たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

南西尾根から大蔵高丸。帰路のハマイバ丸からの西尾根下りは諸般の都合であきらめた。フィニッシュは長い林道歩き。かなり疲れた。眺めた秀麗はバックが白っぽくなってしまっていたのにはがっかり。

2020年01月09日 | 富士山見物
◎2020年1月3日(金)

天目トンネル前駐車地(8:43)……林道取り付き(8:50)……最初の鉄塔(9:46~9:59)……次の鉄塔(10:30~10:38)……1453m標高点(11:30~11:38)……登山道合流(13:15)……大蔵高丸(13:28~13:47)……ハマイバ丸(14:22~14:37)……天下石(15:13)……米背負峠(15:31)……林道出合い(16:19)……駐車地帰還(17:35)

 3日はUターンラッシュのピークらしい。何もそんな日に山梨まで出かけ、帰りに中央道の渋滞にはまるのもどうかと思ったが、翌日の4日からすでに仕事。1日、2日と庭の片づけをしたり、寅さん映画を観に行く状態ではこの日しかなかった。3日は山梨から静岡にかけての雲量は0に近い予報だったこともある。不確実な先延ばしよりも目先の確実性だ。案の定、帰路では小仏トンネル先頭の長い渋滞が待っていた。何とか少しは回避できたが、秀麗富嶽十二景の二山を楽しむには余りに長い一日だった。

 大蔵高丸に単発で行くコースは、『山と高原地図』によれば、焼山沢真木林道を歩いて3時間5分かけるコースしかない。その長い林道歩きがどうにも嫌で、ここで1453m標高点経由の長い南西尾根経由という手はないかとネットで調べると、案外に、ここを歩いている方もそれなりにいた。その中にノラさんがいた。結果的に、ノラさんとまったく同じルートで歩くことになる。ノラさんは6時間半完結で「長い周回」と記されていたが、こちらは9時間もかかり、ラストはヘッデン歩きになってしまった。「長い周回」はヘトヘトだった。この半端じゃない2時間半の違いはいったいどこからくるのか。今さら、足の故障を理由にしてもはじまらない。基本的に自分は「超」の付くノロマだということ。他に体力、筋力、精神力、タフさ、そしてヤブ漕ぎへの貪欲さといった違いとしか結論づけるしかないが、ベテランのノラさんタイムを当たり前にすれば、自分は山歩き数回の初心者に戻ってしまった感じがしないでもない。
 ちなみに、前回の百蔵山、扇山の周回と累積標高差と歩いた距離はさして違いはなかったが、それでも百蔵山コースは7時間くらいで歩いていた。今回の2時間プラスは落胆でしかないが、南西尾根の登り歩きを過去の自分の歩きでせいぜい3時間半と目論んだのはかなり甘く、実際には4時間45分もかかっている。自分にはお笑いで済ませられないが、これが大きな「敗因」になったのかもしれない。

 さて、改めて本日の予定ルート。先ずは南西尾根だが、一本尾根で大蔵高丸に至れるわけではなく、上部に尾根途切れ部分がある。歩き向きは北東から東に変わり、しばらく行って南側に崖マークが出てくる。その先の等高線がゴチャゴチャし、谷型も加わる。すんなりと尾根筋に乗って山頂に至れるかが気になるところだ。帰路は、ハマイバ丸からはコンパスをしっかり合わせ、途中から明瞭になる尾根に乗れれば確実に1382m標高点に至れると思っている。後は林道にすんなりと出られるはず。それをやっても林道歩きは避けられない。林道歩きをいかに短くするかどうかが、いうなれば読図能力を含めた試金石かも。瀑泉さん流の言葉では「肝」となる。この時点では、ハマイバ丸から大谷ヶ丸まで行き、1370m、1180m経由で下るのもいいかなと夢想したりしている。これは結果としてとんでもないことだった。ノラさんタイムの歩きなら楽勝だったろうに…。

