青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

クララとお日さま

2022-07-29 08:47:42 | 日記
カズオ・イシグロ著『クララとお日さま』

『クララとお日さま』は、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞後、最初に出版された長編小説だ。
人工頭脳を搭載された人工の親友(AF)のクララの視点で、社会に根付く様々な格差と差別を描く。
長崎に生まれ、五歳でイギリスに渡ったイシグロにとって、差別は日々意識せずにはいられない問題なのだろう。
物語の世界では、子供の成長に合わせてAFを購入することが一つのステイタスとなっている。また、「向上処置」という遺伝子編集を受けていない子供は差別され、大学進学すらままならない。子供の良き友となるよう設計されたAFにも、旧型と新型の間で差別意識がある。
そして、社会のAFに対する視線は温かなものとは言えない。子供に飽きられれば、役目を全うする前に廃棄されることもある。子供がAFに暴力を振るったり、ネグレクトしたりする姿も描かれている。

雰囲気は『わたしを離さないで』に近いが、大きな相違点もある。
『わたしを離さないで』では、臓器提供を目的に造られたクローンの子供たちが、ヘールシャムという隔離施設で集団生活を送っていた。
子供たちには、卒業間際まで自分たちがクローンであることは知らされない。故に事実を教えられるまでは、普通の子供のように授業を受けたり、友達と喧嘩したり、恋をしたりして過ごしていた。
物語の大半を大人になったキャシー・Hの回想が占める。
ヘールシャム時代の彼女は、殆どの場面で親友のルースとトミーと共にいた。友情は彼らが役目を終えるまで(度重なる摘出手術に耐え切れなくなって死ぬまで)続いた。

対して、『クララとお日さま』のクララは、初めから自分の役目を知っている。
お店に展示されていた間は、同じ型のレックスやローザと親しくしていたが、ジョジーに気に入られ彼女の専属となってからは、お店で一緒だったAFたちと再会することも、新たなAFと接点を持つこともなかった。
クララはジョジーのためにだけ存在した。
ジョジー以外の人間と接点を持つこともあったが、すべてはジョジーのためだった。ジョジーを取り巻く歪んだ人間関係の改善に努め、ジョシーの回復と幸福のためにお日さまに祈り続けた。

クララの置かれる空間は、物語の進行とともに、商品として展示されていたお店、ジョシーの部屋、ジョシーが成長したため自ら移動した物置、引退後送られた廃品置き場と移り変わる。
何れの空間においても、クララは彼女の特性である観察眼と謙虚さを失うことは無かった。
人のために造られたAFが、誰からも必要とされない廃品になっても観察と思索を続ける。そして、「最高の家で、ジョジーという最高の子」と共に生きた経験と、AFとして造られたことを丸ごと肯定し続ける。彼女の姿にイシグロはどんな願いを込めたのか。


そのお店はビル街の大通りにあった。
お店では家電や雑貨とともにAFが販売されている。AFはローテーションで配置が換わる。彼らはショーウインドーに置かれる番が回ってくるのを楽しみにしている。ショーウインドーに置かれれば、買ってもらえる可能性が高くなるし、太陽光を主なエネルギーにしているAFのコンディションが良くなるのだ。

クララは誰よりもショーウインドーに立つのが好きだった。
彼女はそこから見える風景の変化、通りを歩く人々の様子を何一つ見逃さない。そして、お日さまを敬慕している。
クララのお日さまへの気持ちはある出来事でさらに強固なものになる。
死んだように動かなくなっていた物乞いと彼に連れ添っていた犬が、お日さまの光を浴びて起き上がったのだ。クララはお日さまが死者を蘇らせたと考えた。
また、お日さまの光が、長い歳月を経て再会した男女が抱き合う姿を包んでいた事も、クララの中で大切な記憶となった。
お日さまの光は人間の栄養にもなっている。だからお日さまの光を遮るガスを排出するクーティングス・マシンの存在に、クララは不安を感じている。

