青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

地震と出張

2015-05-31 06:27:43 | 日記

昨晩、小笠原で震度5の地震がありましたね。その小笠原に、なんと今日から主人が出張です。勿論、地震のためではなく、前々から決まっていた出張なのですけど、余震が気になりますから、出来れば延期にして欲しかったですね。なぜ日曜に…と思いますけど、今回は三宅島経由なので、片道26時間ほどかかるので、今日出発しないと、月曜に間に合わないのだそうです。早朝にお見送りしたので、娘は二度寝です。凜も眠い。

主人は、ゴールデンウィーク明けから出張が続いていて、先週は長崎に行っていました。その前は、八丈島でした。出張が続くと、お土産代も馬鹿にならないですね。職場にも何か買っていかないといけないので、うちはいいよと言っているのですが、いつも何か買って来てくれます。このワッフルは、苺、抹茶、サツマイモ、ジャガイモ、ミルクの五種類で、ジャガイモ味が一番美味しかったです。小さい箱は、長崎物語。
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柏葉紫陽花

2015-05-29 06:32:56 | 日記

今年も柏葉紫陽花が花を咲かせました。毎年、花後に膝丈まで強剪定するのですが、翌年には、2メートル位に育っていますね。雑な剪定でもちゃんとたくさん花をつけてくれるので、ありがたいです。我が家の庭には、額紫陽花も植えてあるのですが、こちらは花付きが良くないです。葉っぱは繁っているので、剪定に問題があるのでしょうね。いっそのこと、今年は花後も剪定しないで、自然に任せてみようかとも思っています。

深山ホタルカズラと、金雀枝です。金雀枝の鮮やかな黄色には、毎日元気を貰っていますよ。

ランタナは、これから盛夏に向けてどんどん大きくなります。
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雨月物語

2015-05-28 06:44:26 | 日記
『雨月物語』は、1953年公開。監督は溝口健二。主演は森雅之、京マチ子。上田秋成の『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を川口松太郎と依田義賢が脚色した。第13回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞。

琵琶湖北岸の百姓・源十郎(森雅之)は、畑仕事の傍ら、焼物を売っていた。長浜が羽柴秀吉に占領され、賑わっていることを知った源十郎は、妻の宮木(田中絹代)と一人息子を残し、侍志願の義弟・藤兵衛(小沢栄)を伴って焼き物を売りに行く。源十郎は、儲けて帰ってきた。藤兵衛は、市で出会った侍に家来にしてくれと頼むが、具足と槍を持っていないので断られる。
源十郎は、更に儲けようと焼き物作りに没頭するが、宮木は「親子三人が穏やかに暮らせれば充分」と嘆く。源十郎が窯に火を入れた時、柴田勝家の軍勢が村へ押し寄せて来た。村人たちは山へ避難する。源十郎が窯の様子を見に戻ってくると、焼物は綺麗に焼けていた。
村にいては危ないので、源十郎たちは湖畔から船で長浜へ向かうことにした。しかし、海賊に襲われた男の船と出会い、男の忠告を聞いて、宮木と息子を村へ返す。
長浜で源十郎の焼物は大いに売れた。分け前を貰った藤兵衛は、止める妻・阿濱(水戸光子)を振り切り、具足と槍を買って侍の軍に加わる。その間に阿濱は野武士の集団に強姦されていた。
源十郎が市で焼き物を売っていると、供を連れた上臈の女に声をかけられた。女の妖艶な姿に言葉を失う源十郎。女は、織田信長に滅ぼされた朽木氏の姫・若狭(京マチ子)だった。
屋敷に焼き物を届けるように言われた源十郎は、途中の店で宮木に着物を買おうとする。源十郎が、着物を身に着け、笑顔を見せる宮木を夢想した刹那、迎えに来た若狭が現れる。若狭の美貌に目を奪われ、源十郎は宮木のことを忘れてしまう。そして、そのまま屋敷に居着いてしまうのだった。
そのころ、宮木は、落ち武者に槍で突き殺されていた。
藤兵衛は敵大将の首を偶然拾い、自分の手柄として報告した。褒美に貰った馬に乗り、家来を引き連れ、村へ凱旋しようとする。途中で寄った宿に遊女に落ちぶれた阿濱がいた。阿濱の恨み言を聞き、己の過ちに気づいた藤兵衛は許しを乞う。
その頃、源十郎は、市で買い物をするが、朽木屋敷へ届けるように頼むと、主は恐れをなして代金も受け取らない。帰り道で僧侶から「お前は死霊と望んではならない恋をしている。死相が出ているから、早く妻子の元へ帰りなさい」と諭され、体に呪文を書いてもらう。屋敷に戻ってから、「実は妻子がいるので、村に帰りたい」と言う源十郎。若狭は嘆き悲しみ、引きとめようとするが、呪文のために触れることができない。源十郎は気を失う。
翌朝、源十郎が目を覚ますと、そこには屋敷などなく、荒れ地が広がっていた。帰路、稼いだ金品をすべて侍に奪われた源十郎は、着の身着の儘村に辿り着くが、村は荒れ果てていた。そんな中で、宮木は待っていた。源十郎は、暖かく出迎えてくれた宮木の笑顔を見て、己の過ちを悟る。しかし、翌朝目が覚めると、宮木がいない。村長から宮木が殺されたことを聞かされた源十郎は、宮木の墓前で心を入れ替えて生きていくことを誓うのだった…。

