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六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

先天運と後天運!

2019年03月23日 17時19分23秒 | 運命学+占星術

運命学を学んだ人は知っていることですが、
「先天運」と「後天運」という二種類の運期がありますよね。

「先天運」というのは、
持って生まれたときにすでに備えている、元々の運期のことを言います。
それに対して、
「後天運」とは、生まれてから後に身につける運期のことです。

 一言で言うと、善き習慣性がこれに当たります。
善き考え方を身につけるとか、人間関係を改めるとか、
そういうものが後天運に対して効果を発揮する。

だから、
人が運期は変えることが出来るんだとか、
努力次第でどういう風にも転換できるんだとかいうのは、
この「後天運」に対してアプローチするわけです。

もちろん、努力次第で頑張ることで、
人は運期を好転させることができます。

ところが、
本来持っている運期に対してアプローチできる方法を実践する人は
まず皆無でしょう。
第一、それを提唱する人は、ほとんどないと思います。
まことしやかに本を書いている人でも、
理論的には確かに肯定できるのですが、
それでは不十分なんです。

「先天運」そのものを変えることが出来るならば、
人生そのものを変えることは可能なんです。
それこそが、
本当に運命を転換する人です。
その人は神です超人です仏です。

良いですか?
私達みたいな運命を見る者から見ると、
人はみんな運命のままに生きている。
本当にそのままに、少しでも変えるなんてことはない。
良い運命も悪い運命のそのままに、生きている。

別に運命のままであってもいいじゃーん!
なんて構わないですよね。
ですが、
人に殺されたり、明日明後日にも交通事故で寝たきりの人生を送る運命を持っていても、
ほとんどの人はそれに気が付かなで、
運命が自分の身の上に実現してから、気がつくわけです。

それじゃあ遅くないですか?
殺されてしまってから、ウンウン唸って、
そのへんでずっと気が長くなるほどの時間を苦しんでしまう。
それじゃあ遅くないですかっていうわけですよ。

今、世界的にも大変深刻な状況ではないですか。

それも人生だと大半の人は思っていると思う。

でも、
私はそうじゃなかった。それも偶然のように。

私は若いみそらで、
人生を成功させて故郷に錦を飾りたいと思っていた。
ここまではみんなと同じです。

ところが、
ある日、自分の肉体がなにか目の見えないもので削がれていくのを感じた。
もっと言うと、カマいたちみたいな空気で我が生命が削がれるという。
そんな感覚に陥った。

これでは天寿を全うすることもむずかしいと。
なんとかしなきゃ!
そう思っていたとき、
あまり親しげでない知人が話しかけてきたんだね。

こういう講演会が有るんだけど,今度いっしょに行ってみないか?
その人ね、俺、間接的に知ってるんだよ。
そう答えてから、二人の関係が始まった。

それから、
その友達の話がきっかけで、
まだ知らない世界に足を踏み入れることになった。
運を形成している世界についてだ。

そういう世界を学ぶことになったわけです。

かつての私のようなまともな人間じゃない、
くずのような者を一人前の人のするには、
人間の存在原理を、
根底から分析する事から始めなきゃいけない。
人間が理解出来ないで作り変えることはできない。

人間そのものを見つめること、
観察することから始めなきゃいけない。
多くの人は自分を知らなさすぎる。
知っているようでまったく知らない。

まずは、
そこから始まるのです。

   (つづく)
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世界は運で動いている!

2019年02月20日 05時05分24秒 | 運命学+占星術
大坂なおみ、初戦で敗れる 67位の選手に、ドバイ選手権世界は「運気」で動いている!

以前、大阪なおみ選手の運気を見たことがあります。
それは若いうちに世界のトップアスリートになったので、見てみようと思ったからです。

彼女は九星で言うところの三碧木星の人です。
スポーツ選手として、実に理想的な星の生まれです。
三碧木星は初年運の星になり、
スポーツとか芸能人、歌手などにはもってこいの星ですね。

そこでさらに見てみました。
はあ?と感じたのは、彼女は生まれて何度か住む場所が変わっています。
例えば、
生まれたのは大阪府です。そして、4歳でアメリカに移っている。
アメリカでもニューヨーク州からフロリダ州に移住している。
そして、おじいちゃんおかあさんは、北海道に住んでいる。

この点に、私は少し気になるものを感じたんです。
それは、一か所に腰を落ちつけて住んでいないのは、
運気が安定しにくい原因になるんです。

そこで見ると、なるほどありましたね。
「定まらない浮き沈みのある運気」を彼女は持っている。
結婚してもともに住むわけではなく、別居生活を続けたり、
いっしょに住むと別れたりするような、夫婦縁が不安定。
再婚してもあとになればなるほど縁が悪くなる。
男性ならば、職が一定せず、何度も変わるようになる。
そして、最後には、住むところのない浮浪者のような身分に落ちぶれていく。
脅しているように思うかもしれませんが、
これ本当なんですよ。