クララはB2型のAFだ。
お店にはすでに最新型のB3型が入荷されていて、レックスは自分が型落ち品として売れ残ることを恐れている。またB3型の方も旧型を下に見て、意図的に距離を置こうとしている。
基本的には、新型の方が性能はいい。
だが、AFには一体一体個性があって、分野によっては旧型の方が優れていることもある。
クララには独自の美質があって、特に観察眼と学習意欲はずば抜けている。結果として、お店のどのAFより精緻な理解力を持つまでになった。

ある日、クララはショーウインドー越しにジョジーという女の子と出会った。
ジョジーは一目でクララを気に入り、必ず迎えに来ると約束した。
ジョジーが母親のクリシーと共にお店を訪れたのは、約束した日にちよりも随分後のことだった。
クリシーは最新型を希望していた。が、店長からクララの特性を聞くと、早速クララにいくつかの質問をした。ジョジーの方を見ないでジョジーの特徴を当て、歩き方を真似て見せるというテストだ。クララの回答はクリシーを満足させた。クリシーはジョジーのすべてを観察・記憶し、正確に理解することをAFに求めている。その理由は後々明かされるが、これがクララとジョジーを苦しめることになる。

ジョジーの家があるのは、民家がポツポツとしか建っていない田園地帯だ。
クララはここに来て初めて外の世界を体験する。ジョジーの幼馴染リックや彼の母親ヘレンと知り合い、観察する世界が広がる。そして、「向上処置」を受けていないために差別を受けるリックや、「向上処置」を受けさせなかった負い目でリックに過干渉するヘレンの苦悩を目の当たりにする。
ジョジーとリックは将来を誓い合っている。でも、「向上処置」を受けている者と受けていない者という立場の違いが、彼らの心を引き離していく。

ジョシーの部屋の窓からはお日さまがよく見える。
夕方になると、お日さまは草原に建つマクベインさんの納屋の方に沈んでいく。クララはマクベインさんの納屋がお日さまの休憩所なのだと思った。
後にクララは二度に渡ってリックに背負われてマクベインさんの納屋まで行き、ジョジーを助けてくれるようお日さまに祈りを捧げることになる。

ジョシーはとても病弱で、ベッドから起き上がれない日も珍しくはない。
ジョジーの健康を損ねたのは「向上処置」だった。
ジョジーにはサリーという姉がいたが、サリーは「向上処置」の失敗で亡くなった。それでも安定した生活を送る保証を得るために、クリシーはジョジーにも「向上処置」を受けさせた。「向上処置」を受けていない者への差別はそこまで深刻なのだ。クリシーが夫ポールと離婚したのは、この件での意見の対立が大きかったように思う。
そして、懸念したようにジョジーも病気になった。命に係わる深刻な症状だ。
己の選択の結果にクリシーは情緒不安定になっている。クリシーのピリついた言動は親子関係に影を落とし、時としてジョジーを不機嫌にさせたり、ジョジーとクララとの意思の疎通を困難にさせたりもする。よくない連鎖だ。

この時代の子供たちは、オブロン端末を使って学習する。大学までは学校に通うことは殆どない。
「向上処置」を受けている子供たちは、端末では学べない社会性を身に着けるために、交代で交流会を開いている。ジョジーは、渋るリックに自分が主催する交流会への参加を約束させた。
不安と緊張の中迎えた交流会は散々な有様だった。
リックのユーモアのセンスは大人たちに好評だった。
でも、それは優秀な頭脳の持ち主なのに「向上処置」を受けられなかったリックへの憐憫と、息子に「向上処置」を受けさせなかったヘレンへの批判を伴っていた。
子供たちはもっと露骨にリックを侮蔑した。
ジョジーはリックを庇うどころか、彼に怒りの眼差しを向けた。
子供たちの侮蔑は旧型AFのクララにも向けられた。
ジョジーは、それに対しても「(B3型を)買うべきだったかなって、いま思いはじめたとこ」と笑いながら阿った。
クララを放り投げて遊ぼうとした子供たちを止めたのはリックだった。
クララはこの時のジョジーの振る舞いを変だと思った。それでも本当のジョジーは親切だと信じるのだ。

