青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

大掃除終了

2016-12-29 08:31:50 | 日記
今日から主人が冬休みですが、我が家の大掃除は昨日終了しました。
主人に負担がかからないように、クリスマスの翌日から娘と二人で分担して片付けましたよ。娘にやってもらったところは、私がやり直さなければならなかったので、二度手間ではありましたが、やらせないと覚えないので仕方がないですね。
手袋をつけるとうまく力が入らないので、素手で掃除をしていたら指がガサガサになりました。腰痛も悪化して辛いです。万歳が出来ない…。


師走でも、凜と桜は平常運転。
この画像、直前まで二匹が鼻と鼻を擦り付け合っているのがチューしているみたいで可愛かったのですが、シャッターが切れるのが遅くて顔が離れてしまいました。残念。

元日早々床が抜け毛だらけなのは嫌なので、二匹の入浴は今日中に済まそうと思っています。換毛期じゃないので凜ちゃんの抜け毛も控えめですが、それでも入浴後2~3日は抜け毛が多くなりますので。


桜は相変わらずテレビっ子。
動物番組が大好きで、つけるとテレビの前に陣取ります。一番のお気に入りは『世界ネコ歩き』ですが、動物番組なら何でも視聴します。ネコが出てくるのを期待しているらしいです。偶にワオキツネザルなどしっぽの長い動物のことをネコと間違えて凝視しているのが笑えます。
桜にとってテレビとは〈向こう側に時々ネコがいる板〉みたいです。窓ガラス越しに外の風景を眺めているのと同じ感覚なのではないでしょうか。
今、画面に映っているのは、『プラネット・アース』。ユキヒョウを大きなお仲間だと思っているようです。向こうから見れば、桜などただの餌でしょうが。


凜は紐をカジカジ。
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クリスマス2016

2016-12-26 10:18:45 | 日記

24日に家族でクリスマスのお祝いをしました。
ケーキは自宅で焼きましたよ。苺とキウイをのせて赤×緑のクリスマスカラーにしました。
夫の実家は先祖代々カトリックなのですが、クリスマスはミサに行くだけで特にお祝いはしていなかったそうです。


去年までは外食だったのですが、今年は自宅で料理を作りました。
ポテトサラダ、エビマヨ、ミートパイ、ローストチキンです。この日は半日くらい音楽を聴きながらオーブンの前に立ちっぱなしでしたよ。
ケーキ同様、ポテトサラダもクリスマスを意識してプチトマトとブロッコリーで赤×緑にしてみました。大量に作ったので、まだ残っています…。


娘へのプレゼントは、スーパーマリオメーカーです。マリオシリーズは、私が子供の頃からあります。長く愛されていますね。髭のオジサンなのに可愛い。
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2016-12-22 07:17:50 | 日記
『氷』は、アンナ・カヴァンが書いた最後の長編。死の前年、1967年に刊行された。スリップストリーム文学の中で最も重要な作品の一つと言われている。

BVLGARI BLVの広告コピーが「燃えながら凍っている」だったけど、この小説もそんな冷たい熱狂に支配されている。迫りくる氷河期、略奪と殺戮の蔓延する世界が、オーロラのように幻想的な筆致で描かれているのだ。世界の終わりとは、こんなにも静謐で美しいものなのか。

長年にわたる熱帯地方での勤務を終え帰国した主人公の“私”は、異常な厳寒の中を“少女”の家へと車を走らせている最中に道に迷ってしまう。
帰国の理由が“少女”という訳ではなかった。非常事態が起こっているという噂を調査するためだ。だが、この国についた途端、“私”は “少女”のことしか考えられなくなる。

この先、“私”は世界の終末と伴走しつつ、ホログラムのように現れては消える“少女”を追い続けることになる。
“少女”を追って某国に潜入した“私”は、要塞を思わせる《高い館》を拠点に絶対的な権力をふるう“長官”と対峙することになる。“少女”の身柄を拘束し、虐待を加える“長官”は奇妙なほど“私”に似ている。
“少女”も二人は同じだという。残酷で不誠実な裏切り者だ。

時代背景も人物のプロフィールも不明。脈絡もなく場面が切り替わり、また、その場面が現実なのか幻想なのかも曖昧だ。
例えば、“男”と呼称される人物が出てきた時、それが、“少女”の“夫”のことなのか、“長官”のことなのか、はたまた“私”が見た幻覚の人物なのかが判然としない。読者は冷たい熱病に浮かされた精神状態で、物語を読み進めることになる。