 7時半出発のつもりが、出発地が先日の百蔵山よりもかなり先であることを気づくのにうっかりしていて、前回と同じような時刻6時過ぎに家を出た。さらに、東松山ICから関越に入ってすぐの高坂SAでトイレに駆け込む。これは計算内。ただ、ナビ頼りで大月ICではなく猿橋ICから戻る形になったのもいまだもっての疑問だし、中央道の下り線も混んでいた。こんなのは日没過ぎに帰還となった理由にはならない。たかが30分ほどのロス。5時に家を出ていれば、明るいうちに戻れた。

(天目トンネルの脇から派生する林道に入るが、先は通行止め。戻って来てここに駐車)


(通行止めゲート)


(林道には雪が残っている。日陰だからか)


(取り付き)


 未練がましいことを言っても始まらない。予定より遅い時間に現地に着き、少しばかり慌てている。車のまま県道の天目トンネル手前を始点とする林道に入り込んだが、すぐに通行止めのゲート。戻ってトンネル入口脇のスペースに車を置いた。この林道は大蔵沢林道というらしく、林道起点には「米背負峠」に向かう標識がある。ゲートを越えて間もなく取り付き予定スポットに着く。当初はそこに車を置くつもりでいた。左上には尾根型が見えている。あの尾根に乗ればいいのだが、手前の末端は擁壁になっていて、ここからなら簡単に取り付ける。かすかな踏み跡もある。

(最初はこうだったが)


(次第に急になる。)


(落ち着いて)


(二番目の鉄塔が見えてくる)


 さほど労せずに尾根に乗る。林道から標高差も10mもない。乗るとどこにでもある、ヒノキのまばらな尾根の風景だが、この尾根、しばらく登って行くと、かなり急斜面になっていく。地図の等高線はあてにならない。息切れ間もなく、すぐに急斜面は落ち着いた。樹間から赤白の鉄塔が見えたところからして、あの鉄塔は2番目鉄塔で、その先のちらりと見えるピークは1453m標高点かと思う。ここからは見えないが、最初の鉄塔はそんなに遠くないはずだ。巡視路らしき標識は見かけない。別尾根か白岩の方から続いているのか。尾根はさっきの急斜面になったあたりから雑木に変わり、周囲もすでに明るくなっている。
 やや緩やかになった尾根も長くは続かない。また急登になった。右端に肩落としの三コブの山が見える。その時は、あれが大蔵高山かと思っていた。そして、えらい遠いなと。そして、さらにぐるりと右手には富士山。樹々の枝が邪魔でまったくすっきりはしないが、バックは青空ではなく白っぽい。「雲量0」と霞がかりは違うのだろうか。あれが真っ白になっている頃に山頂到着になる事態にならなきゃいいが。

(また急になる。岩混じりも出てくる)


(最初の鉄塔)


(鉄塔から)


(アップで。この写真で気づいたが、そもそも今日の空は先日と違って真っ青ではなかった)


 ぜいぜいしながら登って行くと、ようやく鉄塔が見えてきた。ここは白い鉄塔だ。別にネット情報で確認したわけではなく、地図で、尾根上に最低2本の鉄塔があるだろうなと思ってはいた。あの鉄塔は南西尾根に1270mあたりでぶつかる鉄塔で、その先にも鉄塔マークはあるが、送電線は尾根の左をかすめ、次の1440mあたりの鉄塔から北に逸れていく。
 鉄塔のコンクリの台座に座って富士山を眺めた。ここからは左手に見える手前の山並みは標高的に大鹿山のある稜線か。奥にかすかに見えるのは本社ヶ丸か清八丸だろう。その延長の左に電波塔が見えるところからして、あれは三ツ峠山であることは明らか。その手前にも稜線がある。左が滝子山だとすれば、よくわからなくなる。正面のずっと奥は南アルプスで、右後ろが八ヶ岳とは何となくわかる。いずれにせよ富士山が見えればそれでいい。さっきまで大蔵高丸と思っていたピークは、どうもその先のハマイバ丸か大谷ヶ丸のようだ。こんな景観でもここからの富士山は鉄塔が邪魔で、鉄柱を避けて写真を撮るとどうしてもズームにならざるを得ず、秀麗とは異なる富嶽になってしまうのが残念。ここで一服つけて休憩する。出発からまだ一時間も経っていない。

