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吉備津神社・・・4     続々☆歴史の中の「経緯」★19 (メモ状態)

2024年04月04日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
親が間違うほど似ている天若日子と阿遅鉏高日子根神 ありえないと思うのです。 天若日子(日子) という名前も 皇太子・若いお世継ぎというような意味合いで 本名ではないように思います。また 太陽神(日)の神の子、という場合もある。 そして、阿遅鉏高日子根神 大国主の子供でありながら 日子とつく。 おまけに、 迦毛大御神(阿遅鉏高日子根神) 大御神とつくのは、 以下の3神。 天照大御 . . . 本文を読む
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吉備津神社・・・3     続々☆歴史の中の「経緯」★18

2024年04月03日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
 ご由緒 山手八幡神社(やまてはちまんじんじゃ)は広島県福山市に鎮座する神社。旧社格は村社。社伝によると京都男山に宇佐八幡神を勧請して男山八幡宮を創建した行教が貞観元年(859)に宇佐から京に向かう途中備後国沼隈郡山手村で宿泊しその地に地元住民が社殿を建立し創建したと伝わる。  ご祭神 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇   ********** 山手八幡神社は八幡神社だか . . . 本文を読む
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吉備津神社・・・2     続々☆歴史の中の「経緯」★17

2024年04月02日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
備後一宮吉備津神社 社伝では平安時代の初めの大同元年(806年)、備中吉備津神社より御分霊を賜り、備後国品治郡宮内(現在の福山市新市町宮内)の地に創建されたとされ、備後国の一宮として国中より尊崇を集めました。   福山市山手町に居た頃に 跳ね踊りがあったのですが、 跳ね踊りはあちこちにあって 実際 どれだけあるかわかりませんが かなりの数がいまだに残っていると思います。 山 . . . 本文を読む
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吉備津神社・・・1     続々☆歴史の中の「経緯」★16

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
備後一宮の吉備津神社 主祭神  大吉備津彦命   相殿神 大日本根子彦太瓊命     細比売命     稚武吉備津彦命   吉備津神社本殿内陣中央には、主祭神を大吉備津彦命、本殿向かって右側には相殿神に大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)と、細比売命を、左側には稚武吉備津彦命をお祀りしています。 大吉備津彦命は、またの名を五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)といい . . . 本文を読む
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賀夜奈流美命って 誰ですか?・・・2 続々☆歴史の中の「経緯」★15

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
和加布都努志命‐出雲大社 心御柱・・・終 - 憧れのAudio☆お知らせブログ☆ (goo.ne.jp)   まず気にかかるのが 加夜(萱) 萱には 「わすれぐさ」という異名もある。 先にも 書いたが  音読み(言葉/口頭 に当てはめるため 漢字があてがわれる)の文字も 何らかの意味をきちんと当てはめている(ことが多い) 阿太加夜奴志 を 阿太萱奴志 としたら 萱には  . . . 本文を読む
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賀夜奈流美命って 誰ですか?・・・1 続々☆歴史の中の「経緯」★14

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
Uga 賀夜奈流美命 (kamnavi.jp) 『出雲国造神賀詞』と賀夜奈流美命 高天原の尊貴な神、高御魂命が皇御孫命に天の下の大八嶋国の国譲りを仰せになった時に、出雲臣の遠祖、天穂日命を国土の形成を覗う為にお遣わした時に、幾重にも重なった雲を押し分けて天を飛翔し国土を見回って復命して申しあげた事は、「豊葦原の水穂国は昼は猛烈な南風が吹き荒れるように荒ぶる神々が騒ぎ夜は炎が燃えさかるように光 . . . 本文を読む
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和加布都努志命‐出雲大社 心御柱・・・終 続々☆歴史の中の「経緯」★13

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
**************** はい? 御祭神主神阿陀比売大神【阿陀津比売命】-木花咲耶比売命 **************** 阿陀比売神社 (奈良県五條市原町) - 神社巡遊録 (jun-yu-roku.com) 奈良県五條市原町に鎮座する式内社です。 当社の創建は崇神天皇十五年と伝えられ、その後奈良時代の神亀五年(728年)に藤原武智麻呂から神戸を寄進されたと伝えられています。 . . . 本文を読む
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和加布都努志命‐出雲大社 心御柱・・・4 続々☆歴史の中の「経緯」★12

