青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

ハロウィンのカボチャ菓子

2017-10-30 07:15:06 | 日記

ハロウィンのためにカボチャの焼き菓子を作りました。
モンブランとクッキーです。モンブラン用の口金を持っていないので、生クリーム用の丸い口金でカボチャクリームを搾りましたよ。
モンブランを作るのは今回が初めてなのですが、思いがけず苦戦しました。


まず、ココア生地のカップケーキを焼きました。


ケーキを焼いている間に、カボチャクリームを作りました。
生クリーム1パック、牛乳100ml、マッシュしたカボチャを300g、蜂蜜を適量です。
クリームがゆるゆるだと口金で搾った時にうまく紐状にならないと思ったので、かなり時間をかけて水分を飛ばしたのですが、これが判断ミスでした。


カップケーキにヘラを使って山の形に生クリームを盛り、その上に丸い口金で紐状になるようにカボチャクリームを搾ったのですが、水分を飛ばし過ぎたために固すぎてなかなか口金から出てきてくれませんでした。力任せに搾り出したらカボチャクリームがブツブツ切れるわ、袋から口金がすっぽ抜けるわで、この時点でかなりウンザリ気味。「ヘラで塗っちゃおうかな…」なんて考えたりもしました。何とか仕上げましたけど、思い描いていた仕上がりとは程遠いヴィジュアル。もっとクルクルさせたかったのですけどね。
でも、家族には好評だったので、作って良かったです。コメガネなんて「今まで食べたモンブランの中で一番美味しかった」などと、嬉しがらせなことを言ってくれましたし。


カボチャクッキーは、サクサクに仕上げたかったので小麦粉ではなく米粉と片栗粉を使いましたよ。マッシュしたカボチャを練り込んであります。甘みと水分が足りなかったので、牛乳と砂糖も足しました。
カボチャ型のクッキー型でくり抜いたあと、表面にフォークの側面を押し付けてカボチャの皮の線を付けました。


焼き上がりの拡大図。
かぼちゃというより玉葱っぽいです。
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虹と版画

2017-10-26 07:22:29 | 日記

昨日の夕方四時過ぎに自宅付近で撮った虹です。
娘・コメガネが帰宅後に玄関先から「虹が出ているよ!」と教えてくれたので、外に出てみたら、見事な虹の大橋がかかっていました。比較対象として、民家の屋根も画像の中に取り込んでみましたよ。

ところで、文字を打ち込んだら、“採った虹”と変換されました。虹が採取できたら素敵ですね。

それはともかく、こんなに大きな虹を見るのは何年ぶりでしょうか。
もしかしたら、子供の時以来かもしれません。今回もコメガネに教えてもらわなければ、空を見ようとも思わなかったでしょうから。月や星がある分、夜の方がよく空を見ていると思います。私はこれまでの人生で、いくつの虹を見逃してきたのでしょうか。

昼間の空を撮影することはもっと稀です。
前回撮影したのは、確か先月に江の島で鴎を見た時だったと思います。勿論、鴎がメインで、空は単なる背景です。よくインスタグラムなんかで、空そのものの画像を載せている方がいらっしゃいますが、私は空自体にはさほど興味がないのでしょうね。

夕立の後現れることが多いため夏の季語とされている虹ですが、秋も雨が多いから虹の出る確率は高いのでしょうね。空が澄んでいる分、夏よりも綺麗なんじゃないかと思います。


話は変わりますが、コメガネの夏休みの宿題の版画が返却されました。
テーマは、深海生物。今夏、国立科学博物館で催された「深海2017」で見た生物たちです。このサイズの版画を仕上げるのは初めての経験だったので、随分時間をかけていましたが、楽しそうでしたよ。
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娘誕生日2017

2017-10-24 07:23:43 | 日記

本日24日は娘・コメガネの誕生日です。
平日は主人の帰りが遅いので、先週末にお祝いをしました。
お誕生日プレゼントは自転車にしましたよ。コメガネももう11歳、大人用の自転車です。