(巡視路の階段)


(鉄塔ナンバー)


 尾根筋に樹脂製の階段が出てくる。巡視路になったようだ。歩幅もちょうどいいのでありがたく使わせていただく。巡視路は白岩方面からと思っていたが、その大分手前からのようだ。そのうちに鉄塔ナンバーの標識が出てくるが、どこにでもある送電何とか線なのかの標示はない。また急登に戻った。

(さっきから見えていた次の鉄塔)


(ここからの富嶽)


(またアップで)


 それはいきなりやってきた。何のことかは敢えて記さない。上に赤白の鉄塔がすでに見えている。あそこまで我慢しよう。特別な理由はない。斜面では不安定。平らなところがいいに決まっている。だがもちそうにもない。岩があった。頭が出はするが、今のところ視界のきく斜面を見下ろしても、物好きなハイカーの姿は見えない。ザックをおろしてテッシュ袋を出して岩陰に駆け込んだ。ほっとした。ここでようやくレギュラー回数になる。因果関係の程は知らないが、翌日はまるきしの便秘になってしまった。幸い、マニアックなルートで良かったが、先日のコースなら、ハイカーも多く、どうにもならず、登山道から斜面をかなり下ったかもしれない。詳細な表現は避けてこの程度にしておく。後始末は落葉で隠した。
 ここの鉄塔からも富士山は見えたが、ここはむしろ南アルプスの山々がさっきの鉄塔よりも一望だ。視界には北岳、甲斐駒、仙丈も入っているはずだが、山座固定の興味はさほどになく、一番高いのが北岳だろうといった具合で、雪があってきれいだなの感想で終わる。ここからの富士山もまた鉄筋が邪魔になってアップでしか撮れない。

(1453m標高点あたり)


(ここからの南アルプスの眺めは良かった)


 鉄塔から少し登ると伐採地のようなところに出た。ここが1453m標高点あたりらしい。大蔵高丸までまだ1/3にも達していない。すでに10時半。山頂からの青空バックの富嶽は時間的にもはや無理だろう。あきらめ半分で、ここからの南アルプスの連なりをボーっとして眺めていた。もっと間近に見たい気持ちが出てくる。となると、八ヶ岳に登るしかないか。雪の八ヶ岳も捨てがたい。高木と赤岳に行くつもりで、車道の雪が多くて、その場変更で南八ツに変更して山小屋に泊まったら、翌日の歩きは青空で、富士山もくっきりだった。
 送電線は北に逸れて行っているものの、階段は依然として気まぐれに続くし、取り付きから見かけたテープもある。傾斜はかなり楽になっている。尾根型に不明瞭なところはなく、北関東の山でいえば、普通の登山道のようにも思える。ただ、標高を稼げない緩く長い歩きにはイライラしてくる。

(標高1570m付近)


(雪が出てくる)


(方向的には大蔵高丸)


(ワカンの跡)


(標高1610mあたり。スズタケはまだうっとうしい程ではなかった)


