青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

猫とキャップ

2015-08-31 07:06:51 | 日記

何となく桜の頭にコーラのキャップをのせてみたら、そのまま寝てしまいました。眠たいので、どうでも良いらしいです。

お菓子の箱に顎をのせて寝ています。だらしない感じがします。

桜「私のことはほっといて下さい」
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股旅 三人やくざ

2015-08-28 09:56:30 | 日記
『股旅 三人やくざ』(1965年)は、三部構成からなるオムニバス映画。監督は沢島忠。第一話の脚本は笹原和夫、主演は仲代達矢。第二話の脚本は中島貞夫、主演は松方弘樹。第三話の脚本は野上龍雄、主演は中村錦之介。

《第一話 秋の章
川岸をやくざ者の千太郎(仲代達矢)が急ぎ足で行く。若い片目のやくざ者と行き会うと、土地のやくざ者に対する尋常な挨拶を入れて、通り過ぎた。竹林を急いでいると、先刻の片目のやくざ者が追いかけてきた。これを切り捨てる千太郎。片目の男の懐には、千太郎の人相書きと、女物の櫛が入っていた。

千太郎は土地の親分の世話になる間、騒ぎを起こした遊女のおいね(桜町ひろこ)の見張りをすることになる。最初は荒んだ態度だったおいねも、うちとけていくにつれて身の上話をするようになった。おいねは子供の頃に遊郭に売られてきた。そして、一晩の遊びで彼女を買った男の「女房にする」という約束を信じていた。男のことは顔も体も思い出せない。それでも男の約束が生きる支えだった。

その男・猪之助を探すことにした千太郎。猪之助の知人の言葉から、猪之助が本気でおいねを見受けするつもりで費用を稼ぎに旅に出たこと、彼が片目であることを聞かされる。猪之助は、千太郎が竹林で切った男だったのだ。おいねを救いたい千太郎が取った選択とは…。

第二話 冬の章
吹雪の舞う寒い日。いかさま博打で追われている老やくざの文造(志村喬)を若いやくざ者の源太(松方弘樹)が助けた。二人は無人の茶店に上がりこむと火に当たりながら話し込んだ。

源太が十三歳の頃、父が博打で借金を作り、田畑をかたに取られてしまった。首を吊った父の葬式の後、源太は庄屋から十八歳になったら畑を貸してやるという約束を取り付け、以来、その日を心待ちにして一人で生きてきた。孤児に世間は冷たい。生きていくためには悪いこともした。
十八歳になった時、源太は約束を果たしてもらおうと庄屋を尋ねた。しかし、庄屋や村人たちは、源太の犯した悪事をあげつらい、「お前には親父の血が流れている」と罵ると、源太を袋叩きにして村から追いだしてしまった。

すっかり心が荒み、やくざ者として生きていくことに決めた源太を文造が諌める。そこに、茶店の娘みよ(富司純子)が帰ってきた。怯えるみよに文造は父親の知り合いだと名乗り、母親の近況を尋ねた。「母は無くなった」と答えるみよに、文造は金を渡そうとする。それを見て「その金はいかさまで稼いだ金だろ。さては恩を売って居座る気だな」と大笑いする源太。二人は殴り合いになるが、若い源太が勝った。床に倒れた文造を介抱しようとするみよだったが、文造の腕に掘られた母の名を見て激高する。文造は、みよの父親だったのだ。みよから「出て行って」と罵られ、文造は雪の中を去って行こうとする。源太は、あとを追いかけ、文造に語りかける。
「なぜ居座ってやらない?子供ってのは口では悪態をついても、心では親を慕っているものなんだ」
その時、追っ手の集団が二人を見つけた。源太は文造を茶店に押し込むと、叫んだ。
「畳で死ねよ、とっつあん。娘さんと仲良く暮らせ」
そのまま、追っ手を自分に引き付けると、激しい切り合いとなった…。

第三話 春の章
菜の花畑を風の久太郎(中村錦之助)が行く。名前も装束もいっぱしの渡世人であるが、実は腕はからっきしなのだ。すきっ腹を抱えて寝転がっているところを百姓たちに囲まれて、訳のわからぬまま村長の家に連れ込まれる。

