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清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠と青谷上寺地遺跡(考え中)続☆87 2021-08-13

2023年11月26日 | 続☆歴史の中の「経緯」

うろたえる紙魚は泳ぐ・・・・・・・・:日本人起源(8)弥生人DNA (livedoor.jp)

弥生時代以降に、大陸系民族がかなり渡来したということを示す。
古墳時代~飛鳥時代にかけて、半島の戦乱を避けて多くの大陸系渡来人、滅びた百済・高句麗の遺民たちが列島に流入したが、その影響と思える。
このように、現代日本人 は 縄文人を祖先として、外部からの侵略・征服といった大きな変化圧力もなく、
渡来人たちを受け入れて ゆるやかに現在に至っており、(遺伝子的には)東アジア集団とは隔たった位置にいる。

篠田謙一氏は 事実だけで大胆な仮説は述べなかった。
しかし、核DNAの解析結果が示すことは、半島は元々縄文人が住み着いた土地であり、その後に他民族が侵入し、先住縄文人と交雑し入れ替わり、弥生時代の半島人が生じた。 
従って、半島系渡来人は先住縄文人の末裔であり、典型的な弥生渡来人であっても、縄文人の遺伝子を持っている。ということを示した。

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清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしましの

みなはさるひこやしましの

皆は去る、彦八島死ぬ

三名ーすがのぬし ゆやまのぬし さるひこ

すがのぬし、ゆやまのぬし さるひこ (八島のさるひこ?)(熊毛族?)ー(熊襲にされた一族?)

みな(3名)は死ぬ

と、いう「呪」(しゅ)とも思える名前。

ゆやまのぬしは、場所から大国主命と思える。

つまり、スサノオ・大国主命・猿田彦は死んだ。

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おおざっぱに、白兎海岸近辺と考えて

集落?はもっと内陸にあったとして

 

 
が、集落のあったところ、
大国主命がいて、
スサノオ・猿田彦が逃げ込んだ?
 
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なんてことになったら、
 
弥生人だったなんて、結果になるのだろうか?
 
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是時祈神 則志我神 直入物部神 直入中臣神三神矣


つまり、このときに「志我の神」、「直入物部の神」、「直入中臣の神」の三神に祈った。
と書かれているのです。

あまりに短い一文なのでほとんどの人が読み飛ばしてしまうところですが、この一文が大変重要な意味を持っています。

私の解釈では、

「この三氏を滅ぼしたので、その恨み封じのため、新たにお宮を建てて封印した。」

と読めるのです。

つまり、景行天皇が滅ぼした犬爰〔うちさる〕、八田〔やた〕、國摩侶〔くにまろ〕の三人とは、

実は直入中臣氏、直入物部氏、志賀氏の三つの氏族の大将だったのです。

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え?

さる・・が居る。?

猿彦とはだれだ?

と、思っているものは、

「さる」であれば、すぐ手繰ってみたくなる。

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犬爰〔うちさる〕

とは、いうものの、どうよめば、うちさる・・と読めるのだろう。

そして、なぜ(うちさる)と、読ませるのだろう。

まず、爰 を、調べてくる。

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字源

  • 会意形声。「犬」+音符「」、「爰」は「𠬪(「(=手)」+「(=手):手から手へ渡す様」+「」で枝に手を伸ばすの意。

意義

  1. さる類人猿無尾のものに用い、有尾のものはを用いる。

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爰 が音では「さる」

けものへんの部分だけで 犬

「犬」+音符「」=猿

猿という字を分解?しているということになるのですね。

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と、いうことは、

「うちさる」に、意味がある。

ぱっと思うのは、

飛騨口碑から、考えると

鈴鹿から猿田彦が来ている。

この猿田彦は、日本書紀では、伊勢に帰った。

で、比良夫貝に手を挟まれおぼれ死んだ・・・

********

比良夫貝は、「どっちのほうが良い夫」という暗喩があり

あめのうずめ、は、だれかと猿田彦を比べていたと思える。

で、結局、あめのうずめ は「だれか」のほうをえらんで、

猿田彦は「だれか」に殺された。

死因はーあめのうずめに溺れたため・・・

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と、なると

「うちさる」ー内猿ーというより

外猿になってくる。

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では、内猿になるのがだれか?

これが、以前書いた笠沙族ではなかろうか?

ハワイ(もしくはインドネシアとか環太平洋の島)から

やってきたと思われる民族で

飛騨句碑のほうでも、

「こおろぎ」さんと呼んだ日本人より色の黒い(こおろぎ色?)民族で

「おう」「おう」としか、いわない。

 

(ニニギノミコトが飛騨から行った)ので、

飛騨+ウガヤフキアエズ王朝=天孫族

天孫族と笠沙族、この民族と結婚しているという。

 

色が浅黒く、山の中に暮らしていたと思えるので、

「猿」という事になったのかもしれない。

(ここは、?)

この「猿族(笠沙族)」が内猿ということになったか?

