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富士山アイヌ語語源説か~八島士奴美神・・・続☆86 2021-08-11

2023年11月26日 | 続☆歴史の中の「経緯」

富士山アイヌ語語源説について (asahi-net.or.jp)

あいかわらず、いいかげんなアイヌ語が横行してるという話です。

新刊で、
「目からウロコの漢字問題」(宝島社文庫)
という本があります。
漢字のいろいろな話が載っていて、誤読の話など結構笑えます。

この本の中にアイヌ語に関して以下の記述があります。(P202)
「先ほど例に挙げた「古事記」に出てくる地名が本当のオリジナルかというと、そうとも言い切れない。
 じつは日本の地名の多くはアイヌ語起源である可能性が高いからである。
 先住民族なのだから当然だが、昔は日本の大部分の地域にアイヌ民族がいた。その後北方へ追いやられたが、(現代日本人の八割の人はアイヌ民族の血を引いているという)、このようなわけで、とりわけ北海道や東北の地名には、アイヌ語に漢字を当てたものがごろごろある。
 たとえば、栃木県「日光(にっこう)」は「二荒(ふたら)」が「にこう」と読み違えられ、さらにそれに当て字をして出来上がったという。この「ふたら」はアイヌ語「プタアラ」が語源になっており、これは「美しい高原」のことである。「富士」もアイヌ語の「フチ(火)」が語源だとする説が有力だ。つまり「火の山」だったわけである。」

「昔は日本の大部分の地域にアイヌ民族がいた」
「現代日本人の八割の人はアイヌ民族の血を引いているという」
これはマユツバものです。なにを根拠にこんなこと書いてるんだか。

アイヌ語に「プタアラ」なんて単語はありません。

アイヌ語の「フチ」は「おばあさん」という意味で、「火」という意味はありません。
「アペフチカムイ」(火のおばあさんの神)の「フチ」を「火」と勘違いした? むりやりこじつけた?

「「フチ(火)」が語源だとする説が有力だ」
全然、有力じゃありません。(笑)

「フチ」の発音に関して、金田一京助は次のように書いています。
(「北奥地名考」1932年)
「若し語原が、説者のいう如くアイヌ語のhuchiであったならば、国語にクヂ(またはクジ)となっていた筈で、国語にハ行音でフジとなる為には、その語頭音は必ずやpかfでなけれだならない。それは上代の国語の音には[h]音がなく、外国の[h]音はこれが為にみな[k]音に取り込まれる例であったからである。現今のフジであるからとて、huchiをその語原に見立てたのは、国語の音韻史を無視した失考だった。」

金田一京助がこれを書いてから67年もたっているのに、いまだに「「富士」もアイヌ語の「フチ(火)」が語源だとする説が有力だ。」と書く人がいるんですねぇ。

***********

これを読んで、

「「フチ(火)」が語源だとする説が有力だ」

アイヌ語の「フチ」は「おばあさん」という意味で、「火」という意味はありません。
「アペフチカムイ」(火のおばあさんの神)の「フチ」を「火」と勘違いした? 

************

「「フチ(火)」が語源だとする説が有力だ」

は、半分あってると思った。

フチはあっている。が、火でなく、おっしゃる通り「おばあさん」なのだと思う。

おそらく、アペカムイが、阿蘇山

阿蘇山=スサノオ とすると、

母は、イザナミ

(これが、大山あたりになるのかも?)

比婆山・姥山もあるが・・火山だったろうか?

スサノオからみたおばあさんととらえる

「アペフチカムイ」

おばあさん=フチ=富士となってもおかしくない。

*********

アぺカムイ

アぺ

アぺフチ

というように、全部読まなくても、

火の山= アぺカムイであるのなら、

富士山なら、

どの火の山? フチだよ。

????なら

どの火の山? ????だよ。

と、いう風に、固有名詞?をつかっていたのでは?