 階段がいつの間にか消え、標高1570m付近。11時30分。大蔵高丸には遅くとも12時には着きたかったが、これはパーフェクトに無理。もはや居直るしかない。雪が出てくる。相変わらず、なだらかで歩きやすくはある。
 1610mの小高いピークに到着。11時50分。小休止。目の前にはっきりと大蔵高丸。樹間から見える富士山はバックが白くなりかけ、もういいわといった気分にもなっていて、目標は秀麗富嶽はあきらめ、大蔵高丸登頂になりかけている。ここから向きは北東から東向きになる。前述のように、この先はうまく尾根をつなげたとしても、ややこしい地形になっている。さらにかなり下って100mほどの登り返しがある。下りのない単純な登りだけなら大蔵高丸までは160mの登り作業で済むがそうはいかない。
 地形図通りに尾根幅が広がってきた。別に迷うところはない。気になるのは、雪が増えてきたこととスズタケのようなものが次第にうるさくなってきたこと。自分にはスズタケかどうかはわからない。すべて葉がなく立ち枯れになっている。ノラさんの記事には「枯れた笹」となっているが、葉はすでにないのに、枯れているとはいっても枝本体そのものに弾力は残っていて、これがビシバシと顔にあたったり、引っ張られたりと、やがて歩行の妨げになってくる。おそらく、今回、大幅に時間をとられたのは、ここから山頂までの区間だろう。現に、ここから大蔵高丸まで1時間半かかっている。
 雪の上にはワカンの跡が残っている。数日前のものかと思うが、それほどの積雪があったということだ。今のところ、スズタケもシカだかイノシシ道を探しながら歩いていれば何とか進める。決して獰猛ではない。ツボ足でも行けそうだが、念のためチェーンスパイクを巻く。この先で下りになるはずだ。うっかり滑ったら、かなり流される。

(1610mからの下り)


(鞍部。ここは右の尾根を選んだが、左から回り込むのが良かったかも)


(ここからも見えた)


(はっきりと大蔵高丸。ちょっと冴えない格好の山だ)


 狭い尾根になった。部分的に巻きもあったので巻きを使う。大した距離ではなくすぐに尾根に復帰。下って行くと、どうもここが鞍部らしい。振り返ると、富士山のバックはさっきよりも白くなっている。時間はもう12時半を過ぎていて、富士山の左に雲だか霞が上がって来ている。未練がましい。それよりも、さっき下った1610mピークがやけに高く見える。

(これだもんね。隙間歩きになる)


(ずっと続く。泣きたくなる)


 ここの鞍部からの登りがつらかった。雪でケモノ道が不明瞭。左は沢型。右は尾根型になってはいるが、雪の上でも結構なスズタケヤブ。ヤブの少ない沢筋から稜線に出るのが楽そうだが、目の前に見えている尾根を選択した。
 これまであった雪上の人の踏み跡は消えている。ここまで下ったら、適当に上に登るしかない。結果として選択を誤ったようで、決して安楽な尾根でもなく、スズタケが相変わらずに顔や身体にあたり、それを避けての登りになった。たまにケモノらしき跡を見つければ、それを辿るも、急斜面でつかむスズタケもあっ気なく折れる。ストックはヤブを引っ張るだけだから収納したが、尾根にこだわってここを歩いたのを後悔し出した。ここまで来たら、もうここを登るしかない。おそらく、左側の浅い谷型から尾根に向かうのが正解かと思う。
 かなり手間取り、いつまでこれが続くのかと嫌な気分になった。というのも、振り返ると、下りはじめのピークがまだ高い状態になっているから、時間の割りにはほとんど上がっていないということ。相当に下ったようだが実際は50mほどの下りでしか過ぎなかったことは後で知る。それでも大蔵高山までは220mほどの登り返しだ。

(コースに合流)


 とにかくヤブがうっとうしい。嫌気がピークに近くなったところで、いきなり踏み跡明瞭な登山道に出た。その時は大菩薩からの稜線コースとは違う、焼山沢真木林道コースに合流したのかと思っていたが、この部分は稜線から少し外れて西側に本来の登山道があるようだった。どうするか迷った。すでに1時15分。秀麗タイムは過ぎている。あと百メートルちょいの標高差だ。意地でもこのままヤブ尾根を行っちゃおうかと思ったが。先は相変わらずのスズタケ三昧。楽な方を選んだ。

(大蔵高丸山頂。人の姿が見える)


(山頂から)


