青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

家の中より暖かい

2023-01-31 08:21:24 | 日記

日曜は久しぶりに晴天だったので、家族と引地川親水公園に行ってきました。
花のシーズンではありませんが、遊具広場には親子連れがたくさん来ていました。


私達は親水公園敷地内の大庭神社へ。


大庭神社は去年の大河『鎌倉殿の13人』に出てきた大庭景親ゆかりの神社です。
親水公園の徒歩圏には大庭影宗の築いた大庭城址、少し離れた場所に景親ゆかりの宗賢院があります。






遊具広場にはたくさん人がいましたが、神社の敷地内には私たち以外誰もおらず。






敷地内は高低差が結構ありました。




一通り散策してから、下に降りました。


ご休憩おじさん。


我が家の一階が寒すぎるせいか、公園にいる方が暖かく感じました。
自販機で温かい飲み物を買って暫し日光浴。


ベンチの下の凜。

桜並木と藤棚のエリアに移動。




桜並木も藤棚も寒々とした状態なので散策している人は少なかったです。
でも、よく見ると既に桜の枝には蕾がついていました。








欠伸をする凜。口の端に舌が張り付いて変なお顔になっています。








親水公園には年に何度か訪れていたのですが、梅の花を見るのは今回が初めてでした。
基本的に、桜か藤・躑躅のシーズンにしか来ないので、梅の木が植えられていることにすら気づいていませんでしたよ。
ちょうど前回のブログで澁澤龍彦の『フローラ逍遙』を取り上げたばかりだったので、個人的にタイムリーな感じでした。


濃い墨色の鯉がうようよ泳いでいてちょっと気味が悪い。




石遊びに興じる家族。


柵から顔を出す凜。

この日も凜ちゃんはちびっ子にモテモテでした。
ちびちゃん親子から頭や顔を撫でられましたが、おとなしくじっとしていましたよ。この日出会った子供たちのすべてが凜ちゃんより年下なんだと思うとしみじみしちゃいますね。

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フローラ逍遙

2023-01-26 08:20:59 | 日記
澁澤龍彦著『フローラ逍遙』は、25種の花々に纏わるエッセイ。澁澤最晩年の作品だ。

澁澤龍彦の著書は洒落たタイトルの作品が多いが、この『フローラ逍遙』も、フローラというカタカナ語の軽みと、気ままにあちこちを歩き回ることを意味する逍遙という単語の相性の良さに感嘆する。晩年の澁澤は病魔に侵され、起き上がるのにも難儀していたはずだが、軽やかな遊び心は終生健在だったようだ。

75点の植物図譜はオールカラーで、写真とは一味違う品の良さと温かみを感じさせる。
あとがきによると、これらの図譜は熱心な植物愛好家である八坂安守氏の提供だそうだ。巻末には、その八坂氏がそれぞれの図版について解説を書いている。この解説も、この本を手元に置いておくべき理由の一つだったりする。

『龍彦親王航海記』を読んで以来、私の中で澁澤龍彦再燃中なのだが、再読したいと思った澁澤本の上位に『フローラ逍遙』があった。
一般に、澁澤の仕事の中で最も評価が高いのは翻訳で、その次がエッセイ、最後に小説になると思う。私個人が最も心惹かれるのはエッセイだ。中でも植物や鉱物について書かれた文章の持つ童心が好きなのだ。

『フローラ逍遙』は、30年近く前に図書館で借りて読んでいたと記憶している。
ずっと手元に置いておきたい宝箱のような本だと思ったが、当時はまだ子供だったので、ちょっと手の出し辛い値段だった。その後、少しずつ澁澤から気持ちが離れていったのだが、再燃してからこの本を購入したいと思った。
しかし、時すでに遅し。ハードカバーは絶版らしい。本は買える時に無理してでも買うべきだと痛感した。
そんなわけで、今回、文庫版を購入したのだが、ハードカバー版と同様に、植物図譜がオールカラーで収録されているのが嬉しかった。八坂氏の解説と澁澤のあとがきもそのまま収録されている。1602円という、文庫本にしてはやや高めのお値段なだけのことはある。