北海道・日本には火山が多くあるし

個別に名前がついていてもおかしくないと思う。

で、スサノオのおばあさんがだれになるか・・・

王朝として考えれば

国常立

その伴侶。

次代 豊雲野神または国狭槌尊

独神のようなので、同一視されていた艮金神の伴侶

金神(こんじん)とは方位神の1つである。『簠簋内伝』に記述がある

金神の在する方位に対してはあらゆることが凶とされ、特に土を動かしたり造作・修理・移転・旅行などが忌まれる。この方位を犯すと家族7人に死が及び、家族が7人いない時は隣の家の者まで殺される(これを七殺(ななさつ)という)と言われて恐れられた。

金神の中でも、「うしとらの金神」は「久遠国」という夜叉国の王である巨旦大王の精魂とされる。巨旦大王の眷属の精魂も(普通の)金神と呼ばれる凶神となっている。

またその精魂の抜けた屍は牛頭天王によって5つに引き裂かれ、五節句に合わせて祭った(巨旦調伏の祭礼)。

  • 1月1日----紅白の鏡餅(巨旦の骨肉)
  • 3月3日----草餅(巨旦の皮膚)
  • 5月5日----菖蒲ちまき(巨旦の髭と髪)
  • 7月7日----小麦素麺(巨旦の筋)
  • 9月9日----黄菊の酒(巨旦の血)

*************

艮の金神の妻神である坤(ひつじさる)の金神


『霊界物語』によれば、国祖・艮の金神=国常立尊の妻神である坤の金神=豊雲野尊の銀色の龍体が人格化して神素盞鳴尊になられたとされます。
月の大神またミロクの大神とも称え奉ります。

古事記』では国之常立神、『日本書紀』では国常立尊(くにのとこたちのみこと)と表記される。別名を国底立尊(くにのそこたちのみこと)ともいう。

『古事記』において神世七代の最初の神とされ、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)の次に現れた神で、独神であり、姿を現さなかったと記される。『日本書紀』本文では天地開闢の際に出現した最初の神としており、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記している。他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっている。『記紀』ともに、それ以降の具体的な説話はない。

神名の「国之常立」は、「国」を「国土」、「常」を「永久」と解し、名義は「国土が永久に立ち続けること」とする説や、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説など諸説ある。

***************

猿田彦は猿(去る)田(祭祀)彦(火子ー火の粉)という

ことであろうという事にしているが

八島士奴美神の別名をみて、ん?と思う。

別名
清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしましの
清之繁名坂軽彦八嶋手命:すがのゆいなさかかるひこやしまでのみこと
清之湯山主三名狹漏彦八嶋野:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしまの

 

猿彦自体を祀っているとも、考えられる。

逆に、祭祀の主としての意味合いか?

大田田根子も大田(ヘブライ・ユダヤの変形?)を田(祀る)根子(血族)

と、とると、

猿を祀る彦(直径―子供?)

猿がなにを表すかというと

八島士奴美神になるのかもしれないが

カチカチ山の新潟版の続きの中に

ー兎は人間の家に上がり込んでーと、あるし

因幡の白兎でも、鰐にしろ兎にしろ何かを暗喩しているし

人間と呼ばれるものは別にいる。

と、考えると、

猿もなにか(どこかの一族)を暗喩しているとも考えられる。

猿ー去るであれば、

例えば出雲族もどこかに去っていった。

(これは、また、別の段で ー氷上神社だったかな・・)

そこに居た「原住民?」を追いやったと、いうことになると

猿=原住民(この言葉も微妙な表現であるが)

その中で、一番まずかったのが

スサノオかもしれない。

追いやるだけではすまない?

惨殺して、佐田大社に祀る。

祀り名は 猿田彦

すなおに

清之湯山主三名狹漏彦八嶋野:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしまの ととるべきか?