 浅い雪道とはいえ、何でこうも楽なんだろう。迂回歩きになっているのはわかっているが、ヤブ歩きに比べたら別天地の歩きだ。雪の道型も明瞭だ。多少きついかと思ったが、それはこれまでのつらさに比べれば何ということもない。やけに迂回しながらも、山頂がすぐ先に見えた。人の気配あり。一人。1時半になっていた。林道コースを歩いて来たら、12時には着いていて、もうハマイバ丸からコースなしを下っている。
 やはり、富嶽の上にはすでに太陽が移動していて、空が白っぽくなっている。予想通りだ。青空バックには2時間遅かった。食事を終えて片づけをしていた単独のネエチャンが北の湯ノ沢峠の方に下って行った。山頂にはだれもいなくなった。意識のし過ぎかもしれないが、オレが来たからそそくさと帰り支度に入った感がしないでもない。

(富嶽。全体的に白い)


(アップで撮ると完全に逆光だとわかる)


 ここから見える富嶽に立ちはだかるのは三ツ峠山か。あまり好きなロケーションではないが、自撮りをしてここで初めておにぎりと菓子パンを食べて一服。長居はできない。ここから次のハマイバ丸に寄り、長い林道を使う定番コースで駐車地に戻るにしても3時間10分のコースタイム。ハマイバ丸で10分単位の休憩をとることを考えると、確実に5時過ぎになっての帰還。薄暗い。とにかく林道には明るいうちに下りていたい。その先はヘッデンもあるし、林道歩きに問題はないはず。ハマイバ丸から1382m経由の尾根下りをして迷いでもしたらとんでもないことになるし、大谷ヶ丸に行くのもまた論外。お仕着せコースで下るしかない選択はない。ここまでかなり疲れてもいる。コースタイム以上はかかるはずだ。

(ハマイバ丸に向かう)


(周囲の雰囲気は良い)


(この辺の雪は深かったが5センチくらい)


(見慣れた大月市設置の標識ではないような)


 グチャグチャに泥状になった登山道を下る。ここは今でこそカヤトと雪に覆われているが、昭文社マップには「草原状」と記されている。草原はともかくとして、この泥道がなければ歩いていても気持ちは良いだろう。風は冷たい。
 いくつかのコブを通過し、シカ除けかと思うが、ゲートの開閉が二か所あった。右に富士山が見え続けている。時間的なあせりがなければ、ここはゆっくりと歩きたい。

(ハマイバ丸山頂。ところでハマイバ丸そのものの山容は見ていたのだろうか。撮った写真には入っていなかったような…)


(ハマイバ丸からの秀麗富嶽)


(アップにするとどうしても三ツ峠の電波塔が入り込む)


 あっけなくとはいってもコースタイム30分のところを35分もかけているのだから、ノロ足は引き続いていて、ハマイバ丸に到着。ここには三角点がある。そして、山名板は「ハマイバ」と「破魔射場丸」の二種。これが当て字なのか語源があるのかはわからない。何となく、破魔矢を射た場所といったイメージになる。もしくは、仏教的な意味での煩悩を払い落とすところからきたのか。ここからの富嶽の姿はもう白が強くなっていて、やがて夕暮れで秀麗でもなくなるだろう。西側の斜面は陽があたり、アップにして見ると鮮明だ。時間的には無理もない。ここでも自撮りしておさらば。それでも滞在時間は15分。菓子パンと一服だけは余計だったか。富士山は腐っても鯛だ。

(帰路に就く。まさかあのコブピークを経由するわけではあるまい)


(ここも雰囲気良好)


 相変わらず小さなコブが続く。当初、下ろうとしていた南西側の尾根型は不明瞭。明瞭尾根に乗るまで大変かなと思っていたら、雪の上に、そちらに下っている数人分の足跡が続いている。自分と同じことを考える人もいるものだ。この辺もまた広い視界があって雰囲気が良い。本当に、できればのんびりしたいところだ。この時期ではなく雪のない陽春の頃だろう。

(1626mピーク)


(あのセンター奥の三角山がずっときになっていたが何山だろうか。御正体山かなぁ)


(あそこからの下りは泥状でかなり気を遣った)


(これは大月市発行の標識だとすぐわかる)


(天下石)


(1626m標高点付近)


