前回は胡適の1923年の論文から後世から見たシナ哲学・思想の流れをしめした。
要約すれば、「孔孟の教えを中心とした「四書・五経」の儒教という金字塔を立てながら1千四百年の暗黒時代を経て二程朱熹による朱子学が宋代には完成したぞ、バンザイ!」
江戸時代から朱子学(林羅山、木下順庵 etc.)、陽明学(中江藤樹)、論語(伊藤仁斎)と武士道形成の中心的な思想として日本へ多大な影響を与えながら、なぜ本家のシナは思想の砂漠、禽獣の大陸と化してしまったのか? この疑問をどう答えるかというのが、シナ的人間シリーズの目的でもある。
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今回も結論からということで、梁啓超(1873-1929)の「新民説-私徳を論する」から、
漢学者のごときは、(中略)千万もの言葉をならべて弁じたところで、それらは皆本心から出た言葉ではなく、身を隠すことのてがたさは、これに勝るものは無い。才知ある士大夫は、こうやって世間におもねり、虚名をむさぼるための秘訣を得た。そうして、名誉や節操、自律自省などのことは、まったく顧みることがなくなってしまった。したがって、宋学の弊害は偽善者も類するものであったが、漢学の弊害は、そのように偽ることすらもなくなってしまったことにある。
漢学とは清代の考証学で乾隆帝・嘉慶帝年間(1736―1820)に盛んになった。士大夫は唐代から定着した科挙制度。宋代に朱子学が普及したのも科挙の試験に採用されてから。朱子学にも興味もない満州人が漢人の士大夫を官僚として使い統治するようになれば、官僚が腐敗するのは当然といえば当然。
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この腐った科挙の制度を日本が明治時代に真似して科挙・士大夫養成のために東京帝国大学をつくりましたね。
そして140年後の現在の日本が、みごとにシナ的腐敗官僚に支配されるという皮肉な結果になってしまいました。
朱子学にしても、シナ人が科学だバンザイという気の哲学を除く、倫理学の部分はまぁまともといえばまともですから、試験で人を切り捨てるようになると倫理はすっ飛ぶという教訓でしょうか。
さて、つぎは本題ですので、こんどは上流の論語から陽明学まで本流をくだることとしましょう。