扱われているフローラは、水仙、椿、梅、菫、チューリップ、金雀児、桜、ライラック、アイリス、牡丹、朝顔、苧環、向日葵、葡萄、薔薇、時計草、紫陽花、百合、合歓、罌粟、クロッカス、コスモス、林檎、菊、蘭の25種類。
それぞれに素敵なサブタイトルがつけられている。

あとがきで澁澤は、“私はろくろく土をいじったこともなく、自分で草木を植えたことも数えるほどしかない”と述べているが、本文の中には、澁澤自らが植物を植えた描写がたびたび出てくる。
彼が土いじりで手を汚すところを想像したこともなかった私には、それがまあまあの衝撃であった。
「逍遙」と冠せられるだけあって、本書のエッセイは、澁澤邸の花木、澁澤が国内外を旅行した際に見た植物、さらにはサド、プリニウス、ジャン・ジュネについてまで、自由気ままに筆が動いている。


「梅」……的皪たる花

的皪とは、物が鮮やかに白く光り借り輝くさまをいう。澁澤は、梅の花とくれば、直ちにこの的皪という形容詞が浮かぶのだそうだ。
的皪とは、今時なかなかお目にかかることのない言葉である。少なくとも、私はこの本以外でこの言葉を見たことがない。今使っているパソコンでも一発では変換出来なかったので、辞書登録した。

的皪は、テキレキと読む。
まだ冷気の残る青空の元に咲く白梅の清潔な輝きには、的皪と言うきっぱりとした響きの言葉がよく似合う。
因みに、澁澤は梅を冬の花としているが、歳時記では早春に分類される花だ。
百花に先駆けて咲くことから、「花の兄」とも呼ばれる。真面目で忍耐強い、古い時代の美徳を備えた日本の長男、梅にはそんな風情もある。

梅は奈良朝以前に中国から渡来したと考えられている。
まず『懐風藻』に歌われ、次いで『万葉集』や『古今集』で大いにもてはやされ、しかし、時代が進むにつれて、桜に花の第一人者の地位を奪われて、現在に至る。幻妖と卑俗を併せ持つ桜の振り幅の前では、梅の凛とした慎ましさは少々地味に映るのかもしれない。
しかし、桜には一歩及ばないとはいえ、日本における梅の人気は根強く、詩歌に歌われ、画題として取り上げられる機会は、古来より現在に至るまでプロアマ問わず数多い。

日本ではこれほど愛されてきた梅であるが、ヨーロッパでの人気はさっぱりらしい。
言われてみれば、ヨーロッパの文学や絵画の中で梅を見た記憶がない。
ヨーロッパ人が愛する春の花とは、薫風の中で咲き乱れる桃、アンズ、桜など、柔和で華やかな印象の花で、寒風に耐えながら凜と咲く梅の花には、どうやら少しも心が動かされないようだ。
澁澤は、この現象について、“「むめ一りん一輪ほどのあたたかさ」といったような、いわばミニマムの美学ともいうべきものが、ヨーロッパ人には欠けているのではないかという気もする”と分析している。

澁澤邸の梅は、黒々と節くれだった老木で、一時期はめっきり花の数が少なくなって、いよいよ命の終わりかと危ぶまれたそうだ。しかし、その後、不思議に勢いを盛り返して、再び白い蕾をたくさんつけるようになった。梅とはまことに生命力の強い花木なのだ。

我が家の小さな庭には、白梅はないが紅梅なら一本ある。
素人の私が適当に剪定しても枯れこむことのない、非常に手のかからない花木だ。そんな質実剛健さも日本人の好みなのかもしれない。
澁澤はこの項で、服部嵐雪の「むめ一りん一輪ほどのあたたかさ」を挙げていたが、一輪か二輪しか咲いてなくても絵になるのもまた、梅の良いところだろう。


「金雀児」……野原を埋める黄金色

エニシダの花は、連翹よりはるかに明るい、目の覚めるような黄金色をしている。
五月になると、しなやかに伸びた細い枝に小雀が群がるようにたくさんの花をつける。その様が、全身で聖なる月の喜びを表しているようで、私はこの花が大好きだ。
フランス語ではプランタジュネ、英語ではプランタジネット、ラテン語ではプランタゲニスタという。延宝年間に日本に渡来して、エニスダ、或いはエニスタと呼ばれるようになった。エニスダ(エニスタ)が、エニシダに転じたのはいつ頃のことだろうか。