 地図にある1648mも1626m標高点も意識しないで歩いている。急な下りに入り、その先に登り返しがきつそうな小ピークが見える。もしかすればあれが1626mピークだろうか。嫌な気分になったが、近づくとここは直登ではなく巻きながらの登りになっていて、途中に「天下石」の標識が置かれた丸い岩がある。1626mはこの上。足跡は散らばり、てんでに歩きやすいところを歩いているのだろうが、ピークで集約されてしまう。おそらく、ここでノラさんはシャリバテで息切れしたらしいが、自分はさして息切れはしなかった。大蔵高丸まで散々息切れしたから、もう無感覚の状態なのかもしれない。本日の登り作業はこれで終わり。後は下り一辺倒のはずだ。

(大谷ヶ丸はいずれか)


(米背負峠)


(こうなると、置かれた破片が正しい向きになっているのか気になってしまう)


 正面に逆光を浴びた双コブの山が見える。あれのいずれかが大谷ヶ丸ということになるが、大蔵高丸に登る途中では三コブに見えていたから、奥は滝子山だったのかもしれない。いずれにせよ、あわよくばと考えていた大谷ヶ丸からの西尾根下りはもはやそれどころではない。陽はじわじわと西に沈みかけている。ここは改めて歩くことにしよう。さらに北にある秀麗富嶽の小金沢山と牛奥ノ雁ヶ腹摺山は、ぶなじろうさんのように、大菩薩の山小屋に泊まってのんびりと歩くのが賢明だ。それもマニアックなしの一般道で。ただ、山小屋泊の件、バカ騒ぎをする集団の中に、例えば自分がポツンと一人で取り残されているという状況に耐えられるかどうかが問題だ。おそらく時間つぶしの文庫本の字も追えないかもしれない。こういう場合、集団側は、アイツはオタクだ。下界をそのまま山に持ち込んでいると考えるものだ。集団心理とはそんなもの。下界を持ち込むのは団体、集団だろうに。
 米背負峠に下り立つ。3時半。日没まであと残り一時間。林道までコースタイムでは40分とあるが、稜線に出てからの自分の歩きタイムからして一時間はみた方がいいだろう。ここで一服なんての余裕はない。気はあせっている。ただ、ちらりと、頭の中で、ここの峠を、米を背負ってどこに行ったのだろうかと疑問にはなった。頭をかすめただけだったが。

 ここからは沢沿いの下り。沢は大蔵沢と思っていたが、大蔵沢は途中からの本流で、合流までは米背負沢というのをマップで知る。さらに、林道の正式名称は大蔵沢大鹿林道らしい。それはともかく、峠の標識は「大蔵沢林道を経て甲斐大和駅」となっているが、このブリキ板の標識が切れて落ちていて、地面に置かれた方向でいいのかえらく気になる。ここはGPS頼り。コンパスをあてがう余裕はない。方向が正しいのか確かめるために、少し下って、疑心暗鬼でまた峠に戻る。軌跡を見てようやく安心。とにかく、ルートミスをおかしている余裕はなかった。頭の中は日没、日没でしかない。改めて正式に下る。

(いきなりこんな道だったので驚いたが、ここだけで、あとは沢沿いの地味な道)


(バリバリの氷柱。珍しくも何ともないが)


(こんな道がずっと続く)


(見えづらいが、左に堰堤が見え、林道が近いことを知る)


(林道終点広場)


 気になっていたのは雪の上の足跡だった。何か所かで沢を対岸に渡りもするだろう。そこに足跡がなかったら一時的にせよ迷う。これは気にすることもなかった。確かにあれっと思うところはあったが、冷静になれば対岸に続いているのがわかる。まだそこまで暗くなってはいない。気づかない間に米背負沢は大蔵沢に合流していたようだ。
 ようやく広場のようなところに出た。林道の終点と思ったら案の定すぐに林道に出た。4時20分。何とか日没には間に合った。かろうじてまだ明るい。もう、ここからは暗くなってもかまわない。しかし、ここまでのコースタイム40分の下りも50分かけている。どうにもならんわいと嘆くどころか落胆になる一方だ。この先の林道歩き1時間15分も、1時間半はみた方がいいだろう(ここだけはほぼオンタイムで行けた。山道には弱いということか?)。この時期に6時帰還とは無謀だが、林道歩きだということを考慮すればそうでもないが、山中の歩きである以上は安心とは言えまい。

