青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

シャコバサボテンと千両万両2019

2019-12-26 09:28:54 | 日記





我が家のシャコバサボテンが、今年も綺麗なピンクの花を咲かせてくれました。


鳥の羽ばたきのようです。


赤い千両。
千両はお節料理の飾りに使っています。


黄色い千両。
隣に万年青が植わっているのですが、今年は千両の葉っぱが茂り過ぎて日が当たらなかったせいか、万年青は実を付けませんでした。千両自体の実の付きもイマイチなので、時機を見て手を入れようと思います。


万両は台風で幹が傾いてしまったので、紐で固定しています。
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クリスマス2019

2019-12-22 20:19:08 | 日記

今年のクリスマスも自宅でお祝いしました。
今回の主役は、鶏の丸焼きとサンタいっぱいケーキです。あとは、ミートパイ、サーモンとアボカドのサラダ、リボンマカロニ入りミネストローネ。


総数15体の苺サンタクロース。
サンタいっぱいケーキは今年で三回目、娘コメガネだけでなく夫にも好評です。ケーキの上から、小っちゃいサンタたちの賑やかなお喋りが聞こえてきそうで可愛いとのこと。ケーキに乗り切れなかったサンタクロースは、お皿に乗ってもらいました。


ケーキのスポンジは、前日のうちに焼いておきました。
オーブンから出した直後。


ひっくり返した状態。
二層に切って、真ん中に生クリームとスライスした苺を挟んで、周りにも生クリームを塗ります。


サンタの目入れ前。のっぺらぼう軍団。




溶かしチョコレートで目を入れました。




鶏の丸焼きは、塩胡椒を揉み込んでから、お腹の中にローズマリーを詰め込み、外周にもローズマリー、ニンニク、ニンジン、玉ねぎをおいてオーブンで焼きました。焼いている間中、部屋に香草の良い香りが満ちて、幸せな気分になりましたよ。




ミートパイは、パイシートを敷いた後、一番下にマッシュポテト、次にピザチーズ、一番上にトマトベースのソースと炒めた挽肉を敷き詰めました。
焼く前に、艶出しのために網状に載せたパイシートに卵黄を塗りました。


サーモンとアボカドのサラダ。
白ワインビネガーとグレープシードオイル、クレイジーソルトで作ったドレッシングを絡めています。


リボンマカロニのミネストローネ。


自家製梅酒のソーダ割り。


夫へのプレゼントは、ジャケットとカーディガン。
ジャケットはスタンドカラーにもできます。




私には、ワンピースとセーター。
紺色のワンピースは、共布のくるみ釦が気に入っています。
コメガネは、欲しいものが決まっていないと言うので、お金を渡しておきました。
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チーズケーキとかその他追加のレモン菓子2019

2019-12-19 07:50:11 | 日記

今月の頭に収穫したレモンを使ってレモンパイを焼いたら(12月2日のブログ)、娘コメガネからチーズケーキが食べたいと言われたので、久々に焼いてみました。新鮮なレモンがあるっていいですね。


オーブンから出したところ。まだ膨れ上がっています。


粗熱が取れるころには、チーズケーキらしい凹みが。今回も表面がヒビ割れなくて良かったです。
一晩冷蔵庫に寝かせるとより艶が増しました。


レモンケーキも焼きましたよ。
我が家のオーブンで普通に焼くとどうしても乾燥気味になるので、今回は湯煎焼きにしました。ずっしり&しっとりとした焼き上がりになって満足です。


アイシングを塗ってから、ピンクのスプレーシュガーを撒いたら子供っぽい雰囲気になってしまいました。シルバーのアラザンの方が良かったかも。


切るとハート型になります。コメガネが喜んでくれました。


レモンの砂糖漬けを使って、レモンと紅茶のパウンドケーキも焼きました。


オーブンに入れる前はこんな感じ。




レモンを使ったクッキーも焼きました。
上は紅茶入り。
下はレモンの砂糖漬けを乗せて。
レモンの砂糖漬けは一切れずつ乗せたかったのですが、コメガネが酸っぱいと言うのでちょっとずつにしておきました。


レモンの砂糖漬けは、ホットレモネードにも重宝しています。


ちょっとレモン菓子が続いたので、ココアケーキを焼きました。


しっとり&どっしり。


ココアケーキは焼く直前まで上に煎ったスライスアーモンドを乗せるか、焼き上がった後に粉砂糖を振りかけるか迷いました。けど、生地をココアどっさり砂糖控えめでほろ苦い感じに調整していたので、今回は粉砂糖で甘みをプラスすることにしました。