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
阿太加夜奴志多岐喜比賣(下照比売)の父親は 大国主であるとして 母親が 多紀理毘売命(田心姫) 八上姫 2説あるということになるが・・・   ここは、八上姫と同様に考える。 田心(たごり姫)姫 田は祀る 心はそのままで 祀心の姫ということにすると 田の中の十は ヤハウェであろう。   もしかすると、 八上姫は田心姫?   一方で事代主 . . . 本文を読む
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和加布都努志命‐出雲大社 心御柱・・・3(かなり、混乱中)続々☆歴史の中の「経緯」★11

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
 和加布都努志命をネットの中で探してみたら 阿太加夜奴志多岐喜比賣 と ともに祀られていることが分かった。 ******* 御鎮座:当社は風土記に所謂、女嵩野山の山腹にありて、天下造らしし大国主神の御子、和加布都努志命のこの山にて御狩したまへりし、御由緒に拠りて鎮座したまへり。 又、同じ大神の御子高姫命(亦名下照比売亦名雅国玉神亦名阿太加夜奴志多岐喜比賣亦名大倉比売)は素よりこの山に座し、 . . . 本文を読む
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和加布都努志命‐出雲大社 心御柱・・・2 続々☆歴史の中の「経緯」★10

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
阿太加夜奴志多岐喜比賣と和加布都努志命 – 古代史俯瞰 by tokyoblog (tokyox.sakura.ne.jp) 高野宮 古来、別格扱いのお宮で、杵築や佐陀の支配を受けず、江戸時代には、国内の四祈願所(杵築、日御碕、佐陀、当社)の一つであった 和加布都努志命は、大国主の子であり、出雲国風土記、秋鹿郡大野郷の由来に、 「和加布都努志命が、御狩をなさった時に、郷の西の山 . . . 本文を読む
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和加布都努志命‐出雲大社 心御柱・・・1 続々☆歴史の中の「経緯」★9

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
ワカタケル大王(雄略天皇)の時代にムリテが典曹という文書を司る役所に仕えていた。八月に大鉄釜で丹念に作られためでたい大刀である。この刀を持つ者は、長寿であって、子孫まで栄えて治めることがうまくいく。大刀を作ったのは伊太□(ワ)で、銘文を書いたのが張安である。 かつては「治天下𤟱□□□歯大王」と読み、多遅比弥都歯大王(反正天皇)にあてる説が有力であったが、1978年に埼玉稲荷山古墳出土の鉄剣に金象 . . . 本文を読む
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アラハバキ   続々☆歴史の中の「経緯」★8

2023年12月23日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)信仰は、東北地方一帯に見られる民俗信仰。その起源は不明な点が多く、「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷(えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権・朝廷により東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とする説が唱えられている。歴史的経緯や信憑性については諸説ある。縄文神の一種という説もある。古史古伝・偽史的な主張と結びつけられることも多い。 アラハバキを祀る神社 . . . 本文を読む
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今に伝わる日本書紀と古事記 だけど、妙におかしいwww続々☆歴史の中の「経緯」★7  2023-01-30

2023年12月23日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
なにか、妙だなと思って ウィキを調べてきた。 ********* 『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、速須佐之男命、須佐之男命、 『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、須佐乃袁尊、 『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命、神仏習合では牛頭天王などと表記する。 ********* 古事記において、 素戔男 と、いう字は無いようである . . . 本文を読む
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大物主を「狼煙」にした理由かも。 続々☆歴史の中の「経緯」(6)

2023年12月23日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
崇神天皇が ユダ王を祀っていたのではないかというところで 飛騨の阿田由太神社を引き合いに出している。 12士族を集めるために 大物主を象徴にしたのではないか? と、いう仮定に達したのだが ナゼ、大物主(蛇)を象徴にしたか? 根拠が見つからないまま 南ユダ王国(ユダ王)に残った部族に ダン族がいたのを思い出した。 ダン族の紋章が 「蛇」だったと思う。 ユダ王(南ユダ王国)に最後ま . . . 本文を読む
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応神八幡神/顕現伝承   続々☆歴史の中の「経緯」(資料)2021-07-10

2023年12月23日 | 続々☆歴史の中の「経緯」
① 鷹が、八幡の化身であること② 祟峻天皇の御代に鷹がタタリ神であること③ 宇佐神宮と関係が深そうなこと 応神八幡神/顕現伝承 (y-tohara.com) 伝承②--辛嶋家主解状(弘仁5年-814-2月23日)--辛嶋氏系 「一曰、大御神は欽明天皇の御世、宇佐郡辛国宇豆高嶋(カラクニ ウズ タカシマ)に天降り、続いて大和国膽吹嶺(イブキ)・紀伊国名草海島・吉備宮神島に移り、そこから豊前国宇佐 . . . 本文を読む
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