(すぐに橋を渡る)


(完全に土砂で塞がれている)


(チェーンスパイクもなかったら、靴を脱いで歩いた方が安全か)


 林道は凍結していた。全面にコチンコチンにテカテカしているところもある。すぐに橋を渡る。大蔵沢二号橋とある。雪に隠れてはっきりしないが、この辺はまだ未舗装のようで、先に行くと舗装道になった。道路の崩壊が何か所あり、あそこを先に行けるかなと思うような、道路が土砂で隠れているところもある。先に行くと、谷側に道路が半分近く高い谷側に陥没している所もある。これでは通行止めになっても仕方ない。
 長い歩きだった。途中で、右の尾根に、登った時に出会った鉄塔が二本並んで見えた時にはほっとさえした。実はその先がまだまだあったが。

(本日ラストの富嶽)


(林道から眺めた鉄塔二基。あの尾根を歩いた)


(陥没は三か所ほどあったか。使わない林道ならそのままか)


(大蔵隧道)


(通行止めゲートに戻った)


(長かった~)


 夕暮れに白い富士山が見えている。雪がなかったら黒富士に近づいている。5時7分にヘッデンを点ける。もうそのままでは限界だったし、これからトンネルに入る。トンネルは大蔵隋道とある。ヘッデンのおかげで、壁についた反射灯が明るく並んで浮かぶ。
 ゲートを抜けて駐車地に到着。何と長かったことか。ほっとしてため息をついたら急に寒くなった。すぐにエンジンだけはかけて片づけ。足が靴からなかなか抜けなかった。ようやく暖かくなった車内で一服した。

 自宅にナビをセットすると、さっさとルートを出さず、ナビは何だか考え事をしているようだ。出した結論は上野原ICから中央道。何でまた上野原と思ったが。国道20号を走っていると、高速情報で下り線は小仏トンネルを先頭に20kmの渋滞表示が出ていた。上野原まで連れ出されたのはこれか。だが、上野原とてまだ山梨県。7kmほどは渋滞に巻き込まれてしまった。家に着いたのは9時だった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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4 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2020-01-12 11:18:40
こんにちは。
薮尾根、お疲れ様でした。
お嘆きも分からないわけではありませんが、自分の事を考えると、標高差1000m(登り返しも含めて)の薮尾根ですと確実に4時間越えとなります(たとえば高ワラビ尾根など)。ましてスズ竹藪となればなおさらで。加えてチェーンスパイクの脱着もそれなりに時間がかかりますし。
やはり、午後になるとクッキリとはいかなくなるのですね。牛奥に登られる時は、午前中に到着できるといいですね。それと「白谷の丸」には是非立ち寄ってもらいたいです。秀麗十二景に入っていませんが、私の秀麗スポットのNo1でした。
近年のスズ竹絶滅頻発の中で、スズ竹藪に遭遇するとは、幸なのか不幸なのか。歩いている時はうっとうしいですね。でも、かつてあった密笹をなんとなくなつかしく思い出しました。

「それはいきなりやってきた」
昨日、山に行こうと早起きしたのですが、自宅で一発目が出なくて(こんな事はまずない)、山行を中止しました。案の定、電車に乗っているだろう時間に「いきなりやってきまして」、行かなくてよかったと。

