そろそろ決着をつけよう。
そう思う今日このごろ。だけど決着のつけ方が、わからないのだった。
いやただひとつ、明確な単純明快な方法があるのだけれど、それは逃げでしかない。逃避でしかない。永遠の逃避、それは死だ。そして負けだ。
ぼくは負けず嫌いだ。負けたくない。だから死にたくない。死にたくない理由なんてそれだけで十分だ。十分すぎる。
逃げに逃げて、甘えに甘えて、生きてきた。楽に楽に、ただひたすらに楽を求めて生きてきた。
でも。
逃げきれない自分がいる。
甘えきれない自分がいる。
楽になれない自分がいる。
善になれない自分がいる。
どうしてこうも。人生とは難しいのだろうか。
戦っていないぼくが言うのは愚かだけれど、だがしかしなかなかどうして、頑張って戦っている人間までもが不幸になるのだろうか。救われないのだろうか。
ぼくは構わない。救われなくても。救う価値のないぼくが救われるのは不当だから。それこそ不公平だから。
でも。
救われない、救われるべき人間がいる。
救われるべきなのに救われない。そんな人間がいる。
ぼくは思う。
なぜに彼ら彼女らは、救われないのだろうか。
悩んで苦しんで挫けて。死にたくなって。それでも頑張って生きようとしているのに。
なぜ救われない?
なぜ救ってもらえない?
そして。
なぜ、ぼくは救えない?
なぜ、ぼくは救ってやれない?
わかっている。
ぼくにはそんな資格すらないからだ。
ぼくには誰かを救う資格がないからだ。
ぼくには救う力も助ける力もないからだ。
ぼくは無力。無力すぎる。
わかっているけれど。
憤る。自分の無力さ不甲斐なさ情けなさに、憤慨する。
でもそんなのは自業自得。
ぼくはいつでも自業自得。
ぼくのすべてが自業自得。
自分のせいで、自分のせいで。
決して、他人のせいなんかじゃない。
中途半端に逃げた、その罰だ。
あのとき死ななかったぼくが悪い。
もう。
知っている。死っている。
絶望的なまでに知っている。知ってしまっている。ゆえに死っている。死んでいる。
誰も責められない。何も責められない。自分しか責められない。
だからぼくは自分を責める。罵る。蔑む。叱る。叱責する。罵倒する。侮蔑する。見下す。虐める。自虐。自虐。自虐。
口では他人を嘲弄して軽蔑して誹謗して非難して糾弾して。
でも心では自分を虐めることしかできなくて。他人に怯えることしかできなくて。
なにもかもが怖くて。
自分自身が弱すぎて。
弱いから。
自分を「弱い者虐め」するんだ。唯一、自分だけが虐めてもいい存在だから。
あぁ。なんて救われない。救いようのない。救い甲斐もない。救う価値も救われる資格も権利もない。もちろん救ってやる義務もない。
いや、そんなことはどうでもいい戯言なんだよ。
嘆くべきは力がないこと。
自分のせいで成長を止めた自分。
力を手に入れる機会をことごとく放棄し、逃げ回っていただけの自分。
さてそろそろとか言いながらいっこうに前に進まない、進めない自分。
逃げるが勝ちというけれど、勝ちにならない逃げばかり。
急がば回れというけれど、回りすぎて急げない。
ヒョウタンから駒というけれど、ヒョウタン枯れて駒でない。
棚からぼた餅というけれど、棚がないからぼた餅でない。
三度目の正直というけれど、一度目リピート三度目来ない。
一石二鳥というけれど、一石投じず一鳥もない。
三人寄ればモンジュの知恵、三人寄らず知恵もない。
ちりも積もれば山となる、ちり捨てないから山とならない。
失敗は成功のもとだけど、失敗無視して成功しない。
成功しない。成功しない。
なんにもない。なんにもない。
力がない。力がない。
嘆くだけ。嘆くだけ。
意味がない。意味がない。
生きてない。生きてない。
死んでるだけ。死んでるだけ。
いや――結局、全部、戯言か。戯言だ。
人気blogランキングへ
そう思う今日このごろ。だけど決着のつけ方が、わからないのだった。
いやただひとつ、明確な単純明快な方法があるのだけれど、それは逃げでしかない。逃避でしかない。永遠の逃避、それは死だ。そして負けだ。
ぼくは負けず嫌いだ。負けたくない。だから死にたくない。死にたくない理由なんてそれだけで十分だ。十分すぎる。
逃げに逃げて、甘えに甘えて、生きてきた。楽に楽に、ただひたすらに楽を求めて生きてきた。
でも。
逃げきれない自分がいる。
甘えきれない自分がいる。
楽になれない自分がいる。
善になれない自分がいる。
どうしてこうも。人生とは難しいのだろうか。
戦っていないぼくが言うのは愚かだけれど、だがしかしなかなかどうして、頑張って戦っている人間までもが不幸になるのだろうか。救われないのだろうか。
ぼくは構わない。救われなくても。救う価値のないぼくが救われるのは不当だから。それこそ不公平だから。
でも。
救われない、救われるべき人間がいる。
救われるべきなのに救われない。そんな人間がいる。
ぼくは思う。
なぜに彼ら彼女らは、救われないのだろうか。
悩んで苦しんで挫けて。死にたくなって。それでも頑張って生きようとしているのに。
なぜ救われない?