 

八島士奴美神

これは、八島(日本全土)が蔀(囲い.格子)ととると

ご神体は 日本国土である という

国常立に比定できる。

**********

清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしましの
清之繁名坂軽彦八嶋手命:すがのゆいなさかかるひこやしまでのみこと
清之湯山主三名狹漏彦八嶋野:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしまの

伝承に登場する水域

塩見川の下流一帯は、かつて日本海とつながる入り江だった。伝承では、神功皇后敦賀高志国)から九州征伐(あるいは三韓征伐)に向かうときにこの入り江に寄港したとされている

この入り江は、やがて福部砂丘(鳥取砂丘の東部)の発達によって海と切り離され、潟湖となっていった。『因幡志』では海との接続部には水門があったとされている。潟湖は西側の「上池」と東側の「下池」という2つの水域に分かれており、上池と下池は小さな川で繋がっていた。江戸時代には、上池を湯山池、下池を細川池と呼ぶようになっていた。「湯山」という地名は、かつてこの辺りに温泉があったことによるとされている

新温泉町 · 岩美町 · 鳥取市. 「因幡の白うさぎ」の神話の里. 白兎海岸周辺 (はくとかいがん). 鳥取砂丘の西端に位置する海岸で、「因幡の白うさぎ」の神話の里。

隠岐島の白兎が因幡の気多(けた)岬(現,鳥取市白兎(はくと)海岸)へ,海のワニ(鮫(さめ))をあざむいて並ばせ,それを橋にして渡ろうとして失敗し毛皮をはがれる。

:須我神社:

簸の川上に於いて八岐遠呂智(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り「吾が御心清々し」とおっしやつて宮造りをなさった。そのとき美しい雲の立ち昇るのを見て、

「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」

と歌い、日本で始めての宮殿を作り、鎮まりました。これが古事記・日本書紀に記載されている「須賀宮(すがのみや)」であり、日本初之宮(にほんはつのみや)であります。 三十一文字の歌も日本で一番古い歌であり、この地が「和歌発祥の社」と呼ばれる由縁でもあります。また、この歌の中の「出雲」が出雲の国名の起元であり、「八雲立つ」は「出雲」の枕詞であります。

********

しぬ【篠】

〘名〙 (現在、「の」の甲類の万葉仮名とされている「怒」「努」「弩」などを「ぬ」とよんだところからできた) =しの(篠)
※書紀(720)神代上(丹鶴本訓)「篠、小竹也。此れをば斯奴(しヌ)と云ふ」
 
**********
清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしましの

みなはさるひこやしましの

皆は去る、彦八島死ぬ

三名ーすがのぬし ゆやまのぬし さるひこ

すがのぬし、ゆやまのぬし さるひこ (八島のさるひこ?)(熊毛族?)ー(熊襲にされた一族?)

みな(3名)は死ぬ

と、いう「呪」(しゅ)とも思える名前。

ゆやまのぬしは、場所から大国主命と思える。

つまり、スサノオ・大国主命・猿田彦は死んだ。

::

八島士奴美神

これは、八島(日本全土)が蔀(囲い.格子)ととると

ご神体は 日本国土である という

国常立に比定できる。

::

国常立王朝 あるいは、国常立を祀っていた出雲王朝、もしくは八島士奴美王朝?

八島をほぼ統治していたと思う。

それを、滅ぼした。

と、いう意味にとれる。

***********

清之繁名坂軽彦八嶋手命:すがのゆいなさかかるひこやしまでのみこと

素戔嗚の結(縁・親族?親戚?)

繁名: 岩手県久慈市、青森県。花輪の異形。岩手県久慈市では秋田県鹿角市花輪から来住したと伝える。推定では江戸時代・・

鹿角ーいざさー稲佐の浜ーいさざの浜

**

素戔嗚の結 いなさ(鹿角ーいざさ)が懸かる「彦」ー八島出自の命

(なんとなく、饒速日?)