今豆乳にハマっているので、本日のブログに載せたケーキ類は、牛乳を使うところを豆乳に置き換えています。特に問題なく仕上がるものですね。
あと今回は、プリン以外での湯煎焼きに初めてチャレンジしました。焼き上がるまでの時間はかかりますが、パサつきを抑えられるのが良いです。
普段のお菓子はあまり神経質に考えず、材料・作り方とも割と適当です。クリスマスに焼く予定のスポンジケーキは、さすがにしっかり量ろうと思っていますが。
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新江ノ島水族館「ヒカリノエノスイ ~美しい水族館~」

2019-12-16 07:47:15 | 日記
新江ノ島水族館で今月25日まで開催中の「ヒカリノエノスイ ~美しい水族館~」を見に行ってきました。


まずは、えのすいアクア・ツリーと娘コメガネを撮影。
ツリーには小さなクリオネのオブジェがたくさんぶら下がっています。


オブジェ「クリオネエンジェル」。


土管生活。


クラゲのグラスツリー。


グラスの中には小さなクラゲがフヨフヨしています。






10時半からダイビングショー「フィンズ」を観ました。
えのすいトリーター(飼育員)が水中カメラで、クリスマス演出中の相模湾大水槽内の生き物を撮影しながら、その生き物について解説してくれます。






11時にイルカショー「ドルフェリア」を見ました。
ダンサーとイルカのコラボです。

その後、12時10分からの3Dプロジェクションマッピング クラゲショー「海月の宇宙(そら)」を見るために、クラゲファンタジーホールに移動。












クラゲの球型水槽「クラゲプラネット(海月の惑星)」は、スノードームみたいでかわいい。




クラゲファンタジーホールはソファがたくさん設置されているので、クラゲの水槽と幻想的な照明演出を楽しみながら、ショーの始まる時間を待ちました。








クラゲの生態やえのすいのクラゲ飼育の歴史などを、3Dプロジェクションマッピングを通して解説。25日まではクリスマス演出を加えて上映しています。3Dプロジェクションマッピングはかなり凝った出来で、これを追加料金無しで見られるのがすごいです。


クラゲショーの後は、デッキで軽食。
カメロンパン(苺・抹茶)、カレイパン(カレー)、しらすドッグ。


えのすいから見る海と富士山。この日は風が強かったです。

その後は時間を気にせずにのんびり館内見学。
































クリオネは何枚か撮影したのですが、残念ながらすべてブレブレ。ガラスに映った自分の姿の方が目立っているのには半笑いです。
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ヴィクトリア朝怪異譚

2019-12-12 07:45:01 | 日記
三馬志伸編訳『ヴィクトリア朝怪異譚』には、ウィルキー・コリンズ「狂気のマンクトン」、ジョージ・エリオット「剥がれたベール」、メアリ・エリザベス・ブラットン「クライトン・アビー」、マーガレット・オリファント「老貴婦人」の四編が収録されている。

三馬氏による解題と訳注が充実していて、大変取っ付きやすいアンソロジーだった。
解題はネタバレが回避されているので先に読んでも問題ないと思う。私はヴィクトリア朝文学に疎いので、この解題には随分と助けられた。個人的には、W・W・ジェイコブスの「猿の手」の名前が載っていたのが嬉しかった。「猿の手」は、私にとって恐怖小説の入り口となった作品の一つであるので。

解題によると、イギリスにおいて18世紀中ごろ文学の一ジャンルとして確立された小説は、19世紀後半にその最盛期を迎えたとのこと。
ヴィクトリア朝時代には、ディケンズ、ハーディー、ブロンテ姉妹など、英文学史全体を通しても有数のビッグネームが犇き合っているので、その充実度は窺い知れる。
そういった文学性の高い作家が数多く誕生した一方で、この時期は所謂大衆文学の分野も豊作だった。
1860年代には、今日のミステリーやスリラー小説の源流になったとされる作品が次々に出版され、怪奇小説、恐怖小説の分野で良作が数多く発表された。それらは、センセーション小説という呼称で呼ばれるようになった。
このアンソロジーに選ばれた四編の作者は、そんなセンセーション小説の分野で人気を博した作家達である(エリオットは日本でいうところの純文学の分野での方が有名だが)。
当時の小説は長編が主流で、センセーション小説も例外ではなかった。が、内容的に長編にし難い恐怖小説は中短編が主体で、特にクリスマス時期になるとディケンズのような文壇の大御所も雑誌に短めの幽霊譚を寄稿していたという。