“私”、“少女”、“長官”は、いったい何者なのか?“私”は“少女”とどうなりたいのか?すべてが不明瞭なまま、破滅の瞬間に向かって“私”は疾走する。

本作のシンボルともいえる“少女”は非常に美しい容姿の持ち主として描かれている。
特に銀色の長い髪は、たびたびダイヤモンド、ガラス、水銀、月の光などに喩えられる。それらはすべて氷を連想させる。
初登場時から骨が透くほど肉の薄かった体は、物語の進行とともに更に痩せ細っていく。
幻想と現実の両方で、幾度も謂れなき虐待を受け、“少女”は死ぬ。折れた骨の先端が肉を破って突き出したり、バラバラに砕けた無残な屍を晒したりしながら、“少女”は幾度も“私”の前に現れ、逃げ続ける。

物心ついて以来、“少女”は犠牲者として運命づけられると自己認識していた。
もっとも傷つき易かった頃からシステマティックになされた虐待は、人格の構造を歪め、彼女を犠牲者に変容させた。最初は母親。次に夫。それから“長官”。少女に係る人間はすべて彼女の虐待者となる。

“私”もまた、“少女”に対して嗜虐的だ。
“私”は、“少女”が“私”に所属していると考えている。

“ガラスのように輝く巨大な氷塊の輪。少女はその中心にいる。頭上はるかにそそり立つ氷の断崖から、目もくらむような閃光が投射され、下方では、早くも少女のもとに達した氷の最外縁がコンクリートのように足と踝を固定して、彼女を動けなくさせている。私は、その氷が少しずつ少女の脚を這い昇り、膝から腿を覆っていくのを見つめ、少女の口が開かれて白い顔にうがたれた黒い穴となるのを見つめ、かぼそい苦悶の叫びが発せられるのを聞く。哀れみはいっさい感じない。それどころか、苦悶する少女を見ていることで、説明しようのない歓びを感じている。”

“少女の眼から大粒の涙が氷のかけらのように、ダイヤモンドのようにこぼれ落ちたが、私は心動かされなかった。私には、それが本当の涙だとは思えなかった。少女自身がとても本当の存在には思えなかった。青白く、ほとんど透きとおっているような少女は、私が夢の中で自分の快楽のために利用する犠牲者だった。”

この冷酷さは、“私”自身、是認できないものだ。
“少女”への嗜虐欲は様々な要因が結びついて生まれてきたものだが、それが酌量の対象になる訳では無いことは理解している。だからといって、己の心を矯正する気はない。本能の赴くままに、“私”は“少女”を追いかけ、捕まえては、虐待を加え、逃げられる。

虐待を受け続ける“少女”は、何の暗喩なのだろうか。
“少女”が優しさというものを僅かでも知っていたなら、世界は変わっていたかもしれない。普通の小説なら、主人公がヒロインである“少女”を優しく包み込み、世界を救う役割を果たすものなのだが、本作では主人公の“私”が虐待者の一人なのだ。

“「あなたに会う時はいつだってわかっている。あなたが私に酷いことをするってことが……足蹴にして……奴隷か何かみたいに扱う……すぐにでなくとも、一時間か二時間たてば、でなければ翌日には……必ずそう……あなたはいつだってそう……」”

“私”が見たくないと思っている“私”自身の姿を “少女”の口から直接語られたことにより、漸く“私”は衝撃を受ける。そして、“少女”が何度期待を裏切られても “私”を待っていたことを知るのだ。

海を渡って近づいてくる氷の壁が、最終的にはすべての生命を滅ぼすべく定められていることを“私”は既に知っている。なぜ、“私”はこれほどまでに長い間、“少女”にやさしくするのを押しとどめてきたのだろう。今、もうほとんど手遅れと言っていい時になるまで。

“私”が、つい今しがた、穏やかな思いやりに新しい喜びを見出したことなど、“少女”には分かる筈も無い。これまで“少女”をどんな風に扱ってきたかを考えれば、“私”が受けるに値するのは疑念以外にあり得る筈も無かった。まだ緊張したままの“少女”を励ましながら、“私”は最後の道のりを進む。最早、“私”に出来るのは、せめて“少女”にとっての終わりの時を苦痛の無いものにすることくらいしかなかった。

氷と死の超絶的な世界が、生ける世界に取って代わっていく。生命は無機質の結晶に還元され、窓外には氷河期の凍った真空が広がっている。“少女”と二人、凍てつく夜を突いて車を走らせながら、“私”は殆ど幸福と言っていい思いに満たされていた。逃亡の道は無いことは分かっている。地球最後の二人として、ともに氷に飲み込まれるまでの短い間、ポケットの拳銃の重さが心強い安心感を与えてくれる。読後、甘く官能的な絶望感が残った。
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追い猫・追われ犬

