ったりしたが、それも飽きた。石材屋が多いのに気づいた。ということは、「みかげスポーツ公園」の「みかげ」も御影石から由来しているのだろうか。
 何とか6キロを歩いてチャリデポ地に到着。1時間31分の歩き。Google Mapのタイム1時間32分とほぼ同じ。タバコを一本吸っただけで折り畳みの自転車を組み立てた。同Mapでは、ここから薬王院まで9.4kmとある。うんざりする。おそらく、つくし湖あたりでリタイアだろうが、車がある以上は近くまで行くしかない。

(りんりんロード)


 最初はチャリ下りも快適で、せいぜい、ケツが痛いといった程度のものだったが、県道に出て、りんりんロードの看板を目にして入り込む。確かに、県道伝いに漕ぐよりも起伏はない。車でこの坂はきついなと思ったところもりんりんロードでは平坦になっている。ただ、落ち着いたところで向かい風が出はじめ、なかなかはかどらない。空身のロードバイクには当たり前に抜かれるし、ここを散歩している人も、休憩している間に後ろから間近に迫ったりして来る。テンポの遅さにイライラする。ここでもタクシー呼びを考えた。

(薬王院に向かって歩いている)


 県道に接するあたりで県道をまたいで薬王院に向かう。予定通りに上りになった。そして、とうとう自転車から降りて押す形になってしまった。とにかくケツが痛い。別に痔ではないが、ただの臀部の筋肉の痛み。方向音痴だから、帰路で目立ちやすいところでチャリを放棄。ついでにザックも置いた。自分に貴重品な財布やらを入れた巾着を持って薬王院へと歩く。何だかかなりみじめなスタイル。左手にはつくし湖が見えている。
 ここから素直に薬王院に行けたわけでもない。テクテク歩いて行くと「歓迎 みかん狩り」の看板が目に入った。このみかん園、ハイキングマップを見ると、何だかおかしなところを歩いているようだ。戻る。左に上がる分岐があった。かなり冷静さを欠いている。そもそも、チャリを放棄した場所が悪かったようだ。
 狭い坂道になった。巾着持ちだけでもきつい。右手に滝が見えた。ここで息継ぎ。何という滝なのか。看板はあったような気がする。修行には向かない落差の滝。地元のオバチャン二人が散歩していて、コンニチワと声をかけられる。返答するのがようやくだ。

(薬王院)


(筑波山を見て)


(駐車場着。出がけの賑わいはすでにない)


 朝の見覚えのある道に出た。第二駐車場のすぐ脇だ。ここからさらに登る。どういう道を通ってもチャリでは無理だった。筑波山の電波塔を見て駐車場。その間に薬王院は車道から眺めた。とても、後で拝観のつもりでいた気分にはなれず、靴だけスニーカーに履き替えてつくし湖に向かう。ここまで歩いて来た滝の脇の車道は狭く、急だった。
 チャリを折り畳んで車に入れる。そして、エンジンが暖まるまで一服。もう4時だ。今日の歩きは何だったのだろう。通し歩きの完結は先送り。もう一度歩かなきゃならなくなった。湯袋峠からきのこ山区間。魅力はまったくないだろう。
 どうやってつなげようか。そんなことを思っている時に、ヤマレコ経由でyamatohamさんからメールをいただいた。「きのこ山→筑波山」はいつになるのかと。実はと、こちらの事情を説明し、残った面白みのなさげなルートをどう歩くか、いろいろとご提案いただいた。参考になった。さりとて、魅力もないところを一日つぶして歩くほどのこだわりもないしなぁと思ったりしている。短区間だし、いっそのこと、ヤブかもしれない市境尾根を忠実に歩くという発想もあるか。軌跡上では、湯袋峠はともかく、つくし湖から岩瀬駅まではつながっている。最初の加波山歩きの際、きのこ山からみかげスポーツ公園を経由して加波山神社まで歩いている。
 yamatohamさんがよく行かれる△396mの権現山(真壁富士とも呼ばれているらしい)を加えればどういうルートになるのか。いずれにせよ、台風19号で崩れたらしきいくつかの林道の工事が完了してからの話になる。ここでのチャリ利用は下り一辺倒が確実な以外はやめておこう。