****

〖結〗 ケツ・むすぶ・ゆう・ゆわえる ケチ
 
糸すじをたばねて一つにまとめる。むすびつける。ゆわえる。
 「結縄・結髪・結束・連結」
 
ばらばらであったものが、つながりあって一つにかたまる。
 「結氷・結晶・結集・結核・凝結・凍結」
*******
猿彦(猿田彦)を手繰れるかと思ったが・・・・
 
*****
飛騨口碑から

大三島、ここには十五代淡上方様の命によって、約二百年程ほど前に飛騨から来て、子孫を増やして瀬戸内海を牛耳る一大勢力がありました。

淡上方様から命を受けた山下住命(やましたずみのみこと)は家来やその家族を引きつれて、まず少し先に降りた山本一族のいる鈴鹿までゆき、鈴鹿にしばらく滞在してその頃は舟も良くなく命からがら瀬戸内海の大三島にたどり着ついたのです。

その中心の人は山下住命と申し上げ、「おお」という敬称がついて大山下住命となり「下」がとれて大山住命(おおやまずみのみこと)と申し上げ代々襲名していたのです。

 ****

鈴鹿の猿田彦命(さるたひこのみこと)の事をお話しましょう。

昔に遡り、十五代淡上方様が海辺を固めて連絡網を作られた時、この鈴鹿の地に山本高山土公命(やまもとたかやまつちのきみのみこと)を派遣されていました。

山本高山土公命が家来やその家族を引き連れて降り鈴鹿の地に代々住み、猿田彦命はそれから18代目の御方です。

約二百年程たったでしょうか、鈴鹿は人も増え猿田彦命を中心に繁栄していました。
本家の飛騨には代々忠誠を尽くくして、親しく付き合っていたのです。

猿田彦命の祖父に当る御方の兄弟に舟造命(ふなつくりのみこと)という御方が大海へ乗り出しても壊れず更に帆をはって走る立派な舟を完成しておられたのです。

山本高山土公命が飛騨を出る時、淡上方様から
「海辺を見回り、連絡網を作り、子孫を増やして、立派な舟を早く造れ」
と厳命されていたのです。

山本高山土公命の墓は、その事を忘れぬ為舟形になっています。

********

飛騨口碑から、読み取ると

飛騨王朝?の勢力?圏をいえば、

アラハバキからウガヤフキアエズ王朝まで、

と、まさに、日本王朝といってよい状態だったと思う。

ところが、

その衛星王朝?と思われるものは、ことごとく

史実から名を消され

八島士奴美神も

蔀ーしとみ(格子)の中にいる

牢獄につながれた。という風にも読み取れる。

さらに、、別名を読み解いていくと

妙な風に読めてしまう。

と、いう具合に

なにか、暗号で残そうとしたか?という

神社側の苦肉のメッセージにも

征服した側の「呪」(しゅ)にも思えてくる。

********

飛騨口碑もウガヤフキアエズ王朝(72代?ー74代?)を認識していない。

これは、

飛騨王朝?も、早々に滅ぼされた?ということなのか?

ダルムートの中の

汝殺すなかれーただし、ノアの子孫・黒人・外人?はイスラエル人ではないので殺しても良い。

汝殺すなかれ、は、同族に対してのことである。

飛騨口碑の中で、ノアの子孫というのもあったし

あるいは、箱舟が着いたと思う高い山近くにあった(天孫降臨を含め)王朝は

ほぼ、王朝の痕跡を残していない。

かと、思えば、

倭王朝(大和朝廷)の始祖はどこから湧いてきたのか、誰なのか

さっぱりわからない。

神武としたとしても

ウガヤフキアエズ(記紀の)から、わいてきているが

ウガヤフキアエズ王朝とは、無関係なのは明白だし

誰?どこの馬の骨?・・という状態になっている。

************

いわゆる倭国大乱の時代にはいり

なにがどうなってるのか

こうなれば、

もっと、前・・・元から手繰っていかないと見えない。

と、思いはじめて

伊弉諾・伊弉冉あたりも調べ始めたのだが

ここからして

場所ひとつ、特定できない。

まさに神話になっているwww

だが、なにか、普通の伝承の中にだって

そのヒントがあるんじゃないか?

こうも考えられないか

ああも考えられないか

と、乏しい頭脳で、探っている。

それは、それで、面白いのだけど

逆に、頑固になってしまうところもある。

ーいや、そうは考えたくないー

と、いう「思い込み」「判官びいき」みたいなものがでてきて

自分の中で捻じ曲げてしまう?

受け入れないという、頑固さも

見えてくる。

このあたりも、課題だな。と、思う。


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