池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

火の国へ (往復1750kmの長距離ドライブ)

2012年04月02日 | 愛する人
全国をこのブログでも記しているが旅をする私にとって、
人生最大の区切りとしての終了の旅をどこにするかを考えていた。
その決断をさせた一つの些細な機会があって熊本は阿蘇に旅立つ事にした。
今後の私の生きていくうえでも疲れた体でありながらもその方と会わなければいけないという
直感もその時働いていたのは事実な事である。

で、

京都を29日の午後4時にスタートした。
愛車の青フィアットのハンドルと共に長い片道800km。
国道2号線をひた走り山陽道備前ICから鴨方ICまで。
以前笑顔の素敵な店員さんの居る丸亀製麺の釜揚げうどんを先ずは目指す。
で到着。
覚えていてくれて感激する。
温まった体を狭い車内にもぐりこませて又国道を西へ向かうが眠気が襲うので
ままよと東広島を越えて志和ICから又山陽道を使用するが・・・・・・。
限界!宮島SAで仮眠を取る。
外は冷たくきつい雨。
寒さで目が覚めたら午前6時前。すぐにスタート!雨の中をこれでもかという
捕まるぞ的な速度ですっ飛ばしてみた。
で、前日に燃料満タンから670キロメートル目を待たずして燃料残量が少なくなり
警告等を灯した。
仕方なく小月ICで山陽道と別れて長府で給油。
12km/L!なかなか飛ばしてきた割には燃費が伸びている。

関門橋を経由すると高速道の使用料金が割高になるのでここからは国道2号線で
関門トンネルを経由した。
で、
この時点で阿蘇神社の待ち合わせの午前10時には間に合いそうに無い。
九州道に門司ICから上がり、熊本ICを目指す。
だが、古賀SAで事故渋滞。
ピクリとも動かない車列。
現場に到達してみると、大型車が本線とサービスエリヤを分かつ分離帯と
入線路表示の標識等をなぎ倒して刺さっている。
当然キャビンはぐちゃぐちゃ。
居眠りか?
そこからは記す事のできないスピードで走る。阿蘇IC到着が午前10時前。
国道57号線は流れもスムーズで瞬く間に、阿蘇外輪山を蹴破る峠坂道を
一気に登り阿蘇のカルデラの中に到着した。
待ち合わせの方に連絡を取っていたので安心して遅れる事を了解する返事に安堵し、
先ずは風呂に入りたいと思いだしていた。

第一村牛・発見!!!!!!!!



驚きで有るが、湧き水のこんな形がである。
いたるところで噴出していては、このように自由に汲める様になっている。
触ろうと思ったが怖いぐらいの勢いで噴出していて
少し近寄りがたい水の力も感じていた。



湧き出る量はすごいの一言である。
決してポンプで汲み上げているようではない。水が自噴しているので有る。
それがいたるところに有る。畑の中であったりはたまた道端であったり、
村落の集会所脇に有ったりもする。
そして気づいた事がもう一つ。
火除けの神様を奉る所が多く有る。これは火山被害の昔人の願いの場所。



内牧温泉と言う標識に従いその道を行くと温泉街に到着したので有るが・・・・・・。
外湯が見当たらない。
そこかしことぐるぐると回っていると、《薬師温泉》と言う公衆浴場を発見する。
すかさず入場。番台も無く扉を開けると即脱衣所。
その扉をあける脇の窓越しに¥200を払い入場する。
気合が入るぐらいにほほを殴る春の嵐風である。
湯はぬるめ。少し不満。しかしカケ流し。とうとうと流れ出ている。
そのぬるめのお湯は長時入っていると段々と熱さを感じるようになってきた。
不思議だ。
風がきついが良く晴れている。その風も少し疲れた体と温まった体には心地が良い。




内村温泉・薬師温泉ですっかり疲れを落とせたと感じる。
阿蘇神社に向かう。予定より1時間30分遅れでの到着となった。
ソワソワして落ち着きを無くしてしまった事に加えて
阿蘇神社の写真を忘れてしまい、今ではその感想や風景すらも脳内のどこかで
消し去ってしまったようだ。
その後、食事(阿蘇赤牛の料理)をしたのであるが・・・・・・・・。
美味しいと言う味覚は残っているがその表現を書けという事になると
その記憶は曖昧である。



何の特徴も無い風景であるがその広々感は国道57号泉から少しわき道に逸れると
この阿蘇ではいたる所がこの光景のような気がする。
カーブミラーとその先に広がる田畑と草原。
そのカーブミラーもこう見てみるとどこか風情が有るように思うのだが
いかがなものであろうか?
黒に白縞の小鳥のツガイが戯れ、近く離れずに居るのが微笑ましい。



浦部雅美 - ふるさとは春です


この地域は昔は街道の宿場町であったと説明を受けた。
肥後の殿様が江戸へ上る時はこの街道を使用したそうである。
上画像に有る様の今では見かけなくなった地元の食料品店があったりもする。
私はこのような風景や街並みに触れる事がひじょうに癒しになる。
子供の頃、大阪の街中で育った私は西区立売堀の日生市場に母や親戚の叔母ちゃんに
良く連れられて行った。
その光景がよみがえる。
スーパーのような形式ではなく全てが対面店舗販売の市場。
コロッケ一つを買ってもらえた満足が今でも忘れられない。
その思い出とこの街はシンクロする。


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