轟見聞録

表現者・轟ひろたが、学んだことをメモ書きします。(毎週木・日曜更新)

ビートルズ初来日

2006-06-29 | Weblog
今日からちょうど40年前。
1966年6月29日、ビートルズが初来日した。
来日公演を見たRCサクセションのギター、仲井戸麗市のインタビューより。

公演の1曲目は「抱きしめたい」かなと思っていたが「ロックアンドロール・ミュージック」だった。その他も意表をつく選曲だった。
「いまはすごく理解できるね。何百回と演奏した曲より、やっぱ新曲をやりたかったりするよね」

轟sのブログ

2006-06-29 | 音楽
宣伝。
わがバンド「轟s」のメンバー全員がブログを持ちました。
内容、更新のペースなどそれぞれの個性が出ています。
ヒマな時にでも見てやってください。よろしくお願いいたします。

○ボーカル上島
「たっちゃんの虹を翔る黙示録DX」
http://blog.livedoor.jp/st52stop/

○ベース参號
「カタカタ」
http://5konosurikire.jugem.jp/

○ドラムA組
「週間A組」
http://blog.goo.ne.jp/i-am-the-sea/

くちなしの花

2006-06-28 | その他
戦没学徒、宅島徳光中尉の遺稿集「くちなしの花」。
その中の恋人を思って綴った詩。


俺の言葉で泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる人が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人

練習ですべてを

2006-06-26 | その他
予選リーグを終えたジーコ監督のインタビュー


ー世界との大きな差は何が足りないか?

プロ意識だ。
まず、外国に行くのもいいが、自分のチームで試合に出られるようにしなければいけない。
代表で初めて一生懸命やるのではなく、クラブの練習や試合ですべてを出し尽くすことだ。

中田とイチロー

2006-06-25 | その他
1分2敗でワールドカップを終えたジーコジャパン。
いくつかのニュースや記事を目にしました。その中で一番興味深かったのが、6/23「毎日新聞」夕刊の記事。抜粋します。


中田英寿はドイツ入り後、明らかにいらついていた。
「走るという基本ができていない」
「戦う準備が足りない」
味方への批判とも取れる言葉がたびたび漏れた。練習でも仲間とほとんど会話せず、アップも1人で行った。
ただ試合に臨む姿勢は誰よりも激しかった。ジーコ監督から「中田はいつでも同じ気持ちで全力を出せる」と絶賛された。

中田と同様に「孤高」と称される存在に、イチローがいる。
今年3月のワールド・ベースボール・クラシックでは、意外なリーダーシップを発揮した。
練習中から仲間に積極的に話しかけ、2次リーグでの米国戦では円陣の中心で「歴史的な日にしよう」と叫んだ。チームは一丸となり、世界一を手中にした。

世界を知る中田の厳しさを日本代表の他の選手は最後まで理解できず、彼自身も仲間とも一定の距離を保った。
中田はイチローになれなかった。

COLD PLAY「LIVE2003」

2006-06-24 | 音楽
コールドプレイのライブ盤「LIVE2003」を聞いた。
すばらしい。僕が好きな曲は「YELLOW」、訳詩を。


星を見上げてごらん
君のために輝いている
君のすべてを見守ってる
何もかも黄色く輝いてる

僕はここにたどり着いて
曲を書いた
君と、君のすべてのために
タイトルは「イエロー」



10-1=0

2006-06-20 | その他
ビジネスマナーの本より。

お客さまに提供するサービスは常に完全なもの、少しの落度も許されません。
1つでも落度があれば、そのサービス価値は「10-1=9」ではなく、「10-1=0」すなわちサービス価値は「ゼロ」となります。
いつでも、どこでもファーストクラスのサービスを提供することが大切です。

子供みたいに

2006-06-15 | 音楽
ローリングストーンズ、ミック・ジャガーの言葉。

俺がライブをやっているとき、子供みたいな気持ちになれるんだ。10歳とか、11歳とか。
ライブをしているときは、時間をさかのぼることができるんだ。