暇人に見て欲しいBLOG

別称(蔑称)、「暇人地獄」。たぶん駄文。フリマ始めました。遊戯王投資額はフルタイム給料の4年分(苦笑)。

ぼくさまちゃん。

2010年07月02日 19時59分26秒 | おしらせ
 僕様ちゃん。
《戯言シリーズ》のヒロイン、玖渚友(くなぎさ・とも)の一人称。
 素敵過ぎる。
 素晴らし過ぎる。
 好き過ぎる。
 なんなんだ。
 何なんだ西尾維新……!
 こんな超弩級の一人称、どこから閃くのだろう?(勿論、頭からだが?)
 天啓的だ(not典型的)。
 人間の基本は一人称にある、と私は考えている。
 特に小説などではキャラクターによって一人称を変えるとセリフが回しやすい。
 例えば登場人物が全て男で全員が「俺」と言っていたら誰がしゃべったのかわからず、混乱するだろう。
 だから一人称は人間(その人)を表す代名詞でなければならないのだ。
 そこに至って(それにあたって)西尾維新という男は、ヒロインに“僕様ちゃん”なんていう破格の(格別に格段に破竹の勢いで破裂するほどに破壊的な)個性的なコトバを授けたのだ。
 なんてこった!
 玖渚友を表現するのに“僕様ちゃん”以上のコトバが果たして存在しうるだろうか、いや、しない。きっと無い、存在しえない。
 オリジナルの強み。
 さて。
 偖扨(さてさて)。
 どうしてこんな話になったのかというと。
 実は、以前から考えていたのだ。
“戯言シリーズのトリビュート作品を書こう”と。
 タイトルだけはバッチリ決まっていて。
 中身は全然決まっていない(苦笑)。
 というか。
“いいタイトルを思いついたから書きたいなぁ”
 という発想である。
 というか。
 こんなタイトルがあるのに、どうして西尾維新先生はこのタイトルで作品を書かないのだろう……?
 というか、ん、じ。
 或いはこれは二次創作の領域だから、オリジナルでは描けないのかも知れない。
 タイトルは……
 発表したほうがいいのかな?
 しかし、タイトル以外ほぼ何も決まっていない作品を発表していいはずないよなぁ、と。
 もし、
「いいタイトルですね。内容も期待しています!」
 なんて反応(レスポンス)が反って来たらどうする?
 名前負けの作品が出来上がることは、火を見るより明らかなのに?
 ていうか。
 前にブログで発表した……気がする。
 ならば。
 再度発表しよう!(? 理解不能。否、不可能)
 そのタイトルとは……


