コメガネのリクエストでお食事会は外食にしましたが、ケーキは自宅で焼きました。
チョコレートのシフォンケーキです。
チョコレートを混ぜ込むことでメレンゲが萎むのか、プレーンなシフォンケーキよりはボリュームが少ないです。でも、その分膨らみ過ぎた部分を削る工程が省けます。


オーブンの中で膨らむにつれて、部屋の中にチョコレートの匂いが立ち込めてきます。


焼きあがったら、ペシャンコにならないように、逆さまに瓶に刺して冷まします。
冷めてからココア入り生クリームを塗り、上から削ったチョコレートとコメガネ発案のトッピングシュガーを振りかけました。
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秋ついり

2017-10-20 07:37:36 | 日記

今日は娘・コメガネの学校の社会科見学のはずだったのですが、生憎の雨で延期になってしまいました。ここのところ冷たい雨の降る日が続いていたので、きっとそうなるなとは思っていましたよ。

社会科見学が延期になってしまったので、残念ながら今日は通常授業です。通常授業と言っても給食はないので、お弁当は持っていかせます。
今回はオムライス弁当にしましたよ。
おかずは鶏の唐揚げ、サラダはひじき・ツナ・カニカマ・きゅうりを味噌マヨであえたもの。それに、隙間埋めにブロッコリーやハムの飾り切りを使っています。デザートは夏みかん×みかんの粒粒ゼリーです。

先週の運動会、今日、そして社会科見学の振替日と、今月は珍しく三回もお弁当を作ることになりました。藤沢市は中学から給食がないので、毎日お弁当を作ることになりますが、レパートリーが乏しいので今からちょっぴり頭が痛いです。
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ペロー残酷童話集

2017-10-17 07:42:26 | 日記
シャルル・ペロー/澁澤龍彦著『ペロー残酷童話集』は、澁澤龍彦が翻訳したペローの代表的な童話四作と澁澤龍彦の評論二作で構成されている。

1 ペロー残酷童話集
眠れる森の美女――*姑の嫁いびり
親指太郎――*幼児虐待
赤頭巾ちゃん――*少女殺し
青髭――*夫による妻への虐待

2 童話の中の秘密の傷
童話のエロティシズム
処女の哲学
胎内回帰願望について
エロティック・シンボリズムについて

3 血も凍る青髭伝説
幼児殺戮者

童話と言えば、日本ではグリム童話が広く愛好されているのに対して、ペロー童話は読者層が狭い。基本的にハッピー・エンドなグリム童話に対して、突き放すような冷たい結末のペロー童話は子供に読ませるのに躊躇する保護者が多いのだろうか。
また、グリム童話のいくつかがペロー童話をもとにして書かれたという事実も、ペロー童話は未完成、グリム童話の方が決定版、という誤解を生んでいるのかもしれない。

『眠れる森の美女』は、グリム童話では王子がお姫様を救い出したところでハッピー・エンドだが、ペロー童話ではこの時点ではまだ物語の前半が終了したに過ぎない。寧ろこの先が本題だ。ペロー童話では、王子の母親である王妃は人食い鬼の末裔なのだ。真の敵は、悪い仙女ではなく、血を分けた身内なのである。
王妃は息子の留守の間に、お姫様と息子夫婦の子供たちを料理して食らおうとする。赤の他人のお姫様は勿論、実の孫たちのことも新鮮な食材としか見ていない。玉葱入りソースで食べたいのだそうだ。
王子が妻子を救うには、実母を滅ぼさなければならない。成功してもしなくても、王子にとっては辛い話である。そして、もっと怖いのは、この王子にも人食い鬼の血が流れているということだ。

『赤頭巾』は、グリム童話では猟師さんに救出されるが、ペロー童話では助けは来ない。おばあさん共々ムシャムシャ食べられてお終いである。若い娘が誘惑にフラフラするとだいたい碌なことにならないのは現実といっしょだ。