この時期に量産された恐怖小説は、雑誌に載せられたきり忘れ去られた作品が多い。
短編だと現在まで残っている作品は、有名作家の作品を除けば、個人の単行本より怪奇小説アンソロジーの収録作品として残っているのが一般的であるようだ。
アンソロジーに載せ易いページ数の短編はまだいい。
中編となると優れた作品でも、アンソロジーに収録するには長すぎ、個人の単行本として刊行するには短すぎるということで、取り上げる場所が少なく、埋もれてしまっている作品もかなりあるらしい。お宝が人知れず眠ったままとは勿体無い。
本書ではそうした中編の怪異譚の中から、読みごたえがあり、かつ、日本の読者にはあまり馴染みがない作品が選ばれている。アンソロジーにしては少ない収録作数なのは一つ一つの作品のページ数の多さのためだが、これが案外違和感なく読めた。

ヴィクトリア朝は科学が急速に進歩した時代で、科学に対する知識人の関心が高かった。
そんな時代背景に影響されたのか、この時期に怪異譚を書く作家は、超常現象の解明や人間心理の分析を科学の力で試そうという熱意が強かったようだ。本作に選ばれた四編からは、ゴシックロマンな香りの中に、科学への無邪気ともいえる期待が感じられた。


「狂気のマンクトン」のウィルスキー・コリンズは、『白衣の女』、『月長石』の作者として日本でもその名が知られている長編ミステリーの大家だ。
27歳でディケンズに認められたコリンズは、中短編の名手でもあった。「狂気のマンクトン」は、彼の作家人生の初期に書かれた習作的作品で、遺伝性の狂気をテーマとしている。

先祖代々遺伝性の狂気という恐ろしい不幸に祟られた名家マンクトン家の末裔アルフレッドが、一族に纏わる古い予言を信じ込み、同郷の語り手を巻き込んで、イタリアで不慮の死を遂げた叔父の亡骸の捜索に狂奔するという筋立てをサスペンスタッチで描いている。
全編を通して陰鬱な空気に支配されているこの作品の中でも、語り手の青年が古い修道院の納屋でスティーヴン叔父の遺体を発見する場面は極めて衝撃的だ。このショッキングな場面の前後で現れる、語り手が“我が尊師”と揶揄するみみっちい老修道僧とのコミカルなやり取りがまた、スイカに塩的な効果で遺体発見の場面の気色悪さを引き立てている。

コリンズの短編は欧米の怪奇小説アンソロジーに度々取り上げられてきたが、この「狂気のマンクトン」は扱いづらい長さのためか、アンソロジーに採用されたことは殆どなかった。
事情は日本でも同じで、異なる作家による怪談集は勿論のこと、コリンズ個人の選集にも収められたことはない。今回が本邦初訳である。


「剥がれたベール」は、『アダム・ビード』、『ミドルマーチ』、『ダニエル・デロンダ』など、文学性の高い大作でヴィクトリア朝中期の代表的な作家となったジョージ・エリオットが一作だけ書いた通俗小説だ。

なぜ文学の王道を邁進していたエリオットが、未来予知と読心能力をテーマとした奇怪な例外を書いたのか。
エリオットは、当時話題だった骨相学や催眠術、千里眼、読心術などに深い関心を抱いていたという。今日では似非科学と軽んじられるこれらスーパーナチュラルな分野も、ヴィクトリア朝時代には十分現実味を帯びた科学的探究の対象だったようだ。少なくとも、エリオットにとっては。
しかし、『牧師館物語』と『アダム・ビート』の出版を手掛けたジョン・ブラックウッドは、この異色作に戸惑い、自分の雑誌に掲載するにあたり、作者エリオットの名を付すことを拒否したのだった。

物語は一人の富豪が自分の臨終の場面を予知するところから始まる。
名家に生まれ、美しい妻を娶った彼が、なぜそのような孤独と苦悶に満ちた最期を遂げる羽目になるのか。そして、なぜそれが分かっているのに、彼は無策のままでいるのか。
天はこの男に有り余る富とある特殊な能力を与えた。しかし、男はそれに見合う器ではなかった。名家に生まれただけの凡庸な男が、超能力に目覚めてしまったが故にどうしようもない孤独と無気力に陥っていく過程の克明な描写は、ダーク・ファンタジーとしても、心理小説としても楽しめる。超常現象をテーマにしながらもリアルな心理描写と緊迫感あふれるストーリー展開で現代の読者をも飽きさせない傑作だ。

