1
ボクは絵を描くのが好きである。
いま読者が思い描くような、どうせ血で描くんだろ的なツッコミを実現するのは却下だ。
そうやってボクを異常者として祭り上げたいのは、そういう気持ちはもちろん理解できなくはないのだけれど、断固として拒否したい。
なぜならボクは(たとえ本心が醜くても)、人でありたいからだ。
人でなければ殺人者にすら成れない。
人でなければ殺人鬼と呼ぶしかない。
別に無機物のようにモノとして扱われてもいいのだけれど、だけどせめて、表記だけは「者」であってほしい。
あぁひとつ。
誤解しないでいただきたいのは。
ボクは「まだ」誰も殺していない、という現実だ。
もし殺してしまってみろ。
殺人犯として逃亡に逃亡を重ねて挙句の果てに派手な逝き方をしかねないだろう?
いや。
いやいや別に死んでもいいのだけれど、死んだほうがマシなのもわかるのだけれど。
ボクが重要だと考えているのは、そんな生活は心が休まらない、という点である。
別に人を殺しても、誰を殺したところで良心なんて悼まない。そもそも傷む心もない。
傷む心なし休む心あり、これいかに。
ともあれ。
ともかく、とにもかくにもボクは休みたい。休息したい。休眠したい。休眠したい?
死体。
そうだ。
ボクは(もう絵の話はしないのだろうか)毎日夢を見るんですよ。
毎日見るってことは毎日寝ているということで、健康優良児かよなどのツッコミをいただいちゃったりしたかもしれないが、健康かどうかは甚だ疑問なところだろう。
いまさら、夢は眠りの浅いレム睡眠時に見るものであって夢を見るからといってぐっすり眠っているとは限らないんですよ的な注釈は必要ないのだろうけれどあえて知識をひけらかそうではないか。
毎日夢を見れるってことはさぞかし規則正しい生活を営んでいるのでしょうねとか、夢をあまり見ないんですけど私病気でしょうかとか、そんな感想はどうだっていい。
なぜならボクの毎夜見る夢は必ず悪夢だからだ。
悪夢。
それは悪い夢。
別に辞書を引いたわけでもないが、読んで字のごとくがこの言葉にも適用されるだろうとボクは考えているので辞書は引かないでおく。
悪い。
もしこの世が良いことと悪いことだけに分類できるのなら、ボクの人生に良かったことなんてあっただろうかと首をかしげたいが、そんな人生から見ても明らかに悪い、ありていにいえば「嫌な」夢だ。
ここまでの講釈とタイトルから推測してその夢の正体を当てたきみには拍手をあげようパチパチパチ。
(あ、講釈って口癪って書くのかと思っていたよ、釈然としないな)
拍手喝采はさておき。
閑話休題。
(閑話ってどこからどこまでが?)
ボクは表に出さないタイプの人間で、これで実は人当たりがいい。
気の利いたこともたまには言うし。
もちろんコレが小説であれば、たまに、では済まないんだけれどね。すまないね。
小説といえば。
ボクは基本、絵描きだが、たまに小説も書く。
絵描きというのがまるで絵を描いて食べていっているように聞こえたなら訂正しよう。
ラクガキが好きである。
根を詰めるのが嫌いなので、絵画はもちろんイラストとすら言えないような、雑いやつだ。
色も滅多に付けない。
握るのは鉛の筆、ですらなく、シャープのほうだ。
消しゴムは安いせいかうまく消えないし黒鉛を押し広げるだけだったりする。
だからさっきボクの描いた絵を見てみたいなんて殊勝なことを思った可愛い子にはがっかりさせてしまうだろうので見せないでおこう。
さて。
閑話のつづきをしてしまったようで恐縮だが、ボクの話はだいたいこんなウザさで進んでいく。
覚悟してほしい。
ボクがラクガキを描きたくなるのはどんなときか考えてみたことがないので考えてみる。
嬉しいときー。嬉しさを際立たせるためにダークな絵になることが多い。