腹いっぱい食わせて貰って満足の久太郎であるが、村人たちの願いを聞いて狼狽えた。村を苦しめる悪代官・鬼の官半兵衛(加藤武)を切って欲しいというのだ。逃げようとする久太郎であったが、村人たちから「一宿一飯の恩を返せ」と詰め寄られ、引き受けざるを得なくなった。一人になったところでこっそり逃げようとしたが、旅装束を置いた部屋に村娘・おふみ(入江若葉)がいる。「オラは子供時分に二親を亡くし、以来、村の厄介になっている。オラの体を好きにして下せえ。その代りにどうか村のために半兵衛を切って下せえ」と訴えるおふみに心苦しい思いをしつつも外に逃れる久太郎。そこで村長の幼い息子に見つかってしまう。「どこに行くんだ」と問われ「狸の罠を仕掛けに行く」と出まかせを言ったら、「一緒にやる」と言うので、仕方なく二人で罠を仕掛け、終わったところで逃げようとした。しかし、間の悪いことに狸が罠にかかってしまい、逃げそびれてしまうのだった。

翌日、馬上の半兵衛に果し合いを申し込む。隙を見て逃げようとキョロキョロするが、あちこちで村人たちが見張っているので、どうにもならない。挙句、半兵衛が飛んでいる蝶を居合で真っ二つにするのを見て怖気づいてしまった。そんな久太郎に村人たちは大ブーイングだったが、強そうなやくざ者・木枯らしの仙三(江原真二郎)が通りかかるのを見つけると、久太郎を放り出して、そっちに行ってしまった。

「旅の恥はかき捨てだ。オイラ年中旅しているから、年中恥かいて良いんだ」
自分にそう言い聞かせ、村を去ろうとする久太郎におふみがオムスビの包みを押し付けて走り去った。呆然とする久太郎に村長の息子が縋りつき、「オラ、おじちゃんが好きだ。おじちゃんに半兵衛を切って欲しいんだ」と訴える。

久太郎を馬鹿にした仙三は、半兵衛に果し合いを申し込むが、五両の小判であっさり寝返ってしまった。一揆を企てた咎で村長はしょっ引かれ、村は五十両を請求される。仙三から小判を取り上げ、村人に渡そうとする久太郎を村人たちが取り囲み、「お前らやくざ者は、食うだけ食って何もしてくれない」と罵った。腹を立てた久太郎は啖呵を切った。
「お前ら、自分じゃ何もしないじゃないか!オイラが殺されたって、何とも思わずに別のやくざを雇うだけじゃないか!オイラ、お前らみたいに汚い人間じゃないんだ!オイラ、あの娘にだって指一本触れちゃいないんだぜ!」
自分たちに累が及ばないように、流れ者を使って代官を亡き者にし、その報酬に身寄りのない娘の体を差し出そうという村人たちの浅ましさに心底嫌気がさしたのだ。
それでも、おふみの懺悔と彼女のささやかな夢に心を動かされた久太郎は、半兵衛一行を追いかけ、村長を逃がし、半兵衛と対峙することとなる…。》

