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11歳で作曲「聖墓の音楽」

2024-08-13 21:03:00 | 古典
12日は母と約束通りお墓参りに行きました。

父のお墓に行って

平和堂のフードコートでお昼食べて

犬のメイちゃんのお墓
それから

祖母のお墓
お墓を洗って手を合わせるとすっきりしました。

今年も無事お参りできました。
ありがとうございます。

ウォルフガング アマデウス モーツァルト(1756-1791年)神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教領ザルツブルク生まれ、オーストリア大公国ウィーン没

モーツァルト11歳石版画

「聖墓の音楽 K.42 (35a)」は
ザルツブルク大司教の依頼により、1767年4月17日の聖金曜日に上演する目的で作曲された受難カンタータ(パッション・カンタータ)です。 すべての曲にレチタティーヴォが付いています。

当時、ザルツブルクで復活祭に、教会の礼拝堂などにキリストの埋葬を型どった「聖墓」が作られ、そこで聖金曜日にキリストの受難と復活の宗教劇が演じられていました。
この曲はそのために作られました。

1772年頃再演する機会があり、モーツァルトは新たに終りの4部合唱を追加して改訂しました。

この曲には次の有名な逸話があります。

ザルツブルク大司教ジギスムント(1747 - 1823年)
ジギスムント・クリストフ・フォン・シュラッテンバッハ伯爵(大司教在位1753年 - 1771年)
の依頼によりモーツァルトはオラトリオ「第一戒律の責務 K.35」(第1部)を作曲していました。

が、大司教は11歳の子供がこのような作品を本当に独力で作曲できるものか怪しく思い、僧院の一室に閉じこめました。

ザルツブルク大聖堂

ロンドンの法律家兼自然科学者だったバリントン卿(Daines Barrington, 1727-1800)は

「大司教はこれほど見事な曲がほんとうに幼児のものだとは信用せず、彼を一週間のあいだ閉じ込め、この間だれにも会わせずに、五線紙とオラトリオの歌詞だけ与えてひとりにしておいた。

するとこの短い期間に、彼は非常にすばらしいオラトリオを作曲し、これは上演されてまことに烈しい拍手喝采を得たものだった。」[全作品事典] と報告しています。

「聖墓の音楽 K.42 (35a)」
天使と霊魂の対話になっています。

Ⅰ.アリア「岩よ、お前たちの口を開けよ」 Felsen, spaltet euren Rachen Allegro ニ長調

Ⅱ.アリア「この胸を眺めて、私に問いかけて」 Betracht dies Herz  
Andante ト短調

Ⅲ.二重唱「イエスよ、私は何をしたのでしょうか」 Jesu, was hab'ich getan? 
Andante 変ホ長調

Ⅳ.合唱「イエスよ、真の神の子よ」 Jesu, wahrer Gottessoh  ハ長調 

「聖墓の音楽 K.42 (35a)」より
Ⅱ.アリア「この胸を眺めて、私に問いかけて」ソプラノ 天使の応答です。