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ウエツフミの底本(原本?)をさらっとながめてみたところ

奴婢に対しての扱い方・取り決め?という項目があったのだが

ー省略ーになっていて、内容はつかめていない。

が、

奴婢を「4つー獣」という言い方をすることがあるので

犬爰〔うちさる〕犬(獣辺の意味)爰とし(さる)、あえて、猿田彦の猿と区分けしている。

と、とれる。

外洋からやってきたとするなら、航海術にもたけていた事だろうから

ウガヤフキアエズ王朝のなかで、

奴婢扱いなれど、重鎮になっていったとも思える。

(能力のあるものは積極的に重籍にいれていく体制があったかもしれない)

このあたりが、戦いの時は(景行天皇(仮定)との戦い)

八島を本拠地にして、戦いをくりひろげていたのかもしれない。

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あるいは、本当は猿田彦を打ち破ったのかもしれないが・・・

猿田彦が天千木をのせる社殿の主ということは、

これは、本筋の人物

すでに「名声もあり、天下に知れ渡っていた」人物を

殺したとは、書けない裏があったかもしれない。

猿田彦をおぼれ死んだことにしなければならなかった。

(が、どうも、そうじゃないというヒントは書いてくれているとも思える)

と、考えると、猿田彦だったかもしれない。

で、猿田彦は、猿彦であり田は祭祀の意味合い。

祀ったときは猿田彦-あるいは本人が祭祀(舞)の時に

猿田彦と名乗ったかもしれない。

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八島士奴美神

清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしましの

すがのぬし、ゆやまのぬし さるひこ (八島のさるひこ?)

あるいは、すべて、八島士奴美神のことなのかもしれない。

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景行天皇が滅ぼした「土蜘蛛族」とは、ウガヤ王朝の本体だった。 - ウガヤフキアエズ王朝実在論 (jimdofree.com)

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↑再度確認

 

「菅生」という地名です。

中臣鎌足が藤原姓を名乗る以前の古い中臣氏の家系図を見てみると、そこには「菅生氏」という一族が存在します。

この菅生氏が発祥した場所こそ、現在の竹田市菅生地区なのではないでしょうか?

さらに、古代からこの場所に「大集落」があったことは、考古学的な出土品からも実証されています。

ところが、この出土品=つまり生活の痕跡は、弥生後期になるとパッタリと途絶えてしまいます。

つまり、景行天皇が攻めて来たことにより、ここに住んでいた人たちは、忽然と姿を消してしまうのです。

まさに日本書紀の記述どおり、ここに住んでいた「土蜘蛛族」は根絶やしにされて、その後しばらくは誰も住まなくなったようなのです。

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清之湯山主 すがのゆやまのぬし

清しい(すがしい)とは。意味や解説、類語。[形][文]すが・し[シク]さわやかで気持ちがよい。すがすがしい

菅 すげ。すが。カヤツリグサ科の植物。葉で、笠(かさ)や蓑(みの)を作る。「菅笠(すげがさ)」

菅生氏 菅で生まれた部族?

土地は菅生とかわる?

湯山は 温泉・火山などがあるところと思える。

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第1章 竹田市の歴史的風致形成の背景 (PDFファイル: 4.0MB)

第1章.indd (city.taketa.oita.jp)

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ここでみつけたのが、

神楽・獅子舞・白熊

と、いう言葉。

白熊の様子がはっきりわからないので

しらべていくと・・・

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神楽のぶろぐ::2011年06月 (npo-hiroshima.jp)

まず最初は雄鹿原上組神楽団「羽白熊鷲」(はじろくまわし)。ちょっと聞き慣れない演目でしょうか。身に翼を持ち自由自在に飛び交う羽白熊鷲という悪鬼を、澳長足姫(おきながたらしひめ)命が退治するという物語。この澳長足姫は、塵倫を退治した仲哀天皇の后なんだそうです。

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羽白熊鷲という悪鬼・・・・

またも、事実を改ざんしてるのではないか?

と、思うのですが。

********こっちもきになるけど、後回し。

続いて西宗神楽団「桃太郎伝説」。西宗神楽団創作のオリジナル演目です。昔話の桃太郎では悪役はただ単に悪い鬼でしたが、この神楽の中では吉備冠者(きびのかじゃ)として登場します。五十狭芹彦(いさせりひこ)による吉備国平定が、わかりやすく昔話として知られているんですね。恐ろしい面の吉備冠者、その手下は素早く人の姿に変化ます。

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50周年迎えた緒方五千石祭と御嶽流「緒方神楽」 | . (ameblo.jp)

白熊と思われる写真がありました。

思った通り、「白い顔」

白熊の熊は前(くま)で、前祖・先祖・先住民族と取って良いと思います。

白い肌の先祖が居た。

と、いう事ですね。

大和朝廷がわにとって、都合が悪かったのか?

だいぶ、情報が削られているか

ふさぎ込まれている感じです。

演目の内容・由緒がまだ、つかめない。

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緒方神楽のきらびやかな胸のYの字の如き「三つ巴」が躍動するのです。

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↑これも、きになるのですが・・・

竹田市(のPDFの中には)には、キリシタン遺跡?遺構?があるようだ。

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