秋の章は、おいねの存在感が光っていた。彼女は、〈陰で涙しつつも黙って不遇に耐える遊女〉などと言う男にとって都合の良い女の像からは大いにはみ出し、激しく自己主張する。猪之助が自分のために命を落としても、それはそれとして、猪之助を殺した千太郎に想いを伝える。彼女はきっと、千太郎の死を知っても後を追ったりはしないだろう。彼女の逞しさの前では、ふらっと現れ、あっさり死んでしまう男二人はあまりにも儚い。
冬の章は、早くに親を亡くした若者と家族を捨てた老人との、束の間だけど濃密な心の交流が、ベタではあるがグッと来た。若者には腕力で負け、娘には罵られる老いぼれやくざの侘しさを志村喬が味わい深く演じ、「不良青年が知り合ったばかりの他人のために命を捨てる」という少々無理のある設定を観る者に素直に受け入れさせてくれる。
春の章は、3話の中で抜群の面白さだった。若い旅鴉が、不遇な村娘に淡い恋心を抱き、娘も彼に惹かれていく。喜劇色の強い物語の中で、若い男女の心の機微が意外なほど繊細に描かれていた。長脇差も、カッパも、三度笠もパッパッと投げ捨てて、堅気で生きて行くことに決めた久太郎を菜の花畑の明るい黄色が祝福している。冬の章で文造が源太に言った「お前はまだ、本当のやくざの汚さも、旅の惨めさも知らない。まだ若いのだからやり直せる」という言葉を思い出して、源太にもそんな幸せがあったなら…としみじみもした。幸せになれる性格、なれない性格ってあるのだろう。
オムニバスって、主演俳優の力量の差が浮き彫りになる残酷な手法だなと思った。中村錦之助が別格なのだ。錦之介が10点満点なら、仲代が7点、松方が5点というところか。マヌケでヘッポコだが心根の真っ直ぐな若いやくざ者を愛嬌たっぷりに演じるので、観る者は久太郎の幸せを願わずにはいられなくなる。表情やしぐさの一つ一つに魅了され、花も実もある稀代の名優であると感嘆した。
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マザー

2015-08-26 09:26:12 | 日記
『マザー』(2014年)は、『おろち』『洗礼』『イアラ』などで知られる漫画家の楳図かずおが、77歳にして初となる長編映画監督を務めたホラー映画。主演は片岡愛之助。

《数々のヒット作、名作を放ってきた漫画家・楳図かずお(片岡愛之助)の母イチエ(真行寺君枝)が死んだ。その日からかずおの周りに漂う紫煙、誰も触っていないのに割れる皿、窓ガラスの手の跡などの怪異が起きるようになる。イチエがかずおの顔を見ながら度々言っていた「お前、似てきたね」とは、誰に似てきたという意味なのか?「自分のお葬式に参列してきた」「お礼参りに行ってきた」というのはどういう意味なのか?そして、イチエが死の間際の病床で掴んでいた黒髪の束は誰のものだったのだろうか?

そんなかずおのもとに、ある出版社から彼の半生を記した書籍の企画が舞い込んでくる。その担当編集者となって取材を重ねる若草さくら(舞羽美海)は、かずおの創作の原点が亡くなった母親イチエにあることを知る。

さくらは、かずおの両親の故郷であり、かずお自身も幼少期を過ごした奈良県の山奥の曾爾村に調査に向かう。そこで、かずおが幼少期に父キミオから聞かされていた〈滝口で水浴びしていた妖女を撃とうとした猟師が、女の妖力により自分の掌を撃ってしまったという話〉と〈夜な夜な山中を彷徨い歩く美女の話〉が、どちらも村に元々あった伝説に村で起きた事件がミックスされた話であり、しかも、猟師に襲われた女と山中を彷徨う女がともにイチエであるらしいことを突き止める。
やがて、木立の間やタクシーの隣席に見える妖しい人影、イチエの葬式の参列者の写真に写る彼女自身の姿など、さくらとかずおの周囲で怪奇現象が頻発する…。》

母親のことを何も知らなかった若き日のかずおが徐々に真実に迫っていく姿を、77歳の楳図かずおが描いている。怖いか怖くないかと訊かれたら、怖くはない。しかし、私は楳図かずおの漫画は、「恐怖」よりも「悲哀」だと思っているので、その点は気にならなかった。楳図かずおは、『洗礼』や『おろち』シリーズの「姉妹」「血」など、女の妄執の哀しさを描かせたら天下一なのだ。
『マザー』のイチエも哀しい女だった。一人の愚かで不幸な女の妄執が、死してなお、息子を振り回す。母の怨念に、村の伝説が絡んで、楳図かずおにしか描けない陰影の濃い世界が展開していく。
私にも弟が一人いるので、母と息子のややこしさというのは何となく分かるのだが、かずおの母が、二人産んだ息子のうち、かずおにだけ執着し、次男ミツグのことは全く気に留めていないのはどうしてだろうか、という点が最初のうちはわからなかった。その謎はちゃんと作中で明かされている。たいして愛されなかった上に、怨霊化した母に大怪我を負わされたミツグには同情を禁じ得ない。
ハチャメチャなようでいて、伏線がきちんと回収されている丁寧なつくりには好感が持てた。ただ、楳図かずおの漫画を未読の人が普通のホラー映画を求めて鑑賞したら、がっかりする作品かも知れない。怪力・駿足で、生き生きと大暴れする幽霊には驚くであろうが、これが楳図かずおの世界なのだ。
そして、すべての謎が解決した後、私が本当に怖いと思ったのは、かずおに熱心に村の伝説を語り聞かせていたキミオの気持ちなのだった。男は女のことがわからないから女が恐ろしいのであり、女も男のことがわからないから男が恐ろしいのである。
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夫バースデーと母襲来

