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六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

人間存在の改造と方法(Ⅴ)

2024年11月27日 21時10分31秒 | 仏教
そろそろ終わりに来ています。
『十二支縁起の法』より、

“それは人間の「苦」の生起し継続してゆく状態(条件)と、
それが滅していく状態と条件を示したものである。”

①無明=無知。ここでは世の中の成り立たせている縁起の真理・実相に暗いこと。
②行=行動と心を含めた潜在的形成力。
③識=識別作用。(潜在意識と表面意識を含めた心の作用)
④名色=名称と形態、または精神と物質。心身。
⑤六入=心作用の成立する六つの場、(眼・耳・鼻・舌・身・意)
⑥触=感覚器官と対象との接触。
⑦受=苦楽等の感覚作用。
⑧愛=盲目的衝動的欲求。妄執。渇きに例えられるもの。
⑨取=執着。前の愛により取捨選択してそれに執着すること。
⑩有=存在。
⑪生=生まれること。
⑫老死=我々が生きている現実の姿。

アビダルマでは、この十二支縁起は、惑‣業・苦の三つのものから成ると
解釈されている。
すなわち、無明と愛と取は「惑」、すなわち煩悩であるとされ、
行と有は「業」に属するとされ、
残りの識・名色・六入・触・受・生・老死の七支は、
業果としての苦であるとされている。

要するに、ブッダの教法は、
十二因縁=四諦という協議の上に立って、
四念住・四正断・四神通・五根・五力・七覚支・八正道という実践法、
これより成る七科三十七道品という成仏法、
これが編成されているということである。

もちろん、
いくつかの科を段階的に修行していく場合もある。
という。

具体的には、まず、
出入息をととのえる「安般念」から出発して、
精神統一させ、
次の四念住の瞑想に進み、
それが十分に得られると、
七覚支の修行に入り、
七覚支が習熟し終わってはじめて、
三明の智慧と、解脱が得られて、
最後のさとりの境地、ニルバーナに至るのである。
とされている。
 (つづく)


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人間改造の原理と方法(Ⅳ)

2024年11月21日 08時41分21秒 | 仏教
(つづき)
「四聖諦」について、
実に苦しみという、聖なる真理について考察したものである。
生きるということは、実に苦しみである。

お釈迦様の目から見る時、それはまさに「苦」そのものである。
老いる苦しみがあり、病む苦しみがある。
死の苦しみがあり、憎い人に会う苦しみがある。
愛する人に分かれる苦しみがあり、
欲するものを得られない苦しみがある。

(悟らざる者の)生きるということは苦しみである。
実に、苦しみの生起の原因は以上のとおりである。
それは苦しみの原因を集めているからである。

それは欲望に対する妄執、生存に対する妄執、
生存の絶無に対する妄執から生じるものである。

実に苦しみの止滅という、
聖なる真理は、次のごとくである。
それは苦しみの原因となるものを止滅し、
それからの解脱である。

実に、苦しみの止滅に至るという聖なる真理は、
次のごとくである。
これは聖なる八支より成る道である。
すなわち、
正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、
正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。

つまりニルバーナに入って仏陀となられたゴータマは、
成覚後、はじめて五人の修行僧に説法されたのが、
以上の「四聖諦」と「八正道」である。

(『人間改造の原理と方法』より)

  (つづく)
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『人間改造の原理と方法』(Ⅲ)

2024年11月20日 20時19分18秒 | 仏教
(つづき)
『阿毘達磨俱舎論』より、

「前に、世の別は、みな、業によりて生ずと言うなり。
しかして、かくの如き業は、随眠を離れたる業は、有を感ずる能なし。」
とある。

これは「業」と「随眠」(無意識の意識のこと)と、
深いかかわりがあることを述べた言葉である。
では、
どのようなかかわりがあるのか?

つまり、“世の別は業に由りて生ず。思および思の所作なり”
“思はすなわち意業なり。所作はいわく身語なり”
とある。

「思」は想いとか考えるとかを意味している。
精神作用全般を指すと思ってよい。
そして、
「所作」はその思の結果、
言葉を発したり行動に移したりすることだから、
「思」が行を生ずるということである。

そこで、
「思」の本体は何か?ということになるが、
思は無意識の働きを含めているから、
精神作用の中の「随眠」という領域を指すことになる。

「随眠」とは、思が深く眠っている状態だというのだ。
ひきつづき、
「随眠」の説明に入ると、
“随眠は諸有(あらゆる存在)の本なり。”
“これが差別(しゃべつ)に、六あり。”
“貪と愼とまた慢と無明と見と及び疑なり。”
とこうある。

つまり、
随眠が目を覚ますと、所作を生じ、
そして「業」を生むのである。

だから、
まず「随眠」を起こさないようにすること、
そして、
眠ったままの「随眠」を、
ある方法で消滅させることが大事なのである。
やがては、「随眠」が時に応じて目を覚まし、
思の所作(業)を引き起こさないようにするためである。

それが仏陀釈迦の説いた成仏する方法であるというのだ。
それが『阿含経』という経典の中に、
釈迦が直々に説いた仏法として。残されているのだ。
(つづく)
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『人間改造の原理と方法』(Ⅱ)

2024年11月18日 19時27分57秒 | 仏教
(つづき)
では、
仏教は、人間の「なに」を、「どのように」改造するのであろうか?
『スッタ・ニパータ』では、人間をどのように改造しているのか?