ジョジー母子とクララは、サリーが生きていた頃に遊びに行ったモーガンの滝までドライブすることになった。
ところが出発直前になって、ジョジーが体調を崩してしまう。
クリシーは苛立ちを隠さず、ジョジーの看病を家政婦のメラニアさんに任せると、なんとクララと二人だけでドライブに出発した。
この時もクララはクリシーの言動に違和感を覚えたが、彼女は人間のすることを悪いようには取らない。しかし、彼女の戸惑いは、ドライブ中に見た風景の処理能力の異常として現れた。
この情報処理の乱れは、作中に度々出てくる。
たいていの場合、それは人間の言動への理解が追い付かない時に起き、そんな時のクララの目には人間の顔や風景がボックスやブロックの集合体のように認識される。

滝に到着すると、クリシーはジョジーに奇妙なことを命じた。

「さてと、クララ、ジョジーはここにいないわけだし、あなたがジョジーになってくれない?ちょっとだけ、どうせここにいるんだし」


クリシーが望んでいたこと。それは、「ジョジーを継続する」ことだった。
「向上処置」によって長女を亡くしたクリシーは、自らの選択の結果で再び我が子を喪う恐怖に耐えられない。そのためジョジーが生きているうちから、「ジョジーを続けてくれる」存在の準備をしている。
ジョジーの肖像画を描いているカバルディの本当の目的は、ジョジーそっくりのAFの製作だった。
すでにボディは出来上がっている。ジョジーが死んでも、そのAFにクララの人工知能を移植すれば「ジョジーを継続できる」。クリシーとカバルディはそう考えている。

メラニアさんは、アトリエで何が行われているのか具体的には知らない。
それでも良くないことが行われていると感じ、クララにジョジーを守るように命ずる。AFの存在を快く思わないメラニアさんだが、クララのジョジーを思う気持ちは自分と同じだと考えているのだ。

それに加え、クララはアトリエに同行したポールの不機嫌を目の当たりにして、クリシーとカバルディの計画からジョジーを守らねばと決意する。
ジョジーを守る唯一の方法は、ジョジーの健康を取り戻すことだ。
クララはすでに一度、マクベインさんの納屋までお日さまに祈りを捧げに行っていた。お日さまはなぜジョジーを回復させてくれないのか。
クララは再びマクベインさんの納屋に行く前に、お日さまを曇らせるクーティングス・マシンの破壊を思い立つ。


この物語には、子供の成長に関する様々なテーマが込められている。
中でも、愛と理解については屡々苦い思いをさせられた。というのも、この物語の登場人物たちは、愛し合っているのに、そこに理解が伴っていないのだ。
ジョジーとクリシー親子、リックとヘレン親子は、間違いなく愛し合う親子だ。しかし、母親の無理解が子供に負担を与えている。それでも子どもは母親を肯定し、愛し続ける。

クララとジョジーの間はもっと一方的だ。
クララはジョジーをよく観察し学習するが、肯定ありきの判断なので実像との乖離が気になる。AFは子供の友達として制作されているが、両者の関係は対等な友人同士ではなく主従関係に近い。ジョジーは気分次第でクララに辛く当たることもあった。
ジョジーには、クララやリックなど彼女に寄り添おうとする者には気分屋な態度をとるが、母親や交流会の子供たちのように彼女に高圧的な者には阿る傾向がある。
クララはジョジーのことを「最高の子」と言うけど、場の空気に左右される普通の子供としか思えなかった。
クララは、かつてショーウインドーから見た老いた男女のように、ジョジーとリックが遠い未来に抱擁を交わす日が来るかもしれないと考えている。それはどうだろう?もし機会があるとしても、ヘレンとバンスさんみたいに気まずい雰囲気になりそうだ。