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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2020-01-13 12:31:50
ぶなじろうさん、こんにちは。
改めて白谷の丸の記事を拝見しましたよ。いい感じの富嶽の眺めですね。忘れずにマークしておきます。昭文社マップにも「南側に展望が開ける」とありますね。牛奥も小金沢もいつ行くことになるのかわかりませんが、秀麗富嶽ばかり追っていたら、交通費もばかになりませんから、山桜なりツツジの咲く頃にでも歩いてみたいものです。
今回は、大蔵高丸が見えてからの予期せぬスズタケ混じりのヤブ尾根でしたが、ぶなじろうさんがそうおっしゃっても、やはり、体力の衰えは現実で、これはどうしようもなく、否定も改善もできません。こう、毎週一回の歩きを心がけても、息切れの間隔が短くなっているのは避けられなく、最近は「求心」を飲んだりしている始末です。それなりに効き目はあります。
これまでは、足の故障を理由にもできましたが、抜釘手術から間もなく一年。もはや理由付けにもなりません。今回の歩きで、年相応の歩きというのを考える節目、転機かなとも思うに至っています。むしろ、人様の倍の時間がかかると居直って歩いている方が気も楽かもしれません。
起き抜けの一発がなしでは、確かに山行は避けて賢明かと思います。そればかりが気になりますからね。それも、人が歩きそうもない山域ならともかく、ハイカーで賑やかなのが確実な山なら場所探しもつらくなる。まして、ぶなじろうさんの場合は電車、バス利用だし、途中で押さえきれなくなったら融通も利かない。私のように車なら、コンビニやら人気のない道端で対応も可能ですけどね。
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Unknown (ノラ)
2020-01-13 22:43:37
たそがれオヤジさん 遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。長い周回お疲れ様でした。このコースを歩いたのは4年前の3月なので今回のような雪がありませんでした。なのでその分私は楽だったと思います。それと現在よりはかなり体力もあったと思います。現在私が歩いたらたそがれさんと同じぐらいかかるのではと思いますが。雪があるとかなり消耗しますのでどうしても時間がかかります。それと富士山がくっきり見えるとその分撮影タイムも長くなりますし。実はこの尾根にある標石を見逃してるので途中まではもう一度登ろうと思ってます。それと私も最近,山の中で催すのが多くなってきてます。年のせいかなと思ってます。
中央道の渋滞は毎度のことなので半分は諦めてます。渋滞が無かったらラッキーと考えてます。
返信する
ノラさん (たそがれオヤジ)
2020-01-14 09:58:57
ノラさん、こんにちは。本年もよろしくお願いいたします。いつぞやのように、どこかのマイナーなところを歩いてバッタリというのもいいもので、また期待しながら歩くことにいたします。
標石とは御料局三角点標石のことですよね。白岩方面からの尾根と南西尾根が合流したあたりにあるとか。私は意識もせずにぼんやりと歩いていましたから、気づかないどころか、改めてその辺を歩いた時の写真を見直してみましたが、チラリとも写っていませんでした。おそらく、メインの尾根から外れたところにひっそりとあるのでしょうか。ノラさんのこだわりといったところですね。
ノロ足の件、ぶなじろうさんからもコメントをいただいておりますが、30分から一時間くらいのものならまだ許容ですが、二時間半となったら尋常ではないですよ。雪があっても別にラッセルしたわけでもないですし。まぁ、あまりそんなことにこだわらず、ガツガツもせず、のんびりと見るべきものはしっかり見て、楽しみながら歩く方向に転換する頃合なのかなと思ったりしています。自分には好い転機の山歩きだったかもしれません。
山中の催しは年のせいですかね。私の場合、これは若い頃からの風習で、決してそれはないと思いますよ。ただ、このイベントもまた、ヤブ山やら人通りのないところならともかく、人通りが多いところだと場所探しに一苦労してしまいます。こういう時は腹も動かないでもらいたいものです。
中央道を走ったのは二週続きでしたが、前回の百蔵山からの帰路ではスイスイでした。これは帰省とは逆方向だったからのことで、今回はUターンともろにぶつかりました。法則があるわけでもないでしょうが、あれは小仏トンネルが長い上りになっているからのようですね。先日、走った際には、トンネル内アナウンスでしきりに「速度回復願います」と流れていました。これで効果があるものやらどうなのか。
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