王陽明が官僚として同僚士大夫を見たとき、朱子学を修めして事事物物の理を窮めるということを口実とし、善を行うことを先送りし逃げている現実があった。「知行合一」は、知ったことは必ず実行せよという実践強調論的な主張ではない。
陽明は、このような決断回避の根底に、善を欲せず本来性に背を向けていうるという根本的な悪の現実を見ている。更に、陽明はその根本的な悪を克服しない限り、悪を去り善をなそうとする修養さえも、結局自己の善を誇り、自己の存在の優位性を主張するための朱子学が成り下がっていると看破した。
善を目的とする修養が、逆に更なる悪を生じ、本来性からますます離れる結果となるのは、主体である心がその主体性を喪失しているからである。
心が良知に誠である時、本来性に背を向けていたる心は本来性に復そうとする。その時、心は始めて善の判断・行為主体となる。主体性を確立した心は、何が善であるかを知ろうとするし、知れば実行しようとする。知の中に行が、行の中に知が既に内在している。それを王陽明は、「知行合一」と表現したのである。
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王陽明の「万物一体の仁」は、程明道の「仁者は天地万物を以て一体となす」からであり、「礼記」の礼運篇の「聖人の耐く天下を以て一家となし、中国を以て一人となすは、之に意あるに非ざるなり。」とある大同思想に基づくものであった。
そして陽明の万物一体を実現する方法は、良知を致すこと以外にないとする点が特徴である。「天地も人の良知がなければ、また天地であることは出来ない。蓋し天地万物は人と原々一体なのである」のように人の良知が万物の存在根拠であり、万物の生命力であるとするのが陽明の万物の一体である。これは存在論的立場から述べられたものである。
もうひとつ、万物一体は人と人、人と社会という関係の中で成立するもので、王陽明は孟子の「幼児が井戸に落ちそうになった例を引き、幼児がおちそうになるのを見れば、必ずおそれいたむ心が生じる。これは仁の心が幼児と一体だからである。」を例にして、相手のことを自分のように思いやる、そのとき相手と自分とは一体となっているとした。
このような人間関係における万物一体は、他者を思いやる、良知を致すことで、初めて実現するものであるから、自然にいつも成立しているものではない。現実の社会は一体ではなく、対立し相克するような社会なのである。また、社会が分裂相克している時、そのような社会を統一調和させるためには、個々の人間がそれぞれ自分の社会的責任を果たすことが求められる。人間には能力の違いがでてくるが、役割分担をするとき、能力におうじて区別せざるを得ないのが現実だ。その区別が仕事の押し付け合いや、差別化といったことになれば、社会の分裂は拡大してしまう。優越意識、差別意識、安楽を求める心から本来やらなければならない仕事を避けるのではなく、嫌でも社会での自己の役割を果たすのも万物一体の仁である。
以上のように王陽明の万物一体の仁には存在論からのものと人間関係からの二つある。
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以上、陽明学の基本的で重要な思想の要点をまとめた。良知を基本とした思想は、その良知によって個は、如何なる外的権威、伝統的価値をも、そして自己の判断・行為をもすべて相対化しうる主体として確立されるとした。
また、個々の人間は、職業の違い、身分の高低、才能の優劣という差異があるが、良知によって生きることにおいて、主体として確立された個は平等であるとした点は、近代的であり、革新的思想でもあった。
しかし、個の確立による道徳主義は、伝統的儒教の「修己・治人」からのものと根本は同じはであるが、社会体制内部の悪にたいしては無力であった。また「心即理」としたことで欲望が肯定されたと清代では曲解されるようにもなってゆく。
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さて欲望と腐敗の支那大陸の歴史から学ぶべき教訓とは何か?もはや支那大陸に良知に基づく道徳主義が復活することはないのか?この素朴な疑問からスタートしたこのシリーズも終着へとちかづいた。次回は最終回として「儒教文明の滅亡」を中心として締めくる予定です。
引用先
1)「朱子学と陽明学」島田虔次著、岩波新書
2)「明清はいかなる時代であったか」奥崎裕司編著 汲古書院