役目を終えたクララは廃品置き場に送られた。
廃品置き場には、すでにクララより新しい型のB3型が何人か送られていた。
クララはそこで再会した店長さんから、ローザが二年以上前に廃品置き場送りになっていたことを聞かされる。でも、今ローザはここにいない。クララは、マクベインさんの納屋を訪ねた時に、苦しそうに座るローザのビジョンをキャッチしていた。

AFが子供の友達というなら、役目を終えてもそばに置いていたって良いではないか。
でもAFとは家電や雑貨を扱っているお店で買うもの。扱いもそれらと一緒なのがこの物語の世界では常識なのだ。『ドラえもん』で育った私には馴染めない常識だが、それも含めて人間を肯定しているクララが切ない。

先端技術を搭載されたAFが、古代人のように素朴な太陽信仰を抱いている。
そんなクララが、ジョジーを学習し続けた結果得た確信もまた素朴なものだった。
「人間の中に唯一無二で、他に移し得ない何かなど無い。ジョジーの内部にクララが引き継げないものなど無い」というのが、カバルディの持論だ。
それに対してクララは以下のように考えた。

「特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました」

ならば廃品置き場に捨てられたクララの現状は、彼女は特別な存在ではなく、彼女を愛している人など一人もいないということの証左なのか。
作中にはリックやポールなど、クララとある程度深いところまで話し合った人物はいたし、AFを気にかけ廃品置き場までを訪ねてくる店長さんもいた。
でも彼らはクララを救い出すまでには至らない。そもそもクララは役目を全うした結果の現状を幸福と考えている。
クララの祈りは、お日さまの光がジョジーの部屋にシャワーのように差し込んだ、あの奇跡の瞬間に成就した。ジョジーの健康は大学に行けるまでに回復し、それに伴って母親との関係も好転した。
でも、あの奇跡はジョジーのために起きたのではない。
クララは自分のことは祈らない。そんなクララの祈願だからこそ、お日さまは応えたのだと思う。誰もクララを愛していなくても、お日さまだけは彼女を包んでいるのだ。
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高校最初の終業式

2022-07-25 07:34:08 | 日記

土用の丑の日に鰻を食べました。

今日はコメガネが高校に入ってから最初の終業式です。
と言っても、夏休み中も結構部活の日があるのであんまりお休みな感じもしません。今日も式の後部活です。

それにしても、三年ぶりに夏休みの前日に終業式を迎えられてすっきりしています。
娘の通っていた中学校は二期制で、変な時期に始・終業式をやっていたのですが、高校は三期制なので普通に夏休みの前日が終業式、明けが始業式で区切りが良いです。

大学は夏休みが長いから、二期制でも休みの始まりと明けに学期の終りと始まりが合わさるから良いのです。が、夏休みが一ヶ月ちょっとの中学校で二期制はリズムが合わないと思うんですよ。娘の中学は、休み明け最初の日を授業再開日と呼び、なんか中途半端な日に始業式をやっていました。
二期制な分、中間テストと期末テストも三期制より一回ずつ少ないので、一回一回のテストの範囲が大きいし、何のメリットがあって二期制にしているのか分からず仕舞いでした。


桃!




スイカ!!

溜まりまくった有休消化のため、今年の夫の夏休みは結構長いです。
休みの間に家族でどこかに行きたいと思っていますが、如何せんコロナの猛威が鎮まる気配がありませんね。
コロナ禍前は年に3~4回くらい上野の美術館・博物館に行っていましたが、もうずっと行っていません。東京自体、いつ行ったか記憶にないです。
それどころか、市内なのに江の島にも行ってないや…。ちょうど今、『江の島燈籠 2022』が開催中で、江の島神社やサムエル・コッキング苑あたりがライトアップされているのですが、何にもない時でも混んでいるのが江の島の夏なので、イベントの時など猶更近寄れません。行きたいなぁ。行きたいんだけどなぁ。
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暑いので、暑いけど