田中絹代演じる宮木の健気な妻ぶりと、京マチ子演じる若狭の妖艶な死霊ぶりの対決だが、私としては、京マチ子の若狭に軍配を上げたい。身の丈に合った生き方のできない亭主を死んでも待ち続ける妻なんて、それこそファンタジーでしかないだろう。源十郎は、若狭から逃れる時に怖い目にあったけど、さんざん良い思いをさせて貰ったのだから、お釣りが出るくらいだ。しょうも無い男に想いをかけて、若狭も気の毒だと思った。
とにかく、京マチ子の人間離れした美しさが素晴らしいのだ。妖気漂う、怖いくらいの完璧な美女だ。小汚い人間しか歩いていない埃っぽい市に若狭が登場した途端、日常空間が裂け、そこに異界が広がる。一瞬にして空気がひんやりする。能面のような表情、すべらかな歩き方、まろやかな声、優雅な舞…。説明がなくても観る者に、「この女は化生だ」ということを覚らせる存在感はさすがだ。作品全体を覆う幽玄な雰囲気は、すべて京マチ子一人が作り出しているといっても過言ではない。
源十郎は、村に帰らなくても良かったのではないか?あのまま屋敷に留まり、やがて若狭に連れられ、黄泉の国に行くことになっても、それはそれで絵巻物のように美しい生涯だったのではないか?何が道理で何が正義なのかはわからないが、愚かで小汚くて残忍な人間より、優艶な化生と幻のように暮らす方が楽しそうだと思った。
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双頭の船

2015-05-27 06:45:38 | 日記
池澤夏樹著『双頭の船』は、東日本大震災からの再生と鎮魂をマジックリアリズムの手法で描いた航海記だ。最初は小さなフェリーだった『しまなみ8』は、ノアの方舟のように多くの人々と動物たちを受け入れ、絶え間なく膨張と変化を続ける。そこでは、生者と死者は等しく尊い存在として祝福されている。

