轟見聞録

表現者・轟ひろたが、学んだことをメモ書きします。(毎週木・日曜更新)

与えられる

2010-05-31 | Weblog
小室哲哉「罪と音楽」より


チャンスは自分で掴み取るだけじゃなくて、まわりの人たちから与えられるものである、と。
まわりに認められる、必要とされるとき、チャンスは生まれる。そのチャンスを生かしてこそ、必要とされる喜び、僕にとってはかけがえのないそれを感じられる。
そのことを忘れたことが「驕り」なのだったと理解した。

人間性

2010-05-27 | Weblog
X JAPAN、エレファントカシマシなどを発掘したソニー・ミュージックエンタテイメントのプロデューサー、津田直士のことば。


新人発掘の仕事を3年やっているうちに、僕は「選ばれた人間」を見極める視点が、分かり始めていた。
才能あるアーティストであるかどうか、音楽やステージで判断するのが、普通だと思う。
でも僕は、初めに人間性を見た。人間としての中身の高さ、というのだろうか。
「志」や、「自と他の解釈」といった「意識のレベル」みたいなものを見つめ、そういったことにまつわる会話をして、そこから「選ばれた人間」かどうか判断するように、僕はしていたのだ。
何人かの素晴らしいアーティストを見続けながら、一方で普通のアーティストや、アーティストではない人達を見ているうちに、その違いが、その「意識のレベル」だ、ということに気づいたからだ。

ほんの一歩

2010-05-20 | Weblog
犠打の世界記録を持つ元巨人、現中日二軍監督の川合昌弘のインタビューより。


たとえばどれだけ創意工夫をしても、日々の練習は基本動作の繰り返し。
たとえ派手さはなくても、自分が限界だと思うところからほんの一歩だけでも前に出ようとすること。
足取りの重さをこらえながら、前へ進もうとし続けること。
巨人時代にたくさんの選手の引退を見てきました。いつも感じていたのは、衰えるのは身体ではないということです。

そっと支える

2010-05-15 | Weblog
家族を亡くす。そのつらさに寄り添う「遺族外来」が埼医科大学国際医療センターにある。
担当医の大西秀樹教授は「こうしたら?」という助言はしない。遺族自身が悲しみを語ることを通じ、回復の手がかりをつかむのを待つ。

遺族を傷つけかねない言葉の例
「早く元気になってね」
「いつまでも悲しんでいてはだめ」
「時間が解決してくれる」
「(本人が無理して頑張っているのに) 元気になったのね」
「子どもさんが大きいから、まだまし」
「〇〇さんはすぐ元気にしていたよ」


大西教授のインタビューより。

ー心がけていることは
(倒れてきそうな人の肩を片手で当てるしぐさをしながら)そっと支える、という感じでしょうか。大事なのは、私の考えを押し付けないこと。何でも話してもらえる雰囲気づくりに努めます。そうしているうちに、だんだんと深い話になっていきます。

ー大切な人を亡くした人が身近にいたら、どう接すればいいのでしょう。
例えば「大往生だったじゃないの」と言ってしまいそうですが、これはいけません。むしろ、さりげない行動がうれしかったとおっしゃる。お弁当を持ってきてくれたとか、何も言わずそばにいてくれたとか。安心感につながるようです。そうしたことを社会的に広く知ってもらいたいと思っています。

自立

2010-05-13 | Weblog
山口百恵のことば


女にとっての自立を私は、こう考える。生きている中で、何が大切なのかよく知っている女性。
世間に出て、活躍していくばかりが、「自立」だとは決して思えない。

恩と感謝

2010-05-11 | Weblog
作家の五木寛之と宗教学者の山折哲雄の対談「不況と親鸞」より。
山折のことば。


「八百万の神々の手」のイメージで思い浮かんだのが、明治以降の3人の財界人。渋沢栄一、出光佐三、そして松下幸之助の姿です。
渋沢は「論語」、出光は禅、松下は神社。3人の人生と事業には、儒教、仏教、神道の伝統が影を落としています。つまり、和魂漢才ですよ。
彼らが共通して重視した徳目は「恩」と「感謝」だった。一言でいうと、他に与えたものを最小限に評価し、他から与えられたものを最大限に評価する価値尺度です。

ぶざま

2010-05-09 | Weblog
ジュリーこと、沢田研二のインタビューより。


ー還暦を過ぎても、ステージを全速力で走り回っていますね。

本当は60歳を過ぎたら、バンドではなく、ギターひとつで静かにバラードを歌うスタイルにするつもりだった。
でも昨年、東京ドームで6時間80曲を演奏した還暦公演が成功し、僕もスタッフも、たぶんファンも元気になっちゃった。
かつて(米国人歌手の)ダイアナ・ロスの公演を見たとき、終盤で彼女が疲れ、だんだんあられもなくなってくるんです。もう声も絶え絶え。でも、そこで初めて生身の人間が見える。「がんばってるなぁ」と引き込まれ、僕もそうありたいと思いました。
そりゃ体は重いですよ。走っても、きっと格好はよくない。でも、ぶざまでもがんばっている姿は感動を呼ぶと思うんです。
いずれは体力的にがんばれなくなる。バラードしかできなくなる。だから今はまだがんばりたい。

切れても

2010-05-05 | Weblog
ダライ・ラマ14世のことば


つなぎあわせたロープがたとえ9回切れたとしても、10回目のチャレンジをしなければなりません。
たとえ失敗したとしても、少なくとも後悔はしないでしょう。