2016-12-19 07:14:11 | 日記
桜は凜が大好き。
日がな一日、凜を追いかけて狭い家の中をウロウロウロウロ。小さい四つ足が大きい四つ足について歩いている姿は、後ろから見るとなかなか可愛らしいものです。

しかし、私たちには微笑ましくても、パーソナルスペースの広い凜にとっては迷惑なこと。
折角良いポジションでお昼寝していても、桜が纏わりついてくるとイヤッたらしい顔をしてチラチラ振り返りながら逃げてしまいます。
でも、桜は諦めません。
かくして、しっぽ隊の大移動が延々と繰り広げられることとなります。切りが無いから、凜が諦めて受け入れたほうが楽になると思いますけど…。


凜、椅子の上なら大丈夫と考えたみたいですけど、桜にねじ込まれてしまいました。


桜にしつこく爪や耳を舐められて、椅子から逃亡する凜。この距離感が…(苦笑)。


この後、添い寝を試みて逃げられました。
そっと寄り添うだけなら良いのでしょうけど、延々と舐めたり匂いを嗅いだりしてくるのが煩わしいんですよね。
私も一緒の部屋で寝た時にやられましたが、かなり迷惑です。
振り払っても、振り払っても、顔面や頭髪を舐めたり嗅いだりし続けるので、結局、退室してもらいましたよ。後、本棚の上から顔面の至近距離に飛び降りるのも、危険なのでやめて欲しいです。「ニャフッ」というという着地音は可愛いのですが。


丸太のごとく転がる凜。ああ、しんどい…。


追いかけっこ、お疲れさま!
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とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢

2016-12-15 07:25:48 | 日記
ジョイス・キャロル・オーツ著『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』には、中編「とうもろこしの乙女、ある愛の物語」、と短編「ベールシェバ」、「私の名を知る者はいない」、「化石の兄弟」、「タマゴテングダケ」、「ヘルピング・ハンズ」、「頭の穴」の七作が収録されている。

七つの物語は、人物の年齢も境遇もバラバラだが、一見被害者と加害者に分かれているような二人もしくは二グループの人物たちが心の深い所では共鳴し、愛の交歓のように悪夢を育てていく点が同じだ。何れも善と悪、幻想と現実、愛と憎しみの境が曖昧で、読み手によって解釈が分かれるだろう。

「とうもろこしの乙女、ある愛の物語」
13歳の少女ジュードは、取り巻きのデニースとアニータとともに、美しい金髪の下級生マリッサを〈とうもろこしの乙女〉として生贄に捧げる計画を実行に移す。
マリッサを言葉巧みに誘導し、自宅の地下室に閉じ込め、写真を撮り続けた。後世へ残す記録だ。神様だって止めやしない。この時、ジュードは万能感で満たされていた。
暗黒のジュードにとって〈とうもろこしの乙女〉は、外の世界のアホどもへの完璧な復讐だった。

マリッサは、シルクの様な金髪と愛らしい顔立ち、軽度の知的障害、そして、貧しい母子家庭だけど優しく美しい母リーアに愛されているという点がジュードとは対照的だった。
コイルみたいな髪、地味な顔立ち、名家でありながら愛の不足した家庭、知能は高いが評価してくれる者がいない孤独…ジュードが抱えるそれらの不如意とは無縁の存在。それが〈とうもろこしの乙女〉だ。
はじめて〈とうもろこしの乙女〉を知った時…あの子の輝く金髪と母親にキスされている姿を見た時、ハートに矢が刺さった。あたしの存在に気づかせてやる、絶対に許さないとジュードは思った。

狡猾なジュードは、マリッサ誘拐事件の犯人として濡れ衣を被せる男も用意していた。ジュードの学校のコンピュータ教師ミカールだ。ジュードは彼の関心を切望し、それが叶わないことで恨みを募らせていたのだ。
ジュードは取り巻きに警察がミカールを疑うように偽の証言をさせ、自分は彼の駐車場にマリッサが髪に留めていたバレッタを置いた。そのうえで、ミカールが髪フェチであるという噂を流した。

姿を見かければ嬉しい。話しかけて貰ったらもっと嬉しい。
そんな身近なアイドルとして学生時代の一時胸をときめかせ、やがて思い出すことも稀になっていく存在。多くの少女にとって、ちょっとハンサムで魅力的な若い男性教師とはその程度の存在だ。

