暇人に見て欲しいBLOG

別称(蔑称)、「暇人地獄」。たぶん駄文。フリマ始めました。遊戯王投資額はフルタイム給料の4年分(苦笑)。

戯言(ざれごと)の使い方

2006年05月10日 16時25分54秒 | 小説系
 そろそろ決着をつけよう。

 そう思う今日このごろ。だけど決着のつけ方が、わからないのだった。
 いやただひとつ、明確な単純明快な方法があるのだけれど、それは逃げでしかない。逃避でしかない。永遠の逃避、それは死だ。そして負けだ。
 ぼくは負けず嫌いだ。負けたくない。だから死にたくない。死にたくない理由なんてそれだけで十分だ。十分すぎる。
 逃げに逃げて、甘えに甘えて、生きてきた。楽に楽に、ただひたすらに楽を求めて生きてきた。
 でも。
 逃げきれない自分がいる。
 甘えきれない自分がいる。
 楽になれない自分がいる。
 善になれない自分がいる。
 どうしてこうも。人生とは難しいのだろうか。
 戦っていないぼくが言うのは愚かだけれど、だがしかしなかなかどうして、頑張って戦っている人間までもが不幸になるのだろうか。救われないのだろうか。
 ぼくは構わない。救われなくても。救う価値のないぼくが救われるのは不当だから。それこそ不公平だから。
 でも。
 救われない、救われるべき人間がいる。
 救われるべきなのに救われない。そんな人間がいる。
 ぼくは思う。
 なぜに彼ら彼女らは、救われないのだろうか。
 悩んで苦しんで挫けて。死にたくなって。それでも頑張って生きようとしているのに。
 なぜ救われない?
 なぜ救ってもらえない?
 そして。
 なぜ、ぼくは救えない?
 なぜ、ぼくは救ってやれない?
 わかっている。
 ぼくにはそんな資格すらないからだ。
 ぼくには誰かを救う資格がないからだ。
 ぼくには救う力も助ける力もないからだ。
 ぼくは無力。無力すぎる。
 わかっているけれど。
 憤る。自分の無力さ不甲斐なさ情けなさに、憤慨する。
 でもそんなのは自業自得。
 ぼくはいつでも自業自得。
 ぼくのすべてが自業自得。
 自分のせいで、自分のせいで。
 決して、他人のせいなんかじゃない。
 中途半端に逃げた、その罰だ。
 あのとき死ななかったぼくが悪い。
 もう。
 知っている。死っている。
 絶望的なまでに知っている。知ってしまっている。ゆえに死っている。死んでいる。
 誰も責められない。何も責められない。自分しか責められない。
 だからぼくは自分を責める。罵る。蔑む。叱る。叱責する。罵倒する。侮蔑する。見下す。虐める。自虐。自虐。自虐。
 口では他人を嘲弄して軽蔑して誹謗して非難して糾弾して。
 でも心では自分を虐めることしかできなくて。他人に怯えることしかできなくて。
 なにもかもが怖くて。
 自分自身が弱すぎて。
 弱いから。
 自分を「弱い者虐め」するんだ。唯一、自分だけが虐めてもいい存在だから。
 あぁ。なんて救われない。救いようのない。救い甲斐もない。救う価値も救われる資格も権利もない。もちろん救ってやる義務もない。
 いや、そんなことはどうでもいい戯言なんだよ。
 嘆くべきは力がないこと。
 自分のせいで成長を止めた自分。
 力を手に入れる機会をことごとく放棄し、逃げ回っていただけの自分。
 さてそろそろとか言いながらいっこうに前に進まない、進めない自分。
 逃げるが勝ちというけれど、勝ちにならない逃げばかり。
 急がば回れというけれど、回りすぎて急げない。
 ヒョウタンから駒というけれど、ヒョウタン枯れて駒でない。
 棚からぼた餅というけれど、棚がないからぼた餅でない。
 三度目の正直というけれど、一度目リピート三度目来ない。
 一石二鳥というけれど、一石投じず一鳥もない。
 三人寄ればモンジュの知恵、三人寄らず知恵もない。
 ちりも積もれば山となる、ちり捨てないから山とならない。
 失敗は成功のもとだけど、失敗無視して成功しない。
 成功しない。成功しない。
 なんにもない。なんにもない。
 力がない。力がない。
 嘆くだけ。嘆くだけ。
 意味がない。意味がない。
 生きてない。生きてない。
 死んでるだけ。死んでるだけ。
 いや――結局、全部、戯言か。戯言だ。




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2 コメント

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知ってるかもしれないが、 (あきら≦2501)
2006-05-10 22:25:10
力が無いのも、誰かを救えないのも、

全てから逃げて戦うことをしないから、

その資格すら手に入れることができない。

周りが戦ってるんなら、一緒に戦えば?

そうすりゃ、彼らと同じ場所に立てるのでは?

そうすれば、いつか力もつくかもでは?

そうすれば、いつか誰かを救えるかもでは?



自分を責めることに異論は無い。

自分には何でも言えるものね。

自分自身を「責める自分」は、間違ったことは言ってないのかもしれない。全てが正しいかどうかはわからないけどね。

しかし、そうやって自分を卑下して満足しても、

それはとても無意味で、また逃避で。。なぜか。

「責められた自分」が、何も学ばないからだ。

人に言われたことを聞こうとしない、殻に篭もって、心を閉ざして、結局何もわかっちゃいない。

人とは、他人も自分も含めた、全ての人だ。

自分の叱責、聞いて何かを考えること、

そっから成長し、前進すること。

それができなきゃ、単なる自己欺瞞な逃避ですよ。



人間が、唯一自由にできる他人、それが自分。

そいつを変えてやればいい。自分の望むように。

その力、きっと誰もが持っているのだと思う。

私は未だに果たせていない夢ですがね。

スタートしないと、第一コーナーにもかかれませんよ。

あきらめたら、そこで試合終了ですよ。w

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大丈夫 (加辻後 石矢)
2006-05-11 08:30:16
諦めるつもりも、負けるつもりも、ありません。
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