2022-07-21 07:49:49 | 日記

デパートの喫茶店。


懐かしい感じのパフェ。暑いので甘くて冷たいものが美味しいです。
果物もいいですね。


メロン。


スイカ。




これは、うちで作ったチョコケーキ。


最近は土日のどちらかが刺身です。
本当は毎日でも良いくらいです。


冷やし中華も良いですね。


冷たいものばかりだと却って夏バテになるので、豚の角煮など。


煮られる豚。


ご飯に載せて。


夫の出張のお土産、豚骨ラーメン。
他に通りもんとかお菓子も色々買ってきてくれましたが、撮るのを忘れました。

最近のうちの花たちです。


千日紅とヘデラ。


千日紅とアメリカンブルー。


ニチニチソウ。


ミニひまわり。


カラーはそろそろ終わりそう。






ハイビスカス。

以下は凜と散歩中に見た花たち。


ルドベキア。


サルスベリ。




アガパンサス。
数年前からうちにも欲しいと思っているのですが、毎年外で姿を見るまで忘れています。
背の高い花なので、うちの狭い庭には合わない気もしますが。


セイヨウフジバカマ。
柔らかい紫色の花なら、これくらい小さいものの方が我が家に向いてるかも?
散歩中にいろんな花を見つけては、これうちの庭にどうかななどと思うのですが、球根や種を植え付ける時期が来る頃には大体忘れていますね。
歳のせいではなく、元から物忘れが激しいのです。


蒸し暑いせいか、桜がまた皮膚病になりました。
うちには猫が三匹いますが、桜が一番皮膚弱いです。


ヒビクス軟膏。
うちの猫にはこれが一番良く効きます。


桜と凜が寝るお布団も冷感マットに換えました。






これら別々の日に撮っているんですが、大体似たようにポーズですね。
暑さ寒さに関係なく、桜が凜にべったり。


逃げる凜。


凜はあんまりベタベタされるのが好きではないのです。
我が家のメンバーで一番クール。クール犬。
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宵山万華鏡

2022-07-19 07:39:56 | 日記
森見登美彦著『宵山万華鏡』

娘が部活で金魚の幻想的なイラストを描くと言って来たことから、久しぶりにこの作品を思い出した。
10年ぶりくらいの再読だけど、結構細部まで覚えていた。
露店の賑わいや山鉾の提灯、黄金色の招き猫、金魚の閉じ込められた風船、髭の大坊主、作り物の大カマキリ、同じ顔をした赤い浴衣の女の子たち、湿度と熱気を含んだ宵闇の空気、万華鏡、水晶玉……孫太郎虫?超金魚?
不気味で、脈絡が無くて、煌びやかで、騒々しい。そんな情景を想像しながら頁をめくるのを楽しんでいた。そのせいで、細部まで覚えていたのだと思う。

現実の宵山と別の宵山。
そこに閉じ込められて延々と同じ日を繰り返す人たち。少しずつ関連しつつも、互いにそれを知らないまま宵山の雑踏を金魚のようにひらひらと行き交う。祭の猥雑さともに、そんな私好みのエッセンスがふんだんに盛り込まれた一冊だ。

「宵山姉妹」
妹は小3、姉は小5。姉妹が毎週土曜に通う洲崎バレエ教室は、三条室町西入る衣棚町にあって、三条通りに面した四階建ての古い雑居ビルであった。
祇園祭の宵山の日もちょうどレッスンがあって、先生からは寄り道をしないようにと言われていた。
好奇心旺盛な姉は先生の言いつけなど守る気はない。往来に出た途端、露店で賑わう雑踏へ踏み出していく。
慎重な妹は姉とはぐれないようについていきながら、懸命に来た道を覚えておこうとする。だが、路地をグニャグニャ歩いているうちに姉とはぐれて、自分がどこにいるのか分からなくなった。
途方に暮れ、しゃがみ込む妹に話しかけてきたのは、赤い浴衣の女の子だった。女の子は妹の手を握り、バレエ教室まで連れて行ってくれると言う。
燦然とした祭明かりの道を女の子と妹は軽やかに通り抜ける。
彼女たちの周りには、常に赤い浴衣の女の子の群れがひらひらと舞うようについてくる。女の子たちは屡々露店で足を止め、林檎飴やベビーカステラを思い思いに取っていく。代金を払わなくても売り手たちは誰も文句を言わない。
女の子と手を繋いでいると、妹は自分の体まで軽くなっていくように感じた。足取りが軽くなるにつれて、頭が痺れてきて、自分が同じ景色をグルグル巡っていることに気づかない。
万華鏡の屋台の前を、妹は何度も通った。同じ角を曲がり、同じ通りを走り、同じ所に戻ってくる。そうやって、渦を描くように歩きながら、妹は宵山の深淵に吸い込まれていく。

