轟です。先日、宮城県に行ってきました。仙台、赤井、石巻。
私は阪神大震災のとき、神戸市長田区で一か月半のボランティア活動をしたことがあります。自分の中では震災のイメージはもともと持っていたつもりですが、今回はそれをも超えていました。
感じたことを率直に書きます。
・栃木県あたりから高速がでこぼこしてくる。
・夜の宮城は普通の町。小金井市か八王子市に近いイメージ。
・朝。壁のひび、貼り紙が目につく。
【仙台】
・車で海岸部に近づくにつれ、道路がでこぼこしてくる。水たまりが目立ってくる。
・瓦の無い家。ブルーシートを張った家。
・一階部分がもがれた家。海側がえぐられた家。窓枠が残って、カーテンだけが揺れている。
・すべてが流されている。避難所すらもない。工事車両と警備員がいるだけ。夜には誰もいなくなるのだろう。
・海は静か。葦が目につく。
・土のうの量
・鉄筋コンクリートの壁。コンクリがはがされ、グニャグニャになった鉄筋だけが残っている。
・流されているもの。漁の網。半分だけ入ったカルピスウォーターのペットボトル。
・手すり、フェンスが海側に倒れている。
・車での帰り道。みんな静かになる。カーナビのガイダンスだけが響く。
・津波に襲われた近くのコンビニ。花火セットが売られている。このギャップ。
【石巻】
・石巻。高台が無い。1~2キロ先に山が見える。どこへ逃げろというのか。
・工事車両のみ。若干の自衛隊。警察。
・ガレキ撤去のトラック。専用の道路が渋滞。
・車がペシャンコというよりはクシャクシャ。
・粉じん。蠅。
・ヘドロの匂い。糞尿の匂い。腐敗した匂い。
・阪神大震災と違って焼けた家がほとんどない。焦げた匂いもしない。
・フェンスに貼ってあった手書きのプラカード
「全国からのご支援ありがとうございます」
・戦後の焼野原は、戦後だからこそバラックから復興できたと思います。阪神大震災の焼野原も、そこから5分も歩けば日常が垣間見えた。ただ今回は沿岸部がすべて流されている。何キロ単位の広範囲。余震、津波のリスク。電気、ガス、水道などのライフラインが停止。夜はゴーストタウン。
「復興」「再生」という言葉よりも、「減災」という言葉のほうが現実的だと感じました。
以上です。
私のなかで問題意識が強くなりました。「起承転結」の「起」は理解できました。
長期戦になります。一人ひとりができることをやっていきましょう。被災していない地域の方は日常での防災、減災に努めましょう。
小さなことからコツコツと。