主人公・知洋は、200人のボランティアと共に小さなフェリー『しまなみ8』に乗り込んだ。『しまなみ8』は中古自転車を積み込みながら北へと向かい、被災地の港に停泊する。自転車の修理を任せられた知洋は、停泊地で知り合った被災者の才蔵を助手として連れて帰る。 
数日後、100頭の犬を連れたヴェットが『しまなみ8』に乗り込んだ。ヴェットは、次の日には猫と小鳥を連れてきた。ヴェットの連れてきた動物たちの中に、才蔵の知っている犬がいた。その犬は震災の日に死んでいたのだ。動物たちは、みな死者だった。野生動物なら自然と受け入れられる死を、ペットの彼らは自力では受け入れられない。そんな彷徨えるペットたちを、船を通してあちらの世界へ送るのがヴェットの役目だったのだ。
荒垣源太郎の要望により、『しまなみ8』には、500戸の仮設住宅が建設され、そこに移り住んだ被災者たちは、元の仕事を再開した。商店や工場、学校が建てられ、船の上に街が広がっていく。街で遊ぶ子供たちの中に、死んだ子供たちが混じっている。いつの間にか、船上には、生者と同じ数ほどの死者が住み着いていた。巨大化した『しまなみ8』は、『さくら丸』と改名した。『さくら丸』は、自分自身に帰属する自立した船となった。随伴する漁船は『第一小ざくら丸』である。
そして、夏祭りの日、コンドル・アンディーノの二人組アルベルト・チネンとダイク・ミツルによるペルー音楽のコンサートが開かれた。フォルクローレにあわせ、死者と生者がともに歌い踊る。アルベルトとミツルは、2007年8月15日のペルーの地震で被災した死者だった。

「で、僕が言いたいこと。みんな、ちゃんと向こう側に行きましょう。こっちに気持ちいっぱい残っているのはわかる。でもやっぱり行かなければならない。そう言いたくて今日ぼくたちはここに来ました。向こう側に行ってもこっちは見えます。声は掛けられなくても気持ちは通じる。だから行きましょう」……P211より

最後の曲『泣きながら』を奏でながら、アルベルトたちは死者たちを海の彼方へと導いていく。子供たちもたくさん混じっている。あちこちで、残された人たちが泣き始め、身内の名を呼ぶ声が行き交った。
やがて、さくら丸はゆっくりと陸地化を始め、鉄が岩と土に置き換わった。仮設住宅は一戸建て住宅に変わり、ブリッジや機関室は消滅し、広い道路が走り、変電所と町役場とマンションの建設が始まった。元々の丘陵とつながるあたりに墓地が作られ、ここでは生者と死者の距離が、ほかのどの土地より強い。さくら丸は、さくら半島になった。
荒垣や才蔵など、航海を続けたい人々は、第一小ざくら丸に乗り込み,‘さくら海上共和国’を建国し、去って行った。‘さくら海上共和国’の国歌を斉唱しながら…。

土方は小学校の教師として、及川夫人は保育園の教師として、子供たちの教育を続けた。船長は養鶏を営み、風巻先生はハウスバナナを育てている。達筆なヤザマキは書道教室を開いた。千鶴さんとベアマンはいずれまた、野生動物とともに現れるだろう。さくら半島に残った人々は、自分の力で生活を取り戻し始めた。それは、去って行った荒垣の「同情されて生きてるんじゃダメなんだ。他人どもの生活の隅っこにひょいと乗せてもらうんじゃダメなんだ」という言葉のとおりに…。
知洋は、前線に沿って桜の苗を植える。いつか桜吹雪がこの空を舞うだろう。その時には自分は、ここに留まっていないだろう。そう思いながら、一本一本丁寧に植える。生者も死者も、お互いに気持ちをいっぱい残している。でも、前を向いて、それぞれの道を進まなくてはならない。亡くなった者、去って行った者、留まった者…桜は、すべての人たちと動物たちの門出を祝福している。
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娘、眼鏡

2015-05-26 06:27:01 | 日記

ゴールデンウィーク中に買ったホタルブクロが咲きました。見た目も名前も可愛いくて、大好きな花です。今はミニ盆栽にしてありますが、育ったら、鉢のサイズを変えるか庭に直植えするか考えています。
ホタルブクロは夏の季語なので、今年も一句作ってみましたが、好きな季語の句というものは、思い入れが前面に出てしまって、なかなかうまくいきません。

さて、学校から「再検査のおすすめ」のプリントを渡されたので、昨日娘を眼科に連れて行きました。乱視気味でもあるとのことで、眼鏡を奨められたので、帰りに眼鏡屋さんに行って来ましたよ。受け取りは、木曜日です。とうとう娘も眼鏡ですか…。眼科医の話では、遺伝なので生活態度は関係無いそうです。7歳から15歳位の間に進行する傾向にあるので、まめに視力検査を受けて、必要であればレンズを換えて下さいとのことでした。
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