「宵山金魚」
藤田と乙川は、奈良県の金魚養殖業が盛んな地域の高校に通っていた。
高1の夏休み前に水路で金魚の観察をしている乙川と話して以来、藤田は乙川と親しくなった。それから10年経つ。
藤田は大阪の大学を出て、千葉で就職した。乙川は京都の大学を出て、京都市内の骨董商に就職した。
藤田は大学時代に二度、宵山の時期に乙川を訪ねたことがあった。
だが、宵山の夜を満喫するのは今年が始めてだ。というのも、乙川は宵山に連れて行くと約束しながら、毎回全然関係のない場所に連れて行くのだ。思えば高校時代から乙川はヘンテコな悪戯をするのが好きだった。藤田は乙川の「頭の天窓が開いたような」ヘンテコさに憧れていた。
藤田は今年も騙されたら自分一人で宵山を楽しむつもりだった。
そんな藤田に、「祇園祭にはいろいろなルールがあるから、慣れない人間には危険だ」と乙川は言う。ルールを破った者は、それぞれの山鉾町にある保存会の人にしょっ引かれ、宵山様にお灸をすえられる。
突拍子もない話だ。
乙川は嘘をつくのが好きで、昔から藤田は格好の標的だった。なので、藤田は今度こそ騙されないぞと思う。
だけど、路地を駆け抜ける赤い浴衣の少女の群れを眺めながら、水路で金魚をすくっていた乙川の姿や彼が育てた「超金魚」を思い出しているうちに、いつの間にか乙川にまかれていた。
そうして、一時間ほど後に辿り着いた駐車場で、見張りの金太郎に見つかった藤田は、禁止区域に足を踏み入れた咎で、「祇園祭司令部特別警務隊」と名乗る法被姿の集団に竹籠に嵌め込まれ移送されてしまうのだった。

「宵山劇場」
四条烏丸の北西、室町通六角近くに住む大学生の小長井は、友人の丸尾から偽祇園祭の制作に参加して欲しいと頼まれた。日当は一晩で三万円。製作費には糸目をつけないと言う。
小長井はかつて不本意な形で学生劇団を引退していた。潤沢な資金と馬鹿々々しくも壮大な偽祇園計画を前に、彼の燃え尽きたはずの裏方魂がうずき出した。
丸尾に依頼したのは、奈良県人会の先輩の乙川だった。
前章「宵山金魚」で藤田が大坊主や舞妓らに担ぎ込まれた幻想的な「超金魚」の部屋は、実は乙川が仕掛けた大掛かりな悪戯だったのだ。
たった一人の馬鹿=藤田を騙すために仕掛けられた偽祇園祭計画は、丸尾、小長井、三条のバレエ教室の講師・岬、高薮という髭面の大男、そして、小長井が劇団をやめるきっかけを作った山田川敦子ら「祇園祭司令部」によって実行に移される。