運気が一定しないだけでなく、それが続かない。
後になればなるほど、運が落ちていく。
これは運気に根が張らないのが原因なんです。

なぜでしょうか?
運気の一番の本である家の運気が衰えていっているからです。
先祖供養がなされていないからです。
大阪なおみ選手はまだ若いので、運気を保つことは可能でしょうが、
これが40歳過ぎになれば、心配しないといけないと思います。

後年、零落した人生が心配されますので、
貯蓄はしっかりとしないといけないでしょう。

そういう運気が、関係が長続きしないという形で、
バインコーチとの契約解消に現れたのでしょうね。


それはなにも、大阪なおみ選手の個人的な運勢だけに限りません。
社会も同じなんです、運勢で動いているんです。
個人は家の運気に支えられ、
社会は家族の集まりから成り立っていますから、家の運気に支えられて、
そして、
国家は国の家と書いてるんだから、国の歴史を見てわかるように、
国のたどった歴史の運勢をたどるわけです。
二度あったことは三度ある!というように、
歴史はl繰り返すんですよ。
日本の歴史を、正しい歴史を調べてみるといいですよ。
そのことがよくわかります。

時間は過去・現在・未来と区別して、
いかにも時間が分かれているように考えておりますが、
時間性は区別して考えても、私たちにとっての時間性に区別はないんです。
過去も未来も現在も、みな一つの時間の中に混在しているんです。

それは私たちがカルマによって生かされていることが認識できるようになるとわかります。

私たちはカルマによって生かされて、生きている。
すべてはカルマ!
私たちの生命の原動力はカルマなんですね。
カルマによって人生のすべtて決まる。
それをお釈迦様は、
タンハーが人間の生命の根源であるといわれています。


だから、
私たちは、まず運気を転換していくことを最重要視するべきなんです。
運が悪ければどうしようもないわけですから。
要するに、“運しだいである!”
すべては運次第でどうにでもなるんです。


それが今回の大阪なおみ選手の初戦敗退!という結果で見えたわけですね。
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前世からの記憶とカルマの解消法(3)

2019年01月21日 18時26分28秒 | 運命学+占星術

言い換えると、
「因縁」はその人を規定する条件であり、要素であり、その人を取り巻く環境であります。

私たちはこの世に生まれてくるに、両親を縁にして生まれてくるのですが、
その両親はすでに、家系のあらゆる条件を持って生まれてきているわけですから、
生まれてくる際には、
すでに家系のあらゆる条件を引き継いで生まれてくるわけです。

ざっと、
これまでが精神分析学のおける総括的な考えであると思います。

ところが、人の人生や運命的なものを決定するのは、ある「抑圧意識」だというのです。
そう、この特殊な「抑圧意識」こそが、その人の人生を特定の方向に歩ませ、
そして、
輪廻を繰り返させるものだというのです。さらには、不幸な人生にするのも、
この特殊な「抑圧意識」だというのです。

さらに、
お釋迦様は、それを「タンハー」という言葉で説明されておられるのです。
「タンハー」ゆえに、人は苦しみの人生を永遠に繰り返すのだといわれるんです。
だから、
「タンハー」を解消すれば、人は二度と不幸な人生を繰り返さないで済むのだという。

人は何度も何度も、それこそ始まりのない昔から生まれ変り続けているという。
その当体はこのタンハーだというのです。
それゆえに、
タンハーを解消することで、人は二度と苦しみの人生を生きることはないという。
なんという素晴らしいことではありませんか。
その解消法をお釈迦様は説かれた訳ですね。

  (つづく)
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一陽来復!

2018年12月26日 11時53分42秒 | 運命学+占星術
クリスマスのお祝いをする光景は相変わらずに見られました。
これはキリストの誕生を祝う行事と言われています。
12月25日に生まれたとされていますが、実際の生誕はどうも違うようです。

では、何故25日に祝うのかと言うと、
計算間違いから冬至の日を25日としてしまったことにあります。
これは前時代に行われていた冬至の行事を、
そのままキリスト教が受け継いだからです。

今年の冬至は12月21日でした。
時によっては、22日になることもありますけどね。
そもそも、冬至は“陰極まって陽に転ずる” と言うように、
その日を境に太陽の昇る時間がだんだんと早くなる。

太陽は生命の源ですから、とてもありがたく貴重な存在です。
だから、
一陽来復と言って、
古来から祝うべきものとして行事が行われてきたのです。

そこに、キリストを太陽に見立てて,キリストの生誕祭として重ね合わせて祝ってきた。
それがクリスマスということなんですね。
 
いつやったって、キリストの誕生日を祝うのはかまわないのですが、
学者の計算間違いが元で25日にクリスマスを行うとわかれば、
なんだ?ということになって、気分が下がりますね。

キリスト教は過ぎ去りし「ピッセス時代」のシンボルでありますから、
やがて過去の遺物扱いされた挙げ句、
新しい信仰に人々の目が移っていくのでありましょう。

嗚呼、良き時代だったなあなんて嘆息するのも、以外早かったりしてね。
アクエリアスの波動に翻弄されつつある私たちですね~! 
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