だけど、ジュードは違った。
自己卑下と自意識過剰に振り回され、狂気じみた妄想に浸る彼女は、承認欲求を満たしてくれる存在としてミカールを意識してしまった。一匹狼で冷笑的なミカールに自分と同じにおいを感じたのだ。それなのに、ミカールは彼女の存在を気に留めてくれない。裏切られた気分だった。

若い娘の悪意とは天災みたいなものなので、有効な予防法・対処法はない。ロックオンされたら、嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかない。ジュードの得体の知れない情念をミカールは“狂気”と認識し、リーアは“邪悪”と表現した。彼らは、ジュードが自家中毒に陥り勝手に自滅するまで成す術がなかった。

ジュードのためにミカールとリーアは多くのものを失ったが、失ったものよりずっと価値のあるものを得た。人生の再出発、家族の絆、本当に学びたい学問、やりがいのある仕事、そして、互いの存在。

その一方で、マリッサは一人悪夢の中に取り残されている。
大人は理解の出来ないものには適当なレッテルを張って封印してしまうけど、マリッサにはそれが出来ない。母とミカールと三人で家族みたいに過ごしても、自分だけが透明人間になった気持ちだ。まるで、ジュードの孤独が乗り移ったかのようだ。〈「死の影の谷」にあっても私が汝を永遠に守ろう、アーメン〉。悪い女の子はもういなくなったのに、誓いの呪文がいつまでも聞こえてくる。

「ベールシェバ」
若い頃は女にもてるのが当たり前だったが、四十路を超えた現在はパッとしない日々を送るブラッド。かつては筋肉質だった体にもでっぷりと脂肪がつき、糖尿病まで患っている彼をチヤホヤしてくれる女はもういない。

ある夜、謎めいた若い女から電話がかかって来た。声に聞き覚えはあるが、誰なのかわからない。でも、若い女なら会ってみる価値はある。
下心を抱いて呼び出しに応じたブラッドだったが、女は期待していたような美女ではなかった。ガッカリするブラッドに、女は懐かし気に「ブラッド・パパ」と語り掛けてきた。

彼女の正体は、ブラッドが若い頃ほんの数年夫婦生活を送っていたリンダの連れ子ステイシー・リンだった。リンダと別れてから一度も思い出すことのなかった元義理の娘。そのステイシー・リンに連れられて訪れた廃墟となった教会の墓所。そこで、ブラッドはステイシー・リンの狂気に飲まれていく。

この後ブラッドがどうなったのか分からない。
ステイシー・リンの畳みかけるような糾弾に飲まれて心が石化状態だ。ステイシー・リンと彼自身の記憶のどちらが正しいのか?読者にも彼にもわからない。

「私の名を知る者はいない」
9歳のジェシカに妹が出来た。両親の愛情を独占する赤ちゃん。
ママが女友達と話すのを聞いてしまった。ジェシカの時よりも赤ちゃんの方がプレゼントの数がずっと多いらしい。
ママがパパに「ジェシカが赤ちゃんの時よりも深い愛を感じる」と話しているのを聞いた。パパも「僕も同じかもしれない」とため息をつきながら答えていた。
パパとママの腕も、お気に入りのベランダも赤ちゃんに譲らなければならなかった。〈もう愛してくれないの?〉

家族と湖のほとりの別荘で過ごす夏。
ジェシカはグレーのネコが話す声を聴いた。〈私は私、私の名を知る者はいない〉。ネコはジェシカの名を呼んだ。不思議な力を持つネコはジェシカの複雑な思いをお見通しだった。赤ちゃんへの愛憎を持て余すジェシカはネコとの交信を重ねる。そのうちに「見えている」はずの赤ちゃんの姿が「見えない」ことに気づいた。

ネコが子供の息を吸い取り、殺してしまうという迷信を底に敷いた物語。
現実と幻想が曖昧なジェシカと人界と超自然界を行き来するネコが交感した時、運命が暗転する。赤ちゃんを殺したのは本当にネコだったのか?ジェシカは赤ちゃんのことを憎んでいただけでなく、ちゃんと愛していたのだけど…。収録作の中で、最も痛ましい主人公だった。

「化石の兄弟」、「タマゴテングダケ」は、ともにサイコパス的な兄と虚弱な弟という組み合わせの双子譚。
双子設定は好きな人には堪らないものがあるようだが、私はこの設定には心惹かれないので、正直2作もいらなかったなぁと思う。2作とも予想通りの結末で、まさにその意外性の乏しさこそが私の興味をひかない理由なのだ。分かち難い二人の組み合わせなら、「タマゴテングダケ」に出てきたポーの「ウィリアム・ウィルソン」の様なドッペルゲンガー譚の方が興味深い。

