青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

凜は4歳

2015-02-18 07:33:27 | 日記


凜、今日2月18日がお誕生日。4歳になりました。お誕生日会は1週間前に済ませましたよ。上の写真はうちに来た直後のもの。下の写真が近影。大きくなってくれました。といっても7.3kgなので、この辺の柴さんの中では一番スリムなんですよ。上下の写真では、表情がかなり違いますね。仔犬時代はヤンチャな顔をしていますが、現在は穏やかな顔です。
凜は宮城県から我が家のある神奈川県までトラックに揺られてやって来ました。長旅だったので体調を心配していたのですが、キャリーの蓋を開けた途端にコロコロ転がり出て、部屋中走り回っていました。我々に対しても警戒心ゼロですぐに膝に飛び付いて来ましたね。何でもかじるので我が家の畳やソファーはボロボロになりましたよ。甘えん坊でよく私の膝の上でお昼寝してはお漏らししてくれました(笑)今はだいぶ落ち着きましたが、陽気な性格は変わらないですね。後からうちの子になった猫ちゃんズのことも優しく受け入れてくれました。凜は自分が猫の世話係だと思っているようですよ。牡丹が亡くなった時にはずっと牡丹の枕元に座っていましたし、泣いている我々のことも慰めてくれました。あの時は、犬って本当にありがたいなぁとしみじみ思いましたね。犬との暮らしでは、人間の方が与えられることの方が多いように思います。少しでも恩返し出来るように、凜のことを大切にしていきたいと思いますよ。
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死体と暮らすひとりの部屋

2015-02-17 08:01:30 | 日記
ブライアン・マスターズ著『死体と暮らすひとりの部屋』は、連続殺人犯デニス・ニルセン自身がしたためた膨大な一次資料に、著者の取材、分析を加え、ゴールド・ダガー賞を受賞したノンフィクションである。
模範的な軍隊生活、正義感と責任感あふれる警察官、公務員としての職業生活を送ってきた男。殺されかけた被害者でさえ、「彼は本当に親切だった」という男。そんなデニス・ニルセンがどういうわけで約5年に渡り15人もの男性を殺害し、死体との同居生活を送るようになったのか?
ニルセンの半生を支配したトラウマとしての愛する祖父の死。渾然一体となった愛と死の概念。愛を獲得し続けるための死の空想。欲望の対象が死体であるという歪められた自己愛が膨れ上り現実生活を侵食していく過程が綴られていく。
犠牲者たちは、家族や故郷には縁がない孤独な青年ばかりだった。全国紙で行方不明を報じられたのはただ一人だった。ニルセンは犠牲者の遺体を洗い清め服を着せ、一緒に音楽を聴いたりテレビを観たりした。ベッドに入り遺体を抱きしめた。そして囁きかけた。
「だいじょうぶ、何も心配はいらないから、ゆっくりおやすみ」
犠牲者たちにとっては甚だ迷惑な話であるが、ニルセンは彼らを他人とは思えなかったようなのだ。そこには快楽殺人者に顕著なサディズムはおろか性交欲求すら見られない。彼はしばしば自分と犠牲者たちを同じ立場において語っている。自分と同じように彼らもまた孤独な生より穏やかな死を望んでいたのだと。犠牲者の一人、スティーブン・シンクレアについてはこう述べている。
「ただもう、彼の行く末を案じ、彼の人生の苦境に同情していたんです。(中略)彼が永久に、こうして心安らかなままでいられますように、と願いました。」
相手に良かれと思ってやった、相手もそれを望んでいたに違いないという感情の前に、相手に危害を加えたという事実が消し飛んでいるのである。
また、死体の処分方法に対する世間の非難も彼にとっては理解できないことだった。彼は死体の解体には何のときめきも感じなかったし、亡骸を冒涜したという意識もなかったのだ。彼は死体の腐敗や死体の切断は嫌でたまらなかったと述べている。殺人そのものは許し難い行為であることは認めるが、死体を処分したのは人を殺した成り行きでせざるを得なかったというのが彼の持論である。
私には、犯行に至るまでのニルセンの人生が特別に不幸であったとは思われない。彼は安定した職に就き、少数ながらも誠実な友人を得ていた。容姿が劣っている訳でもなかった。ただ、彼はすべてにおいて過剰なのだ。残業や休日出勤を厭わない働きぶり、組合活動へののめり込み具合、親切すぎるほどに世話好きな面、生活のすべてにおいて手を抜くことが出来ないのである。そして思うような評価が得られないと深く傷つく。彼の恋愛は大抵相手に逃げられて終わるのだけど、さして親しくもない相手に対してさえ全力で親切にしてしまう彼のこと、恋人に対しては息苦しいまでの愛情の押し付けがあったことは想像に難くない。彼は次第に鏡の儀式と呼ばれる独特の空想世界にのめりこんでいくのだが、その過程も最初の頃は「姿見をベッドの傍らに横に置き、自分が寝そべっている姿を眺めて」いただけだったのが、次第に「自分の顔におしろいを塗って、生きている人間の肌のつやを消す。目の下に木炭で隅を作り、暗くうつろな表情を強調する。(中略)わたしは自分の死体に恋しているにちがいなかった。」という単なるナルシストでは済まないレベルにまで発展し、終いにはタルカム・パウダーを自分の体に塗って、犠牲者の死体に寄り添い「彼はなんて美しいんだろう、自分もなんて美しいんだろう」と感嘆する始末なのである。
フロムによれば、死体愛とは自己愛が極端に押し進められたものなのだそうだ。それならば、ニルセンの犯行は愛の本能が想像を絶するほど道を踏み外したことから生じたものなのであろうか?彼は祖父を愛していた。祖父が死んでしまい、祖父の死を擬することによって、ついには他人の死によってしか、愛を感じられなくなってしまったということなのだろうか?本書はきわめて興味深い力作なのであるが、最後まで読んでも、人はいかにすればデニス・ニルセンにならずに済むのかは解らず仕舞いであった。
有名なシリアルキラーであるテッド・バンディはこう述べている。「世間の連中は凶悪犯や悪人を見分けられると信じたがっているが、決まったタイプなどありはしない。」と。
この言葉の前には絶望するばかりである。
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お雛様

