緻密な音でないと、妙に、メリハリが強く
一聴では、迫力があるように感じてしまうというのは、
ケーブルでも、ツイーターでもあることで、
実際、当方使用のケーブルやツイーターを
違う物にした。
(同じメーカーの型番が違う物)
と、いう報告を頂くことがよくある。
その最初は、たいていが、
メリハリがきいて、鮮やかに成ったので
これは良い。
と、いう,
時に、お勧めの報告なのであるが
しばらくすると、
やはり、元に戻しました。
と、いう報告に変わる。
耳というのは、
インパクトに弱い。
先の例でいえば
1000通りの音源を聴きわける素地ができ始めた所に
極端だが100通り位の音源しか表現できないケーブルやツイーターにかえると
確かに音が太くなり、濃くなったように感じてしまう。
絵でいえば、太い輪郭線があるように感じる。
ところが、1000通りの音源となると、微細な色で
輪郭を作っていく。
太い線はおろか、輪郭線というものがないのに
しっかりした、輪郭が出来上がる。
この微細さを聴き分けていくのに、
多少、耳の成長もいるだろう。
で、あるのに
輪郭線の有る音源に切り替えてしまう。
くっきりと判るだろう。
だが、不自然なのである。
実際、人間の顔、外側に太い線があるだろうか?
そこにきがつかないのは、
耳という映像のない世界のためであるけど
やはり、1度、1000通りの微細さをきいていると
だんだん、と、気が付き始める。
気の毒なのは
その輪郭線こそ鮮やかさで有り、めりはりであると
耳が覚え込んでしまった人かもしれない。
耳の厄介なところは
「育つ」ということでもある。
良い音を聴けば、耳は、どんどん育つ。
ところが、逆に
頑固な思い込み耳も作ってしまう。
1000通りの音源など、聴いたことが無いと
そのこまごまが見えない。
すると、一聴でわかる、インパクトに頼ってしまう。
鮮やかでメリハリがあって、太い音。
これが、良い。と、頷いてしまうと
耳は、これが「一番良い音」と、学習してしまう。
ところが、1000通りの微細さを表現し、伝えていく機器こもごもをもっていると
耳は、その細かさを聞き分けるように育っていく。
耳は、怖いwww
普通、率直な耳をしていたら
1000通りの音を瞬時に受け入れていく。
ところが、これを阻むのが
一聴のインパクトであるが
しばらく、100通りを聴き続けていくと
耳に刻まれた1000通りの「微細」さがあるので
「これ、なんか、違うよ」と、言い出す。
深みがない。厚みがない。中身が薄い。
今まで、それで、十分だったはずの音が
うすっぺらいと気が付き始める。
むろん、機器はWADIA系統のLTDやBlueまでというもの。
いくら、ケーブルやツイーター・その他をよくしても
最初のCDP(等)が、1000通りの音をだせない機器だと
500通りとか、最初にでてくる音自体が違う。
で、この1000通りだしてくる、
音源を1000通りのまま、表現したいと
ケーブルやツイーター他、いろいろ、良くしていってるわけで
けして、
ケーブルやツイーター他で音をたしなっているのではない。
あくまでも、CDP(等)に、音質と性能を整備して
(メーカーそのままの音では、無理。)
1000通りの音源がでるようにしてあるから、
逆にへたなケーブル・ツイーター(等)をもってくると
1000通りが500とか100とかに落ちてしまう。
そこに気が付かれた人が
元に戻すわけだけど
たまに、戻れなくなる人がいる。
AUDIOに向かうとき、余分なのは、思い込みだろう。
自分が作ったからとか
100万もしたからとか
同じ傾向のCDばかりでジャッジするとか。
嗜好というか、てがけた物ほどひいき目(耳)になりやすい。
この点が
当方、いろいろと聴けるし
高橋、どれもこれも、精一杯、音を引き出していくから
手がけたという、妙な愛着でなく
実際に出て来る音でジャッジできる。
ある意味、まだ、たりないということが判らないということは
思い込みに牛耳られているか
耳が育ってないということになるのかもしれない。
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