 家に帰っての風呂上がり。左足の指先が痛いので見てみると、二か所に大きな水ぶくれができていた。こうった際に自分がやることは、針か鋏で破って水を出してバンドエイド。大きな水ぶくれだったので鋏を使った。一回で済むわけもなく、翌日もまたこれをやってようやく治まった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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5 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-01-27 19:15:43
今晩は。
自分は薬王院(酒寄駅跡)からの登りでかなりヘバリました。自分なら、多分妙齢のご婦人に抜かれていたと思います。
また、別の機会に筑波梅林経で筑波山、その後ほぼ同じようなコースでキャンプ場・上曽峠。真壁城を歩きました。たそがれさんと同じような印象で、あまり魅力を感じませんでした。
yamasanpoさん(HP:登山・花日記Ⅱ)が、マニアックなコースできのこ山など周辺の山々をお歩きになっています。もし次回があれば参考にされたらいかがでしょうか。ついでに巨大な「真壁城」を横目に睨んで頂けると、この辺りの風景も違ったかんじで眺められるかもしれません。
また、桜川市で、岩瀬~筑波山口間でバスを運行しているので、一部これを使う手もあるかと。
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Unknown (ぶなじろう)
2020-01-27 19:16:29
↑ぶなじろうでした。
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Unknown (瀑泉)
2020-01-27 23:36:30
いやはや,湯袋峠からきのこ山とは,なんとも微妙な箇所が残ってしまったようですネ。一応,自分は物好きだから,この区間を2回歩いてはいますが,舗装道だし,此れといった展望は無いし,はっきり言って面白みは無いですヨ(笑)。
まぁ,此ればかりは後から気付かれたとは思いますが,きのこ山→筑波山が正解だったでしょう。
いかんせん,つくし湖は,真壁側かもつくば市側からも,なだらかなように見えて,意外と高低差があるのですヨ。結局,薬王院ルートを下ってフィニッシュというのが,一番,楽だったように思います。
まぁ,それにしても,薬王院の階段地獄をよく登りましたネ。自分は,一度下ったダケですが,もういかなぁ~。
それと,187mへのふれあいの道は,懐かしいです。案内板があるとは知りませんでしたが,昔,子供たちと,何度かサワガニを取りに行きましたヨ。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2020-01-28 13:54:44
ぶなじろうさん、こんにちは。
yamasanpoさんの筑波山歩きはいくつか拝見しましたよ。といっても、ブログにも記しているように、自分には筑波山そのものが門外漢でして、今回、初めて下から歩いて登ったようなものですから、yamasanpoさんの記事もなかなかピンときませんでした。
まぁ、こうして筑波山に登ってある程度は詳しくなりましたから、改めて読めば、なるほどなといったところが出てくるでしょうけどね。
梅林経由ですか。今年の梅祭りは2月15日から開催となっていますね。その時期に合わせて改めて筑波山に行くのもまたいいかもしれませんね。偕楽園では人だらけですしね。
最近、新人物往来社の『常陸・佐竹一族』というのを読みました。前半部は理解できましたが、鎌倉時代を過ぎ、上杉、武田、北条が入り込むと、まったく訳がわからなくなってしまいました。地元守護代、土豪、武士団もころころと配属先が代わりますから。昨日の味方は今日の敵で、展開が追えなくなりました。その中でも佐竹だけは上杉系を貫いたようですが、真壁氏も他と同じような動きをして、最終的には佐竹の家臣として秋田に赴いたようですね。この真壁城もまた、チャリ移動の際に途中で寄るつもりでいたのですが、歩きつかれて、それどころではなかったですよ。
余談ですが、妙齢さんは、おそらく自分が迂回して取り付く以前に、さっさとショートカットルートで筑波山に向かい、私が階段でヒーコラやっている間に、おそらく山頂で休んでいたのかもしれません。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2020-01-28 13:55:10
瀑泉さん、こんにちは。
そう。何とも面白みのない区間が残りました。そこだけを改めて歩くのではアホくさいので、396.4mの権現山ともう一つの三角点443.5mをかませば、ある程度は変化もできるのではと思っています。
「後から気付かれたと」とご指摘をいただいておりますが、実のところまったく気付いておりません。ただ、その方が余計なコースミスはなかったかなと思ってはいます。こうして、今になって、確かに逆方向がよかったかなと思ったりし始めました。
地元の瀑泉さんには失礼ですが、面白みのない稜線の通し歩きはさっさと片付けてしまおうかなと思っています。ここにこだわっていたのでは先に進まない。さりとて、いつまでも気になる。だったら早いとこ処理したほうがよいでしょう。
薬王院の階段は地獄ですか。私のノロ足ではさほどに地獄を見た感じはありませんでした。せいぜいやけに長いなといったところです。もしかすれば、あるところで感覚がマヒしてしまったのかもしれません。
サワガニの件ですが、案内板にはここでサワガニを採るなと記されておりました。そんなファミリーがいるから、サワガニも激減して看板を立てる始末になったのでは(笑)。
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