(新薬師寺 南門)
『春日大社と摂社』の続きです。
春日大社を後にして、上の禰宜道を通ると不空院に続く道に出ます。
私、前回のブログで中の禰宜道と書いていましたが、地図を見たら間違っていました。中の禰宜道からでも不空院・新薬師寺方面に行けます。
真言律宗 春日山 不空院。
弘法大師にちなみ「福井之大師」とも呼ばれ、女人救済のお寺としても知られています。
本堂。
本堂の左側に、縁結びさんと縁きりさん。
女人救済のお寺だからでしょうか。
不空院を出て春日大社と反対方向にまっすぐ歩くと新薬師寺の東門に出ました。
新薬師寺境内。
新薬師寺は、747年に光明皇后が聖武天皇の病気回復を願って建てた寺院です。
今でこそこじんまりとした寺院ですが、8世紀後半には、約436m四方の広大な境内に七堂伽藍甍が並び、金堂や東西両塔をはじめとする多くのお堂が建つ壮大な寺院でした。南都十大寺に数えられていたそうです。
本尊の国宝・薬師如来坐像とその両脇の日光菩薩・月光菩薩の周りには、国宝・十二神将立像が円を描くように配されています。
十二神将とは、薬師如来と薬師如来を信仰する人々を守る大将で、神将一体に七千の眷属を率いていると言われています。
新薬師寺の十二神将は、塑像を用いたほぼ等身大の彫刻で、日本最古最大の十二神将像です(一体は江戸時代に地震で破損したため補作)。
薬師如来坐像の周囲に、バザラ(戌)、アニラ(未)、ハイラ(辰)、ビギャラ(子)、マコラ(卯)、クビラ(亥)、ショウトラ(丑)、シンダラ(寅)、サンテラ(午)、メイキラ(酉)、アンテラ(申)、インダラ(巳)の順で配置されています。
SNS映え目的の人には残念なお知らせですが、新薬師寺の本堂内部は撮影禁止です。
でも、個人的に新薬師寺の十二神将像は日本一かっこいい仏像だと思うので、ぜひ現地に見に行ってほしいと思います。躍動感あふれるポーズで我々をにらみつけてくる十二神将像の迫力は体験して損はないですよ。
新薬師寺じたい、薬師寺と混同されていたり(宗派も創建の由来も異なる全く無関係のお寺です)、奈良観光の中心地から少し離れているのでスルーされがちですが、奈良に行くなら絶対に立ち寄るべきだと思います。春日大社から徒歩圏です。東大寺や正倉院とは逆方向ですが💦
見学の際には、本堂より先に香薬師堂に行ってビデオ学習をすると理解が深まるのではないでしょうか。香薬師堂は本堂の入り口側にある庭園の中にあります。
私達が行った時には、バザラ像の色彩復元のビデオが上映されていて、出来たばかりの頃の色彩の鮮やかさとデザインの美しさに感動しました。娘コメガネは戌年なので、自分の干支の神将の美しさを喜んでいました。
現存する像にもわずかに当時の塗料が残っているので、天平時代からの時の流れに思いをはせながら本堂の実物の像を鑑賞しました。自分の干支の神将に蝋燭をお供えするとよいです。
新薬師寺を出て、隣接する鏡神社を参拝しました。
鏡神社は遣唐使発遣の祈祷所であった当地に、平城天皇即位の大同元年(806年)新薬師寺鎮守として創祠されました。祭神は天照皇大神、藤原広嗣公、地主神です。
本殿は春日大社の元第三殿だそうです。
比賣神社(旧比賣塚)。
御祭神は十一皇女。
鏡神社の摂社です。鏡神社とは新薬師寺を挟んで反対側に位置しています。
この後、白毫寺に行こうと思っていたのですが、コメが疲れたと言うので、そのまま元興寺の方に歩きました。新薬師寺から元興寺も歩くとそこそこ遠いので・・・私は歩けますが、コメは若者の癖に我が家で一番歩くのが苦手なんですよ。
まぁ、白毫寺は花の季節に行った方が楽しいので・・・。
新薬師寺旧境内。
2008年に、奈良教育大学校舎改築に伴う発掘調査が実施され、構内で大型基壇建物跡が検出されました。
元々は奈良教育大学辺りまで、新薬師寺の敷地内だったんですかね。現在の新薬師寺から歩くと、当時の新薬師寺の大きさを少し感じることが出来ました。
古刹によくあることですが、新薬師寺も落雷・台風・火災などの被害で、敷地も当時よりだいぶ狭くなって、貴重な建造物や仏像なども破壊されてしまったのが残念です。
少し長くなったので、今回はここまで。
元興寺以降は、また次回のブログで。