改造されるべき素材としての人間を、
人間として成り立たせているものは、「業」だとしている。
世間は業によって存在し、人々は業によって存在する、という。

例えば、大天才に生まれついたことが、
彼を大天才にさせた最大の原因ではなくて、
最大の原因は「業」なのだという。

とすると、
人間の改造は、つまりは「業の改造」だというのだ。
業の改造こそ、人間の改造であり、
社会の改造なのだということになる。

では、
「業」とはなにか?

「業」とはカルマであり、果てしなく生死を繰り返してきたところの、
我々の行為である。
ところで、
「業」には三種類あるとされる。
一つには、思うこと(想念)、
二つには、言葉、
三には、行為(行動)である。

この三つが業なのだという。
これらの三つが果てしない前世の繰り返しの中で、
蓄積され、私たちの心の中にたくわえられている。
それが業である。

そして、
「業」には、善業と悪業、
そしてそのどちらでもない中立的な業の三つがある。

問題になるのは、「悪業」である。
密教では、この悪業を「悪因縁」として取り上げている。
そして、
悪因縁の消滅させることで、
業の内容を良い方に転換しようと考える。

かんたんに言えば、
凡夫の思考を仏の思考に変え、
凡夫の言葉を仏の言葉に変え、
凡夫の行為を仏の行為に変える、
という方法を取る。

それは理論であるが、
具体的にはどうすればよいのであろうか?

次に、
では、仏教の創始者であるブッダ釈迦は、
どう説かれているのだろうか?

人間存在の構造を変える仏陀の教法。
それを、「さとり」にいたる三十七の修行法。
と呼ぶ。

人間としての業と因縁をすべて解脱した究極の境地、
ニルバーナに入る唯一の方法として、
ブッダ釈迦は、この教法を説かれた。

 (つづく)
(『人間の原理と改造』より引用)

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永劫回帰(Ⅰ)

2024年11月07日 19時08分33秒 | 仏教
アメリカ大統領選、
トランプが圧勝しましたね。
下馬評では、たぶん、
トランプで間違いないということだったと思いますが、
日本の民放では、
まったくそういうことは言わず、
ひたすらトランプとハリスは接戦と言っていた。

だからというわけではないが、
どうなるんだろうかという思いで見ていた。
タロット占いでは、
けっこうハリスが当選するという予想が多くて、
ああこれはダメだと思っていたのだが、
やはり、読み間違いというものはあるようで、
けっこう外した人がいたようである。

これは水がめ座宮時代の本格的な到来が、
今回の結果を引き寄せていると、私は思っている。
それにしても、
トランプの勝利を祝いたい。
民主党の悪政に、いいかげん辟易していたのだ。

一番ひどいのは、ウクライナ紛争。
これはロシアの軍の越境で紛争が起きたと解釈する人が多いと思うが、
その前の2014年に、民主党(オバマ政権)の時に、
クーデターを引き起こすべく動いたのがいる。

名前は忘れたが、
ウクライナの分裂を画策したのが民主党である。
詳しくは他の資料で確認してもらいたい。

次には、
LGBT法案の可決である。
日本でも全員一致の可決で法案が通ったが、
あんなばかげた法案を通したのも、
駐日大使エマニュエルの要請を受けて、
自民党の全議員が全員の賛成投票で可決したのだ。

こんなくだらないことをアメリカ民主党は強いたのだ。
それがなくならば、
こんなうれしいことはない。

さて、
「永劫回帰」である。
運命学の本を読んでいたら、
横変死の運命について書かれてあった。

その文字を見たとたん、
これはブログを書かなきゃと思い立った。
そして、
前世についての思いを馳せた。

「永劫回帰」、
そうなのだ、私たちは永遠に同じ行為を繰り返しながら、
次の人生、次に人生と、繰り返し続けてきている。

タテの因縁は先祖の運命を繰り返すことになるのだが、
ヨコの因縁については、
前の人生を繰り返すことになるのが、
その因縁の特徴ということができるだろうか。

というのも、
人の因縁を見てみると、
前世に作ったカルマの出来事が、
現世に於いてもまた同じ運命の星が見られるからだ。

一時中断します。
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