漢名は金雀枝、或いは金雀児。
澁澤は金雀児の方を採っているが、私には金雀枝の方が馴染み深い。
澁澤はエニシダの名句として、久保田万太郎の「ゑにしだの黄にむせびたる五月かな」を挙げている。
私もこの句は好きだが、もっと好きなのは、石田波郷の「金雀枝や基督に抱かると思へ」だ。エニシダの枝をイエス・キリストの痩せた腕に見立てているのだろう。この句をもって私は、エニシダは金雀枝だと思うのだ。
エニシダの咲く五月は、キリスト教の聖霊降臨の日があることと、エニシダが痩せた土地にもよく咲くことから、この花を見ると荒野のイエスを連想する。

フランス語では、今でもエニシダのことを、プランタジュネを縮めてジュネと呼ぶ。
だから、ジャン・ジュネはエニシダを愛していて、自身の小説の中にたびたび登場させてきた。
澁澤はこの項で、ジュネの『泥棒日記』から、主人公が野原で見かけたエニシダに自分を重ね合わせる場面を引用している。ジュネはエニシダを「花の王」、「自然界における私の標章」と呼ぶ。彼がそんな夢想にひたるのは、あのジル・ド・レエの城のある中部フランスの野原においてだ。
ジル・ド・レエとカトリックは分かち難く結びついているが、さすがに石田波郷がジュネやジル・ド・レエを念頭に置いて、「金雀枝や基督に抱かると思へ」を作句したとまでは思わない。

ところで、エニシダは痩せ地でもよく生育する花であるが、寿命は案外短く、急に枯れる。
澁澤邸の庭にも、二メートルばかりのエニシダが繁茂していたが、ある年を境にみるみる枯れてしまったのだという。

我が家にもエニシダがあったが、やはり何の予兆もなく枯れた。
あれほどは陽気な雰囲気の花木が、いきなり枯れたのは結構なショックだった。そんなわけで、私は再びエニシダを植えることが出来ないでいるが、澁澤はもう一度、植えたいものだと述べている。
澁澤は本書を刊行して程なく病没したが、その後、澁澤邸にエニシダは植えられたのだろうか。
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去年最後の本と今年最初の本

2023-01-20 08:04:40 | 日記

去年最後に買った本『石の文学館』と、今年最初に買った本『ナチズムの美学』。
どちらも筑摩書房ですね。
そのうち、読書感想文をブログに載せると思います。

「石の文学館」は、和田博文編の文学館シリーズの一冊で、サブタイトルは「鉱物の眠り、砂の思考」です。
石をテーマにした38編の短編小説やエッセイが7章に分けて収録されていて、まぁだいたい有名な作家なんですけど、好きな作家とそうでもない作家がいました(当たり前か)。
もちろん、判断基準は私の好みに合うか合わないかでしかありません。

私的には、1章に収録されている作家陣が抜群に好みですね。
中でも、一等賞は、稲垣足穂の「水晶物語」。
玄武岩や方解石を集める少年の収集熱を描いた小説で、石の作品集のトップバッターにふさわしい内容でした。石と子供の相性の良さよ。
あと、2章の種村季弘と澁澤龍彦、6章の山尾悠子も好きです。
小説にしてもエッセイにしても、鉱物の硬く冷たい手触り、鋭く清潔な輝き、悠久の時間を活写した作品を面白いと感じます。

ソール・フリードレンダーの『ナチズムの美学』は、1990年に社会思想社から出版された同タイトルの文庫版。今年の1月12日に発売されたばかりです。
解説によると、ナチズム研究に今なお影響を与えている古典的名著なのだとか。

たまたま宣伝を見て購入したので、予備知識がないまま読んでいます。
が、『地獄に落ちた勇者ども』『ブリキの太鼓』など、観たこと・読んだことのある作品が多く取り上げられているので、とっつき悪くないです。
サブタイトルが「キッチュと死についての考察」なんで、まぁ。ナチズムに熱狂したのは、一般大衆でしたし。
ナチズムが内包するある種のロマン主義と感傷(若き英雄の死をシンボルとする)は、少年漫画的でもあります。