悲しいときー。感情が筆圧に比例して用紙を貫いてしまう。
辛いときー。殴る。いや、殴り描く。(もちろんカライわけではない、念のため)
楽しいときー。有頂天になる。いや点描になる。いやいや折れ線グラフの点だけみたいになる。
悔しいときー。紙吹雪が舞う。(怒ったときも同様である)
いかん。
ラクガキを描く以外のパターンを説明したが、蛇足にもほどがあった。
サーセン。
そして。
ボクが唯一、絵と向き合わない感情が、あった。
それは、
《殺したくなったとき》
だ。
絵は感情を表現したいときに描くのではない。
もしそうなのなら、嬉しいときーには、ハッピーな絵を描くはずである。
ただし、絵を描くとき必ず、ボクは常に「誰かに見られる」ことを考えている。
裏返せば、誰に見られても差し支えない絵を描く、ということだ。
絵には色色ある。
モノクロームの、つまり「色のない絵」しか描かないボクでもだ。
さっきの感情別パターンによれば、絵と言えるモノを描くのは嬉しいときーだけになるが。
嬉しいときに嬉しいっぽい絵を描かないとは言っていないし、模写や写生をまったくしないわけでもない。
タッチそのものを変えてみることもあるし、紙質やペンを違うものにする場合もある。(しかしどれも、学校の机の上以上に最高なカンバスはない)
いろいろある。
だが、あくまでも「見られても困らない絵」しか描けない。
見られたとき、ボクは「これは自分の絵じゃないよ」とか「模写しただけだよ深い意味は無いよ」とか「もらった」とか、明らかに嘘だとわかる、アホっぽい嘘を吐くのが嫌なんだ。
嘘は吐く。
が、絵に関してはそうではない。
天邪鬼な感情表現になることはあっても、自分が描きたいと思うから描くのであって、嘘だなんてあってはならないのだ。
ボクが絵に向かうとき、もしもこだわりがあるとすれば、その点だ。
もうひとつ、先に述べたとおり、見られたとき困らないというのが条件。
困る絵は最初から描かない。
それは昔、エキゾチックな絵を描いたところ公開処刑にされ、恥ずかしくて死にそうになったからである。嘘である。
そういうトラウマがあるのかないのかは語らないでおくとして(正直、自分でも理由はわからないのだが語らないと語っておいたほうがミステリアスで魅力的なので)。
だから(だから?)ボクは見られてもいいという範囲でしか絵を描かない。
絵は残るし、せっかく描いたモノを燃やすのは気が重い。(捨てたら見られる可能性も出てくるし、そこは燃やすしかないだろうね)
じゃあ、見られて困る、見られたくない感情は、どこへ行けばいい?
もしかしたら絵では表現できなかったなにがしかが、ちり積もって、あの感情に化けるのか?
《殺したい》
別に、ある特定の人物を処刑したいわけではない。
いや。
実は誰を屠りたいのか、自分でもわからないのだ。
そう――ワカラナイ……
わからない。
わからないわからないわからない。
なんでもかんでも、なんでんかんでん説明できるわけではない。
たとえどんなに優れた言語学者でも、心理学の達人でも、表現し切れないなにかは絶対に蓄積されてゆく。
それら。
それら表現されなかった「言葉にしてもらえなかったなにがしか」が、積年の恨みみたくなって……
それがボクの。
ボクにとっては毎晩公開されつづける悪夢のショー。
なのか?
そんな単純なものか?
わからない。
このわからないがわからないのまま、消化不良を起こしている?
ますますわからない。
これが容疑者Xってやつか。
容疑者はまだ犯人ではないから言いえて妙だ。
確定していないが怪しいなにがしか。
何が死か。
?
自分の発想が謎だ。
言葉で遊ぶのは悪いことではないが、言葉に遊ばれていては元も子もない。
難しく考えるからいけない?