2015-08-25 07:26:45 | 日記

今日は夫のバースデーです。でも、平日は帰りが遅いので、お祝い会は日曜日に開きました。実年齢分ローソクに火をつけたらケーキが火事になるので、ローソクは貰いませんでしたよ。お互い歳を取りました。今年は私の実母も参加しましたよ。
と言っても、お祝い会のために此方に出て来たわけではありません。母は、俳句が趣味なので、だいたい毎月、句会に出るために、せんとくんの都から上京してきます。でも、通常は東京のホテルに一泊してから、俳句仲間と吟行に繰り出すので、うちには来ないんですよ。今回は、娘が夏休みなので、孫の顔を見に来ました。母は子どもの相手が苦手なので、本当に顔を見るだけです。今日帰りますので、彼方に着くまで台風に見舞われなければ良いのですが…。
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鴛鴦歌合戦

2015-08-24 08:03:35 | 日記
『鴛鴦歌合戦』は、1939年12月14日公開のオペレッタ時代劇映画である。監督は当時31歳のマキノ正博(マキノ雅弘)。脚本は江戸川浩二。撮影は宮川一夫。出演は、片岡千恵蔵、市川春代、志村喬、ディック・ミネなど。

《堅苦しい宮勤めを嫌って、清貧を決め込む浪人・浅井禮三郎(片岡千恵蔵)。美男の彼を巡って、同じ長屋の住人で、骨董狂いの父・志村狂斎(志村喬)に悩まされているお春(市川)、近所の別荘の持ち主・香川屋の娘・おとみ(服部富子)、おじ・遠山満右衛門(遠山満)の娘で、親が決めた許嫁・藤尾(深水藤子)の三人が恋のさや当てを繰り広げる。

お春は働き者だが、傘貼りの内職で稼いだ金を父が骨董道楽に使ってしまうので、食べる物にも事欠く赤貧状態である。いつも麦こがしで空腹をごまかすしかない。ガラクタを買い漁っては「家宝が増えた」と喜ぶ父に不平を鳴らしながらも、健気に働くお春を禮三郎は影に日向に気づかっている。

峯澤丹波守(ディック・ミネ)は、狂斎と同じく骨董狂い。骨董商・六兵衛(尾上華丈)には毎度毎度贋作を掴まされているが、「贋作でもこれほどの出来栄えなら、本物以上」などと、詭弁を並べられると、バカなのでその気になってしまう。家来たちもバカ揃いなので、誰も殿様を諌めない。

いつものように骨董品を買いに六兵衛の店を訪れた丹波守は、狂斎と顔を合わせた。お供として同行していた藤尾の父は、邪魔者のお春を丹波守とくっつけようと思いつく。まずは、狂斎の風流心を褒め称え、感心した丹波守に、狂斎へ50両もする掛け軸を贈らせる。お礼に狂斎の長屋に招かれた丹波守は首尾よくお春にのぼせ上がる。その上で、藤尾の父は、掛け軸の代わりにお春を丹波守の妾に差し出せと迫ったのだ。
娘を妾に出す気の無い狂斎は、六兵衛の店に払い戻しに行くが、六兵衛から「申し訳ございませんが、その品はついさっき偽物であるとわかりまして…3両にしかなりません」と、言われてしまう。長年収集したコレクションも二束三文のガラクタばかりで、掛け軸と合わせても12両にしかならない。お春は「お妾なんか死んでもイヤよ」と泣く。狂斎は親子で夜逃げすることに決めた。

