音楽の喜び フルートとともに

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あそびの哲学

2008-08-24 00:42:29 | Weblog

おしろい花は以前より減ったような気がしますが、まだまだ、あちこちに植えられていますね。子どもの頃はこの花で良く遊びました。花の後ろから蜜を吸ったり、ひっくり返してちょうちんを作ったり、つぶして爪に塗ったり。多分人の家の花だったと思いますが、誰にも叱られませんでした。人の家の柿や、イチジクも近所の子みんなで、獲って食べました。それもお腹いっぱい。田舎ではなく大阪市内でしたが。人の家でかくれんぼしたり、(箪笥の中に隠れた)アパートの屋根の上で鬼ごっこしたりしました。

考えてみれば、法律よりも優先される、近所付き合いの共通のルールがあって、それがあるので、家に入れても安心していられたのだと思います。子ども集団のなかにも行ってもいい所、入ってはいけないところ、とってもいいもの、いけないもの。2歳児は鬼ごっこの時はこれくらいのハンディを、幼稚園児はこれくらい。年上の子どもは下の子どもを気遣う。楽しく安全に遊ぶためのルールがありました。

それは、その場に集まった同じ遊びをする子どもたちによって、話し合いで決まっていました。年上の子がリーダー役をすることもありましたが、その子はうまく、子どもたちの意見を聴いてすり合わせる役をしていました。小さな子どもたちでも意見を出せるように心を砕いて、そして、グループの編成や遊びによって、リーダー役はいつもころころ変っていました。

放任のように思えますが、ある意味厳しかった。誰に言われたわけでも教えられたわけでもないですが、子どもたちはグループ全員のすることに責任をもっていたし、何かあれば一緒に自分も叱られるのは当然だと思っていました。
年長の子どもたちは、当然のように年下の子どもたちがすることにも責任を感じていましたし、年下の子どもたちが、年長の子どもを守ることもありました。

音楽は、個人練習の孤独な作業だけで成り立つのではなく、演奏会のほとんどが共同作業。
その作業のほとんどが、いかにして、個人、個人が主張しながら、相手の言葉や音楽に耳を傾け、それぞれの力を発揮し、全体としての音楽を作り上げることができるか?にかかっていると思います。
その方法のお手本は子どもの頃の、遊びの中にあるのではないか?と私は思っていますが、さて、大人になった私たちはうまく話し合い、高めあうことができるでしょうか?

たぶん、子どもたちより、へたくそ。だけど、相手への思いやりを持ちながら、おおらかに、言いたいことを言い合い、相手の意見を受け入れることができるようにチャレンジしたいと思います。
きっとみんなでやればできる