「宵山回廊」
千鶴の生家は洛西の桂にある。学生時代も就職してからも自宅から通って済ませている。
職場のある四条烏丸の界隈は子どもの頃から通っていた町で知り合いもいた。衣棚町には中学まで通っていた洲崎バレエ教室があり、少し下がった街中の一軒家では画家で叔父の河野が暮らしていた。
宵山の日、千鶴は画廊主の柳さんから叔父の様子を見に行って欲しいと頼まれた。
15年前の宵山の日、千鶴は叔父の娘で従妹の京子と一緒に宵山を訪れていた。そしてその日以来京子は行方不明になった。七歳だった。
千鶴が訪ねた時、叔父は小さな筒を手にしていた。何かと尋ねると万華鏡だと言う。
暫く合わないうちに叔父は老け込んだように見えた。心配する千鶴に、叔父は「明日からもう会えなくなる」と謎めいたことを言う。
叔父が万華鏡を覗くと、そこには宵山の風景が広がっていた。
無数の人波を赤い浴衣の女の子の群れが縫うように走り抜けていく。叔父はその群れの中に七歳のままの京子の姿を見つけた。京子は15年前から毎日宵山を繰り返していたのだ。
そして、その日以来、叔父も毎日宵山を繰り返している。

「宵山迷宮」
父親から継いだ画廊で働く柳は、杵塚商会から「父の遺品の水晶玉を譲ってほしい」と頼まれていた。
宵山の日も、母が朝から蔵を探していたが水晶玉は見つからない。
杵塚商会からの催促はしつこい。柳画廊も忙しいし、一年前に亡くなった父の法事も近い。諦めてくれと電話した方が良いかもしれない。
事務所に入った柳と母は、画家の河野から展覧会の原案が来ていないことに気づく。なので、柳は午後に河野に会いに行くことにした。
河野画伯は一人暮らしだ。了頓図子町の雑居ビルやマンションに囲まれた古い一軒家をアトリエ兼住居にしている。
画伯の一人娘が失踪したのは15年前の宵山の夜だった。画伯は疲れた顔をしていたが、向こうからは柳が疲れているように見えると言われた。
柳の父は一年前の宵山の夕刻、鞍馬の参道で倒れているところを見つかった。脳溢血と言われ、そのまま意識は戻らず、一週間後に世を去った。
その日の朝、父はひどく疲れた様子だったので、母は仕事を休むように勧めた。素直に寝室で寝ていたはずの父がなぜ鞍馬で発見されたのだろう。
画廊に戻ると、杵塚商会の乙川が柳の帰りを待っていた。
杵塚商会との取引は社長と行っていたので、柳が乙川と対面するのはこれが初めてだった。柳はこの機会に水晶玉の件を断ろうとするが、乙川はしつこい。杵塚商会はなぜそんなにも父の遺品を欲しがるのだろう。
翌朝、柳が起床すると、母が水晶玉の話をしてきた。その内容は昨日とそっくりそのままで、柳は奇異に思う。テレビを見ると、何と今日が宵山だと言う。これはどういうことか。
次の朝も宵山だった。
柳は自分が同じ宵山の日を繰り返していることに気づく。
この怪異に杵塚商会と水晶玉、そして一年前の父の謎の死がどう関わっているのか。

「宵山万華鏡」
物語は、再び「宵山金魚」のバレエ姉妹に戻る。
宵山の夕刻、バレエ教室を退室した姉は、先生の言いつけに背いて出店で賑わう通りにどんどん入り込んでいった。妹は渋りながらも姉についてくる。
姉は蟷螂山が見たいのだ。
路地を歩いているうちに、姉妹は柳画廊の柳さんに会った。柳さんは蟷螂山の場所を丁寧に教えてくれ、姉妹に互いの手を離さないようにと注意した。
それなのに、赤い浴衣の少女たちを見かけた姉は、魔が差して妹の手を放してしまう。今まで妹に意地悪をしたいと思ったことなど無かったのにどうして。
妹は赤い浴衣の女の子たちに見とれていたのか、少しの間姉が離れたことに気づかなかった。が、我に返ると慌てて姉を探し始めた。
姉は妹の姿を見つけると後を追った。
しばらく歩くうちに、先ほどまで泣き出しそうな顔をしていた妹が、呑気に露店を覗きながら歩いていることに気づいた。そして、家族と宵山見物に来ていたバレエ教室の子と話しているうちに、妹の姿を見失ってしまう。
妹を探し歩くうちに、道行く人たちが金魚を封じ込めた不思議な風船を持っているのに気づいた。
姉は風船を妹に渡して謝りたいと思った。しかし、風船を配っていた髭もじゃの大坊主に、残っているのは姪にあげる分だからと断られてしまう。
それでも食い下がる姉に大坊主は根負けしたようだ。大坊主は風船を分けてもらう為に宵山様の元に姉を連れて行こうとする。