たとえばストレス。
ストレスという言葉は便利だ。
なんでもかんでもストレスのせいにできる。
ストレス社会という言葉。
その安直なネーミング。
その認識が、ストレスをストレスたらしめている。
ストレス社会という言葉が一人歩きしてしまっている。
気がする。
気がするけれど、その便利な魔法の言葉を今回は使いたい。
ストレスだよ。
全部ストレスだ。
ストレスが原因だよ。
なんだストレスか。
ストレス万歳!
じゃねぇ!
たとえ話が一人歩きしてどうする。また言葉に遊ばれているぞ。
たとえば。
ただのストレスで不眠症のようになっているのでは? とか。
ストレスという言い方をすると日常のあらゆる悪い感情が、恨みつらみがすべて言い含められる。
そして、ストレスで悪夢を見ている?
夢というのは脳が記憶を整理しているときにできる副産物で、実はあんまし精神状態や深層心理とは関係がないとする論旨もあるが……。
でもだからって火のないところに煙は立たないんじゃなかったのか? とも思えてくるし。
まぁそのへん、そのあたりは考えてみても苦し紛れの言い分しか思いつかないや。
夢については精神状態が夢に影響しているのではなくて、夢が影響して精神状態がそっちに寄る、みいたいな。ニワトリが先かタマゴが先かみたいなワケワカメな考えに至ってしまい、結局自分がどう思いどう行動するかが重要なんであって、偉い先生がきみみたいな弱小市民の脳味噌を解明してくれるわけないじゃあないか、と。
そんなオチでいいや。
と、また投げやり(やり投げ?)に言葉を切った。
こういう話はぐるぐる考えても詮無い。
堂々巡りになるだけで、螺旋階段のように着実に進んでいくものじゃーないのだ。
人生諦めが肝心とはよく言ったもので、諦めない人間はそのループから逃れられず囚われ死んでゆく。
こんなボクごときの浅学でそのループにひっかかったらシャレにならん。
そう。
浅学だが非才ではないこのボクに。
……ごめんなさい。
あとがき
今日、2時間くらいで書き殴りました。
ボクは絵を描くのが好きである。
いま読者が思い描くような、どうせ血で描くんだろ的なツッコミを実現するのは却下だ。
そうやってボクを異常者として祭り上げたいのは、そういう気持ちはもちろん理解できなくはないのだけれど、断固として拒否したい。
なぜならボクは(たとえ本心が醜くても)、人でありたいからだ。
人でなければ殺人者にすら成れない。
人でなければ殺人鬼と呼ぶしかない。
別に無機物のようにモノとして扱われてもいいのだけれど、だけどせめて、表記だけは「者」であってほしい。
あぁひとつ。
誤解しないでいただきたいのは。
ボクは「まだ」誰も殺していない、という現実だ。
もし殺してしまってみろ。
殺人犯として逃亡に逃亡を重ねて挙句の果てに派手な逝き方をしかねないだろう?
いや。
いやいや別に死んでもいいのだけれど、死んだほうがマシなのもわかるのだけれど。
ボクが重要だと考えているのは、そんな生活は心が休まらない、という点である。
別に人を殺しても、誰を殺したところで良心なんて悼まない。そもそも傷む心もない。
傷む心なし休む心あり、これいかに。
ともあれ。
ともかく、とにもかくにもボクは休みたい。休息したい。休眠したい。休眠したい?
死体。
そうだ。
ボクは(もう絵の話はしないのだろうか)毎日夢を見るんですよ。
毎日見るってことは毎日寝ているということで、健康優良児かよなどのツッコミをいただいちゃったりしたかもしれないが、健康かどうかは甚だ疑問なところだろう。
いまさら、夢は眠りの浅いレム睡眠時に見るものであって夢を見るからといってぐっすり眠っているとは限らないんですよ的な注釈は必要ないのだろうけれどあえて知識をひけらかそうではないか。
毎日夢を見れるってことはさぞかし規則正しい生活を営んでいるのでしょうねとか、夢をあまり見ないんですけど私病気でしょうかとか、そんな感想はどうだっていい。
なぜならボクの毎夜見る夢は必ず悪夢だからだ。
悪夢。
それは悪い夢。
別に辞書を引いたわけでもないが、読んで字のごとくがこの言葉にも適用されるだろうとボクは考えているので辞書は引かないでおく。
悪い。
もしこの世が良いことと悪いことだけに分類できるのなら、ボクの人生に良かったことなんてあっただろうかと首をかしげたいが、そんな人生から見ても明らかに悪い、ありていにいえば「嫌な」夢だ。
ここまでの講釈とタイトルから推測してその夢の正体を当てたきみには拍手をあげようパチパチパチ。
(あ、講釈って口癪って書くのかと思っていたよ、釈然としないな)
拍手喝采はさておき。
閑話休題。
(閑話ってどこからどこまでが?)