なぜ救ってもらえない?
そして。
なぜ、ぼくは救えない?
なぜ、ぼくは救ってやれない?
わかっている。
ぼくにはそんな資格すらないからだ。
ぼくには誰かを救う資格がないからだ。
ぼくには救う力も助ける力もないからだ。
ぼくは無力。無力すぎる。
わかっているけれど。
憤る。自分の無力さ不甲斐なさ情けなさに、憤慨する。
でもそんなのは自業自得。
ぼくはいつでも自業自得。
ぼくのすべてが自業自得。
自分のせいで、自分のせいで。
決して、他人のせいなんかじゃない。
中途半端に逃げた、その罰だ。
あのとき死ななかったぼくが悪い。
もう。
知っている。死っている。
絶望的なまでに知っている。知ってしまっている。ゆえに死っている。死んでいる。
誰も責められない。何も責められない。自分しか責められない。
だからぼくは自分を責める。罵る。蔑む。叱る。叱責する。罵倒する。侮蔑する。見下す。虐める。自虐。自虐。自虐。
口では他人を嘲弄して軽蔑して誹謗して非難して糾弾して。
でも心では自分を虐めることしかできなくて。他人に怯えることしかできなくて。
なにもかもが怖くて。
自分自身が弱すぎて。
弱いから。
自分を「弱い者虐め」するんだ。唯一、自分だけが虐めてもいい存在だから。
あぁ。なんて救われない。救いようのない。救い甲斐もない。救う価値も救われる資格も権利もない。もちろん救ってやる義務もない。
いや、そんなことはどうでもいい戯言なんだよ。
嘆くべきは力がないこと。
自分のせいで成長を止めた自分。
力を手に入れる機会をことごとく放棄し、逃げ回っていただけの自分。
さてそろそろとか言いながらいっこうに前に進まない、進めない自分。
逃げるが勝ちというけれど、勝ちにならない逃げばかり。
急がば回れというけれど、回りすぎて急げない。
ヒョウタンから駒というけれど、ヒョウタン枯れて駒でない。
棚からぼた餅というけれど、棚がないからぼた餅でない。
三度目の正直というけれど、一度目リピート三度目来ない。
一石二鳥というけれど、一石投じず一鳥もない。
三人寄ればモンジュの知恵、三人寄らず知恵もない。
ちりも積もれば山となる、ちり捨てないから山とならない。
失敗は成功のもとだけど、失敗無視して成功しない。
成功しない。成功しない。
なんにもない。なんにもない。
力がない。力がない。
嘆くだけ。嘆くだけ。
意味がない。意味がない。
生きてない。生きてない。
死んでるだけ。死んでるだけ。
いや――結局、全部、戯言か。戯言だ。
人気blogランキングへ
全てから逃げて戦うことをしないから、
その資格すら手に入れることができない。
周りが戦ってるんなら、一緒に戦えば?
そうすりゃ、彼らと同じ場所に立てるのでは?
そうすれば、いつか力もつくかもでは?
そうすれば、いつか誰かを救えるかもでは?
自分を責めることに異論は無い。
自分には何でも言えるものね。
自分自身を「責める自分」は、間違ったことは言ってないのかもしれない。全てが正しいかどうかはわからないけどね。
しかし、そうやって自分を卑下して満足しても、
それはとても無意味で、また逃避で。。なぜか。
「責められた自分」が、何も学ばないからだ。
人に言われたことを聞こうとしない、殻に篭もって、心を閉ざして、結局何もわかっちゃいない。
人とは、他人も自分も含めた、全ての人だ。
自分の叱責、聞いて何かを考えること、
そっから成長し、前進すること。
それができなきゃ、単なる自己欺瞞な逃避ですよ。
人間が、唯一自由にできる他人、それが自分。
そいつを変えてやればいい。自分の望むように。
その力、きっと誰もが持っているのだと思う。
私は未だに果たせていない夢ですがね。
スタートしないと、第一コーナーにもかかれませんよ。
あきらめたら、そこで試合終了ですよ。w