“「一つだけお教えしましょう」と乙川は水晶玉を町屋の明かりに透かしながら言った。「これは世界の外側にある玉だそうです。今夜の我々はね、この玉に覗かれた世界の中にいるんです」”

物語は赤い浴衣姿の女の子に誘われ、宵山の深淵に呑み込まれていく妹から始まり、同じ時刻に大坊主に導かれ、宵山の深淵に入り込んでいく姉で終わる。その閉じた円環の中に、ほかの登場人物たちも、風船の中で泳ぐ金魚のように美しく囚われている。
小長井らの作成した偽の宵山と、水晶玉越しに広がる幻の宵山。そのどちらにも深く関わり、両方の世界を繋ぐ乙川とは何者なのか。
宵山に呑み込まれたままなのは、柳の父と、京子と、河野画伯だけなのだろうか。姉妹は、柳さんは、千鶴は、本当に宵山から戻ることが出来たのだろうか。

“「だって私たちは宵山の外には出ないの。昨日も宵山だったし、明日も宵山だし、明後日も宵山。ずうっと宵山なの。ずうっと私たち、ここにいるの」”
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平塚八幡宮

2022-07-15 07:37:59 | 日記

前回のブログの続きです。
ひらつか七夕祭りの帰りに平塚八幡宮に立ち寄りました。
七夕の会場になっている商店街から大門通に入って10分弱歩くと辿り着けます。通りに入ってすぐに鳥居が見えて来るので迷うことはありません。
大門通は平塚商業発祥の地と言われています。現在も平塚の中心地ですね。


七夕の期間なので鳥居に吹き流しが飾られていました。


仁徳天皇がこの地を襲った大地震の被災者のために社を建てたことが創祀とされています。
相模國一國一社の八幡宮として、源頼朝や徳川家康など数多の武将から崇敬されていたことから「武運」や「勝負運」のご利益があるとも謂われています。


マスクをつけた狛犬。


手水の飾りも七夕仕様。




開運七社詣。
境内にある七社をお参りすれば、七福招来・七難撲滅らしいです。
社務所で用紙を貰って一番目の平塚八幡宮から順番にお参りしました。スタンプラリーみたいで楽しかったです。


平塚八幡宮。
御祭神は、応神天皇、神功皇后、武内宿禰命です。
御殿の脇に置かれた大しゃもじには、商売繁盛・除災招福・五穀豊穣・天下泰平と書かれています。
七夕の笹飾りが涼やか。


八幡宮の右手に並ぶ、若宮社、神明社、諏訪社。




八幡宮の左手、奥に入ったところにある太子堂。


太子堂を出て八幡宮の裏側を歩くと日本ミツバチを保護している檻がありました。




八幡宮の正面で茅の輪くぐり。
無病息災とコロナ撲滅を祈りながら八の字にくぐりました。






平塚八幡宮を背に表の鳥居の方に戻って平塚弁財天社。






弁財天社の向かいにある鶴峯山稲荷社。






鶴峰山稲荷社の池には、平塚八幡宮のマスコット的存在のアヒルさんたちが泳いでいました。


池と言えば鯉。


御朱印。
これで開運七社詣一回りです。

この日はとても暑かったので平塚八幡宮を出てそのまま帰りました。
お昼ご飯は帰路のスーパーで買ったパック寿司。


晩御飯は漬け鮪、卵焼き、シラスの三色丼。下にはシソを敷いています。
二食続けて生魚。熱いものやコッテリしたものが食べたくないのです。
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