轟見聞録

表現者・轟ひろたが、学んだことをメモ書きします。(毎週木・日曜更新)

両面

2010-08-30 | Weblog
映画「ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」の監督、フランシス・コッポラのことば


真実には善悪、そして生死という両面がある。私たちはこれを正反対のものと見なすか、見なしたいと思っているけど、実は一つのものだということを忘れてはいけない。善か悪か、簡単に定義づけることなどできないんだよ。

人生における時間

2010-08-19 | Weblog
19世紀フランスの作家、プルーストのことば


われわれは理論では地球が回っているのを知っているが、実際にはそれに気づかない。われわれの歩いている土地は動かないように見え、われわれは安心して暮らしている。人生における時間も同様である。

戦争の放棄

2010-08-15 | Weblog
日本国憲法

前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


第9条 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ミクシィにも

2010-08-11 | Weblog
轟ひろたからお知らせです。

先日からソーシャルネットのミクシィを始めました。この「轟見聞録」と同じ内容をアップするつもりです。
毎週木、日曜日に更新。

個人的にはミクシィをあまり見ないと思います。あまりレスもしないと思います。誰が来たか気になるので「足跡」も見ないと思います。
なので、皆さんもご都合のいいカタチで「轟見聞録」に触れてみてください。

これからも轟ひろたを応援してください。よろしくお願いします。

あえて道徳

2010-08-08 | Weblog
アメリカの政治哲学者、マイケル・サンデルのことば


身近なジレンマを論じることで自分の直感や常識の強弱を確かめ、正義とは何か、公共とは何かといった命題を考えてもらう。
妊娠中絶や幹細胞研究をめぐる長く激しい論争を見てほしい。道徳的・宗教的な信念を抜きにした中立の立場では解きほぐしようがない状態です。
すべてから中立な正義を見つけ出すのは不可能だと思う。何が正義かという論争に道徳的な信念をあえて持ち込むべきだというのが私の立場です。

生ましめんかな

2010-08-06 | Weblog
栗原貞子の詩
「生ましめんかな」


こわれたビルデングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

自慢

2010-08-05 | Weblog
徳川家康が豊臣秀吉を訪ねたとき、秀吉が自慢の茶器や秘蔵の宝物を自慢げに見せながら
「三河守殿(家康)の自慢の茶器は?」
と聞くと、家康はこう答えた。
「田舎者ゆえ自慢できる茶器は持っておりません。ただ、自慢できるものものといえば、いつでも私に命がけで働いてくれる五百騎の家来がいることです」