ボクは表に出さないタイプの人間で、これで実は人当たりがいい。
気の利いたこともたまには言うし。
もちろんコレが小説であれば、たまに、では済まないんだけれどね。すまないね。
小説といえば。
ボクは基本、絵描きだが、たまに小説も書く。
絵描きというのがまるで絵を描いて食べていっているように聞こえたなら訂正しよう。
ラクガキが好きである。
根を詰めるのが嫌いなので、絵画はもちろんイラストとすら言えないような、雑いやつだ。
色も滅多に付けない。
握るのは鉛の筆、ですらなく、シャープのほうだ。
消しゴムは安いせいかうまく消えないし黒鉛を押し広げるだけだったりする。
だからさっきボクの描いた絵を見てみたいなんて殊勝なことを思った可愛い子にはがっかりさせてしまうだろうので見せないでおこう。
さて。
閑話のつづきをしてしまったようで恐縮だが、ボクの話はだいたいこんなウザさで進んでいく。
覚悟してほしい。
ボクがラクガキを描きたくなるのはどんなときか考えてみたことがないので考えてみる。
嬉しいときー。嬉しさを際立たせるためにダークな絵になることが多い。
悲しいときー。感情が筆圧に比例して用紙を貫いてしまう。
辛いときー。殴る。いや、殴り描く。(もちろんカライわけではない、念のため)
楽しいときー。有頂天になる。いや点描になる。いやいや折れ線グラフの点だけみたいになる。
悔しいときー。紙吹雪が舞う。(怒ったときも同様である)
いかん。
ラクガキを描く以外のパターンを説明したが、蛇足にもほどがあった。
サーセン。
そして。
ボクが唯一、絵と向き合わない感情が、あった。
それは、
《殺したくなったとき》
だ。
絵は感情を表現したいときに描くのではない。
もしそうなのなら、嬉しいときーには、ハッピーな絵を描くはずである。
ただし、絵を描くとき必ず、ボクは常に「誰かに見られる」ことを考えている。
裏返せば、誰に見られても差し支えない絵を描く、ということだ。
絵には色色ある。
モノクロームの、つまり「色のない絵」しか描かないボクでもだ。
さっきの感情別パターンによれば、絵と言えるモノを描くのは嬉しいときーだけになるが。
嬉しいときに嬉しいっぽい絵を描かないとは言っていないし、模写や写生をまったくしないわけでもない。
タッチそのものを変えてみることもあるし、紙質やペンを違うものにする場合もある。(しかしどれも、学校の机の上以上に最高なカンバスはない)
いろいろある。
だが、あくまでも「見られても困らない絵」しか描けない。
見られたとき、ボクは「これは自分の絵じゃないよ」とか「模写しただけだよ深い意味は無いよ」とか「もらった」とか、明らかに嘘だとわかる、アホっぽい嘘を吐くのが嫌なんだ。
嘘は吐く。
が、絵に関してはそうではない。
天邪鬼な感情表現になることはあっても、自分が描きたいと思うから描くのであって、嘘だなんてあってはならないのだ。
ボクが絵に向かうとき、もしもこだわりがあるとすれば、その点だ。
もうひとつ、先に述べたとおり、見られたとき困らないというのが条件。
困る絵は最初から描かない。
それは昔、エキゾチックな絵を描いたところ公開処刑にされ、恥ずかしくて死にそうになったからである。嘘である。
そういうトラウマがあるのかないのかは語らないでおくとして(正直、自分でも理由はわからないのだが語らないと語っておいたほうがミステリアスで魅力的なので)。
だから(だから?)ボクは見られてもいいという範囲でしか絵を描かない。
絵は残るし、せっかく描いたモノを燃やすのは気が重い。(捨てたら見られる可能性も出てくるし、そこは燃やすしかないだろうね)
じゃあ、見られて困る、見られたくない感情は、どこへ行けばいい?