『幼児殺戮者』は、青髭伝説のモデルとなったジル・ド・レエについての考察で、『異端の肖像』(桃源社1967年)が初出だ。

澁澤龍彦氏の著書は中学時代に夢中になって読んでいて、背徳的なことはだいたい氏の著作から教わった。レエ候について知ったのも、『黒魔術の手帖』『異端の肖像』などの澁澤氏の著作からだった。

『異端の肖像』は、ルードヴィヒ二世、グルジエフ、サン・ジュストなど古今の怪物的人物7人について氏が自由に綴った人物伝だ。今では日本でもお馴染みとなった顔ぶれであるが、60年代にこの選出はすごい。中でも、氏の一番のお気に入りはレエ候なのだろう。
しかしながら、私がもっとも心惹かれたのは、思いつきで生きているとしか思えない“デカダン少年皇帝”ヘリオガバルスだった。出来るだけ楽に生きたい私には、レエ候の得体の知れない懊悩は殆ど理解できなかった。

それから、長い長い月日を経て、今回再び『幼児殺戮者』を読むことになったわけだが、三つ子の魂百までらしく、ズボラ者の私は、やはりレエ候の気持ちに添えないのである。この人の人生は、暴力と悔恨の繰り返しで、わざわざ悩まなければいけない状況を作り出して悦んでいるとしか思えないのだ。お金も体力もいる面倒くさい性癖である。

そもそも殺害方法がスプラッタ過ぎてそそられない。
目玉を抉り、こねくり回す。刺の付いた棍棒で、頭蓋骨が砕け、脳漿が迸るまで打ちのめす。工夫も趣向も無い、原始人的蛮行である。レエ候の居城の地下室には、こんな風に殺害された幼児の腐乱遺体が数百体打ち捨てられていたのだそうだ。臭い、汚い、想像しただけで鼻が曲がりそうだ。天蓋から降らせた大量の薔薇で客人を窒息死させたというヘリオガバルスの方が、断然ファビュラスである。

ジャンヌ・ダルクに傾倒して、共にオルレアンに戦った。キリスト教に熱狂して、次々に壮麗な礼拝堂を建立し、教会音楽を愛好した。それから、幼児虐殺への耽溺と、裁判での鬱勃たる告白衝動。
普通の人間なら、妄想で留めたり創作活動に昇華したりする凶暴で粘っこい欲望を中世の特権階級に生まれ、当時フランス屈指と言われた巨万の富を受け継いだレエ候は、あらかた実現することが出来た。
殺害方法の残酷さから、サディストと言われることの多いレエ候であるが、私は、この人は根っからのマゾヒストだと思っている。彼の嗜虐的な行為は、すべて懲罰を期待しての被虐性欲に基づくものとしか思えないのだ。
破産するための放蕩。贖罪意識を得るための殺人。常に苦痛、不安、恐慌、焦燥を感じていないと生きている気がしない。最期は自ら望んで火あぶりに処せられたのだけど、それは聖者の殉教と悪人の処刑のダブル・イメージを堪能できる最上級のご褒美。この上なく甘美な苦痛だったに違いない。

“よしんばジルの精神がどのように混乱していたにせよ、この混乱はキリスト教と矛盾するものではなく、ジルの魂は救われる運命にあった、と見るべきだろう。”

サディズム/マゾヒズムという特殊性癖は、キリスト教に秘められた暴力や狂気と切り離して語ることが出来ない。
レエ候の滑稽なまでに極端な生き方は、見方を変えれば修行僧のように禁欲的だ。火刑台を熱心に乞い求めたというレエ候の心境は、キリスト教を正負の両面から極めた者のみが到達できる境地で、そういう意味では、日本人はサディズムもマゾヒズムも極めることが出来ない。ドSだドMだ言っても、結局はちょっと手の込んだセックスのバリエーションの一つ、ごっこ遊びに過ぎず、その精神性の浅さはコスプレあたりと大差ないのだ。
つまるところ、私のレエ候に感じる馴染めなさとは、どれだけ心を尽くしても、その深淵に触れることができないだろうという疎外感に基づくもので、言ってみれば葡萄を諦める狐の心境なのである。
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