お春は、禮三郎に別れを告げに行くが、おとみの策略で会うことが出来なかった。そこに、「狂斎が50両返してきたら、お春を諦めなければならない」と心配になった丹波守が家来とともに現れ、強引にお春を拉致しようとする。これを見た禮三郎が救出に現れ、乱闘になる。が、割と短時間で丹波守一行は逃げ帰って行った。
狂斎は日の高いうちから夜逃げを決行するが、抱えている麦こがしの壺を見た六兵衛が色めき立つ。狂斎がガラクタだと思っていたその壺には、どうやら一万両の値打ちがあるらしい。狂斎とお春は、「これからは金持ち暮らしが出来る」と狂喜する。しかし、禮三郎はそっけない。それどころか、追ってきたお春の腕を振り払うと「金持ちは嫌いだ!殊に成り上がりは嫌いだ!!」と言い放つ。そんな禮三郎にお春は、明るい表情で「うん、わかったわ!」と答え、父の壺を取り上げると、叩き割ってしまった。狂斎も六兵衛も唖然とする。しかし、お春が、「壺は割れるが、真心は割れない」と朗らかに歌うと、禮三郎は喜び、狂斎とおとみもお春の心根を讃える歌を歌いあげるのだった。

最後は、皆で、青空のもと、傘を回しながら歌って踊って、めでたし、めでたし。》

開始早々、丹波守御一行がディズニーアニメばりに歌いながら町を練り歩くのに度肝を抜かれる。バカ・オーラが半端じゃない。そして圧倒されたまま、ノー天気でハッピーな物語の世界に飲み込まれてしまうのだ。登場人物全員、底抜けに陽気で、声が良い。特に、志村喬はたいそうな美声の持ち主である。
台詞と歌が一体化し、無駄やわざとらしさが全く無い。江戸時代なのに外来語が頻出するが、それがまた良い。ここは浮世と異なる夢の世界、という感じ。メイン人物だけでなく、おとみの取り巻き連中やバカ殿の家来たちなどの端役も皆実に楽しげで、場面の後方に小さく映っている状態でも、常にリズムに合わせて体を揺らしているのである。終盤のチャンバラもダンスのような軽快な身のこなしで楽しい。
特筆すべきは、お春役の市川春代の圧倒的な可愛らしさだ。ちょっと舌足らずな甘えた口調で、「ちぇ~っ!」「お父さん、きら~い」「お父さんのバカ!」「お父さん、しっかりしてよ~ん」などと言うのだが、並みの女優が言ったら気色悪いこれらのセリフをひたすら可憐に口にする。動作や表情のすべてが小鳥のように愛くるしくて、嫉妬すら憶えないレベルの高さだ。
「僕はわか~い殿様~♪」とか「さ~て、さてさて、この茶碗~♪さ~ても天下のいっぴんじゃあ~♪み~たか?きいたか?きいたか?みたか~♪」などの暢気でバカバカしい歌が耳に残り、脳内から快楽物質がドバドバ湧いてくる。「山と思えば~山でなし~♪川と思えば~川でなし~♪」って、一体何?「鼻水垂らして儂も泣く~♪」なんて深刻な場面なのに吹き出してしまう。
しかし、本作が公開された年の背景を思うと、胸が痛くなる。2年前の1937年には盧溝橋事件をきっかけとして日中戦争が勃発。1939年9月のドイツのポーランド侵攻、続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争が始まり、その後1941年12月の日本対米英の開戦によって、戦火は全世界に拡大した。『鴛鴦歌合戦』は、日本中が焦土と化すほんの一瞬前に生まれた、美しい幻影のような作品なのである。

※『鴛鴦歌合戦』は、27日(木)13時から、NHKのBSプレミアで放送されますので、興味をお持ちの方はご覧になってください。
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