2015-02-16 07:48:33 | 日記

昨晩お雛様を出しました。毎年家族総出で楽しい作業です。烏帽子を被せるのに苦労するのも毎年のこと(笑)仕丁さんトリオがキッツキツなのも毎年のこと(笑)
この七段雛は、実は娘ではなく、私が祖母に買ってもらった物です。まだ状態が良いので娘のために飾っています。娘は産まれた時に私の母から市松人形を貰いました。

この市松人形は、作家の田辺聖子さんが贔屓にされている人形工房で製作されました。田辺さんはお人形愛好家としても有名ですよね。
私の七段雛は孫の代まではもたないと思うので、孫が出来たら私が新しいお雛様をプレゼントしたいと思っていますよ。まだまだ先の話ですが…。
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横浜人形の家と中華街ぶらぶら

2015-02-15 09:54:57 | 日記

昨日は家族で山下町にある横浜人形の家と中華街をぶらぶらして来ました。
人形の家は、三渓園、旧柳下邸と共に2月14日~3月8日まで横浜ひなめぐりという企画を開催しているので、興味のある方は足を運んでみてください。3施設のスタンプを揃えると賞品が貰えます。
人形の家では、江戸時代から現代創作雛人形、それからリカちゃん雛等が展示中。ところで皆さんは、おうちの雛人形を飾るときに、五人囃子の並び順はどうされていますか?どうやら、右から謡い手、笛、小鼓、大鼓、太鼓らしいのですが、我が家では毎年適当に飾っていました(汗)
人形の家で一番好きなのは、ビスクドールのコーナーですね。ビスクドールのビスクとは、ビスケットと同じ語源で、フランス語で2度焼くという意味に由来するそうです。成形したベッドを高温で焼き、彩色し釉薬が溶けきらない低温で再度(数回)焼くという製法。19世紀中頃よりフランス・ドイツで製作され始めました。ビスクドールは自分で買い求めるのはなかなか難しいので、こうやって飾ってあるものを眺めて満足感しています。まだ、ビスクドールと市松人形の製作行程が映像で紹介されているのも面白いですね。市松人形は顔の上に目を張り付け、胡粉を塗ってから刃物で掘り出すのに対し、ビスクドールは内側から嵌め込むんですよ。人形のパーツがバラバラに展示されているのにも興味津々でした。
館内には検索コーナーが設置されていて世界の人形の情報を簡単に知ることができますよ。
出るときに1階で366日誕生花の絵が売っていたので、家族分買いました。主人が8月25日でひおうぎ、花言葉は誠実。私が3月18日でひとりしずか、花言葉は微笑。娘が10月24日でコリウス、花言葉は健康。
人形の家を出てから、中華街に移動し、食事&街ぶら。娘は、岩座とチャイハネでアクセサリーを買っていました。中華街の雑貨屋さんは、子供のお小遣いで買える安くて可愛い品物が多いので、女の子には楽しいと思います。昨日は天気が良かったので1日遊べました。我が家は藤沢なので、同じ神奈川県でも山下町や中華街は遠いんですよ。だから、出てきた時には長居しちゃいますね。
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横取り猫

2015-02-13 07:16:23 | 日記

当たり前みたいに凜のお布団で寛ぎ、凜のおやつを食べる桜。凜がおおらかで良かったね。しかし、このおやつは桜の顎には大きすぎるのだった。

桜が諦めてから、おやつをいただく凜。美味し~い。凜はいつも優しいね。
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