カツオくんはかもめ第三小学校5年3組&『まぐろ袋ブログ』

どうもこんにちは、富田林薫(とんだばやしかおる)です。
遠洋マグロ漁船乗りです(ぇ?

「2010年6月」。

2010-07-01 11:36:29 | Weblog
題詠blog2010:056~060。

何かしら優しいものを明け方の花瓶の中に枯れない花を

諦めたジューサーミキサー台所の戸棚の奥に暮らしています

悲しいのですね曇り空に突き出した脳外科医の指先は鉛色

少年の笑顔の消えた真夜中のまた泣いている小児病棟

少女期のままの笑顔の漫画家のハッピーエンドを描き続ける

うたのわ。

大空を横切る鳥をゆびさしてゆくあてのない指先のさき

星の数を数え終えた瞬間を考えながら薄くなってゆきます

横顔はやや雨よりにうつむいてながれるままの雨音を聞く

触れるもの傷付けあえば消えてゆくアザミの棘を指先に持つ

イマジンとイソジンの類似について考える僕はおそらくヒマジンだろう

イソジン オール ザ ピープル 想像してごらん喉の痛みの消えた世界を

雨の日のわたしのなかの海溝の深みのような水溜まり在り

サイダーの泡のすべてが準備する 弾けるような夏の装い

ひらおよぎ雲の間を泳ぎゆく 雨のラインを繋げるように

どことなく浮き足立ったあじさいを背面跳びで越えてゆく

蝸牛だった頃の雨はやさしくて雫ひとつに満たされていた

遠く空へと旅だった あなたも はやぶさと名前をかえて戻っておいで

梅雨空を箱の中から取り出して哀しい朝の手品師が泣く

紫陽花は花弁の奥に忍ばせる だれもしらない雨の信管

紫陽花の青は青は親和性 彼方より空の雫を引き寄せる

ブランコの法定速度を越えてゆく重い鎖を解き放つまで

生きてきた時間より(たぶん)生きられる時間のほうが(たぶん)少ない

よあけまえ三半規管を過ぎてゆくこれはやさしい汽笛のようだ

月光のやさしいほうへちかよれば午前零時の揺りかごのある

噴水で水掛け合った記憶のせいで何時までも濡れている頬

消えてゆく後ろ姿の見上げればカーブミラーに映るさよなら

六月のやや控えめな空色で画用紙の隅を塗っています

噴水の高みにちかい新緑の手を伸ばしても届かない夢

朝、昼、晩 この首を伸ばせば届くのですかキリンの高み

あるいは夜のセルフスタンド自らの意思でまわりはじめる洗車機

はれわたる空の静かは帽子掛けストローハットをかけてあげよう

数万年かけて水滴の落ちる暗闇で手を繋ごうとした鍾乳石たち

海に近い方の奇術師が半透明ブルーの布で悲しみを消してゆく