『零崎入識の人間入門(ぜろざき・いりしき の にんげんにゅうもん)』

 である。
 少しばかり解説しよう。
 まず《零崎入識》とは誰か。
 それは作者の西尾維新が飲み会の席で(冗談で?)言った、戯言シリーズの主人公《いーちゃん》の本名である(漢字表記だけで読みは不詳)。
 そして人間シリーズのタイトル命名方式を採用。
 見た目で“人間≒入門”であり、“入識→入門”での統一感もある。
 もう是非、西尾維新先生にこのタイトルで一冊書いて頂きたい!
 書いてもらえるはずがないので、自分で書くしかないだろう、と。
 これは……
 書くとしたら、戯言シリーズ&人間シリーズ、更には『ザレゴトディクショナル』を読んで《戯言ワールド》に浸りつつ書くべき作品だろう。
 しかし、しかししかし。
 この他にも“戯言ワールドを堪能した直後に書きたい作品”があって。
 どっちを先に書こうかと悩む。
 そちらは荒業を使ったゴリ押しミステリで、内容の半分は決まっているが、途中で破綻しそうな、かなり危なっかしい作品である。
 タイトルも奇抜でいい感じなので、自分のデビュー作にしてもいいかなぁとか考えているところ。
 この『零崎入識の人間入門』よりはオリジナル色を出したいので、後で執筆するのが順当であろう。
 でもそちらもなかなかどうして、西尾維新カラーに染色されている感が否めないところがあり、模倣と見做されてもおかしくない影響の受けぶりである。
 だってさぁ……
 西尾維新が先に面白いことやっちゃったから。
 同じようなことしてみたくなるじゃない?
 私の人生、面白いことはあっても万人受けすることって殆どなかったし。
 人間くさいこと無かったからね。
 自分で思い出して馬鹿みたいって思う、話の題にもならないつまらない人生。
 小説の世界は面白くて、いつも羨ましく思うんだ。
 だから私は執筆するのかも知れない。
 文章が苦手でも、本を読むのが人より3倍遅くても、自分で納得できる技量がなくても、滅多に書く気になれなくても、集中がすぐ途切れても、何にも思いつかなくても、物語を的確に文章に起こせなくても、面倒臭いと思うことが殆どで全然書けなくても……
 それでも、嫌になっても、私は書き続けたいと思っている。
 絵を描くほうがはるかに簡単でも、歌を唄うほうが至極容易でも、とにかく書くこともやっていきたいと思っている。
 絵と歌と小説。
 この3つのうち一つでも頑張れたら、自分の人生にOKが出せる気がするから。
 気の向くままにどれかにチャレンジしていきたい。
 ん? 大分話逸れた?(苦笑)
 まあ、で。
 小説はずっとオリジナルだけ書いて来た。
 他人の真似っこしたら著作権とかややこしいからね。
 あとは、《自分にしか書けない物語》って必ずあると思って。
 それだけを信じてずっとオリジナルでやってきた。
 でも、二次創作も面白そうだなぁ、と。
 乙一先生にハマった時は、あの人完全に感性だけで書ける人だから、真似できっこないと思って、真似する気が起きなかったんだよね。てか、真似しようっていう発想があまり湧かなかった。
 ただ、『GOTH』だけは自分に通じるモノがあって、主人公の設定を大分パクったことはあるけれども(苦笑)。
 西尾維新先生も独特のカラー(個性的感性)という点では乙一先生と同様で。
 だけど、何だろう、真似しやすい演出が多い気がした。
 勿論、西尾維新カラーを完全に真似ることは不可能だけど、ところどころ似せることは可能だなぁと。
 西尾維新という人はバラエティに富んでいるから、いくつも演出の手法があって、そのうちのいくつかは真似出来る方法だから、真似しやすい、みたいな。
 そこがまた魅力でもあるんだよね。
 乙一と西尾維新は一見丸逆の文体だけれど、何かどこか通じるモノがある気がする。
 そして、乙一は感性を優先するから言葉を余り厚塗りしない。簡素な文章を追求して、余計なモノは削ぎ落とす。
 逆に、西尾維新は感性よりも発想や連想を大切にして何度も同じことを違った視点でアプローチして語る。
 簡単なイメージで言えば、乙一は裸一貫、愛刀1本で戦(いくさ)に向かい、西尾維新は厚い鎧を身に纏い、様々な武器を装備して立ち向かう。
 ベクトルは同じく“勝つこと”に向いているのに、やり方が本当に丸逆。
 という感じ。
 ……て、何でこんな話になったんだろう?
 ちなみに。
 今の私は乙一のせつない系の作品に出てくる若い女性に成り切っている。
 文体とか、雰囲気とか、ま、喋り方だけれど。
 乙一先生の文章はリズミカルで、まるで音楽を奏でているようだから、私もリズムには注意している。
 軽快な読み易さが乙一文学のウリであることは間違いないでしょう?
 時に“平易な文章”と揶揄(やゆ)されがちだけれど、
「乙一に出会わなければ私は読書(もしくは執筆)をしなかった」
 と言う若者は多い。
 ボクや家族の弟がそうである(GOTHについての文章「僕やクラスメイトの森野夜がそうだ」に由来)。
 つまり乙一という作家は、若者の本離れを抑止する、なかなかに素晴らしい小説家なのだ。
 ……えー、この記事は一体何を主題としているのでしょうね(苦笑)。気の向くまま、勝手気ままな野良猫の体(てい)で書き連ねております。失敬。
 さて、そろそろ終わりましょうか(苦笑)。
 とりあえず、戯言シリーズは完全に買い揃えたのに人間シリーズが見つからない、という状況なので、『零崎入識の人間入門』を書くのはまだまだ先のことになりそうです(苦笑)。

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