もしかしたら絵では表現できなかったなにがしかが、ちり積もって、あの感情に化けるのか?
《殺したい》
別に、ある特定の人物を処刑したいわけではない。
いや。
実は誰を屠りたいのか、自分でもわからないのだ。
そう――ワカラナイ……
わからない。
わからないわからないわからない。
なんでもかんでも、なんでんかんでん説明できるわけではない。
たとえどんなに優れた言語学者でも、心理学の達人でも、表現し切れないなにかは絶対に蓄積されてゆく。
それら。
それら表現されなかった「言葉にしてもらえなかったなにがしか」が、積年の恨みみたくなって……
それがボクの。
ボクにとっては毎晩公開されつづける悪夢のショー。
なのか?
そんな単純なものか?
わからない。
このわからないがわからないのまま、消化不良を起こしている?
ますますわからない。
これが容疑者Xってやつか。
容疑者はまだ犯人ではないから言いえて妙だ。
確定していないが怪しいなにがしか。
何が死か。
?
自分の発想が謎だ。
言葉で遊ぶのは悪いことではないが、言葉に遊ばれていては元も子もない。
難しく考えるからいけない?
たとえばストレス。
ストレスという言葉は便利だ。
なんでもかんでもストレスのせいにできる。
ストレス社会という言葉。
その安直なネーミング。
その認識が、ストレスをストレスたらしめている。
ストレス社会という言葉が一人歩きしてしまっている。
気がする。
気がするけれど、その便利な魔法の言葉を今回は使いたい。
ストレスだよ。
全部ストレスだ。
ストレスが原因だよ。
なんだストレスか。
ストレス万歳!
じゃねぇ!
たとえ話が一人歩きしてどうする。また言葉に遊ばれているぞ。
たとえば。
ただのストレスで不眠症のようになっているのでは? とか。
ストレスという言い方をすると日常のあらゆる悪い感情が、恨みつらみがすべて言い含められる。
そして、ストレスで悪夢を見ている?
夢というのは脳が記憶を整理しているときにできる副産物で、実はあんまし精神状態や深層心理とは関係がないとする論旨もあるが……。
でもだからって火のないところに煙は立たないんじゃなかったのか? とも思えてくるし。
まぁそのへん、そのあたりは考えてみても苦し紛れの言い分しか思いつかないや。
夢については精神状態が夢に影響しているのではなくて、夢が影響して精神状態がそっちに寄る、みいたいな。ニワトリが先かタマゴが先かみたいなワケワカメな考えに至ってしまい、結局自分がどう思いどう行動するかが重要なんであって、偉い先生がきみみたいな弱小市民の脳味噌を解明してくれるわけないじゃあないか、と。
そんなオチでいいや。
と、また投げやり(やり投げ?)に言葉を切った。
こういう話はぐるぐる考えても詮無い。
堂々巡りになるだけで、螺旋階段のように着実に進んでいくものじゃーないのだ。
人生諦めが肝心とはよく言ったもので、諦めない人間はそのループから逃れられず囚われ死んでゆく。
こんなボクごときの浅学でそのループにひっかかったらシャレにならん。
そう。
浅学だが非才ではないこのボクに。
……ごめんなさい。
あとがき
今日、2時間くらいで書き殴りました。
二時間って、頑張りましたね!?
お疲れ様ですm(_ _)m
ちなみに私はまそらですww((←
面白かったようでなによりです。
読んでくれてありがとうございました。