王陽明(1472-1592)の没後の近現代におけるシナ大陸の思想潮流を考えるとき、キリスト教(1605年イエズス会の宣教師が南京へ)、産業革命(1760-1830)など科学技術の進歩が社会へおよぼした影響を抜きには語れない。
清代末から民国の1920年代の主流は、胡適(1891-1962)の「中国哲学史大綱」に代表されるよう見かた、「戦国時代に一度高みに達した中国思想は、その後千年にわたり宗教的迷信の支配する低迷の時代を経過したが、程朱学において科学精神が復活しはじめ、さらに清代の考証学がそれを継承・発展していった」というのが、中国思想史の基本的な流れであった。
そんな中、梁啓超(1873-1929)は、王陽明の「知行合一」論について、「最も永久的な価値を有するものであり、かつ、最も現代の潮流にとって適切なものなのだ」と主張した(1926年)が、胡適らの「科学精神」の発展を主旋律とする中国思想史の流れに対して、陽明学は「反科学」運動として反動的意味を与えられることになった。
・・
もうひとつ日本的な見かたとして、奥崎裕司「儒教文明の滅亡」から引用すると、「孟子が私淑し、宋学者が超望した意味の聖人像は、陽明学において町中の人を本来的に聖人とみることによって遂に完全に消滅したと見ざるをえない」これを奥崎は、儒教の自爆と言っている。
性善説により、人は良知を備えており、心が良知に誠であり主体的であれば、必然的に善を知ろうし、知れば実行しようとする「知行合一」である。これは誰でも良知に誠になる可能性を示唆しているだけで、町人でもだれでも聖人だといっているわけでもないとおもうが、座学知識で優越感を得たい学者としては「商売上がったり」で、はなはだ気にいらない論なのかもしれない。
それよりも朱子学、陽明学の前提となっていた本質的な部分について梁啓超が指摘する。「儒学は、心を治め身を治める道については具さに語っている。だが、その学説のおおきな部分として理や氣や性や命や太極や陰陽があり、造物の原理を探ったり、心体の現象をかたったりするものであった。およそこれは所謂「心的科学」であり、道を学ぶ作業には、本来関わりのないものである。まして、我々がこういった科学をまなぼうとするならば、現在の西洋の最新の学説が存在しており、明儒たちがいったことは、まったく捨て去ってもかまわない。故に科学書を読む目で宋明の語録を読めば、全くわずかばかりの価値もない。」梁啓超は1903年2月から10ヶ月間渡米し米国の事情について知っての上でこう言っている。
朱子学が科学精神を復活させ、清代の戴震(1724-77)などの考証学が継承したとは胡適らの負け惜しみだろう。その後の歴史がシナ人の非科学性を物語っている。
・・
こうして二千五百年のシナ大陸の思想史を見渡してみると、孔子・孟子・王陽明の天才的才能も13億の我欲の砂漠に呑み込まれ荒涼たる荒れ地しか見えない。今後、共産党独裁が倒れ、何十、何百の癒しの時を超えて天才が現れるかもしれない。独裁者がまた道家を必要とするような社会なのか、はたまた、民主社会で社会の悪を扱った新しい道学を考え出す思想家が出るか、またはロシアが500年の奴隷時代にキリスト教に救いを求めたように宗教として生まれ変わるか・・
引用:前回と同様