「ヘルピング・ハンズ」
裕福な未亡人ヘレーネは、退役傷病軍人のための施設ヘルピング・ハンズに夫の遺した衣類を寄付しに行った。

彼女はそこで働いていた年下の帰還兵ニコラスに魅了される。
魔法のように親密になったと思ったら、唐突に冷たくなるニコラスにヘレーネは翻弄され、彼に崇拝されたい、彼に愛されたいと願うようになる。
ヘレーネは彼を食事に連れ出し、やがてはヘルピング・ハンズの仕事にかこつけて自宅に招くようになるのだが…。

男が一枚上手というだけで、彼女が純然たる被害者であるとは思えない。
彼が大学に復学できるように金銭を援助したいと願う。彼に不釣り合いな上質の衣類を着せ、彼が一人では出入り出来ないような由緒あるレストランに伴う。周囲の好奇の視線にも気付かずに…。

ニコラスという男は、生まれ落ちた瞬間からアメリカ社会の負け組だ。
繊細で頭の良い彼は、金持ちの欺瞞に敏感で、施しを受ける度に凶暴な衝動を募らせていく。夫の遺品のカーディガンを押し付けられてムッとしたり、高級レストランで悪酔いしたり、ヘレーネの上品な台所でガサツに飲食したりするニコラスの態度からは、ヘレーネの無意識の傲慢・偽善に対する嫌悪と怒りが窺えるのだ。

だが孤独に囚われているヘレーネは、男の真意を理解しようとはしない。クルクル変わる男の態度に惑わされ、恋をしているような錯覚を抱いてしまう。
ここまで酷い結末に至らなくても、育ちの違いによる男女間の齟齬とは誰の身にも起り得ることではないだろうか?

「頭の穴」
美容整形外科医のルーカスは、裕福な女性相手に安定した地位を築いているようだった。
だが、実際には不況により顧客は激減し、施術料を踏み倒す客も出始め、税金の支払いにも窮する状況に陥っていた。妻とは不妊治療の失敗から離婚寸前の別居状態。ストレスからか、メスや注射器を握る手もおぼつかなくなり、クレームが増えてきた。

ルーカスは、自分の人生は失敗だったと感じ始めている。
本当は神経外科医になりたかったのだ。だが、その分野に適性がないことは、研修医時代から明白だった。頭蓋骨局部切除を行う開口手術の助手として頭蓋骨に穿孔する役を任された際に、屈辱的な醜態を晒してしまったのだ。
神経外科の道を諦めた彼は、美容整形外科に転向した。

客を選んでいる余裕のなくなったルーカスの元に、イルマという女性から頭蓋穿孔手術を受けたいとの相談が舞い込んできた。
頭蓋穿孔手術には美容的な効果はない。寧ろ、前頭葉を傷つける恐れがある危険な手術だ。ルーカスは当然この依頼を受けないつもりだった。以前にも同じ依頼をしてきた女性がいたが、やたらと喧嘩腰で断ったらカウンセリング料を踏み倒された。でも、イルマの態度は好戦的ではない。カウンセリングくらいならしても良いかもしれない。

残念ながら、イルマは狂人だった。
古代エジプト史を持ち出し、スピリチュアルな話を捲し立てる彼女とまるで会話が成り立たない。何とか断ろうと四苦八苦するルーカスであったが、いつしかイルマの勢いに飲まれてしまい、二人だけの秘密で手術を行うこととなった。

前半に、研修医時代の手術の失態が克明に描かれているし、その後もルーカスの精神が不安定になっていく過程が執拗に描かれているので、当然この手術は大失敗に終わると予想される。ルーカスがどれだけ無様な醜態を晒してくれるのか、ページを捲る手に期待が籠る。

飛び散る鮮血、焼けた肉と骨の臭い。
グロテスクを通り越してユーモラスでさえあるキリキリ舞いのスプラッタ劇を演じ切り、遺体遺棄のために車を走らせるルーカス。本人は適切に対処しているつもりだが、遺体の梱包も現場の隠蔽もてんでなっていないので、犯行が明るみになる日は近いだろう。

道中、ルーカスは交通事故の現場に行き合わせた。
その時、彼の中で医師としての使命感が爆発した。トランクの中には彼が死なせた患者の遺体が入っているというのに…。

役に立ちたい、手伝わせて欲しい……本当は命を救う医者になりたかったのだ。
しかし、彼には才能が無かった。
「医師なんです。神経外科医。ケガ人を診ましょうか」と申し出る彼に構ってくれる警官はいなかった。それでも「医師なんです、使命なんです」と執拗に言い募る彼の姿は人生の敗残者そのもので、滑稽なのに切なかった。
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