「剥がれたベール」は、英米では怪談のアンソロジーに折に触れて収められてきたが、日本では文学全集に載せられたことはあっても、怪奇小説アンソロジーに取り上げられたことは殆どない。エリオットと言えば純文学というのが、日本の出版界の見解なのだろうか。


「老貴婦人」のマーガレット・オリファントは、作品を量産する作家が多かったヴィクトリア朝時代にあって、とりわけ多作な作家として知られていた。小説だけでも90作以上発表し、人気作家として長らく活躍していたが、現代では本国のイギリスでもほぼ忘れられた存在である。
オリファントが読まれなくなった理由の一つとして、作品の数があまりにも多すぎるため却って代表作が定まらなかった、ということが挙げられるそうだ。未知の作家の作品を手に取ろうとする時に、代表作が分からないとどういう傾向の作家かも分からず、結局手に取るのを見合わせる、ということはまぁよくある。
私は、オリファントの作品はこの一作しか知らないのだが、詰まらないから飽きられたということでは無いと思っている。才能の有無に関係なく、運に恵まれない作家はいるだろう。「老貴婦人」は、このアンソロジーの四作の中でも、一番個性が強く面白い作品だった。

利己主義はオリファントが好んで取り上げたテーマだそうだ。
「老貴婦人」の主人公レイディ・メアリを利己主義と判定するのは少々酷な気もするが、高貴な身分の方特有の無邪気な楽観主義ゆえに思わぬ禍根を残したあたりは、責められても致し方無いかもしれない。でも、やっぱり彼女の人の良さを考えると、皆ちょっと責め過ぎだろうとも思ったり。自分でもどっちなのか割り切れない思いのまま終盤まで読み進めることになった。

レイディ・メアリは、高齢者なら当然片づけておかなければならない責務を先延ばしにしたために、死後に自分の怠慢から最も愛する者を窮地に追いやってしまったことを知って、成仏できない魂(キリスト教には不適切な表現だが、要するに現世に強い未練があって天国にも地獄にも行けない亡霊のような者達だ)の集う煉獄らしき場所で後悔に苛まされることになる。
莫大な財産を持ち、かつ人も良かったレイディ・メアリに、周囲の人々の期待は大きかった。その反動で彼女が遺書を残さず突然死すると、当然貰えると思い込んでいたあれこれがパーになった人々がこぞって彼女を批判する。

レイディ・メアリには、リトル・メアリことメアリ・ヴィヴィアンという養い子がいた。
元来相続権の無いリトル・メアリは、レイディ・メアリが遺言を残さなかったために、唐突に無一文になってしまった。レイディ・メアリが、煉獄で激しく後悔していたのは、このリトル・メアリの処遇についてである。このままでは、レイディ・メアリの財産はすべて遠い外国にいる孫の物となり、屋敷は売り払われてしまうかもしれない。そうなった時、リトル・メアリはどうなってしまうのか。財産も縁者もなく、これまでお嬢様暮らしで何の身過ぎ世過ぎの術も身につけていない彼女が…。

レイディ・メアリは、煉獄の人々に反対されながらも現世に舞い戻り、リトル・メアリの窮地を救おうとする。しかし、ただの幽霊であるレイディ・メアリに出来ることは何もない。それどころか、姿の見えない存在になったために、人々が自分を批判しているのを嫌というほど立ち聞きする羽目になるのだった。

序盤のちょっと滑稽なやり取りから、中盤の胸を締め付けられるような懊悩煩悶、そこからの救済と祝福、と筋運びも心理描写も非常に巧みだ。
オリファントは、夫と子供三人を早くに亡くしたこともあって、何らかの形で死後の世界を信じたかったようだ。「老貴婦人」を書いた意図はそこにあるらしい。しかし、この作品では、オカルトの要素が意外な効果を発揮して人情ドラマを盛り上げていた。愛と許し、その中にすべてが含まれているのだ。

オリファントの作品は、日本では江戸川乱歩が『幻影城』所収の「怪談入門」で「開いた扉」を好意的に紹介しており、その後「開いた扉」は恐怖選集に選ばれた。しかし、「老貴婦人」は、日本はおろか、英米でもアンソロジーに取り上げられることは殆ど無かった埋もれた名作である。
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