轟見聞録

表現者・轟ひろたが、学んだことをメモ書きします。(毎週木・日曜更新)

俺は軟派

2011-04-23 | Weblog
忌野清志郎のことば


俺は右翼でも左翼でもない。俺は軟派だって、はっきり言い切ってたからね。今のヤツらは、それさえはっきり言えない。俺にはそれが歯痒いんだよ。

受動的

2011-04-21 | Weblog
演出家、蜷川幸雄のインタビューより


ー俳優経験から学んだものは。

「配役」されるということの意味を考えさせられました。俳優というのは、いつもプロデューサーや演出家に選ばれる受動的な立場なんです。そのうちに「あの演出家は僕のことを嫌いなんだ」と思い始める。そう考えると好き嫌いの話ですから、自分は傷つかないですむんです。
そんなことを繰り返すうちに、自分の能力を問わない自分に気づきました。「僕の演技は他の人を説得する力がないのだから、うまくなる以外に脱出する方法はないのだ」と骨身に染みました。そして他の俳優より多く稽古も勉強もしようと思うようになりました。
何ヶ月も仕事が来ないところに突然、「仕事が決まった」と電話が入ると、その電話一本で、それまでの絶望的気分がさっと明るいものに変わるんです。同時に「おれはこんなちっぽけなことで喜ぶ人間だったのか」と情けなくなるんです。「僕は配役のこんなくらいのことで一喜一憂するようなつまらない人間なんだ、ということに目をそらすな」とノートに書き込みました。

善意を

2011-04-17 | Weblog
被災者でありながら支援活動をしているN君に贈る。

ヒルティ「眠られぬ夜のために」


他人から受ける不正、迫害、屈辱は、時にはわれわれの自己教育のために必要である。原則的にいえば、これらのことに対しては沈黙を守るのが、最良の策である。というのは、そうしていると、侮辱者のなかでも幾分かましな連中は、こちらで言いたいことを、自分自身に、しかもさらに厳しく言いきかせるであろうし、しかし、他の連中は、こちらの応答のたびに、彼らがとった態度への口実を求め、それを見出すであろうから。
世間によくある、ひそかな嫉妬者に対しては、繰り返しあらためて善意を示すことが、彼らの攻撃を防ぐ最上の策である。そうすれば、彼らはついにみずからおのれの剣の上に倒れるか、すくなくともこっそり退却するだろう。
けれども、彼らの批判をろくに気にとめないなら、ただ一つ避けられないことがある。それは、高慢だと思われることだ。しかも、それには、ときおり、僅かながら真理が含まれている。

事故から20 ヶ月後

2011-04-16 | Weblog
朝日新聞のコラムより


チェルノブイリ原発事故の痛手から核軍縮に突き動かされた大国のリーダーがいた。ミハイル・ゴルバチョフ氏だ。
ゴルバチョフ氏はこの事故で核戦争を擬似体感した。「最も小さな核弾頭の爆発でも、放射能の強さでは、三つのチェルノブイリ原発事故に相当する。蓄積した核弾頭のほんの一部の爆発でも破局につながる」と演説し、核軍拡競争を止める決意を示した。
事故から20ヶ月後、歴史上初めて核弾頭を減らす米ソ条約が調印された。

何かが足りない

2011-04-15 | Weblog
哲学者の鶴見俊輔がフォーク歌手、高石ともやにかけたことば。


高石くん、そのままで行きなさい。ギター1本で、しんどいけどね。
リズムやハーモニーが加わると権威になって、ただの音楽になってしまう。何かが足りないから、良いんです。なんとか埋めようと演奏者と聴く人とで情熱を出すから、人間的な音楽になる。

その人の

2011-04-04 | Weblog
マーチン・ルーサー・キングJr.のことば


人を判断する場合、わたしはその人自身の主義・主張によって判断することにしている。
わたし自身の主義・主張によってではなく。

みんなで

2011-04-03 | Weblog
山下達郎のことば


歌は人を幸せにするためにある。でも本当の悲しみの前では、ほんのちっぽけなものにしかなりません。
いろんなこともあるでしょうけど、決して生きることを放棄してはいけません。助け合って、励まし合って、みんなで生きていきましょう。