こちらは、結構前に買ったノヴァーリスの『青い花』と澁澤龍彦の『フローラ逍遥』。
買うと安心して積読してしまう悪癖は何とかしたいものです。二冊とも若い頃に読んだことのある作品なので特に後回しにしがち。
『フローラ逍遥』は、もう少しで読み終えるのですが、複数の本を並行して読むから、なかなか終わらないんですね。

ちなみに当ブログのタイトルは、この『青い花』からとっています。






『フローラ逍遥』は、25種のフローラに寄せた25編のエッセイ集です。
挿絵として八坂安守の美しい図版が75作も添えられています。巻末に八坂の解説が載っているのもポイント高い。

放置と言えば、去年はあまりブログに読書感想を載せられませんでした。
それなりに読んではいたのですが、感想文を書くのが何となく億劫で。
とりあえず読書メモは残していますが、感想は読んですぐに書かないと熱が冷めてしまっていけません。
感想を書くと、理解しているつもりで案外よく分かっていないところがあぶり出されるので、いい習慣だと思います。
このブログは元々読書感想を書くことを習慣づけるために始めたので、今年はもう少し頑張りたいと思います(新年の抱負)。
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モフモフ猫の手

2023-01-17 08:02:16 | 日記

蓬の手は桜や柏に比べて大きくてモフモフしています。
ミトンはめてるみたい。


蓬の瞳は赤ちゃんの時は綺麗なブルーでした。
今でも瞳孔の周りには青みが残っています。


ヒーターの前に置いた椅子の上に座る桜と柏。
この椅子は娘コメガネが赤ちゃんの時に使っていたものです。


ヒーターに集う犬猫。


蓬は尿路疾患を抱えているのでダイエットをしています。
その割には胴回りがボテボテだなぁ。


柴犬凜ちゃんとの散歩中に見たアロエの花。
アロエの鉢はあちこちで見かけますが、花を見たのは初めてかもしれません。


湘南は関東の中では温暖な気候ですが、それでも最近は寒さが堪えます。
なるべく節電・節ガスを心がけていますが、去年の同月と比べると使用量は減っているのに、エグイ額の料金を請求されています。でも、これ以上使用を控えると病気に罹りそうです。


おせち料理用に作った焼き豚をラーメンに入れました。
正月の食べ物は、後はお餅を残すのみです。我が家はあまりお餅を食べないので、毎年余ってしまいます。
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湘南の宝石2022-2023

2023-01-13 08:12:13 | 日記

前回のブログ『新春江ノ島散策』の続きです。
岩屋から長い階段を登り切ったころには、辺りがすっかり暗くなっていました。
イルミネーション見物にいい感じです。

『湘南の宝石』は、今年で23年目を迎える江の島を彩る光と色の祭典です。
人気度は、全国5位、神奈川県内で1位。期間中は、江の島シーキャンドルを中心に、江の島全体が煌びやかにライトアップされます。
私達が『湘南の宝石』を訪れるのは、2020年以来です。


全体的に思ったより人の数は少なかったのですが、サムエル・コッキング苑の券売所前には、入場待ちの人がそこそこ並んでいました。
私達もチケットを購入して入場。


2020年に来た時には、入場してすぐのエリアに約20000本のウインターチューリップが並んでいて、光を纏った姿が大層美しかったのです。ですが、今回は置いて無くてちょっと残念でした。毎年出し物が変わるみたいですね。
でも、真っ暗な空間を彩る電飾は幻想的で気持ちが上がりましたよ。

たくさん写真を撮ったのですが、家に帰ってから確認したらブレブレの画像が多くて、ブログに載せられるものが思ったより少なかったです。比較的良く撮れている画像を並べるので、どうか現地を散策している気分で鑑賞してください。



































































サムエル・コッキング苑を出てもイルミネーションは続きます。


































車で走り抜けたので撮影はしていませんが、江の島大橋・弁天橋も美しくライトアップされていました。
行きの道以上に帰りは空いていました。渋滞にはまらないのは有り難いのですが、こういう時にまだ平時に戻っていないことを実感しますね。
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